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禁獄の花嫁~呪われ少女は陰陽師様に寵愛される~

掲載日:2026/02/06

 晴里彼方にとって、生きることは囚われることだった。


 ――不幸を呼ぶ子、化物、不吉の証。

 どれだけ血縁の晴里家に虐げられたか、わからない。


 それでも彼方には家を出るという選択肢がなかった。

 晴里家は秋津洲帝国で有数の古い一族であり、確固たる歴史があったのだから。


 あやかしを調伏する陰陽師の家系。

 没落しつつあるかもだったが、食べるには困らない……。


 因習、偏見、憎悪。

 それらに晒されていたとしても。


 結局のところ、嫌われている晴里なしに生きる術も道も知らないのだから。


 と、思っていたのに。

 晴里家の大広間に自分を虐げた男たちが倒れ伏している。


 阿鼻叫喚の現場。

 あれほど絶対と思っていた晴里の家を、ひとりの男が壊していた。


 彼は柔らかで艶やかな黒髪をなびかせて、美しい顔に笑みを浮かべている。

 年齢は20代前半。恐ろしいほど整った顔には恐ろしささえ感じた。


(――美しい刃には気をつけなさい)


 それは本だったか、亡き母のふとした言葉だったか。

 彼は秋津洲の軍服に身を包み、挑発的であった。


「彼方、お前はこのままでいいのか?」


 静かな怒りを秘めた声を聞く。

 それは彼方を新しい世界へ誘う声。


(でも、どうしろって言うの?)


 口でなら何とでも言える。

 晴里家を人でなし、前時代の人間の集まりだと。


 彼方は彼のことをほんの少ししか知らない。

 彼の名前は宗像志郎。


 志郎は彼方を抱き上げる。

 彼は誰にもはばかることなく、生きていた。


「行き場がないなら俺の嫁になれ」


 今では珍しい真の陰陽師、銀行家、公爵――皇国の守護者。

 それが宗像志郎という男であった。



 6年前、彼方が10歳の時。晴里彼方の母が亡くなった。

 父の顔さえ覚えていない彼方にとって一番の家族であったのに。


 晴里の墓地で彼方は涙を浮かべていた。


「お母さん……っ」


 手には母の日記帳。

 母は記録を欠かさない人で、これが一番の形見だった。


 同時に彼方には見えていた。

 墓地の墓石の裏に、この世ならざる者がいる。


 白くて四角くて、生き物とは程遠い形。

 ぬりかべと言われるあやかしだった。


 世界の裏、光の影にはあやかしがいる。


 他の墓石の上にはキセルを吹かした餓鬼が座っていた。

 彼方にはあやかしがはっきりと見える。


 着物姿の晴里家の面々が口々に言う。


「旦那様に引き続いて……」

「陰陽師の力を失った晴里はどうなっちまうのかねぇ」

「やっぱり呪われているんじゃないのかい」


 ぼそぼそとした小さな悪意の言葉。

 誰のせいと言わなくても彼方にはわかっていた。


 なぜなら彼方は晴里家の庶子。

 嫉妬も侮蔑にも慣れてしまっていた。


「何を見ているんだ?」


 びくりと彼方が震える。

 彼方の後ろには色素を失った白髪の男が厳しい顔をして立っていた。


 彼は晴里家の有力分家のひとつ、晴林家の次期当主である晴林正二郎。

 いずれは晴里家をも差配すると言われているほどの御方。


(――そして私の許嫁。私にはできすぎて、もったいない御方……)


 と、彼方は周囲から常に態度で言われていた。

 とても頭が良くて、晴里の神童。晴里を変革して立ち直させる御方。

(私は正二郎様が好き。でも――」


 正二郎は不機嫌そうな顔のまま、彼方の母の墓石に背を向ける。


 でも彼方には何も言えない。

 母を亡くした彼方にはもう後ろ盾がなく、正二郎だけが頼みだった。


 そしてひとつ、彼方は胸に手を当てた。


(あやかしが見えることは私だけの秘密だ。皇国を守る陰陽師様以外、あやかしを見てはいけない。あやかしは不吉で呪われているから)


