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受け取る:アンチフィクション主義者(後編)

 本が好きな人にも色んな人がいる。

 本そのものを大切にする人。読めればいい人。決まった作者の本を読む人。好きなジャンルを読む人。明るい人。暗い人。

 学生時代の今は、本ばかり読んでいる子をダサいと思う人がいるけれど、どうやら世間的には大人になればそうでもなくなるらしいこと。

 実はカースト上位にいる子でも本を読む人はいるということ。教室の真ん中で笑っているあの子でも、教室の片隅で黙っているあの子でも、図書室を利用しているのだとここ数日で知った。

 これまでは本を読まないだろうと思っていた運動部の中心にいる子が、話題作でもない本を借りていくのを見たりもした。彼はあの本を読んだらどんな感想を抱くのだろう。本を読んで笑ったり感動したりするのだろうか。……するのだろう、きっと。

 私が思っていた以上に皆物語を読んでいて。私が思っていた以上に本を読まない人は多かった。

 図書室に来る生徒は読書離れ活字離れと騒ぎ立てられる通りで(昔だって読んでいる人が多かったとは思えないが)やはりそんなに多い訳ではない。

 関心すらもたずに生きていける人は沢山いた。そうあれたら私もきっと楽だろうにと思う。けれど、意識すらしないというのは彼ら彼女らがまっとうな感性を持っているからだ。

 当たり前のことにわざわざ時間を割く人は少ない。あるものを、わざわざあると公言する人なんてあまりいない。ないということを知っているからこそごまかすように大袈裟に騒ぎ立ててしまうのだ。気にしてしまうのだ。


 ――ああ、窒息してしまいそうだ。


 昼休みのほんの少しの時間だけだというのに、私のコンプレックスはますます磨かれていく。

 そうやって緩やかに首を絞められながら、木曜日はやってきた。

「ふみちゃん本当に本当にごめんなさい!」

 両手を顔の前で合わせながら菜津が私に謝る。昼休みにも聞いたというのに相変わらず律義な子だ。どうやら祖父が入院したとかで、放課後はお見舞いのためにどうしても早く帰らなくてはならないらしい。

「いいよ仕方ないよ、それより体調大丈夫なの?おじいちゃん」

「それが聞いてよ、病気とかじゃないんだよ。ぎっくり腰なの。重い物を持とうとしたらやっちゃったんだって。気をつけろっていつもお母さんが言ってたのにさあ」

 自分が年だって未だに自覚がないんだよ。と端から見れば愛情でしかない文句を菜津はつぶやく。

「それなら良かったよ。今日は私に任せて。菜津の分までしっかりやりますから」

「ありがとうふみちゃん。お礼は後日必ずします!それと、読書便りにのせるやつ私の分はお昼にみっちゃん先生に渡してあるから」

 最後にまた、ごめんね。と言いながら菜津は早足に教室から姿を消した。姿が消えるのを見送ると、意図せずため息を吐いてしまう。

 これまでは先生との会話の主導権をほとんど菜津に任せていたのに、今日はそういう訳にはいかない。家での両親との会話で慣れているとはいっても、だからといって平気なわけではないのだ。

 価値観が決定的に違う人と話すことは、地雷原を探知機なしで走るようなものなのだから。

 気が向かないからといっても、当番をサボって帰ることは出来ない。割り切ればいいのだと自分に言い聞かせながら私は図書室へ向かった。


 家に帰る時と同じ気持ちで図書室に入ると、固めた決意に反して、しんとした空間が私を迎えた。まだ帰りのホームルームが終わったばかりだからなのか図書室には誰もいなかった。それに少し安心する。

 軋む音を立てながら扉を閉め、深く息を吸う。図書室特有の匂いをかぐと気持ちが落ち着いた。物語が嫌いな私だけれど、図書室や本屋といった空間は嫌いではない。人がいない時の静謐さはむしろ好きだった。

