ブランク
四百字詰めの原稿用紙に、君はいったい何文字まで書けるだろうか。「四百文字」と回答をした生徒には、きっと追加の原稿用紙が配られるだろう。しかし、緑色の憎きマス目を埋めるのは、実は意外と簡単なことなのである。
小学生あるいは中学生の頃、大半の人々は読書感想文というものを書かされた経験があるだろう。およそ三枚から五枚ほど。夏休みの宿題だったり、国語の授業の一環だったり。そして多くの学生がそれを嫌っていたのではないだろうか。あなたはどうだろう。
文字を読むのは好きだっただろうか。それとも、書くのが好きだっただろうか。
どちらも好きじゃない人もいるだろう。では、そんな人の書いた読書感想文は面白いか、否か。きっと面白くない、と思う方が多いだろう。なぜなら、文字を読むことを好まない者は、その本を読み込むことをせず、作者の意図を汲むことができない。よしんばそれができたとしても、文字を書くことを好まない者は、自分の中に生まれた理解や思考を表に出す術を知らないからである。もっとも好きと得意は別物で、これらを可能とする者が例外なのだが、しかしそういう人間は好きではない大抵のものをこなすことができるのだ。文章の読み書きも、そちらの例外ではなかったというだけに過ぎない。
それでは、文字を書くことを好まない者が書く『何かしら』は、果たして文章たり得るのか? これはイエスと答えて問題ないだろう。いや、文字を書くのが嫌いな人が文を紡いでも、それは紛れもない文章であり、決して揺らぎようのない事実である。文字を書くのが嫌いな小学生でも、技術の程度の差はあれ、世界の歴史ある文豪たちが行うように文章を創るのだ。
こういったことが大抵の物事ではままあるのだが、それを面白いと思うのは少々変わっているのかもしれない。
ここからが中身のない本題で恐縮なのだが、僕は文章を読んだり書いたりするのが好きだ。きっとあなたも、少なくとも読むのは好きなのではないか。それも相当の物好きだ。
ならば共に考えてみてほしい。我々のような、文章を読んだり書いたりすることが好きな人間こそ、ときに文章を破綻させているのでは?
あくまで自分の経験に則して考えたことなので、これが真実かどうかはわからない。
僕が『何か』を書くのは実に七年ぶりだ。これは一体何なのだろう?
その問いの答えは、きっとこれから書き続けた先にあるのだろう。それを選ぶかは、また明日の僕次第だが。
といったところで、そろそろペンを置くことにしよう。答えのない問題には、答えを出そうとしないに限る。
おまけのような話をしよう。この『何か』は四百字詰め原稿用紙四枚分ほどのものなのだが、やはり好きも嫌いも得意も苦手もなく、書くことはただ面白い。




