俺、女になっちゃったみたいです。④
「あの、こんなところで何してるんですか?」
変わらない赤毛を纏め、ポニーテールなのは相変わらずだ。
茶色の瞳は猫と同じく、クリクリのツリ目。
そして、その胸も健在なようで、揺れている。
運動後なのか、顔色に汗を残した俺の幼馴染の六月がいた。
車のパワーウィンドゥを開け、俺は六月を見つめる。
「初めまして。私、麗修学園高等学部に通う、一ノ宮 秋桜と申します。こちらにいらっしゃる、赤根 六月さんでよろしいでしょうか?」
「え、ええ。私ですが……」
突然知らない者の来訪に困惑の色を隠せない六月。
俺は運転席の爺やを睨み付けると、観念したのかドアのロックを解除してくれた。
車の外に出て、目の前の六月に目線を合わせる。
「一ノ宮ってもしかして、あの世界の……?」
「はい、そうです」
「そ、そんなお嬢様が一体あたしに何の用なの?」
何も考えてなかったわけではない。
六月が幼馴染であれ、俺の運命の相手であればキスをしなければならないのだ。そして、六月こそが俺の運命だった場合、俺は男に戻る筈。
何も言わず、そっと六月の頬を撫でるように片手で触れる。
「……な、なんですかっ」
「ふふ、可愛いですね。私、あなたとお話がしたいと思って、ここまで来たんですよ」
「そんな……」
やけに頬が赤くなる六月。色々突然の事態に困っているようで、隙だらけだ。
俺は、ここだ! と思い、強引に顔を寄せた。
「――――ッ!?」
「…………」
二人の唇は、重ならない。
俺は六月の顔を自分の胸に埋めていた。
「むごっ!」
「あ、すいません……」
すぐに手を放すと、六月は顔をタコのように真っ赤だ。
「いきなりなんですか!」
「これは、私が怪しい者ではないっという証拠ですよ?」
「怪し過ぎます!」
車の中にいる聖五を見つめると、溜息を吐いていた。
どうやら、俺の失態に呆れているようだ。
しかも警戒されてしまった。
学力のない俺は必死に知恵を振り絞る。これは賭けのようなものだが、一番六月と二人きりになれる可能性は高いと判断した。
「要件は、杜若さんの件です」
「…………菊乃のこと?」
「はい」
不思議なもので、真っ赤だった筈の六月の顔色はすぐに戻り、やがて若干青みを帯びた白に染まる。
そりゃ、俺が死んだんだから、少しくらい動揺するものだと思っていた。
「……わかったわ。あたしの部屋は、この学生寮の中だから、そこで話しましょう。先にあたしシャワー浴びるから、少しだけ待っててください」
それだけ言うと、六月は走って馬小屋以下と思えるほどボロい学生寮に走り去る。
車の窓が開き、聖五が顔を出す。
「お嬢様。さっきの抱擁はなんですか」
「あ、ちょっと取り乱してしまって……」
「後で除菌しましょうね。一緒に身体を洗ってあげますから」
「遠慮致しますわ」
「ひょっとして、タオルで洗うのがお嫌いですか? 安心してください。私は手洗いでお嬢様の身体の隅々まで洗いますから」
「一度、死んだ方が性格は治ると思いますよ」
聖五のくらだない話を振り切り、俺は女子学生寮に入った。
中は外見ほど汚くはないが、清掃はあまりされていない感じだ。
それにしても、この甘ったるい匂い……。女子特有の匂いがする。
俺も聖五のような変態にならないよう、気を付けようと決心した。
部屋の番号のところに、赤根と表札が書いてある。202号室が赤根の部屋なのだろう。
ノックを数回するも、返事は聞こえてこない。
ゆっくりと扉を開けた。
「……あ」
六月はバスタオルで胸から太ももまでを隠し、牛乳を呑気に飲んでいる。
髪の毛が濡れていて、しかも纏めていないものだから、やけに色気を感じてしまった。
俺の顔が小さな爆発をしたかのように熱くなる。
「ごめんなさいッ!」
「……えーっと大丈夫ですよ?」
「え、あ、はい……」
苦笑いする赤根を見て、あ、俺は今女なのだと実感した。
幼馴染、というだけあって、俺は過去何回か六月の裸を見てしまったことがある。そのたびに、六月からシャンプーのボトルやタワシを投げられた。そもそも昼間っからシャワーを浴びること自体、おかしいだろうと心の中でいつも反抗していたものだ。
そして、それは今も変わらないということ。しずかちゃんかよ。
「女同士だから、大丈夫ですよ」
「すいません……」
見てはいけないものを見てしまった、そんな罪悪感に包まれた。
六月は部屋着に着替え、俺を小さなリビングに通してくれる。
リビングには幼い頃入った六月の部屋を思い出すほど、変わらなかった。
「少し散らかってるけど、ごめんなさいね」
「いえ、大丈夫ですけど……」
そこらへんに落ちているモノを軽く手に取って次々と片付けていく。
俺は自分の足に何か引っかかってるなと思い、ひっぱると真っ赤なブラジャーが出てきた。まるでメロン二つは入りそうな、そんな感じだ。
「あ、汚いもの見せてごめんなさい!」
「いえっ! 大丈夫です!」
一瞬顔を赤くさせて、謝る六月。
こんなの女の俺でなければ、フルボッコにされるんだが、やはり女子というのは無敵らしい。
「……それで、菊乃のことだっけ?」
「はい」
そう、俺自身の名前を出した以上、重い話から始めねばならない。