 貸し出し用の机の奥にある司書室を覗くと、先生は一人で何か作業をしているようだった。トントンと扉を叩くとすぐに気づきこちらへやって来る。

「宮沢さんいらっしゃい。ごめんね放課後までお願いしちゃって。図書便りが終わったらちょっとだけ本の入れ替えも手伝ってもらえたら嬉しいんだけど、時間は大丈夫?」

「大丈夫です」

「ありがとう。……はいこれ、皆には内緒ね?」

 手招きされ司書室に入ると、机の上には自販機で売ってるミルクティーと、学校の近くにある美味しいと評判のケーキ屋さんの箱が置いてあった。

「……私に?ですか?ありがとう、ございます」

「本当はこういうことすると怒られちゃうから、他の先生には特に内緒ね」

 人差し指を口にあてながら、いたずらっ子のように先生が笑う。……そうしていると本当に高校生みたいだ。

「はい、勿論です。菜津にも言いません」

 たどたどしく私がそう言うと、ますます楽しそうに笑っている。何がそんなにも嬉しいのか私にはちょっと分からない。

 箱の中にはシュークリームが入っていた。せっかくだから先に食べましょう。と、まだ温かいミルクティーを手渡された。すすめられるままに椅子に座りミルクティーを一口飲む。

「ほら、シュークリームも食べて食べて」

 うきうきと箱を開けながら先生が私を促す。ポッキーとかそういうのならともかく、こんなちゃんとしたデザートを学校で食べることに少し戸惑いがありながらも、シュークリームを手に取る。

 ケーキ屋さんのシュークリームは、シュー生地の上にふんわりと雪のように粉砂糖がかけられていた。シュークリームを手に取るとパラパラと粉砂糖がこぼれ落ち、指にも着く。ぺろりと舌で舐めとるとほんのりとだけ甘さを感じた。

 シュークリームを一口かじると、さくっとした感触の後に甘味が口の中に広がる。詰められたクリームからは幸せの味がした。思わず口角があがってしまう。

 そんな私を先生はにこにこ嬉しそうに見ていた。クリームを口の端につけながら笑っている。

「先生……、口の端についてますよクリーム」

「どっち?どっちについてる?」

「右の……ああ、そっちじゃないです!逆です逆」

 なんだろうこの人は。これまで菜津を通してしか会話をしていなかったけれど、見た目だけでなく中身も子どもみたいな人だ。図書室の司書、といっても本当に先生なのだろうか。

「宮沢さんは大学受験をするの?」

 ぼんやりと先生の姿を眺めていたので一瞬何を問われたのか認識出来なかった。頭の中で言葉を反芻してやっと世間話のようなものをふられたのだと理解する。

「そうです。まだ大学生になった自分なんて想像出来ないけど、そのつもりです」

「大学生、楽しいらしいよ。私は大学通ったことないから今でも少し憧れちゃうな。女子大生って肩書きとかキャンパスライフとかそういうの」

「そうだったんですか?てっきり大学で司書の資格って取るものなんだと思ってました」

「以外とね資格って取れちゃうのよ。勉強さえちゃんとすれば」

 そう言われると疑問が浮かんだ。

「それならどうして四年もかけて大学に通うんでしょうね?」

「どうして?」

「だって先生みたいに大学行かないでもこうしてきちんと資格を取って働けるなら、別に皆が大学行く必要ないじゃないですか。勉強だって普通に働くぶんには高校レベルで充分だと思いますし」

「……そうだなあ。勿論、大学は勉強するためにある訳だけど。そのために進学する子って多いとは言えないよね?」

 モラトリアムのためだろう人が多いと私は思っているので首肯する。

「専門分野を学ぶなら大学はうってつけだろうけど。そうじゃないなら、大学では大人としての予行演習をしているのかなと私は思うよ。年齢だけなら大人だけどまだ大人じゃない最後の立場だからね。大怪我をしないための時間はあったほうが良いから」

「よく、分からないです」

「そうだね。今はそうかもしれないしそれで良いと私は思う。でもいつか分かる日が来るんだよ。――だからこそ、それまでは未来の事も少し考えながら今を楽しめばいいの。まだ大丈夫だから、失敗して学んでもいい時間だから」

 言葉をつけ足されても尚、先生の言いたいことが私には分からなかった。

「先生は……、本が好きだから司書になったんですか?」

「難しい質問だね」

「難しいんですか」

「好きだけを理由に続けられることってあまりないからね」

 さっきから先生の言うことは私が今まで大人から言われていたことと違いすぎて、言葉が理解まで追いついてくれない。夢を、好きなことを見つけろと私たちは子供の頃から山ほど言われるというのに……。

