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小説

愚者の告白

作者: ちりあくた
掲載日:2026/03/29

 勇者と魔王との戦いは、ついに佳境へと突入していた。勇者は王国が選りすぐった魔法使い、戦士、盗賊と共にパーティを組み、数多の魔物を退けて、とうとう魔王城の最奥まで辿り着いたのだ。


 しかし、魔王ゼフィリアも女王たる強さを秘めていた。彼女の強さは他の魔物と比べ物にならず、勇者の仲間たち、魔王の配下ですら、その威圧感だけで気を失っていった。玉座の間で唯一立っていられたのは、転生時に魔法への抵抗力を与えられている、勇者ただ一人だった。


 ゼフィリアは玉座で足を組みながら、妖艶な笑みを浮かべた。額に生える一本の角は、窓から差し込む月光を受けて不気味に輝いている。


「まさか、勇者とやらが年端も行かない小童だとはな。ろくに酒も飲めぬと見える。そんな稚児にやられたとは、我が軍も堕落したものよ」


「……だ」


「うん?」


「好きだ!!!!」


 勇者は顔を真っ赤にしながら、ゼフィリアの黄金色の瞳を見据えた。……周りに倒れている無数の仲間と敵。ボロボロの冒険服と、刃こぼれした剣。服に滲む返り血。その最中で少年は叫んでいた。


「…………妾の聞き間違いか? 何か今、場違いな言葉が飛び出した気がするのじゃが」


「聞き間違いじゃない。俺は確かに『好きだ』と言った」


 勇者ははっきりと言い切った。やや周りを気にするそぶりを見せつつも、皆の意識がなさそうなことにホッとし、ホッとしてしまったことに対して頭を強く掻いた。


 ゼフィリアは当然、彼の言葉を真に受けることなどできなかった。それは四百歳と二十歳という年齢差のせいであり、魔族と人間という種族差のせいでもあり……何よりも。


「……奸計のつもりか。小賢しい真似を」


 魔王と勇者、という最大の壁があった。彼女は自分の中に怒りが湧いてくるのを感じていた。相手が策を練ってくるのは当然のことだ、なぜ自分が怒るのか分からなかった。策が拙すぎるせいか? 勇者が真っ向勝負から逃げたからか? その根源を探そうとした瞬間、勇者は、玉座へ向かって歩み出した。


「おい、近づくな。死にたくないならな」


「殺せる技があるなら出してるだろ」


「奥の手がないとでも?」


「さあな……なんでもいい。俺にはもう攻撃の意思はない。ただ、さっきの言葉が嘘だなんて思われたくないんだ」


 彼は玉座下の階段前で立ち止まり、膝をついてから、ゼフィリアへ向かって手を差し出しかけた。剣を握ったマメと、無数の返り血で汚れた手だった。それに気づいた彼は、胸元からハンカチを取り出して大雑把に拭き取る。そして改めて手を差し伸べる。


「好きだ。俺の伴侶になってくれ」


 ゼフィリアに芽生えていた戦いの熱はすっかり冷め切っていた。彼女は短く息を吐いてから玉座を立ち、虚空から漆黒の大剣を引き出して、勇者の首元にそっと刃を置いた。彼はまるで抵抗せず、まっすぐにゼフィリアの顔を見つめていた。


「お前に敵意がないなら、妾に殺されるのも抵抗しないはずじゃ。貴様を殺し、それから無様に倒れている連れを八つ裂きにする。……無駄だったなわっぱよ。ちっぽけな策に弄される愚者が、王など務めていられぬ」


 ──刃は一思いに振り下ろされた。


「…………まあ、だろうな」


 気づけば、刃は粉々に砕け散り、勇者の首にはほんのりと赤い痕がついていた。彼は少しだけ表情を歪めながらも、痛みを顔に出さんと堪えていた。それが魔王を慮った故か、策略の続きなのか……ゼフィリアは既に分かっていた。


「……最初の威圧、あれで倒れぬ者に勝てる見込みはない。そのことをお前は看破していたのだろう? 妾はもうお前に勝つ術はない。それなのに、底の知れた我を殺そうとしない……」


 彼女は玉座を立ち、剣を虚空へと落とした。


「ついてこい」


「……ああ」


 勇者は魔王の後に続き、裏口から玉座の間を後にした。重い鉄扉が閉まる直前、彼は振り返って倒れた仲間たちを見やる。しかし、その視線は流れるように逸れ、廊下に続く暗闇へと戻っていった。


 やがて彼女たちは城の中腹、戦略会議室へとやってきた。いつもは幹部の魔物たちがてんやわんやと作戦を立て、ゼフィリアが欠伸を立てていると、急に意見を求められる場所だ。彼女は軍事面においては、あまり有意義な助言をできなかった。「正面から向かって勝てぬのか?」という、皮肉一つない純粋な疑問だけを返していた。


「なるほど……勝てぬわけだ」


 ──いくら策を弄したとて。


 彼女はいつも通りに最奥の席に座り、対面する椅子に腰掛けた勇者を見つめた。まだあどけなさの残る顔には不自然な疲労と憂鬱が浮かんでいる。人間の容姿だと二十歳頃だろう、と彼女は思った。


