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のれんに牛  作者: マナブハジメ
青年期
11/24

邪(よこしま)な世の中と羅生門の主人

 燃えるように赤い花が揺れていた。

「京二、大久保さんは死んじゃったよ。どうするんだい?」

 すらりとした男が問いかける。

「どうってことはないさ。その時が来たと言うだけのことだ」

 整列した木柱(もくちゅう)を背に京二は虚空を見つめていた。

 京二もまた成長した。当たり前のことである。皆花塾に毎日通っていたころとは違い、この広い町の中にあっては、仲間と顔を合わせる機会も激減していた。皆花塾が閉まった当初は代月の家を訪れることが多かった。この国を変えるなどという漠然とした夢をもっていたもののどうすればいいのか分からなかったからだ。物知りな代月なら何か教えてくれるだろうと思った。

 どうやらそう考えていたのは京二だけではなかったようで、代月の家には秀也もよくいた。代月が言うには、勉強をしといて損にはならん、だそうだから三人でよく勉強した。気付けば京二と秀也は同じ道を歩もうとしていた。

 しかし、成長する過程で京二は自分の中に何かもやもやしたものがあることに気付いた。そのもやもやに気付くのに一年もかかってしまった。

 そのもやもやが晴れたのはふとしたことがきっかけだった。

いつものように代月の家へと向かう途中に、死んでいる犬を見つけたのだ。死んでいる犬は野良犬であろう。舌をべろんと垂らしたまま死んでいた。まだそれ程の異臭はしなかったから死んで間もないものなのだろう。いつもならそれほど気にしない光景であったのだろうが、この時の京二には深く感じるものがあった。思わず(こぶし)を握りしめていた。

 道端にごろんと横たわったまま死んでいるその犬は明らかに人に斬られて死んでいたのだ。試し斬りをされたのだろう。わき腹がパックリと割れていた。

 皮膚の間から覗く真っ赤な肉を見ていたらもやもやしていたものがだんだんと晴れてきて、そのもやもやの先にあったのは京二の視界に映る矛盾した世界だった。

 この光景を見てからはなぜだか世の中のよくないものばかりを見るようになってしまった。べつに景色が変わったわけではないのだけれど、そこから抽出される情報が変わったのだろう。つまり、京二の中で何かが変わったのだ。

 町は(よこしま)なことで満ちていた。

 偉ぶった役人どもが巷で元気よく走りまわる子供たちを、うるさい、と言って蹴飛ばしていた。権力を振りかざし、罪なき人に濡れ衣を着せたかと思えば、新しい刀が手に入ったからと言ってその試し切りのために容赦なく刃を向けていた。畜生(ちくしょう)でも見るかのような目で躊躇(ちゅうちょ)なく刀を振った男は倒れる罪なき人を見ることなく、実によい斬れ味だ、と言って笑っていた。

 そうした斬れ味の良い刀をもっているにもかかわらず、腕の立つ辻斬りが町に現れると知らないふりをした。自分たちが斬られることを恐れたのだろう。

 はたして役人どもは何のために存在しているのだろうか。京二には分からなかった。

 次第に疑問は怒りへと形を変え、しまいには憎悪となって結晶した。

 その時から代月の家に行くこともなくなった。

 京二は自分の足りない頭を振り絞って懸命に考えた。どうすればいいのだろうか、どうすればこの国は平和で理想的な世界になるのだろうか、と。

 簡単に答えは出なかった。しかしこのままではこの国は終わってしまう。そのような強迫観念に取りつかれてしまった京二は一つの行動に出た。

 強くなろう。

 まずは自分を磨きあげることが先決だと思った。邪な刃に屈することだけは避けたかったのだ。京二の剣術はなかなかのものである。春一に負けまいと歯を食いしばってきた成果だったのだろう。しかし京二はそれだけでは満足しなかった。もっと上の力が欲しかった。当然、足はあの山へと向かっていた。

 昔と違って恐怖は感じなかった。真剣を握っている心強さもあったのだろう。とにかく一番強いやつをこの刀に取り込んでやろうと思った。

 そう意気込んだ自分は羅城門の前に立っていた。昔は眺めることしかできなかった門の中に躊躇なく入って行った。羅城門の中には鬼ばかりいた。あのとき自分たちを追いかけ、喰おうとしていた鬼と同じ奴らばかりだった。