 将来の夢を、私たちは幼稚園の頃から何度も何度も聞かれる。それは大概が自分が憧れているものを指す。けれど私達は中学生くらいには自分の程度を知ってしまう。

 夢はいつからか進路に変わる。進路は夢じゃない。現実的に考えなくてはならない。それならば、先生にとっての司書は進路であったということだろうか。

「えっと、例えば、そうだな。……私ね、まともに本を読むようになったのって大人になってからなんだよね」

「先生は、昔から……子どもの頃から本を読んでいる人なんだって思ってました」

 私がそう言うと先生は苦笑しながら話を続けた。

「全然。君たちの年の頃はまったく本を読むことなかったよ。私はね、大人になってから人にすすめられて読むようになったの」

 先生に本をすすめたのは誰なのだろう。もしも私に本を読むよう促したのが親ではない別の人物だったのなら私は物語を受け入れられていたのだろうか。……そんなはずは、ないだろうけれど。

「読んでみたら面白くて。私はとても不思議だった」

「不思議、ですか?」

「一冊の本の中で書かれる世界はこんなにも豊かなのに、作者という一人の人間が書いていることが不思議だったの。複数の登場人物が動き回るのにそれを書く人は一人だって事が不思議だと思った。私にはそんなことは出来ないからね」

 よく考えてみれば不思議かもしれない。たった一人の人が考えているのにどうしてあんなにも複数の思考を書けるのだろう。たった一人が作った――そう、作り物をどうして人は読むようになったのだろう。たった一人の人が考えた妄想が綴られたにすぎないのに。どうして人はそれに共感してしまうのだろう。共感出来るのだろう。

「でも、想像だけでは限界がある。もしかしたらきっとこんな人がいたからこのキャラクターが生まれたのかもしれないっていつしか思うようになったの。世界は私が思っているよりも広くてたくさんの考えの人が、たくさんの立場で生きた人がいるんだなあって思えるようになった。それは、私にとって……奇跡みたいなことだった」

 思わずきょとんとしてしまった。奇跡、なんて言葉を冗談以外で使われるのを聞くのは初めてだったから。

「大袈裟に聞こえる?」

 先生が私の反応によって気を悪くしてしまったかと思い、私はもにょもにょとした答えしか返せなかった。

「そんな気にしなくて良いよ。私にとってはそうだったってだけの話だから」

 本当になんでもないように先生は言うけれど、私は自分から話しかけることが出来なくなってしまった。気詰まりな時間を埋めるように半分残っていたシュークリームを口に詰める。

「宮沢さんは本が好き?」

 詰めたシュークリームをミルクティーで流し込む。ちゃんと飲み込んでから先生の問いに答えた。

「嫌いだったら……図書委員にはならないと思いますよ」

 どうしてかいつものように好きですとは言えなかった。

「そう?それじゃあ嫌いな本はある?」

 えっと……と、声を出してみたはいいものの続く言葉はまったく出てこない。

 嫌いな、本は、物語全てです。なんて、言えるわけがない。

「ごめん困らせるつもりで言ったわけじゃなかったの」

 申し訳なさそうに先生は言った。

「司書の……なんだろう、恩師?先輩?が、いるんだけどね。その人が前に言っていたことがあるの、『好きな物だけを読むよりも、つまらないもの面白くないと自分は感じた物を読むこともある方が人生は豊かになりますよ』って、言われた当時は分からなかったんだけど。……本には誰かの考えを知るという側面もあるし。……不必要なものを一つも持たない生き方は少し寂しいって今なら分かる」

「そうした方がいい。とか、不必要な物だって必要だ。とかじゃなくて寂しい、なんですか?」

「断定的な言葉は娯楽には適していないと思うの。推奨されていたって読書はやっぱり娯楽だよ。勉強みたいに必ずしなければならない事じゃない」

 本当に、不思議な大人だ。娯楽だと言い切るその言葉は、これまで私達に植え付けられていた読書という行為をひっくり返してしまうようだった。

「必要なものだけで生きることは息苦しいし虚しい。不必要な物は何だっていい。好きな物も嫌いな物も必要なことも不必要なことも全部があっていい。無駄な時間だったと思うことの方が無駄だよ。不必要な物を削ぎ落として生きた時間は振り返っても何も思い出せないの。それはね、寂しいとしか私には言えない」

 どんな人生を歩めば、先生のような考えになるのだろう。先生が言っている意味を私はまだ半分も理解出来ていない。それでもとても大切なことを今教えてもらっているのは感じていた。

