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受け取る:アンチフィクション主義者(前編)

 小説を読む人の気持ちが分からない。

 生まれてこの方、物語を面白いと思ったことがない。

 小説も、映画も、アニメも、絵本も、感情を動かされない。

 物語で涙を流すのが、理解できない。

 何故、物語で。自分に関係のない出来事で涙を流すのだろう。

 家族の話、動物の話、愛の話、生と死の話。

 確かに自分も同じ経験をしたのなら共感もするだろう。

 だが、自分とまったく関わりのない出来事でも涙する人がいるのだ。

 それが理解できない。

 自分に関係がないからこそ、簡単に悲しめるのだろうか。

 泣くために涙を誘う話を欲しているのか。でもそれなら現実に悲しい話なんて山のようにある。

 誰かの頭の中で作られた話。ただそれだけ。

 それだけなのに、どうして人は物語を読むのだろう。

 綺麗に整われた、程良く悲しく、程良く優しい話を読んだところで。

 現実が救われることなんてないのに。



  ◆  ◆  ◆



 人を人たらしめ定義づけるものとは思考なのだろうか。思考から発せられる言葉もまた人をつくる一つのピースなのだろうか。

 もしそうして個人がつくりあげられるのだとしたら、私はひどく歪だ。

 誰でもいいから、他者から定義されないと私は不安で仕様がなかった。そうしなければ私は私が分からなくなっていた。これまで山ほど言い訳を自分の中でつくしたけれど結局の所はそうだったんだと思う。

 誰かの言葉を自分の言葉のように使いすぎて、私は私が分からなくなっていた。揺らいでいた。だから記号のような立場に本当は縋っていた。

 自分から記号が離れた瞬間に私はやっとそれに気づいたのだ。


 全国どこの学校でもそうだろうが、進級すると新しいクラスでの委員会決めが行われる。小学生の頃から日本の学生はだいたいがやったことがあるだろう。どの委員なら自分は楽でどの委員なら苦痛かを私たちは子どもの頃にはもう気づいて知っている。――私は一年生の頃も、二年生の頃も、学級委員をやっていた。小学生の高学年時にはもう、そうなっていた。

 人の前に立つのは苦ではなかった。誰もやりたがらないなら、引き受けてもいいくらいには。

 小学生の頃からそうしてきた。すると同級生も先生も、私にそういう役割を求めてくるようになった。本当はやりたくてやっていた訳ではない。苦ではなかったから引き受けていただけだと、……私はずっと思っていた。

 中学では、「委員長」というあだ名で呼ばれた。嫌な気にはならなかった。委員長と呼ばれるたびに、居場所が作られていくように感じていた。

 高校に入学しても、同じ中学からの友人の推薦で、学級委員を続けた。

 いつも通り。順当に。

 そうして私は思ったのだ。

 形や立場が多少変わったとしても。きっと大人になったって私は似たような役割をこなしていくのだろうと。

 最初の、人に半ば押し付けられるような形でやり始めた頃は積極的な気持ちではなかったが、続けていく内に慣れてしまった。何を求められているのか分かるようになってから楽になった。望む答えを返せば良い。望む立場を引き受ければ良い。

 結果の分かる安全な道を歩くのはとても安心出来た。

 それに今更、別の役割をこなせはしない。別の自分を作りだすことも出来ないだろう。

 分かりやすい存在を確立してしまえば、そこは自分をごまかして生きている自分にとってはとても楽な立場だったのだ。

 ずっとそんな自分で、レッテルを隠れ蓑にして、生きていくんだろうと、そう、思っていたのに。

 高校三年生に進級して、私は学級委員にならなかったのだ。


 四月のホームルーム。三年生の頃にはほとんどが知り合いか、何となく知っている顔で構成されている。一年生の頃のような新鮮さはない。クラス替えをしたばかりでも決まったグループで行動をしている。そんな中で緊張感が生まれるわけもなく、教壇に担任が現れても近くの子を相手にこそこそくすくすと話を続けている人が多い。

