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のれんに牛  作者: マナブハジメ
青年期
14/24

狩る者と狩られる者

 一撃目をかわした秀也は牛鬼と距離を置いていた。そうせざるを得なかったからだ。

 先程の一撃目を仕掛けてきたのは牛鬼からだった。地響きを引き連れながら牛鬼は突進してきたのだが、秀也はそれを正面から受けた。牛鬼はどう見ても攻撃力のみに特化していて、器用な技を使うとは到底思えなかったからである。

 こちらの手の内も知らないで突っ込んでくる牛鬼を滑稽に思ったが、気を緩めることはなかった。秀也は万全の態勢でこの牛鬼を迎え撃ったのである。

 中心から放射状に張られた縦糸と、その縦糸に対して直角に同心円状に張られた横糸をもって防御壁のようにしてふるまった。いわば蜘蛛の巣を張ったのである。

秀也の愛刀膝丸から紡ぎだされたこれらの糸は相手を絡め取るというような生易しいものではなく、糸状に見える一本一本の細い線はすべて刃になっている。これは突進してくる相手を攻撃するまでには至らないものの十分な防御壁となるものだと思っていた。

 しかし、秀也の考えは甘かった。

 猛烈な突進によって勢いを増した牛鬼が放った一振りによってあっさりとこの糸陣(しじん)が撃破されてしまったのである。さらに、下から振り上げられた薙刀が糸陣を破ったかと思えば続いて強烈な足蹴りが砂塵とともに襲い掛かってきて、危うく秀也は牛鬼の爪刃(そうじん)によって引き裂かれるところだった。

 牛鬼の攻撃力は予想をはるかに上回っていたのである。それゆえ、接近戦では相手の長所ばかりが生かされると判断した秀也は牛鬼から距離をとることにした。

「牛鬼よ、俺は京二に用があるんだ。お前に興味はないから通してくれないか」

 相手が手強いと判断した秀也は声を投げかけるのだが相手が悪かった。

「そんなことはどうだっていい。俺は強い奴を斬りたくてしょうがないんだ」

 この男は外見だけでなく中身までもが血に飢えた猛獣だったのである。

「この戦闘狂が」

「何とでも言え!」

 声を発した牛鬼は地面を(えぐ)り取るほどの脚力で秀也との間合いを詰めてきた。

「くっ」

 間合いを詰められては不利となる秀也は身をかわして再び牛鬼と距離をとる。秀也は身をかわす寸前に、数本の糸を引っ張っただけの(すじ)(いと)を放っているのだが、牛鬼はこれをいとも簡単になぎ払ってしまう。この筋糸は風が吹くたびにゆらゆらと揺れて、不定形を保ったまま相手に刃を向けるもので、並みの相手ならばこの筋糸で対処することができる。

 防御壁として張った円網(えんもう)を破っただけでなく、筋糸までも簡単に払い除けててしまう。この二つの事実から導き出される結論は明確だった。

 秀也の方が劣っている。

 しかし秀也は焦らなかった。牛鬼は先程の攻撃からも見て取れるように、間合いを詰めての攻撃しかできないのである。秀也の膝丸はむしろある程度の間合いがあった方がその力を発揮できる。どうやらこの勝負、根競べになりそうだ。

 秀也は牛鬼が攻撃を仕掛けてくるたびにそれをかわし、かわす寸前に筋糸を放って応戦していた。

「おいおい、追いかけっこじゃねえんだから。逃げてばっかじゃつまらねえぜ。もっと仕掛けてこいよ」

 牛鬼が挑発するのだが。

「じっくり狩ってやるから心配するな」

 秀也は強がりを見せた。

「よく言うぜ」

 牛鬼は意味深に笑っている。そして秀也に向かって指を差した。

「肩で息してるじゃねえか」

 秀也は言葉を返すことができない。牛鬼は気付いていたのだ。秀也が自分より格下であることに。秀也の体力の消耗が何よりの証拠である。呼吸をするたびに上下する秀也の肩が物語っていた。秀也の置かれている立場を。