 真の意味で彼方は呪われている。

 なぜなら陰陽師でもないのに、あやかしが見えるのだから。


 でも彼方にはあやかしが不吉で忌まわしい存在であるとは思えなかった。

 

 あやかしはどこにでも存在する。

 墓地にも山にも川にも晴里の屋敷にも……。


 そしてあやかしは彼方に何もしてこない。

 目が合っても手を振ったり頭を下げる程度だ。


 晴里家の一族の瞳よりも純粋で、悪意がない。


(この人たちに比べれば、あやかしのほうが――)


 駄目だ。そこから先は考えてはいけない。

 どれだけ思っていても、あやかしは人じゃない。


 彼方の境遇を助けてはくれないのだから。

 でも人であったとしても。親族であったとしても。


(正二郎様は私を見てくれない。私を疑っている)


 彼方は正二郎の後ろについていく。

 その様子を彼方の従姉である鶴子が暗い眼で見据えていた。



 4年後。彼方は14歳になった。


 晴里の屋敷で彼方は正二郎の前に膳を据える。

 丹精込めた膳に箸をつけて、正二郎は嘆息した。


「……不味い」

「ご、ごめんなさい!」


 彼方が三つ指をついて畳に頭を擦りつけた。

 正二郎は乱暴に箸を置いて席を立った。


「始末しておけ」


 その姿を見送りながら彼方は嘆息する。


『晴里家は今、大変だ。時代の波に置いていかれてピリピリしている。だから正二郎様は悪くない』


 花嫁修業を頑張れば、正二郎様も私のほうを見てくれる。

 彼方はずっとそう思っていた。


 朝食が終わり、彼方は屋敷の縁側で母の日記帳をめくっていた。

 この日記帳を読むと悲しくはあるが心が安らぐ。


 母の心に触れられるからだ。


「いつまでアレを読んでいるんだい?」

「さぁ……かわいそうな子だからねぇ」


 庭師のひそひそ声が聞こえてくるが、彼方は無視する。


 屋敷の人間は当然、正二郎と彼方の関係を知っていた。

 様々な要因で正二郎の婚約者となった彼方であるが、正二郎はそれに満足していない。

 辛く当たられている。


 でもしょうがない。

 正二郎様のお仕事を彼方が手伝えるわけもなく。

 何にもできないのだから……


「はぁ……」


 と、深いため息をついていると彼方のそばに兎のあやかしが現れる。

 はっとするが、あやかしは普通の人には見えない。


 兎のあやかしがくむくむと口元を動かす。


「お姫様、ご機嫌麗しゅう」


 縮こまりながら挨拶をする兎。


 その頃には彼方はあやかしの姿だけではなく、声も聞こえていた。

 不吉なはず……と世間で言われてもそうは思えなくなっていた。


 兎のあやかしも可愛らしくて毛並みがもこもこしている。

 彼方は兎の背を撫でようと手を伸ばすが、途中で手を止めた。


 代わりに彼方はこそっと兎に聞いた。


「ねぇ、そのお姫様ってどういう意味?」

「お姫様はお姫様ですぅ」


 可愛らしい兎に彼方がふっと笑みをこぼす。

 彼方はそこで背後に気配を感じた。


 彼方の従姉、鶴子だ。


 色を抜いた目立つ長髪、すらっとした肢体。

 本家本流の人間であり、彼方を良く思っていなかった。


「ねぇ、何か話してた? 最近ひとりごとが多いけど、一体誰と話しているの?」


 彼方は兎から視線を外して鶴子に向く。


「べ、別に……」

「もしかして、ナニカ見えてるの?」


 彼方はドキリとして、首をぶんぶんと振った。

 あやかしが見えることは悟られてはいけない。


 鶴子が屈んで彼方を見つめる。

 その瞳には力があり、不思議な説得力があった。


「朝のこと、聞いたわよ」

「えっ……?」

「正二郎様の件。あなたも大変ねぇ」


 鶴子の目が細まる。

 彼女が彼方にそんなことを言うなんて。


「屋敷外れの納屋にいい本があったわ。正二郎様って本がお好きでしょ? 見せてあげれば、きっと喜ぶわ」


 鶴子が優しく微笑む。

 その言葉に彼方が顔をときめかせた。


 自分は鶴子のことを誤解していたのかもしれない。