「どうして……」

 勝手に言葉がぽつりと口から滑りでた。

「ん?ごめんね今聞き取れなかった。もう一度言ってもらってもいい?」

「いや、あの、ただの独り言です」

 どうしてこの人が、もっと、もっと早く私の前に現れてくれなかったのだろう。こんなにも自分がこじれてしまう前に現れてくれなかったのだろう。あの日、気持ちを塞ぎこんでしまった子どもの私の前に先生が来てくれていれば、私はきっと今こんな風になっていないのに。

 そう?と首を傾げた先生の視線が私から逸れる。と、慌てたように動き出した。

「わ!結構時間過ぎちゃってるね。ごめんねそろそろ始めようか」

 時計を見れば三十分は時間が経っていた。先生がてきぱきと準備を始める。

「それじゃあ聞いてもいい?本のタイトルと選んだ理由。……というよりはエピソードかな?」

「えっと……中学生の頃に読んだ作品なんですけど、同世代の話だったから特に思い出に残ってて。女子グループの話とかリアルで……」

 すらすらと口から出る言葉。私じゃない誰かの言葉。消えきらない罪悪感を残しながらも、繰り返したそれは私にすっかり馴染んでいる。

 私にとっては慣れたもの。なのに、先生は何か腑に落ちないことがあるような顔をしている。

「……それは、本当に宮沢さんの感想?」

 何が、引っかかったのだろう。同世代の感想を、違和感をもたれないくらいのものを、選んだはずなのに。

「まだ私はちょっとしか宮沢さんを知らないけど。……少し、想像していたのと違っていて。ごめんなさい、間違っていたら失礼だね」

 先生から、見たら。私はどんな感想を抱く人間に見えているのだろう。……本を読んで、感想を持てる人間に、見えているのだろうか。……だったら、どんな、一体どんな感想を。

 一瞬で膨れ上がった感情は理性が引き留めるより先に口から吐き出された。

「物語が嫌いなんです」

 ずっとずっと我慢してた。ずっとずっと隠してた。

「……先生。私、読んでも何も思えないんです。物語には。何も。何を、読んでも駄目なんです」

 この人に気づいてもらえた。そう思ったら止められなくて、湧きあがった衝動のままに初めて人に話した。

 共感出来ないこと。両親を嫌いではないこと。でも本の話題になると息苦しくてたまらないこと。


 ――叔父のこと。

 ――物語が、大嫌いなこと。


 矢継ぎ早に言葉を吐き出していく私を、先生はただ黙って見つめている。唐突にこんなこと言われてきっと訳が分からないだろうに聞いてくれている。

 全てを吐き出し、はじめて泣いた子どものような呼吸を整えようと深く息を吸い。吐く。数度それを繰り返し私が少し落ち着いた頃に、それまでじっと話を聞いていた先生が口を開いた。

「……私は、宮沢さんの気持ちを分かってあげられるとは、言えない。私は本を読めてしまった人間だから。フィクションを受け入れている人間だから」

 考えながら伝えられたそれは、大人から子どもに対しての言葉じゃなかった。私というただ一人に、真摯に向けられた言葉だった。

「物語はあなたを救わなかったかもしれない。……これからも、救ってくれないかもしれない。……だけど物語は、本は、紙の上のインクだけじゃ、活字だけじゃ、ないから」

 恐る恐る氷の上を歩くように始まった先生の言葉は、少しずつ熱を帯びていった。

「……本は、本でしょう?」

「――いいえ。本は、書いた人と、それを世に出そうとした人と、受け取った人。そんな皆の想いで出来ているの。誰かがいたから本という形になって私達の手まで届くの。届いてくれるの。……だから、もし。もし、ね、どうしても堪えられなくなったら」

 まるで愛の告白をしているような真剣な言葉。そして、言葉だけでは伝えきれない感情を、伝えようとするように。

 真っ直ぐな瞳が私を貫く。

「私からあなたに本を贈らせて」

「本、を……?」

「私があなたのことを考えて考えて選んだ本を、贈らせて。きっとそれは、あなたにとってただのフィクションには、ただの話だけにはならないから。……大事な本は、人を想って贈った本は、ストーリーだけじゃなくなるから。……それはね、私の心の一部をあなたにあげるってこと。だからきっと、……大丈夫」

