俺、女になっちゃったみたいです。①
「え……」
目が覚めると、そこは見慣れない場所だった。
家の天井ではなく、綺麗なシャンデリアのある部屋。
起き上がると、いつものシングルベットではなく、誰と寝るんだよと思えるほどの大きなベッドだった。
部屋の中に視線を送ると、ベッド以外何もない、ちんけな部屋だ。
だが、部屋は途轍もなく広い。
そして、天蓋付きのベッドであることから、女の子のベッドであることには気が付いた。
「どこだここ……」
と声を発した時に、自分の声ではないことがわかった。やけに高い。
喉に手を触れてみると、いつもの肌を触った感じではなく、滑らかで細い。
顔もいつもより一回りも二回りも小さかった。
「これって夢……?」
そうだ夢に違いない。
きっとあり得ない夢を見たからあり得ない夢に切り替わったんだ。
と思ってほっぺを抓るも、痛い。
どゆこと? 夢じゃないの?
そう思っていると、扉が開き、スーツ姿の老人が入ってきた。
白髪が目立ち、眼鏡をした、これは、爺やとかいう呼び方が一番ピンとくる。
「お目覚めですね、お嬢様」
「は? お嬢様?」
「ええ、お嬢様です」
ニッコリと微笑む爺や。
俺の頭はわけがわからずパンク状態だった。
「手鏡を貸しましょう」
爺やは胸ポケットから手鏡を取り出し、それを俺に向けた。
そこらへんのギャルとは違い、まるで金の糸のような美しく長い髪。サファイアのように青く、大きい瞳。とても整った顔。そして……。
「む、胸が膨らんでる!?」
「ええ、当然ですね」
ニッコリと微笑む爺や。
いやちょっと待てよ。俺は男だよな!? 男だよな!?
「爺、待て、混乱しているようだ」
新たに扉から入ってきたのは、二十代くらいだろうか。前髪を上げ、額を突きだし、かなり身長の高い男。花形とは違った意味で、かなりイケメンだ。品もあり経済力もありそうな感じだ。
「初めまして。私はお嬢様の身の周りの世話をさせていただきます。東郷 聖五と申します」
「お嬢様って、俺は男なんだけど」
「ふむ。鏡を見ても信じられぬようですね。記憶がまだ曖昧といったご様子ですね」
「曖昧っつーか」
覚えてるのは、卒業式の帰り道。鷹峰さんと話して、鷹峰さんが俺に何かを伝えようとして……そこで俺の記憶はなかった。
俺の思考が終わったのを見て、聖五は続けた。
「お嬢様、思い出した事はありましたか?」
「どうしても、こうなったことに記憶はない」
「わかりました」
聖五は頭を下げ、俺を真っ直ぐ見つめる。
「お嬢様は、かつて、一人の男杜若 菊乃として人生を歩んでおられました。しかし、彼女――――鷹峰 千里ととの下校中、不慮の事故に巻き込まれ、死亡しました」
「なっ……」
俺が、死んだ?
「なんだよソレ……。笑えないドッキリに付き合ってられねーよ!」
「ええ、ですが、付き合ってもらわねば困るのです」
「何言ってんだよッ!」
死んだなんて思えない。俺は鷹峰さんと帰り道で気を失っただけだ。
そうだ、そうに違いない。
「大体これだって夢なんだろ? 明晰夢ってやつだろ?」
「違います。お気持ちはわかりますが、これは一刻も争う事態なのです」
「だからなんなんだよ!」
溜息を吐く聖五。横にいる爺やも目線を俺には向けていない。
「車、飛行機、電車、銀行、不動産、保険。その全てにおいて名の知られる、一ノ宮グループをご存じですね?」
「なんだよ、いきなり、そんなの誰だって知ってるわ……」
「ここは一ノ宮財閥の総裁、つまり、一ノ宮家でございます。そして、あなたは一ノ宮家の令嬢として、ここに来てもらいました」
「なんだと!?」
日本、いや世界をも動かせると言われている一ノ宮財閥。一般人の誰でも知っており、一日に一回以上は必ず目にする名前だ。
「この財閥には、ある風習があります」
「……風習?」
「はい。我々、一ノ宮財閥では、神の助言を頂くことができるのです。この一ノ宮家始まって以来、神の声を聴き、あらゆる状況を打破してまいりました。現在の総裁で十五代目ではありますが、財閥を脅かす数々の困難を神の声に従い、避けてきたのも、これまで同様の風習、神の声に従ってきたのです。ですが、今回の危機は少し特殊でして……」
喉の奥で言葉がつっかえた様子で聖五は一度、言葉を止める。
「……我々の総裁と、その奥様の間には子供が生まれなかったのです。今年でもう還暦となり、総裁は神の声に耳を傾けました。その神からは、一ノ宮家にやってくる女子が新たに、この世界を回すであろう、と」
「俺に、そんなことができるのか?」
どんな大事だよ。ドッキリカメラを見てるみたいだった。
しかし、聖五の表情は嘘を吐いていない。それだけは確かにわかっていた。
「いえ、できません。正確に言うと、今のままでは、という意味です。あなたの運命の相手こそが、この一ノ宮財閥の新たな総裁になる、いや世界の総裁になるということです」
「……なんなんだよ。わけわかんねーよ……」
「これは予言などではありません。数々の危機を救ってきた神の確信です」
俺の運命の相手が世界を救う?