 ──妾はその頃、確かマンドラゴラの栽培に夢中だった。


 声の大きい個体同士を掛け合わせ、より空気を裂くような叫びを追い求めた。その過程で何人死んだかは覚えていないが、思い通りの声が聴けたときの愉悦は、今でも鮮明に思い出せる。


「改めて思うが……そんな歳で勇者か。王国はやはり腐っておる」


 彼女は意図的にこの部屋を選んでいた。一つ、形だけでも自身の優位性を取り戻すこと。そしてもう一つ。仲間や敵の元から遠ざけることで、彼の言葉の続きを引き出すためだ。


 重い沈黙が二人の間に落ちていた。ゼフィリアは頬杖をつき、じっと勇者を見据える。その視線は、戦場で見せた威圧とは違う、もっと静かで逃げ場のないものだった。


「……で?」


「で、と言われても……あれが全てだ」


「あの三文字で妾が応じると思っているほど、お前は愚かではないじゃろう。背景も理由も、全てが判然としない」


 勇者は一瞬だけ目を伏せた。何かを誤魔化すように口を開きかけて、やめる。そしてゆっくりと息を吐く。


「……怖いんだ」


「ほう」


「全部だよ。ここまで来たことも、この先も。急に『転生した』って言われて、なんで俺が勇者なのかも、なんで魔王を倒さなきゃいけないのかも……何一つ分からないまま進んできた」


 ゼフィリアの指先が、机をとん、と軽く叩いた。


「分からぬなら考えればよかったろう。貴様ほどの力があれば、時間はいくらでも稼げる」


「そんな余裕なかったんだよ。日本人だから圧に弱いんだ」


「……ニホン?」


「ああ、元々住んでた異世界の国」


 勇者は苦笑した。自嘲とも諦めともつかない、乾いた笑みだった。彼はひどく疲れているように見えた。肉体はむしろ奇妙なほど保たれているのに、内側だけが擦り切れているような、そんな顔だった。


「気づいたら『勇者』って呼ばれてて、気づいたら旅に出てて、気づいたら仲間ができて……少しも疑えなかったんだ。魔王を倒すのが正しいって」


 彼の視線はどこか遠くを見ていた。かつてのニホンか、それとも冒険の始まりの地か。ゼフィリアはふと思いを巡らせたが、自らの手で考えを断ち切る。


「だから俺も考えないことにした。流れに乗ってれば、全部上手くいく気がしたんだ。そういう役割なんだって、自分に言い聞かせてさ」


「……愚かじゃな」


「ああ、そうだと思う。元の世界じゃ、戦争なんて馬鹿にしてたのにな」


 即答だった。

 ゼフィリアは憐れむように目を細める。


「でもさ」


 勇者は顔を上げる。先ほど玉座の間で見せた、あのまっすぐな目だった。


「ここまで来たら、もう終わりが見えるだろ。魔王を倒したら、俺は『勇者』じゃなくなる。じゃあその後は? 元の世界に戻れるのか、このままここで生きるしかないのか……それとも」


 言葉がぷつりと途切れた。

 彼はひどく虚ろな声で言う。


「……空っぽになる気がしたんだ」


 静かに落とされたその一言は、武器庫にあるどの剣よりも鋭く響いた。戦略会議室の乾いた空気がほのかに震える。ゼフィリアにはその言葉の意味が分からなかった。彼女は生来、権力・富・知識……あらゆるものに満たされて生きてきた。相対する勇者が真逆の立場だなんて、想像もしていなかった。


「何のために戦ってきたのかも分からないまま、『はい終わりです』って言われて……それで、どうしろっていうんだよ」


 ゼフィリアはしばらく何も言わなかった。王としてならば、ここで断じるべきだろう。勇者の迷いを嘲り、あるいは断罪し、利用する。しかし今、彼女の内側で動いているのは、そうした類の思考ではなかった。


 もっと単純で、もっと原始的な──興味だった。


「だから、せめて一つくらいは、自分の手で選びたかった。そんなときに、お前の姿を初めて見て……」


「惚れた、と?」


「……俺に言わせてくれ。なんにせよ嘘なんかじゃない。むしろ、これだけが唯一本当のことなんだ」


 勇者の真剣な黒い瞳を見て、ゼフィリアはふっと笑った。それは明確な嘲笑ではなく、ある種の感心、並びに安堵も含まれていた。力量は依然、勇者の方が上だ。しかし奇妙なことに、精神的なパワーバランスは、自分の方が優勢となっている。


「世界の理も、種の理も、すべて投げ捨てて……己の感情一つを取るか。実に人間らしい」


「悪かったな」


「褒めておる」


 彼女はゆっくりと立ち上がる。床に落ちる足音はやけに静かだった。かつて、その一歩で戦場を震わせていた存在とは思えないほどに。


 勇者の前まで歩み寄り、わずかに身を屈める。黄金の瞳が至近距離から彼を射抜いた。


「恐怖から逃げるために選んだのではないな? その恐怖を抱えたまま、選び直した──そういうことか」


 彼はわずかに息を呑んでから頷く。


「……たぶん」


 曖昧な返答だった。だが、その曖昧さこそが、嘘でない証のようにも思えた。

 ゼフィリアはさらに顔を近づけて問う。


「ならばその選択の先で、お前は何を望む。妾につけば、世界の半分だってくれてやる。それとも金か? あるいは、元の世界への帰還も可能やもしれん。それらが与えられたとき、妾より形ある報酬を選ぶのではあるまいな」


