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主人公、幸海の漫画友達の視点になります。
俺は胸をなでおろしながら、コンビニ袋を片手に玄関のチャイムを押した。
よ、よかった…。ここまで敵は発見されなかった。
以前営業部にいた俺が接待でよく使っていた和風創作割烹の店。接待相手の好みなんかの相談に気楽に応じてくれた料理人の大福さんは、男前で面白い人で、段々と仲良くなった。話をしてみるとかなり多趣味な人で、本…というか漫画なんだが、そんな趣味も合うものだから、親しくなった。営業部から秘書室に異動になった後も、ラインとか、時たま会ったりして漫画談義に花を咲かせる関係は、相変わらずだ。
ちなみに、『大福』さんというのは。店のそう人がそう呼んでいたのでてっきり苗字だと思っていたら、あだ名らしい。そうと知った時には俺の中では大福さんで定着していたので、そのままだ。下の名前が「幸海」さんなんだそうで、そこからつけられたあだ名だということだった。「大福」というあだ名を命名されたのは下の名前のせいだけではないだろう。胸の形やサイズが、名前の由来になったアイスを連想させる、なかなかに立派な代物なのだが、本人は絶対察していない。自分に合った色気のない名前だと結構気に入っているので、俺がわざわざ指摘することはしない。
その大福さん、いつの間にかなんと結婚したらしい。今日は旦那さんも在宅なので、旦那さん立合いの元、漫画話に花を咲かせようと、自宅に招かれている。
この建物の前に立つまでは、結構楽しみにしていた。だって、俺もあと数年で三十路。堂々と漫画話に花を咲かせられる友人なんて、そうはいない。おまけに大福さん、話が面白いというか、本人自体が面白いし。
土産に持ってきたのは、行きがけにコンビニで買ったビール。昼間っからビールってのもどうかという気がするが、あくまで土産だし。別に今から飲むとも限らない。旦那さんもいることだしね。
普通はこういう時の土産は菓子なんだろうが。大福さん、菓子よりは酒の人で。旦那さんの好みは分からないので、無難にビールにしといた次第だ。
だが。
彼女の新居の前まで来て。かなり重い荷物を持ったまま、教えられた住所を何度も見かえして立ちすくんでしまったという次第だ。左手には500mlのビールが6缶入ったコンビニ袋。右手には漫画がたんと詰まった紙袋。大福さんから借りたていたものと、俺が貸す約束をしていたものとなので、結構重い。なので、そうそう長い間立ちすくんでもいられなかったのだが。
なんせそこは、俺の上司の住まうマンション。秘書室勤務の俺が、何度か外部での商談なんかの後に社長が直帰する際にお送りしたマンション。
俺の収入でもちょっと無理して後10年ぐらい頑張ったら買えるんじゃないかってぐらいのレベルの、彼の社会的立場からすれば、非常にこじんまりとした建物ではあるのだが。
いや、立ちすくんではいられない。
右を確認。よし。左を確認。敵はいない。
では、突入あるのみ!!
チャイムを押してしばらくしすると、大福さんの誰何の声がして玄関の戸が開く。
「安城ちゃん、久しぶり。引越しやらなんやらでバタバタしていて、すっかりご無沙汰だったね。」
出てきた大福さんは湯上りの様子で、髪がしっとり濡れて、白い頬をほんのり赤くしていた。結構色っぽいんだけど、相手が大福さんなだけに、欲情したりはしない。
「風呂入ってたんすか?すんませんね、早く来てしまって。」
約束の時間は3時だったんだが、現在2時ちょっとすぎ。
「ん~、大人の事情ってやつ?」
肩にはタオルかけっぱなしで、カラカラと笑う。
家に入れてもらい、ドアを閉める。ホーッとため息が漏れる。
よ、よかった。無事、目的地に到着。
別に社長を嫌いってわけじゃないんだが。
休みの日まで、あの冷酷メガネの面を拝みたくはない。
「どうしたの?」
「いやぁ、何でもないっすよ!」
「あ、リビングこっちね。」
「おじゃ、ま、し…。」
大福さんの旦那さんの顔を見るなり、固まって冷や汗が流れた。固まったのはあちらも同様だったが。
リビングのソファに座って新聞を広げていたのは、俺が平日うんざりする程目にしている、陰険メガネ社長だった。