そんなバカげた話があるか。
「そんな話に付き合ってられないな。俺は帰る」
「どこにですか」
ベッドから降りようとすると、聖五の厳しい眼差しが俺を射抜く。
「あなたは、今、帰る場所があると思ってるんですか? あなたは死に、今頃葬式をやっている頃ですよ」
「な、そんなふざけた話あるか!」
「いいでしょう」
聖五は爺やに無言で指示を出し、部屋から出て行った。
「それではお嬢様はこちらを着てください」
そう言って渡されたのは、女物のスーツだった。
◇
車に乗り、二十分くらい経った。昼間の道を爺やが運転し、助手席には聖五が座っている。
窓から見える景色は、俺の知っている街、朝日ヶ丘だった。いつも俺が見てきた街だ。
ようやく到着する。
「くれぐれも、自分が杜若 菊乃であることを悟らせてはいけませんよ」
聖五はそれだけ伝え、家まで見送ってくれた。
だが、俺は足を止めた。
そこには、葬式の看板があり、俺の名前の上に『故』と書かれていた。
「……そんな……まさか……」
俺の足がまるで骨を抜かれたかのように座り込もうとした。
だが、俺の身体は支えられ、地べたに座り込むことはなかった。
「……アンタ、知り合いか」
「……ッ!」
俺の身体を支えてくれていたのは、あの日先に帰った啓二だった。
必死に啓二、というのを抑え、俺は涙を流した。
「……そうか、知り合いだったのか。俺も、なんて言ったらいいのかわかんねーよ……」
「……すいません」
「あ、もうすぐ始まるけどいいのか?」
啓二の声を身体を振り払い、俺は自分の車に戻った。
「いかがでしたか?」
「……俺、本当に死んでるんだな……」
「……ええ」
再び、車は一ノ宮家へと走り戻った。
家に戻ると、数十名ほどの男の執事達が迎えてくれた。
やがて、俺は食席へと通され、席についた。
自分が死んだことによるショック。だけど、生きているという事実。
それが度重なってわけがわからなくなった。
「ほぉ、神のお告げ通りだったな」
顔を上げると、目の前には白髪で身体ががっちりとした男が立っていた。年は六十代といった感じで、浴衣を纏い、歴戦の剣士みたいな風貌だった。
「初めまして、だな。私は一ノ宮 源蔵。知っているかもしれないが、この財閥のトップだ。今日から、お前の父となる親だ」
「……お、俺は……」
「がっはっはっはっはっは!」
声を発しようとした瞬間に、源蔵は高らかに笑った。
「おいおい、笑わせるなよ。お前は今、女だ。もう男じゃないんだぞ?」
「だけど、お、俺は!」
「あーもういい。わかった! お前面白い奴だな」
源蔵は俺の対面に座る。
「さて、どこから話したものか。聖五から話は聞いてると思うが、お前さんは死んだ」
「……はい」
この言葉を聞き、脳裏には啓二の悲しそうな顔がすぐに浮かんだ。
「だが、生きている。生きているってのは素晴らしいもんでな。美しいものをたくさん見れる。そう例えば空。例えば海。例えば山。例えば俺の嫁とかな。だが、死んだら見れねぇ。俺はガキの頃、神様なんて信じちゃいなかった。だけどな、いるんだよ」
それは都合のいい人間を殺す神か?
そう思ったが、やはり財閥のトップというのを聞いただけで、俺はいつも通りに話すことさえできない緊張に包まれていた。
「……これから話す話は全部嘘じゃねぇ。この一ノ宮家は聖五が話した通り、神のお告げを正しく聞いてここまでの財閥になった。その当時の人間には多くの試練があったんだ。中には、戦争を一人で止めにいかないといけない、とかあってな。だが、今回はそうじゃねぇ」
源蔵の表情が曇る。
「俺ぁ、神に見放されたのさ。神からの言葉は、お前ではこの一ノ宮財閥を破綻させる。と。子供も産めぬのは嫁ではなく俺の責任だとな。実際不妊治療とかいうのにも行って、俺の方に生殖機能はなかったわけだ。だから、次世代の育成をしろって言われてな」
子供を産む能力がない男だったのか。
「神からは、こう告げられた。この一ノ宮家に天空より現れし女子の、運命の人物こそが、この一ノ宮財閥ならぬ世界をも動かす人間であろう。そして、一年以内に見つからなければ、お前も俺も、この財閥は全部がなくなり、日本いや世界は破滅するだろう、とな」
「一年以内!?」
「ああ、お前の命は元々昨日で終わる運命だったそうだ。しかし、実際は生きている。ま、死んだようなものだが。だから、俺をいや世界を救ってくれねーか。頼む……」
頭を下げる源蔵。世界でトップの総裁が俺に頭を下げてる姿など、かつての俺には想像もできなかっただろう。
「総裁。見つからなければ一年で世界は滅びます。ですが」
聖五が現れ、話を割って入る。
「お嬢様。あなたは、一ヶ月のうちに運命の人とされる候補の12人のうち、どなたかとキスをしなければ、あなたの命はそこで亡くなります」
「……え?」
一年以内に運命の人を見つけなければ死んで、一ヶ月以内にキスをしないと死ぬの!?
「運命の人候補の12人ってなんだよ」
「神から告げられた、あなたの運命の人である候補に12人の人間がいます。その中に真実の運命の人間もいますが、その誰かとキスをしていただかないと終わる、ということです」
俺、ファーストキスもまだなんだけど……。