 先生の言う「大丈夫」は、どうしてかキラキラと輝いているように思えた。……だけど。

「大丈夫、か、なんて分からないよ……先生。だって、私、お母さんが好きなものすら共感出来なかった」

「ううん大丈夫。いい?その本は、あなたの話を、悩みを聞いたうえで。考えて考えてあなたの為に私が贈るものなの。あなたの心のために贈りたいと選んだものなの」

 真摯に告げられる先生の言葉は、正直嬉しい。……でも、もう期待をもつのが怖い。臆病になってしまった私は先生の言葉を信じきれない。

 俯く私を見て、そんな私の気持ちが伝わったのだろうか。先程までは視線のように強かった声が柔らかくなり、温かな手が冷えて強ばった私の手を包んだ。

「でも……、そうだね。もしそれでも駄目だったら、私と話をしよう。私はあなたに何を届けたかったか。あなたは何が駄目だったのか。話をしよう。――そして、また本を贈らせて」

「それでも……駄目だったら?」

「再挑戦させてくれるなら、もう一度話をしましょう。その後にまた本を贈らせてほしい。――何回でも。きっとそのうち、あなたに届くものは見つかると思う。……そう、思いたい」

 ……どうしてこの人は、こんな言葉をくれるのだろう。普通の人が普通に出来ること。当たり前のことすら出来ない自分を。変に、思わずに、こんな言葉をくれるのだろう。

 あの日、子どもの自分の前じゃなくても。今の私にだって必要な。そんな――。

「宮沢さんが物語が本当に嫌いだっていうのなら、無理強いはしないけれど。……そうじゃ、ないんでしょ?」

 先生の言う通りだ。物語が嫌いなんじゃない。物語が好きな人が嫌いなんじゃない。――分からない自分が嫌いだった。共感出来ない自分が嫌いだった。

 本当は、お父さんとお母さんと、本の話を普通に出来る娘でありたかった。

 皆と映画を見に行って、同じように泣きたかった。

 物語に私も救われたかった。

 分かってほしかった、私みたいな人間もいるんだって。

 受け入れてもらいたかった。

 物語を好きになりたかった。

 人の心を受け止められる人になりたかった。

 投げられた問いに向けて、小さな小さな震えた声で、先生に届いているのかも分からないほどの声で。

 うん。と、言った。子どもみたいに、そう言った。

 喉も目元も燃えるように熱くて。自分の身体じゃないみたいで、思う通りに身体が動かなくて。顔をあげることも出来ず、先生の反応は見れなかった。それでも、そんな私を見て先生が微笑んでくれているのは雰囲気で伝わった。

「……さあ、じゃあ続きやっちゃおうか。まずは一冊を選ばなくちゃ。今日中には終わらないね。……宮沢さん、明日も手伝ってくれる?」

 少し冗談めかして言う先生に向けて、今度はちゃんと届く声で、はい。と返事が出来た。



  ◆  ◆  ◆



 小説を読む人の気持ちが分からなかった。

 生まれてこの方、物語を面白いと思った事がなかった。

 小説も、映画も、アニメも、絵本も、感情を動かされた事がなかった。

 物語で涙を流すのが、理解できなかった。

 何故物語で。自分に関係のない出来事で、涙を流すのだろうと思っていた。

 家族の話、動物の話、愛の話、生と死の話。

 確かに自分も同じ思いをしたのなら共感もするだろう。

 だが、自分とまったく関わりのない出来事でも涙する人がいるのだ。

 それが理解できなかった。

 自分に関係がないからこそ、簡単に悲しめるのだろうかとも思っていた。

 泣くために、涙を誘う話を欲しているのか。でもそれなら、現実に悲しい話なんて山のようにある。

 誰かの頭の中で、作られた話。ただそれだけ。

 それだけなのに、どうして人は物語を読むのだろう。そう思っていた。

 綺麗に整われた、程良く悲しく、程良く優しい話を読んだところで。

 現実が救われる事なんてないのに。

 現実が、救われる訳ではない。のに。

 それでも求める。

 人の願いで作られたものを、届けたい何かがあって作られたものを、たったひとりのために贈られたものを。

 私だって受け止めたい。


 そして物語も、きっと私の心を受け止めてくれるだろう。

 物語は、想いで出来ているのだから。

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