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第1話:母親の攻略

もし過去に戻れたらこうしようと決めていたことと、どうしようかと悩んでいたことがそれぞれある。


 前者は、なるべくその歳で通常すべきことはちゃんと全うするということだ。解りやすい例として、学生の時はその本分である学業を疎かにしない、部活や恋愛もちゃんと向き合ってやる、といったところだ。


 それに対し後者は、同じ道を通るかどうか。こちらも解りやすく言うと、同じ部活に入る、同じ学校に進学する、同じ相手と結婚する、といったところとなる。これに関してはおそらく殆ど別の選択を取ることになるだろう。どうしてもまた会いたい人がいた場合は出会いのイベントを跳ばしてしまうと2度と出会えない可能性が高い。そこは慎重に考えたい。


 会社の経営者だったり、何かの道で第一人者に成るといった特別な何者かではなく、平凡な一人のおっさんが過去に戻ったとき、何が出来るか。


 使用していない白紙のノートを探し、過去に戻ったらその知識を基にしようと思っていたことを文字にしていった。高校時代に世界史四天王(常に成績上位の4人に入っていた)を自称していたくらい記憶力に関しては抜群によかったため、普通の人よりも記載できる内容が多かったかもしれない。一通り書き終え、表紙に㊙と書き加えた。マル秘ノートの内容は多くの俗物が考える内容だと思う。つまりはお金を儲けるための方法だ。


 前述の、車でタイムトラベルする大ヒット映画のパート2で敵役(かたきやく)の男はスポーツ年鑑を過去の自分に渡すことで未来の自分を大金持ちにしようとした。だがそれは物理的にタイムトラベルが出来るときにしか通用しない。身一つで事象が発生した場合を私は想定しており、幸運にもそのために必要な記憶力を持ち合わせていた。


 まず何から手掛けるか。大人になってからであれば何でも自由に出来ると思うが、子供の時は色々と制限がある。また大人とか子供とか関係なく法についてもしっかりと遵守した上で、御天道様に顔向け出来るかたちで成功したい。


 1990年はある意味転換となる年だ。前年末、当時の日経平均株価の最高値を叩き出した反面、翌年からのバブル崩壊の狭間にあり、銀行の不動産融資に対する規制政策が開始された年となる。今はバブル期。バブル期でよく覚えているエピソードが1つある。母親の話だ。


 母曰く、兄と私の定期預金口座を作ってくれたらしく、10万円ずつ入れてくれたと。バブル期は銀行の金利が凄かったらしい。「10年後に2倍になるよー」と。当時は「へー、そうなんだ」くらいにしかとらえてなかったが、巻き戻る前の時代である2025年はほぼゼロ金利時代なので今だと「マジかよ!?」という反応になるだろう。年利8%で10年複利回すと確かに200%越える計算となる。


 これを利用できないか考えたが、時間が掛かる上に元手もそれなりにないとダメだし、時期的に金利も締め直され始めている可能性があるので却下となった。

 速効性が高く手っとり早いものは何か……


 

 *****


 

 お母さんは好きですか?


 私は自信を持って好きだと言える。別にマザコンではない。結婚する時や自分が親になった時など、心の底から産んでくれてありがとうと思える瞬間がいくつもあった。子供の頃、インフルエンザに罹った時に仕事を休んで看病してくれたこと。仮病なのに全面的に信じてくれて、ずっと身を案じてくれていたこと。いつもいかなるときも信じて味方でいてくれたこと。その全てに感謝しかない。


 そんな母はこの時期、確かとある会計事務所で事務の仕事をしていたと記憶している。そして職場に競馬好きのおっちゃんが居て、おっちゃんが代わりに馬券を買ってきてくれるらしく、普段ギャンブルなどやらない母から何番の馬がいい?とよく聞かれたものである。そんな経緯と数年後大ヒットゲームソフトとなったダビス◯にハマったことから高校生の頃には立派な競馬オタクとなっていた。従って競馬の結果にはかなり詳しいと言っても過言ではない。とはいえ覚えているのは大きなレースであるG1競走についてがせいぜいで、2着3着の記憶は曖昧で、勝ち馬しか覚えてないレースも沢山ある。