全ての真実を話せれば早いが、聖五や源蔵から、秋桜と菊乃が同一人物であることを話すとややこしくなり、話も円滑に進まなくなり、最悪どうなるかわからない為、話さない方が良い、と言われた。
それには俺も同意する。心苦しいが、俺と秋桜が同じだった場合は、多くの人を困惑させるし、最悪オカマとまで言われるだろう。
「……私もね、この前知ってびっくりしたんだ。菊乃がトラックに跳ねられて死んじゃったって。おばさんもおじさんも凄く悲しんでたし、十華ちゃんも凄い泣いてた……」
「……そうだったんですか……」
俺の親父は普通の公務員で、母さんは銀行の受付を仕事としていた。二人とも平凡だが、お互いのことを大切にしていた理想の夫婦って感じだ。十華は俺の二個下の妹。妹とはよく喧嘩したものだ。やれ汚いだの、やれプリン買って来いだの。
そんな日々を思い出していたら、あの家族にとても会いたくなってきた。だが、六月の前で泣くわけにはいかないから、俺は必死に我慢する。
「って、菊乃の家族のこと言ったって、知ってるかどうかもわからないよね! ごめんね、あたしにとっては、あの日は凄くショックな日で……。今も……立ち直れてないんだ……」
目からじわじわと涙が零れる六月。
俺は気が付いたら、六月の身体を抱きしめていた。
「……ごめんね……。あたし、強くなるって決めたのに、強くなれなかった……」
「大丈夫。六月は笑顔で走り回ってる姿が一番似合ってるから」
六月の言葉も、俺の言葉も。
きっと、二人、本当に知らない者同士であったら出てこないものだっただろう。
だけど、俺と六月の口から、その言葉達は溢れて出てきた。
俺の心臓が強く高鳴る。
抱擁を解いて、六月の顔を見つめた。
潤んだ瞳、健康的な肌、ネコのような瞳。
今まで、女として見ていなかった六月を近くで改めて見つめると、かなり可愛いことに気が付いてしまう。だけど、俺はそれをわからないフリをした。
これは好きとかじゃない。俺は今、キスをしようとしてる。だから、こんなにもドキドキしてるだけだ。必死にそう言い聞かせた。
六月の両頬に優しく触れる。柔らかく滑らかな肌。
唇も火照っているのか、やや紅い。
涙で濡れた瞳は震えていた。
「…………いいよ…………」
虫の息かと思うほど小さく、でも確かに俺の耳には届く声。
六月は瞳を閉じ、俺に唇を向ける。
い、いいのか……?
俺は、本当にキスをしていいのか……?
六月に、キスを……。
生唾を飲み込み、俺はゆっくりと六月に顔を近づけた。
このまま、キスをすれば、俺は一ヶ月は生きられる。
だけど、本当にそんな理由でしていいのか!?
チャンスはいつまでも待ってくれない。今がチャンスなんだ。
俺は瞳を閉じ、六月の唇と俺の唇を合わせようとした。
「…………ふむ、とっても良い絵でございますね」
「え!?」
「へっ!?」
俺と六月は同時に瞼を開け、声のする方へと視線を向ける。
そこにはビデオカメラを片手に持った聖五の姿があった。
「あれ? 続けないんですか? まぁいいでしょう」
「まぁいいでしょうじゃなくて……」
「お取込み中、失礼します」
「それ先に言ってくださるかしら?」
俺は呆れた顔で聖五を睨み付ける。
「すいません。赤根様、少しお嬢様をお借りいたします」
「え、あ、はい……」
緊張が解れたからか、六月はホッと胸を撫で下ろしていた。
俺は聖五に連れてかれるがまま、部屋の外に出る。
「……で、なんだよ。あれは俺の運命の相手だったかもしれない相手だぞ? わかってんのか?」
「ええ、理解はしております。とても良い百合でしたので」
このエロ執事は最悪だ。御主人様である俺が頑張って、運命の人を見つけるべく、初めてのキスを捧げようとしているというのに。
溜息を吐いていると、聖五はビデオカメラをしまい、真面目な顔をして俺を見つめた。
「それよりも帰りましょう」
「なんかあったのか?」
「ええ。先ほど電話がありまして、あなたに大事な話があるとかで、来られたお客様がいらしてます」
そんなの帰せばいいんじゃないか。俺は今大事な職務中だったんだから。
「帰せばいいと思っていらっしゃるようですが、そうもいかないのです。これからあなたの母である、昌子様が帰宅されるようで……」
「昌子様?」
聞き覚えのない名前に俺は首をかしげる。
「源蔵様のお嫁様になります」
「……まじか……」
前に源蔵から話を聞いていたが、嫁はとにかく厳しいらしく、待つのが嫌いな人間らしい。
俺らが急いで戻ったとしても二時間かかる。しかも初対面だし、何を言われるかわかったもんじゃない。
「……わかった……」
「では先に私は戻ってます。赤根様に挨拶を……」
俺は再び、六月の部屋に入り、頭を下げた。
「すいません! 何も話せぬまま、急用が入ってしまいまして……」
「大丈夫ですよ。また時間がある時にいらしてください。今日は……なんていうか、ありがとうございました」
笑顔で六月は俺に感謝を述べる。
こんな姿はあまり見たことがないが、今の六月は何かを忘れようとしている笑顔だった。
幼馴染の勘でしかないけど、ま、気のせいだろう。
俺はそう思った。
足早に、六月の部屋を出て、俺は車に乗り込んだ。
このとき、俺と六月は、きっと、あるとしたら、結ばれていたんだと思う。
見えない糸、というものに。
六月は玄関から、帰る車を見つめて呟いた。
「……菊乃……………………だったの?」