 担任も三年のクラスがそうであることは慣れっこなのか、特に気にした様子もなかった。

「学級委員やってくれる人は、挙手して」

 ゆるい空気の中で、まず最初に学級委員を先に決めると言い担任が希望を募りだした。

 いつもなら誰も手を上げない。面倒だから。やったところで対して得にならないから。

 誰も手を上げないから、私がやっていた。

 寸の間、さぐるような空気が流れる。やっぱりか。と思いながらも当然のように挙手しようとした時。――自分以外の、手が、上がった。

 スッと空気を割る様に二人の手が動き、声が続く。

「誰もいないみたいなので、やります」

「私も、やります。学級委員」

 聞こえてきた二つの声の持ち主をわざわざ見るまでもなく私はよく知っていた。去年別のクラスで学級委員をやっていた子たちだった。

 ――学校のクラスの割り振り方を、前にちょっと聞いたことがある。能力の偏りがないように、しているそうだ。

 学力。運動能力。ピアノが弾ける子。リーダーをやる子。そういった特出したものを持っている子を、どのクラスにも均等になるように割り振っているらしい。それはそうだろう無作為に選んでいたら支障が出てしまうのだから。

 これまでだったら、同じクラスにならないはずの子たちだった。小学生や中学生の頃なら……進路でクラスが分けられるようにならない頃なら、絶対に同じクラスにならないはずの子たちだった。

「井上に、林か。ありがとう。じゃあ頼んだ。後は各自、委員会のとこに自分で名前書いてくれ」

 かぶったら話合うか、じゃんけんでもしてくれ。と、そう言い担任が教卓から離れる。その様子を見て銘々動き出しグループで集まりながら、黒板に名前を書いていく。

 決まってしまえば早速教室の隅でふざけている男子がいた。人数があぶれたようで、じゃんけんをして負けたのか、嫌そうな顔をしながら名前を書く子。早々に一人で名前を書いて参考書を開いている子。それを視界にとらえながら椅子に座ったまま動けない、私。――私は、何を選べばいいのか。分からなかった。

 小学生からずっと。学級委員がどういう存在になるのか気づいてからは他の委員なんて、やったことなかったから。

 この時私が感じていた虚無感はきっと誰にも理解出来ない。

「ふみちゃん、どうしたの?」

 俯く視界に様子を伺うようにひらひらと動かされる手が入り込んできた。顔を上げるといつも通りふわふわした髪をおさげにしている菜津がいた。

「……どれに、するか、悩んじゃって」

 笑おうとした顔が引きつるような感覚がある。自分が今どんな表情をしているのか想像がつかない。

 菜津は小学校からの友人だ。私がずっと学級委員をやっていたのを、知っている。

「じゃあさ、私と同じ委員になろうよ。こんな機会もうないでしょ」

 にかっと笑う菜津の言葉に私が頷くと、菜津は空いていた図書委員と書かれた文字の下に、私と菜津の名前を書いた。




 本を読まない訳ではなかった。

 学術書。自己啓発。エッセイ。辞書。ノンフィクション小説。

 フィクションの物語だけが駄目だった。――読んでも何も思えないのだ。

 心の豊かさを育む。そんな理由で、推奨される読書。

 その言葉を聞くたびに。読んでも何も思えない自分が、恥ずかしかった。

 感動するという、本を、映画を見て、涙する友人を見て。感動できない自分が悲しかった。

 共有できない自分が寂しかった。

 ばれたくなかった。自分がこんな人間だって。

 無理に泣いて。「感動した」と、「原作買っちゃおうかな」と、ごまかしてきた。

 共有出来ない自分を恥ずかしいと思うようになったのは親の影響だ。

 私の両親は読書の好きな人たちだった。小説が、――物語が好きな人たちだった。本のための部屋があるような家で、私は育った。

 まだ字を認識していないくらいに幼い時から、本に触れて育った。いつか自分の子どもに絵本の読み聞かせをするのが、母の昔からの些細な夢だったらしい。

 自分で字を理解できるようになると、親と一緒に字を追いながら絵本を読むようになった。

 文字を理解していくのは楽しかった。学ぶことは嫌いではなかった。

 だけど感想を求められると、どうしていいか分からなかった。

 決定的だったのは、親が好きな本の感想を口にした時だ。

 『ごんぎつね』――いたずらものの寂しい狐の話。いたずらを後悔した狐が、反省して償おうとするが、気づかれずに撃たれて死んでしまう話。

 撃った方は償いを後から知って、撃ったことを後悔する話。

 まだ自分の欠落に気づけていなかった時だ。正直に口にしてしまった。あまりにも私は幼かった。その言葉が人にはどう聞こえるかまで考えられなかった。

「何が悲しいのか分からない」

 とても悲しいお話でしょう。そう言いながら涙する母に言ってしまったのだ。

 母のその時の表情を、私はきっと忘れることはない。

 それ以来、ストーリーを流し読んで、ネットで誰かが書いた感想を見て。まるで自分の感想かのように答えるようにしている。自分の心を守るための一番安全な方法を私は見つけてしまったのだ。


