第6話『失敗』
現代日本で必須の技能。これがなければ生き辛くなるとまで言われる能力。すなわちコミュニケーション能力――略してコミュ力ともいう――を引き出せる俺となった俺にこの程度の挨拶造作もないことよ。
俺はニカッと軽快な笑みを浮かべると挨拶をしてきた奴らそれぞれに俺は挨拶を返した。
「おはよう! お前もそんなこと言ってないで誘ってみろって~。案外一緒に登校してくれるかもよ?
おっは~! 毎日俺が寝癖みたいに言うなよな~、ちゃんと俺だって気にしてるんだぜ?
おうよ! だけど残念! 俺ってば今日用事があんだよ~、ごめんな!」
『仮面』をつけた俺はそのような言葉をスラスラと言った。もちろん一人一人表情は変えて相手に与える印象を考えている。
最初のチャラ男には同じようなヘラヘラとした笑みを浮かべ、次の子にはカラカラと笑い飛ばすような笑みを浮かべ、最後のサッカー部のやつには申し訳なさそうな笑みを浮かべてさっきのセリフを吐いた。
すると皆満足そうな顔でそれぞれのグループの輪へと戻っていく。
ふぅ、今回も読み間違えることはなかったか……
俺は誰にも聞こえないくらい小さく息を吐くと、自分の席へと向かっていった。
このとき、俺は自然と『仮面』が剥がれ落ちていくのを感じていたが、また付けようとは思わなかった。しばらくは必要ないと思うしね。
そして俺は、窓際一番後ろの自分の席へと鞄を置き、座る。
すると何故か視界の中に二つの大きな山があるではないか。これはなんだろうか、ちょっと触って確かめ──
「ちょっ、馬鹿! 何すんのよ!」
「ブッ! ま、まだ何もしてねぇのにビンタはないだろ!」
「未遂でも悪いのよ! 反省しなさい!」
はい、山だと思ったそれはルルナの胸でした~。お茶目な俺はそれを触ろうとして見事なビンタを食らってしまいましたとさ。当たり前だ。
なんてふざけていると、ルルナが俺のことを真っ赤な顔で睨みつけ、もう一発する気なのか、手を振り上げてた。いや、もう分かりました、M属性とかないんで勘弁してください。
そんな思いで俺が頭を下げるとルルナは、しょうがない、と言った雰囲気で振り上げた手を下ろす。フッ、チョロい。
調子に乗った俺は、結構ヒリヒリと痛む頬をさすりながらルルナへと苦言を申し入れる。
「……ぶたれた頬痛い……」
「…………あ、貴方が悪いのよ。あんなことしようとしたから……」
すると流石にあれはやりすぎと思ったのか、ルルナは罰が悪そうに顔を逸らしながらそう言った。
だが俺は聞こえたぞ! お前が『ちょっとやりすぎたかな』と反省している心の声が!
そしてそんな弱点を見て俺が何もしないはずがない。ここは一気に攻め立てる! いざ! 敵は本能寺にありぃ!
俺はついつい家と同じような雰囲気になっているとはいえ、人間関係に気を使っている学校でルルナを追い詰めてしまう。
「あんなこと? あんなことって何? 俺ってば何かやったっけ?」
「そ、それは、そのぉ……貴方が私のむ、む、胸を……」
「ヘイヘイどうした? その続きはいえねぇか、おぉ?」
「う、うるさいわね! いいわよ言ってやるんだから! 貴方が私の胸を触ろうとしたことが問題なのよ!」
「………………」
そして訪れる静寂。それはもう、耳が痛くなるほどの。
ルルナは今のが非常に恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤に染めて、涙目にもなっている。ヤバイ、これはどう足掻いても俺が悪いとされるパターンだ。
俺は背中に冷や汗が吹き出るのを感じながらすぐさま『仮面』を付け直す。
クソッ! 油断してたらこのざまだ! 俺の馬鹿やろう!