 そうだ、少しでも正二郎様の為になることをしなくちゃ。


「来て。案内してあげる」

「あ、ありがとう!」


 彼方は鶴子についていき、屋敷外れの古びた納屋へとやってきた。

 粗末な建物で、彼方も遠目に見ているだけで入ったことはなかった。


 開け放たれた扉と格子から光の差し込む中で彼方がアレコレと探す。

 鶴子から教えてもらった棚は奥のほうのはずで……。


「本、本、本……あれ?」


 この辺りに正二郎が興味を持ちそうな本があるはず。

 しかし彼方が古ぼけた箱から見つけたのは、手のひらに乗るくらいの真っ白な招き猫の陶器だった。


「おもちゃかしら?」


 招き猫の陶器は不思議な輝きを放っていた。

 こんな納屋に放置されているのが不思議なくらいだ。


「……綺麗」


 招き猫の目の辺りが陽の光によってか、きらめく。

 その輝きが一瞬で消えた。

 

 ガタン、と納屋の扉が扉が締まったのだ。

 光量の少なくなった納屋で彼方が振り向く。


「鶴子姉様……?」


 なぜ、扉が。

 扉のすぐ外には鶴子がいるはず。


 彼方が扉に向かうと、納屋の外から黒い煙が漂ってくる。


 むせるような何かが燃えている煙だった。

 さらに納屋の奥から木の燃える音。彼方がぎょっとする。


「これって火事!? そんな……っ」


 着物の袖で口元を覆い、力いっぱい扉を開けようとする彼方。


「うーん……っ!」


 彼方が壊す勢いで扉をドンドンと叩いても扉はびくともしない。

 おかしい。外には鶴子がいるはずなのに。


「開けて!!」


 納屋の中の黒煙がさらに増して視界が塞がれる。

 灰と煙が忍び込み、彼方はごほごほと咳き込む。


「嘘でしょ……!」


 このままじゃ、本当に死んじゃう!


 その間にも煙は増して木の燃える音は大きくなる。

 彼方が体当たりしても扉はどうにもならない。


「誰か、助けて!」


 扉が開かないのなら、叫ぶことしかできない。

 彼方は招き猫の陶器をぎゅっと握って、祈った――。


 招き猫の陶器がきらりと輝き、ふわりと宙に浮かぶ。

 そのまま陶器から光が満ちて、縄をした白猫がぴょんと出てくる。


「……!!」


 おもちゃの陶器が猫になった!?

 彼方が唖然として見上げていると、猫が空に浮かんだまま、にゃーんと叫ぶ。


「お安い御用にゃ!」


 白猫が腕をくいくいと何かを招く仕草をする。

 すると空の向こうから、湿った空気が流れ込んできた。


 納屋の格子から彼方は髭を生やした龍がやってくるのを見る。

 あやかしの中でも力を持っているのが感じられた。


「雨雲の化身よ、雨乞いにゃーん!!」


 上空の龍から見えない波動が放たれる。

 それは大気と肌を震わせる霊力だった。


 龍は黒雲へと変わり、すぐに雨が降り始める。


 雨はすぐに猛烈な勢いとなって納屋の火を消し去った。

 煙も雨に飲まれ、地面へと吸い込まれる。


 納屋の屋根から漏れる雨粒に濡れながらも、彼方は扉に寄りかかって安堵の息を吐いた。


「助かったぁ……」

「大丈夫にゃん?」


 白猫が彼方を心配そうに見つめる。


「うん、ありがとう……。あなたはあやかしだよね?」

「そう、あたしは招来にゃ! えらーいあやかしにゃ!」


 そうは見えないけれど……。

 可愛らしい猫のあやかしだ。


 でもあやかしが雨を呼ぶなんて、彼方にも初めてのことだった。

 偉いかどうかは置いておいて特別なあやかしなのかもしれない。


「とにかく助かったわ。ありがとう!」


 彼方は招来を抱き寄せる。

 ふかふかでいい気持ち。命が危なかった不安も吹き飛んでくれる。


 招来もごろごろと喉を鳴らしてくれていた。


「いい匂いね……」


 しばらくこうしていたいけれど、納屋から出なければ。

 彼方は招来を抱き寄せたまま、納屋の扉を開けて外へと出た。



「……!!」


 納屋の外には晴里家の面々が鶴子を先頭に揃っていた。


 なぜ鶴子の他にも……!?

