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のれんに牛  作者: マナブハジメ
青年期
10/24

「天誅」と童子切安綱(どうじぎりやすつな)

「姉さん、わしはまだ寝られそうにないから先に寝とってくれ」

「そう、わかった」

 代月は未だ忙しそうに筆を走らせている。

「お前も大変じゃのう」

 道場から帰ってきた春一が代月の隣でぼやいている。春一は夕飯を桐蔭のところで済ましてきていた。なんとも要領がいい。

「わしにはこういう仕事しかできんからのう。天職じゃと思うとる」

「ふ~ん」

 興味なさそうに寝転がっている春一だったが、この夜に突然訪れた思わぬ来訪者によって飛び起きることとなった。

 勢いよく戸を開けたそいつは息を切らしている。

「久しぶりだな」

 長髪が肩とともに揺れていた。呼吸するたびに毛先が踊っている。

「何が久しぶりじゃ。失礼します、言うんが先じゃろ。やり直せ」

 何年かぶりに顔を合わせたにもかかわらず春一の態度は冷たかった。

「お前は変わってないな春一。すまんがそんな流暢(りゅうちょう)なことを言っている場合ではないんだ」

 来訪者はひどく焦っている様子だ。

「なんじゃ、秀也か。どうした?」

 一言だけ発した代月だったが筆はやはり動き続けている。

「代月、すまんが筆を止めてくれ。そして、春一も落ち着いて聞いてくれ」

 そう言われてようやく代月は筆を置いた。春一も秀也の話を聞く気になったようである。

 秀也自身も居住まいを正し、改めて話し始めた。

「先日起きた事件のことを知っているか」

 代月がこれに答える。

「新政府の館が襲撃されたそうじゃのう。わしもあの粉々になった門は見てきた」

 秀也が春一の方を見る。

「わしも見たがな。粉々じゃった」

 ふう、と一息をついた秀也が再び口を開く。

「そうか、なら話は早い。俺たちは今あの一件の調査をしている」

 ここで春一が待ったを入れた。

「何でお前がそんなこと調べとるんじゃ?お前はまだまだ下っ端じゃろうが。だいたい調査って、お前はお役人の仕事をするんと違うんか?」

 秀也はあの日の誓いを果たすべく着実に前進していた。まだまだ全然偉くなどないのだが、役人の下っ端のような役職についている。功績をあげていけばいずれは偉くなり、ひいてはこの国を動かすことが出来るかも知れないのである。もちろん何度も強調するようにまだまだ先の話ではあるのだが。

「そうだな、まずはそこから話そう。あの一件はどうやら大久保卿を狙っての犯行だったらしい。これは大久保卿本人の口からの証言なのでまず間違いない。やはり大久保卿ほどの大物が狙われたとあっては新政府も面目が立たないのだろう、政府は俺のような人材を集めて『檢妖隊(けんようたい)』という組織を立ち上げた。あの事件の翌日早々に立ち上げられたくらいだから上もだいぶ焦ってるんだろう」

「お前みたいな人材ってなんな?」

「これだ」

 秀也は自分の刀を握った。春一にはまだ分からないようだ。それを見かねてか代月が口を開く。

「怪紋刀か」

「そうだ」

 これに春一は大きな驚きを見せた。どうやら秀也が妖怪を斬ったということを知らなかったらしい。

「お前あの山に入ったんか。何を斬ったんじゃ、なあ、何を斬ったんじゃ?」

 彼らはあの山で桐蔭先生に助けられた時から怪紋刀というものの存在を知っている。桐蔭先生自身が、あの後杏を除く四人にだけ教えてくれたのである。

 春一の問いかけに秀也は実に冷静に答えた。

「今重要なのはそこじゃない。いいか、俺たち檢妖隊はそういう(やから)の取り締まり、並びに事件の捜査を任されている。だからあの事件についても俺たちが動いてるってわけだ」