 

 競馬で一儲け、誰もが安易に思い付くところだ。平凡な私もまずはそこからいってみようと思う。だが現状二十歳未満は勝馬投票券を買ったり譲り受けたりすることが禁じられている。また学生は全面的に購入不可だ。(後に二十歳以上はOKとなったがこの頃は二十歳以上であっても学生はダメだった)


 自分で買えないのだから親が買って儲かってもらうしかないという結論にすぐに至った。普段ギャンブルをしない親をどうやって馬券購入するように仕向けるか。この難題を攻略することが私の最初の試練となる。


 取っ掛かりのヒントは既にあった。まずは母の職場のおっちゃんに買ってもらう。そしてただ数字を言うだけでなくスポーツ新聞で出走表を見た上で数字を言って当てる。これを3、4回繰り返す。それで母の信頼を勝ち取る。そこからあたかも出走表を読み解くとレースの流れが計算できて当たる旨を説明し、この先はおっちゃんに頼まず一緒に近くの場外馬券売場に行って買ってもらうよう母を説得する。ずっとおっちゃんに買ってもらうと怪しまれると思うので、おっちゃんにはビギナーズラックで当たっただけでハマったらどんどん損しそうなのでそこでやめるということにしたと伝えてもらおう。


 最初の大きなターゲットは来年1991年の年末にある有馬記念だ。ブービー人気のダイユウサクがレコード勝ちで差しきり、単勝万馬券となったのでよく覚えている。ここまでに小さく勝利を重ねて元手を積み上げておきたい。


 

 *****



今から2ヶ月後の10月天皇賞(秋)、そこが一番最初に馬の番号を聞かれたタイミングとなる。1着馬も2着馬も覚えている。名馬オグリキャップが初めて掲示板を外した(6着以下)レースでとても印象深かった。そして当時はまだ馬番連勝複式(馬番の1着2着を当てる形式の勝馬投票券)は無く、枠連(1つの枠に複数頭居て1着2着の枠番号を当てる形式)しかなくて同枠の2頭ヤエノムテキとメジロアルダンが1、2着と記憶している。35倍くらいのオッズがついたはずだ。まずはここを取る。


 2ヶ月先の話なので一旦やることがなくなった。小学生らしい生活を営むとしよう。夏休みの宿題は自由研究以外は7月中に終わらせるタイプで既に終わっていた。この頃は何をして過ごしていただろうか。習い事は週2回の学習塾くらいだった気がする。


「ピンポーン」


家の呼鈴がなった。覗いてみるとクラスメイトの貴史君であった。


貴史「トキィーあーそーぼっ!」


そうだった。この頃は貴史(たかし)ともう一人光平(こうへい)の3人でよく遊んでいた。外でカナヘビ捕まえたり、木登りしたり、秘密基地作ったり、駄菓子屋行ったり、家でテレビゲームしたりして。


時雄「いいよー。どこ行く?」

貴史「光平んちに行ってテレビゲームしようぜ」

時雄「おーけー。すぐ着替えるわ。待ってて。」


光平の都合はお構いなしかよと思ったが、まあ子供なんてそんなもんだなと深く考えることをやめた。


 そうこうして小学生らしく夏休みを過ごしているうちに夏休みが終わり、2学期が始まった。



 *****



 小学生として生活する、これは当然だが当時と比べて感じ方が全く異なる。


 大人になってからと子供の時の時間の感じ方が全く異なるというのはある程度の歳を経た人ならお解りだと思うが、子供の頃と比べて大人になってからのほうが時間の流れを早く感じる。時間は有限であるということを肌感でも頭でも感じる。やりたいことは一杯あるのに時間が足りない。