 いや、火を見たからか。でもそれならなぜ助けてくれなかったのか。


 晴里家の面々は険しい顔をして言い合っている。


「突然、ここにだけ雨が降りおった」

「……誰と話していたの?」

「この娘はやはりおかしいぞ」


 彼方がびくりと抱き寄せた招来に目線を落とす。

 招来はその意味に気付いていないのか、くりっと目を丸めていた。


 鶴子が一歩前に出て、彼方に指を突きつけた。


「ほら、やっぱりこの娘は呪われているのよ! 皆も見たでしょう!? いきなり雨が降って、止んだのよ! 誰もいない納屋から話し声もしてたでしょ! よからぬものが見えてるに決まっているわ!」


 鶴子の言葉に晴里家の面々がひそひそと言い合う。

 そのどす黒い疑いの目線に彼方が怯んだ。


「そ、それは……!」


 ――知られてしまった。


 でも言い訳ができるのか。雨まで降ったのに。

 そこで正二郎が人の群れを割って前に出てきた。


 駄目だ。ごまかせない。

 彼方はすがるように正二郎へと駆け寄った。


 できることはもう謝ることだけだった。


「黙っていてごめんなさい! でも、あやかしは私を助けてくれて――!」


 必死になって伝える彼方を正二郎は片手で払い飛ばした。

 踏み止まることもできず、彼方は地面に倒れるしかなかった。


 正二郎はぞっとするほど冷たく言い放つ。


「やっぱりか。化物め」


 彼方は絶望しながら正二郎を見上げた。

 しかし正二郎には欠片の慈悲も見えなかった。


「あやかしが見える女と結婚などできん。婚約は解消だ」


 何も言うことができない彼方に、そばの男が正二郎に問う。


「それでこの娘をどうします?」

「しきたり通りだ。不吉を呼ぶ疫病神は――」


 それは晴里家の人間にとっては死刑宣告も同じ。

 歴史から消され、暗闇へ繋がれることを意味する。


「幽閉だ」


 古い時代に作られた屋敷の座敷牢。

 彼方はそのまま座敷牢に勢い良く叩き込まれた。


 座敷牢の格子が閉められるが、彼方は格子にすがりついた。


「待って! 私の話を聞いて!」


 格子から彼方は虚しく手を伸ばす。

 だが晴里家の人間は座敷牢から遠ざかっていった。


「行かないで……!」


 そして彼方から人が去っていった。



 暗い座敷牢の中で壁に背を預け、彼方は呆然とするしかなかった。

 無為で残酷な日々が少し過ぎた頃。


 欠けた椀の粥を眺めていると、見知った声が聞こえた。

 彼方の前に鶴子が薄ら笑いを浮かべて立っていたのだ。


「くくっ、惨めねぇ。でも悪く思わないで。これはしきたりなんだから」


 鶴子はとても愉快そうだった。


「私ならとっくに自害してるわ。あんたって、ゴキブリ並みにしぶといのね」

「嫌味を言いにきたの?」


 彼方の指摘に鶴子が勝利を確信して笑う。


「まさか。そんな暇に見えるぅ?」


 鶴子の横に不機嫌そうな正二郎が現れる。


「報告しに来たのよ。私、正二郎様と婚約したの」

「う、そ……」


 彼方は愕然とした。

 全てが崩れ去って、さらなる闇へと落ちていくようだった。


 鶴子は勝ち誇っていた。

 一方、正二郎はつまらなさそうに牢に背を向ける。


「用はそれだけだ。俺は帰るぞ」

「うふふ、私もすぐに戻るわ」


 正二郎は彼方を見ることなく去っていった。

 どうしようもなく、彼方は元婚約者の背を見送ることしかできない。


 鶴子が古ぼけた冊子を懐から取り出した。


「コレ、あなたのでしょ?」


 それは彼方の母の日記帳――取り上げられてしまった母の形見の品だった。


 彼方に渡してくれるのか。

 いや、鶴子がそう簡単に返してくれるのだろうか。


 と、鶴子がライターを取り出して彼方ははっとした。


(そんな――!!)