そしてどうにかこの状況を打破しようと頭を回転させ……
「ちょ! 流石に冗談だって~、お前、本気でやったら犯罪だろ? な、なぁ!」
「ちょっと、あなたそれは違くない?」
「うん、ルルナちゃん涙目じゃん」
「これは……流石にお前が悪いなぁ」
「うっわ、最低……」
…………盛大に失敗した。
周りに反応を求めた俺は、ここぞとばかりに全員から非難の視線を浴びる。
女子からは、最低、という軽蔑。男子からは、何やってんだ、という呆れ。
俺はそれらを見て自分の今まで構築してきたキャラというものが崩れていくのを感じた。
あぁ、これはもう、諦めるしかない感じか……
俺の顔に貼り付いていた笑みが消え、『仮面』が剥がれ落ちていく。
今まで作ってきた友人関係、キャラ、コミュニティー全てが一瞬にして崩壊だ。
はっ、所詮は人間かよ。たったこれだけで簡単に手のひらを返す。
俺がそう思い、全てを曝け出そうとした、その時だった。
「ッ!?」
【緊急事態発生!南校舎一階、玄関口にて火事です!教師は至急生徒を誘導し、避難してください!繰り返します…………】
ルルナが、バッと南校舎の方を向いたと思ったら、教室の前にあるスピーカーからそんな避難の放送があった。
放送の声が切迫したものだからだろうか、教室の生徒達は軽いパニック状態に陥り口々に喚き出す。
「……そんな喚くくらいならさっさと避難しろや。自分達だけでも避難程度出来るだろ。指示がないとまともに動けない餓鬼かテメェラは」
そんな奴らだから、ボソッと呟いた俺の言葉すら届かないようだ。
内心でそんな誰かの指示がないと動けない人形共を嘲笑っていると、
「ッ!ルルナちゃん!?」
「おい!危ないって!先生の指示があるまで待てよ!」
ルルナが切羽詰まった顔で突然走り出した。
教室を出て行ったルルナに数多の制止の声がかかるが、ルルナはそれを全て無視。
ったく、お前らは馬鹿か。あいつの判断の方が正しい。
俺はまたも内心で人形共の馬鹿さ加減を嘲笑うと腰を浮かす。もちろん逃げるために、だ。
この状況が続けば南校舎三階であるここは、火事の大きさにもよるが、すぐに火の手に包まれるだろう。火が一階からきてるのも逃げ道が無くなりやすく、ヤバイ。
その前に避難しなければ焼死するだけ。本当は誰かリーダーシップのある奴があれらを纏めて混乱のないように誘導すればいいんだがな。
そう考えた俺は教室の奴らを見渡す。
全員近くの奴と、話し合っても仕方ないことばかり話し合い、誰も自分から避難しようとは言いださない。
「…………はぁ」
軽くため息を吐いた俺は、そんな可能性は低いとみて立ち上がる。
すると何故か全員の視線が俺に集まった。
「は?」
どういうことだ?何故俺が注目される?
理由を考えようと思考しようとしたが、その前に答えは相手から言ってきた。
「あ、お前ルルナちゃんを連れてこいよ」
「はあ?!」
「そ、そうだな。ルルナちゃんも一人じゃ危ないし……」
「走り去ったのだってお前のせいっぽいしな」
訳がわからない。何故そこで俺と結びつける。
いや、俺もわかっているのだ。こいつらはただ何でもいいから責任を擦りつけたいのだ。生徒が火事が起こっているにも関わらず走り出し、単独行動したことの責任を。
ここで誰もルルナを助けに行かなかったら『同じクラスの仲間を見捨てた奴ら』という括りで見られてしまうから。
俺は言葉に出さず、クラスメイトを罵倒する。
だが、俺は行かなければいけない。この状況で断れば俺が圧倒的不利になるのは見えている。
「……ッ! 分かったよ。行ってくる」
静かに拳を握り、もう一度人間の醜さを呪うと俺は一人走り出した。