 対照的に子供の時というのは時間の流れが遅く感じる。それは間違いないのだが、時間は有限であることを知ってる身としては、時間を有効に使いたい気持ちが間違いなく出てくる。友達と外で遊ぶ時間すら勿体ないと思ってしまう。だが周囲への影響も考え、年齢にふさわしい過ごし方をすると事前に決めていた通り友人の誘いには全て応え、そこは全力で楽しんで遊んだ。

 

 習い事も友達の誘いもない時間、私は図書館に行くことが多くなった。この時代の法律を正確に把握できていなかったので、知識を得るには図書館が最適と思ったのだ。


 この先の展開を考えると、どうしても親からまず投資資金となるお金を貰わなければならない。時間転移前の時代は贈与税の基礎控除が110万円だった。つまりは年間110万円までであれば贈与してもそこに税金がかからないというもの。しかし法律とは時代と共に変わるもの。この時代はどうだろう?と考え、インターネットの普及していない中で調べるとしたら何があるか。たどり着いたのが図書館であった。


 この時代の基礎控除金額は60万円だった。思ったより少ない。遅くとも2001年には株式投資を始めたいが、そのペースで親から貰う形だと10年後に元手600万。これだと考えている投資の仕方には足りない。競馬は年齢的に自分で馬券が買えないので、競馬以外の方法を考える必要が出てきた。もしくは控除金額を越えて貰い、贈与税を普通に納めるかだ。しっかり儲かれば後者でもいいか。


 そうこうしているうちに秋の天皇賞の週となった。金曜の夕方、ついにその時は訪れた。


母「トキちゃん、1~18の数字で好きな数字2つくらい教えてー」


時雄「ん?何でー?」


母「母さんの会社の人で競馬好きな人がいて、明後日大きなレースがあるみたいで、頼んだら買ってきてくれるみたいなの。だからちょっと買ってみようかなって。」


時雄「なるほど。じゃ、ちゃんと選ぶから新聞見せて。」


 結果は既に解っているが、ここは演技のしどころである。


時雄「なるほど。ここはそういう意味ね。順位とタイムとぉ、、、ここは前走の、、、そうなるとこの順番でレースが進みそうで、、、」


母「……」


 出走表を完全理解した小学生を演出する。伝わったかは怪しいが。そして自信満々に告げた。


時雄「7番と8番の馬だね。枠連で4ー4。3,000円1点でお願い。外れたら今月のお小遣い無しでいいから、その代わり当たったらお小遣い多めにね(笑)」


母「エッ、エッ?!あ、うん。わかった。4ー4ね。」


 母はちょっとビックリした顔をしたがすぐに言葉の意味を理解してメモを取っていた。


 土曜の夜、おっちゃんに電話をし、自分の予想と合わせておっちゃんが立て替えられる範囲の金額で馬券を頼んでいた。私の予想分もしっかり告げていたことを聞き耳を立てて確認。


 そして日曜日15:35。親子でテレビの前で観戦。天皇賞スタート。1000mの通過タイムが58秒とややハイペース。内から先に出たヤエノムテキが抜け出し、最後追い込んだメジロアルダンがやや届かずの結果となった。一番人気のオグリキャップは6着。配当は枠連4ー4で3,520円。3,000円買っているので105,600円の払い戻しだ。


時雄「よし!」


母「すごーい!当たったね!エーッ!凄い!」


父「…」


 初陣はうまくいった。すぐにおっちゃんから電話があり、立て替え分引いて明日会社で配当金を渡すとのことだった。笑顔のオカンにこっちまで嬉しくなる。続けていこう。

 

 翌週は菊花賞だ。これも覚えている。メジロマックイーンが世に放たれたレースである。ここからの活躍はまさに名馬。2着は前走セントライト記念1着から挑むホワイトストーンの芦毛ワンツー。12、13倍程度のオッズではあるがここも当てていく。