 鶴子は日記帳にライターで火を着け、燃やし始めた。

 彼方が格子にすがりつく。


「やめて!」

 

 鶴子は勢いよく燃える日記帳を座敷牢の前に落とした。

 そのまま日記帳は燃え続ける。


 あと少しなのに、彼方の手は日記帳に届かない。

 そのまま火が日記帳を包み込む。


「やめてぇぇっ!」


 やがて日記帳は燃えて、灰になった。

 燃え残ったのは一部だけで到底読めない。


「あははは! ほら、返してあげるわ!」


 焼け残った部分の日記帳と灰を鶴子は彼方へと蹴飛ばした。

 あまりのことに彼方は言葉を失った。


 蹴飛ばされた日記帳を彼方は手に取る。読めなくなった日記帳はまだ熱かったが、彼方は手放すことはできなかった。


 鶴子は高笑いをしながら座敷牢を去っていくのだった。


 彼方は日記帳の灰を集める。

 それしかできることがなかった。


 招来が申し訳なさそうにごろごろと喉を鳴らす。


「……ごめんなさいにゃ。あたしの力はいつも使えるわけじゃないのにゃ」


 招来の力が非常に限定されているのは、彼方もわかっていた。

 そうでなければ座敷牢に閉じ込められることはなかっただろうから。


 でも彼方に招来を責める気持ちは、ほんの少しもない。

 招来が雨を呼んでくれなければ、彼方は大やけどを負っていただろう。


 彼方は招来をそっと胸に抱き寄せる。


「いいの。そばにいてくれるだけで嬉しいもの」


 彼方が抱き寄せた将来の首元に顔を埋める。


「温かい……」


 招来の温かさに反して、彼方の心は冷たくなっていた。


(……もう私は晴里の人間じゃない)


 その日から大勢のあやかしが彼方の前に現れるようになった。


 あやかしは自由に姿を現したり消したりできる。

 お屋敷から色々な物を持ってきてもらうことも可能だった。


 狐火のあやかしが格子から入って、おむすびを持ってきてくれる。


 彼方もあやかしとの交流を隠さなくなった。

 あやかしは彼方の友達であり先生にもなったのだ。


 彼方は強く決意していた。


(今はまだ、一人で生きていく力もないけれど……もっと大きくなったら、絶対にこの家から出てやるんだから!)