 だから、私が物語が大嫌いなことを誰も知らない。



  ◆  ◆  ◆



 図書委員の仕事は当番制で回ってくる昼休みの本の貸し出し業務だ。それ以外ではたまに頼まれる本の整理くらいがあるらしい。最初に菜津が説明してくれた。

 とても簡単な、仕事だ。

 これまでやってきた学級委員と比べてしまうと格段にやることは少ない。当番が回ってくるのだって年に数回程度だ。

 三年から順にクラスごとに昼休みの貸し出し当番は回ってくる。三年生の私のクラスは五月の連休明けには貸し出し当番が回ってくる予定だ。

 たった一週間。昼休みの間、図書室にいて簡単な本の貸し出し作業をする。それだけなのに、連休中の端々でどうにかそれを回避出来ないか。そんなどうしようもないことを考えるくらいには、私は図書委員になったことを後悔していた。

 図書室には司書がいる。まだ若い女性の司書だ。図書室の本の管理をする司書は、必然図書委員と関わるのだが。――私は彼女が嫌いだ。多分、物語と同じくらいには。

 図書室に本をよく借りに行く子なんだろう、生徒とまるで同年代の相手のように本の話をしている彼女を見たことがある。ころころと笑う見慣れない顔は制服を着せても違和感がないくらいで、一瞬生徒と見間違えるほどだった。私たちとは違う服装をしているということだけが彼女が学生ではないことの証明のようだった。

 二人が会話する姿を遠目から見た時、きっと彼女は私の両親と似たタイプだ。そう、思った。

 この人と関わりたくない。そう強く思った。図書室に行くことがなければ関わることもないだろうと思い気にせずにいたのに、委員になってしまってはそうはいかない。当番がある限り、嫌でも私は図書室にいかなければならないのだ。


 連休明けの月曜日に、菜津に連れられて朝のホームルーム前に図書室に向かった。昼休みだとあまり説明している時間もないだろうと朝から顔を出すことになったのだ。

 図書室に入ると、いつもよりも空気を静かに感じる。人のざわめきを遠くに感じる。世界を本が吸い込んでるせいなのかは知らないけれど、どことも知れない空間に迷い混んだように思う時もある。

 はじめて正面で向き合ったその人は、遠目で見た通りに私たちとそこまで年が離れていないように見えた。ふわりと笑った顔は近くで見てもやはり高校生と言われても違和感がないくらいに若々しい。

「吉山さんに、宮沢さん。一週間よろしくね。吉山さんが去年もやってるから、私がわざわざ説明することもないかな?」

「ちょっとー、ちゃんと仕事してくださいよ。みっちゃん先生」

 先生の他愛ない言葉に、菜津も先生も、二人して、笑っている。

 悪い、人じゃ、ないんだろう。

 苦手意識を持ってしまう、私が悪いだけだ。




 はじめは、嫌いではなかった。

 分からない自分が情けなくて、悲しくて、寂しい。それだけだった。

 切欠となったのは、病気の話を、生と死の話を。読んだ時だ。

 人に薦められて読んだ本だった。

 話題作だと、絶対に感動する、読まないと損だと。そんな風に薦められた本だった。

 それは、治らない病気が発祥した主人公と家族の物語だった。

 生きる希望と、家族の愛の物語だった。

 綺麗な、話だった。

 きっと受け入れられる心があるなら、この話に感動できるのだろう。

 心の軽い場所で、泣ける、感動する、良い話だと感じることができるのだろう。……そして表面で滑り落ちて、少したったら忘れてしまえるのだろう。

 日常の、スパイス。それくらいで終わらせることができるのだろう。

 タイミングが悪かった。言い訳をさせてもらえるのなら、そう言いたい。

 自分の本当に近いところではない。でも遠くもなかった場所に、同じ状況の人がいた。

 父親の弟――叔父が、そうだった。お盆や正月くらいしか顔を合わせない人だったが、私は叔父が嫌いではなかった。

 彼は穏やかな人だった。私や彼の子どもが遊んでいる姿を見て、見守りながら静かに微笑んでいるような人だった。

 叔父は、小さい頃からよく風邪をひきやすい子ではあったらしい。けれど命に関わる持病が産まれつきあるわけでもなかった。なのに、突然奪われるようにだ。彼は医学でどうしようも出来ない病を、発祥してしまった。