 勇者はほんのわずかに視線を揺らし、それから正面に戻した。


「……分からない。でも今は、分からないままでいいと思ってる」


 それは開き直りではなかった。むしろ、ようやく何かを掴んだ後の、穏やかな悟りに近かった。


「初めて自分で選んだんだ。だったらその先も……自分で決めるよ」


「そうなったら殺すがな」


「殺れるならさっき殺ってるだろ」


 しばし、篝火の小さな破裂音だけが響いていた。やがてゼフィリアは小さく息を吐いた。


「……面白い」


 その言葉は、もはや隠しようもなく愉悦を帯びていた。彼女は手を伸ばし、勇者の顎に触れる。逃げようとすればいくらでも逃げられる距離だが、少年は動かない。


「ならば、その覚悟──見届けてやろうではないか。伴侶になるかどうかは、その後で決める」


「……え?」


「何を呆けておる。いきなり首を縦に振るほど、妾は安くない」


 その言葉に、ようやく彼の肩から力が抜けた。かすかな安堵が遅れて頬に滲み出る。


「ただしこの選択、後悔しても取り消しは効かぬぞ。たった今、魔族の王、ゼフィリアが命ずる。貴様はもう『勇者』ではない」


 それは宣告であると同時に赦しでもあった。勇者はゆっくりと頷いて、ゼフィリアの目を見つめる。


「ああ」


「ならばよい」


 彼女は踵を返し、窓の外へと目を向けた。魔王城周辺の夜は深い。だが、その奥に確かに、朝焼けの気配がある。


「もはやお主がいれば、人間どもにとっては戦争どころではない。一方的な命令すら下せる。勇者が魔王に与した──それだけで世界の均衡は崩れかねん。人間どもは恐怖し、魔族は慢心する。どちらに転んでも、碌な結末にはならぬ」


「……じゃあ、どうする?」


「ずっと前から考えていたことがある。妾ほどの力を持ってしても不可能だと、忘れておったが……」


 爛々と輝く瞳が、わずかに細められる。


「壊すのじゃよ」


「……は?」


「人間も魔族も、勇者も魔王も。そのくだらぬ枠組みを全てな。国家や種族という分断を消し、この世界を妾とお主の力で統べる」


 あまりにもあっさりと言われたその言葉に、勇者は一瞬だけ言葉を失った。だがすぐに、小さく息を吐く。


「……とんでもないこと言ってるって自覚あるか?」


「当然じゃ。だからこそ、お主を選んだ。いや──」


 一歩、彼に近づく。


「お主が妾を選んだのだった」


 勇者は恥ずかしそうに顔を背ける。ゼフィリアは意地の悪い笑みを浮かべ、その返事を待っていた。


「告白のことはいいだろ、もう」


「よくないな。選んだ者と選ばれた者では、責の重さが違う」


 彼女は指先で勇者の胸を軽く突いた。


「これはお主の選択の結果じゃ。ゆえに、この先で何が起ころうと──」


「俺にも責任があるってか」


「そういうことじゃ」


 彼は少しだけ考えてから、肩をすくめた。


「……上等だよ」


 その返答に、ゼフィリアは満足げに頷く。そうして立ち上がると、足早に扉へと向かった。


「よろしい。ならばまずは玉座の間に戻るぞ。倒れている連中に宣言してやる」


 振り返りざま、妖艶に笑う。


「勇者は死んだ、とな」


「……生きてるだろ普通に」


「言葉の綾じゃ」


 ゼフィリアは楽しげに続ける。


「勇者は死に、そして新たに生まれるのじゃよ。名もなき愚か者が一人──魔王に惚れて、世界を壊すために手を取った、とな」


「ひどい言われようだな……」


「事実じゃろう?」


 否定できなかった。勇者は頭を掻きながら、おずおずと彼女の隣に並ぶ。


「……なあ、さっきの話」


「伴侶の件か?」


「それもだけど……」


 勇者は少しだけ視線を逸らし、それから戻した。


「見届けるって言ったよな」


「ああ」


「途中で飽きたりしないでくれよ」


 その言葉に、ゼフィリアは一瞬だけ目を見開き、すぐに深く笑った。


「案ずるな。四百年生きて、ようやく見つけた玩具じゃ。簡単に手放すものか」


「……玩具かよ」


「不服か?」


「いや、まあ……」


 勇者は苦笑しながらも、小さく首を振った。


「それでいい」


 その言葉に、ゼフィリアの笑みが少しだけ深くなる。

 やがて二人は並んで歩き出す。かつて勇者と魔王が対峙した廊下を、今度は同じ方向へ。ゼフィリアは重い扉の前で立ち止まった。


「開けるぞ」


「ああ」


 ──新しい世界が始まりを告げた。

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