 幽閉から2年が経過して、彼方は16歳になった。


 蠟燭の火に照らされながら彼方は本を読んでいる。


 座敷牢の中にはあやかしが持ってきた様々なものが置いてある。

 これらの品物とあやかしのおかげで彼方は心身ともに健康だった。


 背は伸びて肌もきらびやか。幽閉生活にいるとは思えないほど、彼方は美しく成長していた。


 馴染みのモモンガのあやかしがクシを持って、彼方の髪を整えている。


「本当にツヤツヤ! お姫様は今日も美しい~!」

「そ、そうかな?」

「自信持ってくださいな!」


 誰に見せるわけでもないけれど……褒められて悪い気はしない。


 そこに格子をすり抜けて、こんもりしたリスと狐のあやかしが頬を揉みながらやってきた。このふたりは好奇心旺盛で、よく外の情報を持ち帰って教えてくれる。


「はぁ~~幸せ~」

「恰好良かった~~」


 とても幸せそうなふたりに、モモンガのあやかしが問う。


「あ、また志郎様を見に行ったの?」

「志郎様?」


 リスと狐のあやかしが顔に手を当ててのぼせている。

 よほど眼福だったのだろうか。


「陰陽師でありながら今をときめく銀行家!」

「超美形の公爵様!」

「でも社交界にはめったに姿を見せない硬派!」


 あやかしたちがはぁぁーっとため息を漏らす。

 そんなあやかしたちに彼方は微笑む。


「はー、世の中にはすっごい人がいるんだなぁ……」

「最近は忙しそうにしてるんだよね。わるーいあやかしの退治とかで」


 そこでリスのあやかしが包装されたチョコレートをにゅっと取り出した。

 真新しそうで綺麗な包装だ。


「で、昨日チョコレートを志郎様からもらっちゃったぁ」

「わー! 食べたーい!」

「はーい、姫様もどうぞ~」


 答える間もなく、リスのあやかしがチョコレートの破片を彼方の口に押し込む。


「むぐっ」

 チョコの強烈な旨味が彼方の舌を刺激する。

 目がぱちっと開くほどの美味しさだった。


「甘い……」

「うん、おいしい~!」


 モモンガのあやかしが嬉しそうに跳ねる。

 このチョコレートは結構な代物では……と彼方は思う。


 噛んで飲み込んでも甘さが残った。


(志郎様ね……ま、私には関係ないか)


 チョコレートをありがたく頂きつつも、雲の上の人だ。

 彼方はそう思いながらチョコを飲み込んだ。



 運命の日は突然やってくる。

 彼方が招来を撫でながら日課の読書をしていると、格子の向こうから女中がやってきた。


「……出な」

「どういう風の吹き回し?」

「輿入れの儀だとさ。あんたも出ろとの命令だよ」


 輿入れの儀とは16歳以上の晴里の女子を集めて、名家に嫁がせるための会議だ。

 まさか彼方も出なくてはならないとは。


 女中が彼方をせせら笑う。


「ま、あんたに貰い手がいるはずないんだけどねぇ」


 彼方は別のことを考えていた。

 女中に見えないようにぐっと拳を握る。

 

(私には縁のない物だと思ったけど――ここから逃げ出すきっかけになるかも!)


 久し振りに晴里の晴れ着を着た彼方は、大広間へと通された。


 ここにいるほとんどの人間が彼方の幽閉を知っている。

 しかし知っているのはそれだけ。今の彼方を知る人間はほとんどいない。


 髪飾りを差した彼方が歩くと、周囲は驚きに目を見開いた。


「なんという美しさ……」

「座敷牢にいたとは信じられん」


 彼方は背筋を伸ばした。


 自分が美しいかどうかは、よく分からない。

 でも胸を張らなければ。


 一方、大広間の奥の上座には正二郎が陣取っていた。

 ひじ掛けに肘を乗せて、あぐらをかきながら……。


 あの上座は晴里一族の当主か、それに準じる者が座る場所のはず。

 正二郎はそこで寛いでいる。


 それは正二郎の今の立場と権威を如実に示していた。

 

 着飾っても彼方は幽閉された身。

 そして正二郎は彼方を払いのけて、捨てた元婚約者だ。


 彼方の胸がズキリと痛む。


(……負けるもんか)


 彼方は正二郎の前に正座した。

 正二郎が少し眉を上げ、彼方に声をかける。


「見違えたぞ。着飾れば変わるものだな」

「それで輿入れの会議だとか……」

「もう相手は決まっている」

「は?」


 会議ではなく?

 彼方に何も確認せず、そこまで話が進んでいたのか。


 正二郎が上座から横の襖に視線を送る。

 一族のひとりである晴林俊彦が襖を開けて、広間に入ってきた。


(好色でしかも暴力沙汰を何度も起こした俊彦さんじゃない……!)


 しかも記憶よりもさらに太り、趣味の悪い金歯を差している。

 外見的にも評判的にも彼には問題しかない。


 さらに俊彦からは……どす黒い、よどんだ空気を彼方は感じ取っていた。


(……!?)

 

 俊彦の背に女性の半身と蜘蛛の下半身を持った、あたかしがちらつく。

 今まで見たどのあやかしよりも禍々しく、真の意味で不吉さに満ちていた。


 あやかしは普通の人には見えない。


 彼方の横に招来が浮かび、囁く。


「悪いあやかしが憑いてるにゃん」


 俊彦は虚ろな目線と足取りのまま、彼方に近寄る。

 半人の蜘蛛の妖しい気配に彼方は胸が悪くなる。


 そんな彼方とは対照的に、正二郎は平静なままだった。


「この男がお前の婿だ」

「なっ……嫌です!」


 即座に彼方が拒否すると、正二郎が扇子を向けてくる。


「お前に拒否権はない」


 正二郎の合図に広間の男が動く。

 そばの人間があっという間に彼方の両腕を捕らえ、拘束した。

 