 叔父の人生はまだまだこれからのはずだっだ。彼の子どもだってまだ小学生で、大きくなる姿を見守らなければならない。家族を養っていかなければならない。そんな中、医師に告げられた言葉に希望はなかった。

 それがどれだけの絶望をはらんでいたのか想像すら出来ないけれど、父に連れられて叔父を見舞った時に、私は見た。

 はじめ、私と父が病室を訪れた時は、叔父はいつものように穏やかに笑っていた。「わざわざ休みの日にごめんね」といつもと変わりない調子で言った。

 「どうだ?」と主語もなく聞く父に「どうなんだろうねえ?」と普段と同じようなやり取りをしていた。

 つらつらと意味があるのか私には分からない話を二人は続けてて。ああ、叔父さんはしばらくしたら退院して叔母さんに心配したじゃない。等と怒られたり、そんな姿を見た従弟に呆れられたりするのだろうと私は思っていたのに。

 急にだ、それまですらすらと出ていたはずの叔父の言葉が詰まって突然ぷっつりと会話が途絶えた。そして、堪えきれなくなったのだろう。――泣き出したのだ。

「情けない」「どうして俺だったんだ」「残していくのも、死ぬことも怖い」

 叔父は、泣きながら、嗚咽の隙間から絞り出したような声で言葉を吐き出した。悲しみと後悔と恐怖と恨みと愛と寂しさが混ぜ合わされた声だった。

 その姿を見て、私はやっと叔父が死んでしまうことを理解したのだ。


 説明とともにその本を渡された時、私は期待した。もしかしたらはじめて物語に共感出来るのかもしれないと。

 ずっとコンプレックスを感じていたそれから、解放されるのではないのかと。

 それなのに、すぐに期待は打ち砕かれた。

 最後、最後の一ページまで。そう思い、読んだ。

 けれど最初から最後まで、私には物語としてのそれを受け止めることは出来なかった。

 主人公、その家族、医者、友人、心理、情景。

 どれも茶番のように思えて仕方なかったのだ。

 穏やかだった叔父をあんなにも追い詰めた病気がこの程度の訳がない。苦しみが、悲しみが、この程度の訳がない。

 こんなお綺麗な表現ですんでしまうような軽いものではない。

 読めば、読むほど。フィクションは所詮フィクションだ。その思いが強くなる。読んでもちっとも共感出来ないし、叔父がいなくなった悲しみを癒せもしない。

 むしろ、叔父の泣く顔を思い出して苦しくなるだけだ。

 本当に身近な存在という訳ではなかった。たまに会うお父さんの弟。それだけの関係。だけど私は叔父のことが好きだった。穏やかに笑う叔父が好きだった。

 私の悲しみを共感してくれる存在が、本の中にいるのならきっと心が救われると思った。

 だって、皆、言っている。

 共感した。感動した。同じ思いを持っている人がいるなんて。救われた。同じような人がいると思うと頑張れる。

 ……そう、言っている。

 共感する。ということは、とても大事なのだろう。出来る方が普通なのだろう。

 出来ない私がおかしいだけだ。

 だけど。ああ、だけど。現実に振りかかったことですら、私はフィクションを、心を、共感することは出来なかった。

 きっと私は人の心の分からない人間で、これまでもこれからも、きっと死ぬまでそうなんだろう。

 私は物語に救ってもらえない。

 だから私は物語が大嫌いだ。

 素晴らしいと称賛する人達も、大嫌いだ。




「吉山さんに、宮沢さん。一週間よろしくね。吉山さんが去年もやってるから、私がわざわざ説明することもないかな?」

「ちょっとー、仕事してくださいよ。みっちゃん先生」

「ごめん、ごめん。難しい作業はないから、貸し出しはね……」

 悪い人ではない。だけど雰囲気から滲み出る、本が好きだという思いに私はあてられてしまう。

「簡単でしょう。もし分からないことがあれば、気にせず聞いてくれて大丈夫だから」

「おおー、先生っぽい」

 菜津が手を叩きながらはやし立てる。先生はそれを見て苦笑してからため息をついた。それに少しも嫌味を感じないのは人間性のなせる所なのだろうか。

「ぽい、じゃなくて私はれっきとした先生だよ。吉山さんは私を何だと思ってたの?」

 悪い人では、ない。だけどどうしても息苦しい。一週間も私はこれに堪えなければならないのか。

「そうだ伝え忘れてた。ごめんね。木曜日に今月の読書便りを作るんだけど放課後にお手伝いをお願いしても大丈夫かな?」

 ホームルームが始まる十分前のチャイムが鳴ったことに対して、少し焦りながら伝える先生をなだめるように菜津が話を拾う。 

「いいですけど。何を手伝えばいいんですか?いつもは先生だけで作ってましたよね」

「せっかくだから、皆が卒業する前にやっておきたいことがあってね。自分の特別にしている本があれば一冊教えてほしくて。文章は私が書くから感想とかエピソードとかを聞かせてほしいんだ」