「なるほど」

 春一が頷く。

「よし、なら話すぞ。ここからが重要だ」

 春一と代月はやや体を乗り出す。

「あれほどの警官を皆殺しにしたというのも信じられないが、俺にはもう一つ信じられないことがあるんだ」

 じらす秀也に変わって代月が発言する。

「大久保卿が生きていたことじゃな」

「さすが代月、その通りだ。毎日訓練している警官たちを皆殺しにするような奴らが一人でいた大久保卿を殺せないはずがない。だから俺は大久保卿本人に聴取(ちょうしゅ)を試みた。だがおかしなことに大久保卿本人もあの夜起きたことについてほとんど話してくれないんだ。しまいには、もう済んだこと、とまで言っている。ようやく聞き出せたことはといえば、あの事件の犯人がたった三人による犯行だったこと、あとは大久保卿の首を取りにきた族が名乗った名乗り名くらいなもんだ」

 そう言う秀也であったが、言葉とは裏腹に表情はどこか確信めいたものがある。

「たった三人とはこれまた困ったもんじゃのう」

 つぶやいたのは代月だった。これに秀也が答える。

「ああ。間違いなくその三人の内の誰か一人は怪紋刀を持っている」

 代月も続いた。

「一人で済めばいい方じゃろう。あるいは三人が三人とも怪紋刀を持っておるかも知れんからのう」

 春一は首をひねりながら相槌を打っている。

「なるほど。じゃがの、秀也、名前がわかっとるんなら話は早いんじゃないかや?」

 待ってましたとばかりに秀也が答えた。

「名乗り名はあくまでも名乗り名であって本名ではない場合が多いんだ。特に今回の事件に限って言えば、明らかに人の名前じゃない」

「じゃあ、何の名前なあ?」

「刀だ」

「なんちゅう刀なんな?」

 秀也は一拍置いてからその刀の名を告げた。

童子(どうじ)切安(ぎりやす)(つな)

「安綱さんかや」

 理解の浅い春一に呆れたのか秀也は代月の顔色を(うかが)うのだが、

「たいそうな業物じゃな」

 と言ったきりそれ以上の言葉を出そうとはしてくれない。しかし明らかに動揺を見せた代月の表情からも代月は自分が伝えた暗喩(あんゆ)に気付いているのだろう。一方の春一は、安綱さん、を連呼したまま首をひねっているので、自分の暗喩は全く伝わっていないとみて間違いない。

 どうやら考え疲れたらしい春一が代月に訊ねた。

「犯人さんがわかるかや?」

 秀也の方をちらりと見た代月がしぶしぶと言った面持ちでこれに答える。

「京二じゃな」

「どこの京二さんじゃ?」

「これこれ春一、現実逃避はようないぞ。お前のよう知っとる京二じゃ」

「…………。緋鏡さんとこの京二かや……」

「よそよそしいがな」

 それきり春一は黙り込んでしまった。代わって秀也が口を開く。

「そうだ。童子切安綱は京二の刀だ。幸いなことにこのことは俺たちしか知らない。だから俺は隊長の目を盗んでまでここに来たんだ」

「どういうことじゃ?」

 訊ねる代月に向かって秀也は大きく身を乗り出した。

「俺たちで京二を止めるんだ」

 これには春一が勢いよく反応した。

「嫌じゃ!断る!」

「なんでだよ!」

「そない面倒なことには首を突っ込まん方がええんじゃ。だいたい今あいつはどこにおるんな。居場所も分からんのに止めるも何もあったもんじゃないがな。出直してこいや!」

「政府直属の檢妖隊の情報網をもってすればなんとでもなる!俺が隊長の目を盗んで調査すればそれほど日にちはかからないはずだ!」

「嫌なもんは嫌なんじゃ!」

「何だとこの分からず屋!」

 それほど広くない部屋の中で、彼らは本当に成長したのだろうか、と考えさせられてしまうくらいの怒号が飛び交っている。

 このような状況の中で、一際怒っている人物がいた。

隣の部屋で(とこ)に就いていた林檎である。

「あんたらいい加減にしなさいよ!うるさくて寝られやしない!喧嘩なら余所でやんな!」

 今日一番の怒号が割って入ったためにこの日はこれにてお開きとなった。


 しかし、彼らはこの日に決断するべきだった。京二を止めるという決断を。

なぜならば、この日の翌日に大久保利通が暗殺されたのである。この暗殺の犯人は自首をしている。その中にあの三人は含まれていなかった。

この大久保利通暗殺事件によって、それぞれの歯車がぎしぎしと動き始めることとなる。


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