「かなにゃん!」


 正二郎は冷酷に彼方を見下す。

 彼はかつての彼方の力を忘れてはいなかった。


「ふん。あやかしを使って暴れてみろ。叩き殺してやる」

「くっ……!」

「光栄に思え。この男と結ばれれば、牢とはおさらばだぞ」


 俊彦がのそりと彼方のほうににじり寄る。

 距離が近づいたことで俊彦の金歯から妖気とあやかしが生まれるのがはっきりと見えた。


 妖気がもうもうと近づくにつれ、彼方の周囲の人間が正気を失ったかのようにぶつぶつと言う。


「俊彦様は素晴らしい御方だ……」

「従え……」


(……普通じゃない!)


 妖気が顔を覆ってくると彼方は咳き込んだ。


「ごほっ、ごほ!」


 彼方の視界が覆われ、彼方自身もぼーっとしてくる。


「マズい、私……」


 その間に俊彦の顔が彼方の顔に近付いてくる。


「こんなの嫌ッ!」


 彼方が思い切り頭を振り、俊彦の顔に額をぶつけた。

 その拍子で俊彦の口から金歯が弾き飛ばされる。


「おごぉっ!」

「決まったにゃ!」


 招来がぐっと肉球を握る。

 俊彦が崩れ落ちるのと同時に蜘蛛のあやかしも身をよじって苦しみ、妖気も薄れた。


 正二郎が苛立ちをあらわにする。


「ちっ、無駄な抵抗を。床に押さえつけろ!」


 晴里の男たちが乱暴に彼方を床に押さえつけた。

 俊彦が彼方の顔に覆いかぶさろうとする。


「うっ……!!」


 彼方が顔をそむけると、広間の入り口で騒ぎが起きていた。

 晴里の男たちが外に向かって叫んでいる。


「待て! 入るな!」

「誰だろうと――ぐあっ!!」


 鈍い音が響き、大広間の入り口から何人も吹っ飛ばされてくる。


 彼方が首を向けると――漆黒の貴公子がそこにいた。

 彼ほど整った顔立ちの男は見たことがない。


 すっと通った鼻筋に、何もかも見通すような澄んだ瞳。

 艶やかな黒髪に、威厳ある軍服。


 全てが一体化して場を塗り替える何かに満ちていた。

 貴公子が静かに口を開く。


「俺の邪魔をするな」


 貴公子は凄みを増した声で晴里の家を威圧した。


 力を失くしつつあるとはいえ、晴里を少しも恐れていない。

 どれほど無謀なのか。それとも己に自信があるのか。


 さらに貴公子は彼方を取り押さえる男たちに命じる。


「……下種ども、彼女からどけ」


 妖気を振り払うほどの貴公子の怒り。

 志郎の眼力に、彼方を押さえつけていた男たちが後ろに下がる。


「ひぃっ!」


 助かった……?

 彼方は安堵するが、一瞬で妖気を感じ取って首をすくめる。


 蜘蛛のあやかしは健在で、志郎を威嚇していた。


「あやかしの気配を辿ってみれば、案の定だな」


 貴公子は不敵に笑う。

 その視線はぴったりと蜘蛛のあやかしを見据えていた。


(……見えている?)


 他の誰も招来と蜘蛛のあやかしは見えていなかったのに。

 

 俊彦が両腕を突き出しながら志郎へと突進する。


「どけぇ!!」

 

 蜘蛛のあやかしも同時に貴公子へ襲い掛かる。

 危ない――っ!