 ついでにちょっと雑用も手伝ってほしいかな。と言う先生に菜津がまた笑いながらちょっかいを出している。

 私は、先程の先生の発言に心をかき乱されて会話に混ざることも出来なかった。

 ……どうしよう。私には特別な一冊なんてない。何でそんなこと考えるの。私みたいな人間だっているのに。当然それが存在しているみたいに言うの。そんなもやもやとした感情が体中を支配していく。

 やっぱり彼女も同じだ。

 切れ味の良い刃で何かをすっぱりと切り落とした感覚がある。それは多分、人との間にある見えない糸だ。

 ――私はこの人を見限った。

 木曜日までに私たちの年代で人気のある作品を調べよう。感想を複数混ぜてばれないように、自分が感じたもののように話してしまおう。いつも通り。順当に。そうすれば安全だ。私は私の心を守れる。

 ああ、どうして、それなのに、いつもより、心臓が、少し、うるさい。


 五月の空気は生ぬるい。夕方でもほんの少し汗ばむほどだ。年々季節から春と秋が失われていくような気持ちになる。……なんて、小説を理解出来ないくせに数だけは読んでいるから文学的な思考だけなら出来るのだと。誰に聞かれているわけでもないのに心の中で自嘲する。どうしようもないコンプレックスは今日も私を苛んでいる。

 いつの頃からか玄関の前に立つと、家に入るのを億劫に思うようになった。自分の住む家なのに。十七年間暮らしている家なのに、私の居場所はここにはないような気がしてしまう。だからって他に居場所があるってわけじゃないけれど。

 肺に溜まった息を細く吐き出すと、手に力を込めドアを開ける。

「ただいま」

「おかえりなさい。今日の夕飯はふみちゃんが好きな煮込みハンバーグよ」

 夕飯の支度の最中なのだろう。キッチンの方から母の声が聞こえた。鞄を玄関に置きキッチンに向かうと、ボウルで合挽き肉をこねる母の姿があった。

「本当?作るの久しぶりだね」

「さっきドラマの再放送見てたら作りたくなっちゃった。ほら、レストランのやつ」

 分からないが「そうなんだ」と頷いておく。そうしておけば会話が問題なく流れていくことを私はもう知っている。

「出来たら呼ぶから、それまで勉強してていいわよ」

「ありがとうお母さん」

 自分の母親のことを私はとても善良だと思う。人が困っていたら、ためらわず助ける事が出来る。そういう人だ。そんな母を私はとても好ましく思っている。

「そうだ、ふみちゃん。この前面白いって言ってた小説があったでしょ?ほら、宝石の話」

「――ああ。あれね。うん、とっても面白かったよ。まさかもう続きが出てたの?」

「違うの違うの、続きじゃないんだけど。その作者さんがね、新しいシリーズを出していて。それでおもわず買って読んだけどそれもとっても面白かったから、ふみちゃんも時間ある時にどうかなと思って」

 ――うん、ありがとうお母さん。私は面白くなかったけれど、皆はそれを面白いと思ったんだって。ネットではそう書いてあったんだ。

「そうなんだ!じゃあ息抜きの時にでも読もうかなあ」

 ――残念。勉強に使うはずだった時間が削られてしまうね。

「そうして。引き留めちゃってごめんねふみちゃん」

 気にしないで。と返事をし、私は玄関に置いた鞄を取りに引き返した。先程自分が発した言葉が、口の中を、舌の上をザラザラとさせている。

 私は誰かの言葉を使う。自分のものではない言葉を使う。それは私の何かを確実に蝕んでいる。それでも私は自分のために、自分のおかしさを隠すために、誰かから言葉を奪い盾にする。

 考えを共有出来ないということは、他人が想像するよりもずっとストレスが大きい。どこにも吐き出せないそれはどんどん澱みを生み出している。


 両親から愛されているのに、友達だっているのに、私はひどくひとりぼっちだ。

加筆思ったより多くなりそうなので後編更新は来週とかになりそうです

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