時雄「1番と2番だね。今回も3,000円で」


母「おっけー」


 今回もスポーツ新聞をじっくり読む演技をして、最終的にそんなやり取りを行った。


 迎えた菊花賞当日。京都の天気はあいにくの雨。重馬場。一番人気はメジロライアン。皐月賞ダービーと惜しい競馬をしており、ダービー馬不在の菊花賞で戴冠成るかと皆が期待していた。それだけに名実況者の勝った後の「メジロでもマックイーンのほうだー」がとても印象的だった。きっちり馬券は取った。配当は枠連1ー2で1,240円。37,200円の払い戻しだ。家計の足しにしてもらえれば嬉しい。


母「トキちゃんスゴイ!また的中!どうやって予想してるの?」


時雄「出走表をしっかり読み込むとどういうレース展開になるか何となくイメージできるから、それで勝ちそうな2頭を予想してる感じかな」


母「へぇーそうなんだ。母には出来そうもないわ」


父「…」


 ここまでは順調。おっちゃんに買ってもらうのは次で最後にさせよう。次はエリザベス女王杯だ。ここはキョウエイタップが勝ったこと以外なにも覚えてない。なので単勝勝負となる。

 

時雄「18番の単勝だね。この馬が一頭抜ける感じで2着はわからないや。また3,000円で。」


母「はーい。おっちゃんに頼んでおくねー」


 お馴染みになってきたやり取りをする。ここまでの2回で学んだか、今回は自分の予想分の金額も私の予想に乗せて依頼していた。といっても合わせて1万円程度だが。


 そして日曜。後方から内をついてキョウエイタップが抜け出し見事勝利。配当は単勝で1,360円つき、136,000円の払い戻しだ。この時点で利益が20万円を越えたので念のため母にこう伝えた。


時雄「オカン。この3週間の払戻金合計で20万円を越えたよ。競馬の払戻金は一時所得だから、もしこれが50万円越えた場合は、ちゃんと2月3月で確定申告しないとダメだよ?」


 母はビックリした顔をして、


母「あんたどこでそんな知識覚えたのよ(笑)最近よく図書館行ってるみたいだけど、本読んでそういう勉強してるの?安心して。私がどこ勤めてると思ってるのよ、会計事務所よ。ちゃんと申告するから大丈夫よ」


時雄「ならよかった。あとな、今度からおっちゃんに頼まないで競馬場連れてってくれない?直接オカンに買ってほしい。信じてくれないかもしれないけど、、俺ちょっとだけ未来が見えるんだ。。だからおっちゃんに怪しまれたくないし、金額も増えたら立て替え難しくなったり、おっちゃんが当日行けなくて馬券買えなかったって嘘ついて持ち逃げとかも今後あり得るかもしれないから。だから、、、」


 母はじっと私の顔をしばらくみてから言った。


母「いいよ。信じるよ。そしたら毎週母と競馬場デートやね」


 そういって笑顔で私を抱き締めてくれた。ああ、やっぱりこの人の子供に生まれてよかった。この人が母親で本当によかった。


時雄「ありがとう…」


父「…」


 月のお小遣いが増えました。うちは小学校高学年の時3,000円、中学で5,000円、高校で10,000円でした。競馬のおかげでまだ小学生ですが5,000円になりました。子供のおかげでがっつり稼いだんだからもっと増やしてもよいと感じる人もいると思いますがこれくらいでいいのです。逆に両親が良識あると安心しました。一般家庭で突然子供に大金を渡してもいいことないです。相当自立している子じゃない限り。まあ最終的には自立している子をアピールして大金を貰いたいんだけど今はまだこれでいいのです。


 ちなみにこの当時、物価も安く、駄菓子屋も地域に数件存在して、200円300円あれば好きなものを一杯買えた時代でした。駄菓子屋に置いてあったゲーム機、一回20円とかだったなぁ。


 とりあえず母親の攻略完了!第一段階クリアだ。ここからはガンガン親に稼いでもらうぞ。


 ※余談ですが、一般的に競馬の払戻金は「一時所得」となり、この場合は外れ馬券を経費として認められません。営利を目的とした継続的行為から得た所得と判断された場合は「雑所得」として認められる可能性もあります。雑所得の場合は外れ馬券も経費として認められる可能性があります。サラリーマンの雑所得は20万円以上で確定申告が必要です。

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