 牛鬼が口を開く。

「狩るのは俺だ」

 にやりと笑いながら。

「狩られるのは貴様だ」

 秀也の額からは滝のように汗が流れている。狩る者と狩られる者の立場の違いがこんなにも明確に現れるとは思ってもみなかった。

 先ほどからしゃべっている牛鬼は息一つ乱しておらず、実に余裕なのである。戦闘経験の違いが戦力の違いとなり秀也に重くのしかかっていた。その重みのせいか相手の攻撃をかわしているだけなのにやたらと疲れるのである。近付くたびに感じる牛鬼のプレッシャーが急激な体力消耗を招いていた。

「あとどれくらいもつかな?」

 その言葉と同時に牛鬼は秀也めがけて突進していた。

 秀也は今までと同様に筋糸を放ちつつこれをかわすのだが、回を重ねるごとに牛鬼の動きが速くなってきているように感じた。

 五、六回これを繰り返したところで牛鬼は再び口を開いた。

「はっはっは、だんだん獲物に近付いてきたぜ」

 これで秀也はようやく気付いた。相手の動きが速くなっているのではなく、かわすたびにとってきた牛鬼との間合いの距離が縮まっていたのだということに。自分の体力の消耗が回避距離の減少として現れたのである。

「あと何回かな~」

 牛鬼は半分遊んでいるような口調になっている。

 悔しいが秀也にはなす術がない。

「い~ち」

 とうとう牛鬼は一回の突進ごとに数を数え始めた。秀也にとっては屈辱以外の何物でもないのだが、このカウントは自分の死へのカウントダウンでもある。

「に~い」

 牛鬼の攻撃は腹が立つくらい単調である。

「さ~ん」

 しかし単調であるがゆえに狩られる側が受けるプレッシャーは半端なものではなく、体力がどんどん削られていく。

「し~い」

 四撃目をかわす頃になるといよいよ紙一重になってきた。もはや筋糸を放つことすらできなくなっている。

「ご~お」

 これをかわした秀也はぐらりと揺れた。足が(もつ)れたのだ。

 その隙を牛鬼が見逃すはずがなかった。

「ろく!」

 回避は不可能と判断した秀也がなんとか円網による糸陣を張るのだが、

「あばよ!」

 牛鬼が振るった下からの(ひと)太刀(たち)は糸陣を薙ぎ払い、さらには秀也をも引き裂いた。

 天高く振り払われた薙刀からは朱が垂れ落ち、青い空には鮮血が混じる。ぽたぽたと降り注ぐ赤色の雨は真紅の花弁に当たって粒となる。

「――――――っ!」

 声にならない声を発した杏を睨みつけたのは牛鬼だった。

「女の肌か。悪くない。一発で仕留めるには惜しいってもんだな。せいぜい(いや)らしく(あえ)いでくれよ」

 下品な笑いを携えたまま牛鬼は杏に近付いてきた。

杏は恐怖のあまり座り込んでしまっている。

「いや、いやよ!来ないで!」

 杏の叫びは虚しく響くだけ。

 しかし祈りは通じていた。

 秀也に。

「まだだ」

 そう言って起き上った秀也は憑依(ひょうい)のしていない膝丸で牛鬼の背中を斬った。

「うぐっ」

 悶絶した牛鬼であったがすぐにまた秀也を睨みつける。牛鬼が苦しんでいる間に秀也は声を張り上げた。

「杏!春一を!春一を」

 言葉の途中で牛鬼の爪刃(そうじん)が秀也の腹をかすめた。

「早く!」

 この場から逃げ出してしまっていいものか迷った杏であったが秀也の声に押されて坂道を下ることを決心した。そして杏は秀也に言葉を残すことなくこの場に背を向ける。秀也がこの場をやり過ごしてくれることを信じて。

 一方、牛鬼の表情は怒気一色となっていた。

「もう我慢ならねえ!ただ殺すだけじゃ気がすまん!」

 秀也は覚悟した。

「貴様はばらばらにして葬ってくれるわ!」

 薙刀が赤色(せきしょく)の花弁を散らしていた。



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