 貴公子は落ち着いていた。彼は軍刀をすらりと抜き、踏み込みながら一閃する。

 一閃が光となって伸び、軍刀が蜘蛛のあやかしを捉える。


 妖気が切り裂かれ、魔が祓われた。

 軍刀は苦もなく蜘蛛の身体を両断する。


 蜘蛛のあやかしが斬られると同時に、床に転がった金歯がぱきっと砕け、妖気も黒い霧のように散って消える。

 貴公子は華麗に納刀した。


「にゃーん、本物の陰陽師にゃ」

「す、すごい……っ」


 俊彦はなんとかまだ倒れていない。

 

「ふん」


 貴公子が俊彦の顎を蹴り上げ、吹っ飛ばした。


「呪物に惑わされた哀れな男だ」

「呪物……?」

「あやかしの力が詰まった、悪い品物にゃ」


 招来が彼方に喋るのを、貴公子は見逃さなかった。

 俊彦から彼方へと貴公子が瞳を移す。


「ほう、あやかしと喋れるのか。帝都のあやかしが噂していたのはお前だな」

「……だったら?」

「強い瞳だ。悪くない」


 正二郎が立ち上がり、手のひらを志郎に向ける。

 その顔には憎悪が浮かんでいた。


「宗像の陰陽師が……っ! 調子に乗るな!」


(宗像――この人が)


 もしかして目の前の黒の貴公子が、あやかしが噂していた【志郎様】だろうか。


 確かに禍々しいあやかしを祓う陰陽師である。

 それに美形で……あやかしたちが接しただけで歓声を上げるのもわかる。


 ただ、チョコレートとかをあやかしにあげる姿が思い浮かばない……。

 今の彼は鬼神の如くだ。


 志郎は正二郎に詰め寄られても平然としていた。


「おっと、悪い。貴様を忘れていた」

「ここは晴里の地、その女は晴里のモノ! 即刻、出ていけ!」

「俺も用は済んだ。こんなところに長居はしないさ。だが、人をモノ扱いするのは気に喰わん。それが陰陽の力を持つなら、なおさらだ。おい、お前の名前は?」


(久し振りに名前を聞かれた――……)


 急転する事態の中で、彼方は志郎へ即答した。


「わ、わたしは……彼方」


 正二郎に背を向ける志郎に、怒声が飛んだ。


「何をしている! 陰陽の力は人には使えん! この男を追い出せ!!」


 晴里の人間がはっとして、四方から志郎へと襲い掛かる。

 さすがに数で来られたら――。彼方が叫ぶ。


「あぶないっ!」

「舐めるなよ」


 最短の動きで志郎が動く。

 彼は軍刀の柄で男たちを迎撃する。


 あまり運動をしてこなかった彼方には、黒の影が躍動しているようにしか見えない。

 それほどの速度で志郎は動いていた。


 まばたきほどの時間で晴里の男は床に倒れ伏していた。

 志郎は倒れた男たちを冷酷に見下ろす。


「公務執行妨害だ」

「ぐっ……馬鹿な」


 志郎が正二郎に近寄り、正二郎はのけぞる。

 正二郎は初めて後ろに下がった。


「こんなことをして、タダで済むと思うなよ」

「ふっ、俺が貴様らを恐れると思うか?」


 志郎が正二郎の胸部に柄を叩き込んだ。

 正二郎はなすすべもなく壁へと叩きつけられる。


 もう晴里の男たちは志郎へと挑みはしなかった。

 遠巻きに成り行きを見守るだけだ。


 改めて彼方に向き直った志郎。

 その瞳は深い闇色であったが、惹きつけられるほどに美しかった。


「あなたは強いんですね」

「まぁな。で……片付いたが、彼方、お前はこのままでいいのか?」

「……今の私には行き場なんて」


 彼方のそばを招来がふわふわと心配そうに漂う。


「かなにゃん……」


 志郎がすっと彼方の前に屈んで、顎を持ち上げる。

 男性にこのように触れられたのは初めてだった。


「あっ、ちょっと……っ」

「才能があるのにもったいない。磨けば光るというのに。あやかしから良い評判も聞いている。あいつらは素直だからな」


 さきほどまでとはうって変わって、志郎の声は優しい。

 心の奥底にまで染み込んでくる。


「ち、近いです」

「遠回りは好かん」


 志郎が彼方に微笑みかける。

 驚くほど安心できる笑み。あやかしたちにもこの笑みを向けていたのだろうか。


 そして志郎が軽々と彼方を抱き上げる。


「行き場がないなら、俺の嫁になれ」

お読みいただき、ありがとうございました!


漫画『禁獄の花嫁』は秋田書店様にて連載しております!!

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