 京二は失望した。鬼は雑魚(ざこ)ばかりだったから。散々斬り倒した後に、その血が刃に残らぬよう綺麗に拭き取った。自分が求めてきた力はこんなものではなかったからだ。

 自分の地肌の色すら分からなくなるくらい鬼の返り血を浴びていた京二は狂気そのものだった。はたから見ればもはやどちらが鬼なのか分からないくらいの狂剣が鬼の頭を()いでいく。

 鬼が京二を恐れて近寄らなくなってきた頃になると、ようやくそいつは現れた。

 大広間の奥から地響きを立てながら現れたその鬼は別格だった。今まで対峙してきた鬼よりも二回りほど大きかった。しかも気味の悪いことに人の言葉を話している。その時に確信した。こいつが親玉なのだろうと。この羅城門の主なのだろうと。


「どうしたんだい、ぼんやりして」

 京二の回想をすらりとした男が遮った。

「いや、なんでもない」

 京二の前では赤色の花の群れが揺らめき、城門の上では巨体の男が城外を見渡している。

今の京二はこの羅城門の主である。ただし、このことは京二がこの山の主であるということを意味するわけではない。

場所が恐山ともなれば政府の連中もそう簡単には諜報(ちょうほう)することなどできない。それゆえ新妖立会はここを拠点としている。主を失った鬼たちは羅城門を離れていき、京二のことを恐れてか襲ってくるということはなくなった。しかし彼らはどうやらこの羅城門を諦めたようではないらしく、この山のどこかに息をひそめて羅城門を取り返す機会をうかがっている。

力のない新妖立会のメンバーは次々と鬼たちに喰われていったが、次第とそんなことも気にしなくなっていた。自然と腕の立つ者だけが自分の周りに集まるようになったのだからちょうどいいとすら思っている。

もはや修羅である。髑髏(どくろ)の数だけ赤い花は増えていった。

新妖立会のメンバーは政府をよく思っていないものばかりで構成されている。メンバーと言っても気付いた時には京二自身を含めた三人だけになってしまっていたのだが、これに引け目を感じたことは今まで一度だってない。この三人がいればたいていの事はやってのけてしまうくらいの自信すらある。知らないうちに自分の周りに集まっていた彼らの動機は一つにまとまるようなものではなく、中には人を斬らせてくれないから、というとんでもない動機を持った者までいるのだが、京二はそれを(とが)めたりはしない。政府を壊すための手駒になるのであればそれでも構わないと思っている。後でどうにでもなるだろう。

 目的を達成しなければ自分はただ詭弁を並べるだけの妄想家になってしまう、京二はそう考えていた。

 京二にとって政府の人間を斬ることに対する躊躇はない。健気に暮らす民をごみのように扱う人間に対して情が湧く筈もないだろう。彼らの血しぶきなど鬼のそれと変わらないとすら思っている。

 そんな京二であったが、あの夜、大久保を斬ることはできなかった。

 京二は自分に問いかけている。なぜ斬ることができなかったのだろうかと。大久保は器の大きい男ではあったけれど、それでもやはり政府の一人間にすぎないのである。京二が躊躇するような相手ではなかった。自らの死を受け入れる素早さが代月と重なったのだろうか、あのような場面でも一歩も引かない姿が春一と重なったのだろうか。

 しかしもはやこのようなことを考える意味もなくなった。彼は死んだのだから。

「まったく、今日の君は変だよ」

 すらりとした男は呆れ顔である。

「すまん」

「謝っちゃったよ。本当にどうかしてるね。で、どうするのさ。乗り込むかい?」

「いや、書簡(しょかん)にて天誅を申し渡す。ことを起こすのはその後だ」

「わざわざ襲うことを教えてやるのかい?」

「ああ。奴らは十分すぎるほどの戦力を掻き集め、俺たちを迎え撃つだろう。いっぺんに片付けられるのだからそっちの方が楽だ。役人どもが退散していようとも後から始末すればいい。とにかく俺たちの力が奴らよりも上回っているということを見せつけるのが肝要なのだ」

 これに対してすらりとした男が何か言いたげにくすりと笑った。

「力でねじ伏せるってわけか」

 京二が睨みを利かせる。

「俺は奴らとは違う。罪なき人々を斬ったりしない」

「そうだね」

 嫌味な笑みを浮かべたまますらりとした男は羅城門の中へと消えていった。

紅を揺らせるそよ風が京二の頬を撫でていく。

「違うんだ」

 何度も何度も自分に言い聞かせていた。


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