プロローグ:おっさんは小学生
2025年夏。夏の暑さは年々危険度を増しており、日中運動をすることは命の危険すら感じられるものとなっている。そんな夏の日、私は奇妙な体験をすることとなった。
私の名前は時雄。私には妻と中学生の息子がおり、もうすぐ47歳となる。某中小企業に勤めているサラリーマンで、役職は課長、しがない中間管理職だ。上司を含めた経営陣と部下との間に挟まれ、平日は胃が痛い日々を過ごしている。
土日は息子が幼稚園の頃に始めた地元少年サッカーチームでコーチをしている。元サッカー経験者で高校生の時はインターハイに出て活躍した、なんていうことは全くなく、子供がサッカーを始めて、毎週観に行ってるうちにどうせなら最前線で息子をみたいと思い、いつの間にかお父さんコーチになっていた。
親の心を知ってか知らずか息子は早々にサッカーを辞めてしまったが、私は息子の同級生が卒団した後もコーチを続けている。
真夏の日曜日、練習のためグラウンドに行くと、既に何人か選手たちが来ていてボールを使って遊んでいる。練習開始までまだあと15分ほど時間がある。
練習場所は市内の小学校の校庭で、ふと体育館脇の茂みに目をやると、どうも空間が歪んで見えるような気がする。歳のせいで目がおかしくなったのかと思い、目を何度か擦ってみたが変わらなかった。そのためもっと近づいてみることにした。
結論から言うとそこにはたどり着けなかった。正確にはたどり着く直前に意識を失ったのだ。近づくにつれて目が回るような感覚に囚われ、薄れゆく意識の中、暑さのせいで熱中症になってしまったのだと思った。
目が覚めた時、私はベッドの上にいた。小学校の保健室のベッドではない。やけに見覚えのある、やけに懐かしい空間が目の前にあった。実家の自分の部屋だった。
社会人になり実家を出て20数年、その間に2度リフォームされた今の実家に私の部屋などあろうはずがない。だが目の前にあるのは、子供の頃の自分の部屋以外の何ものでもなかった。勉強机にランドセル、目に映るもの全てが小学生時代の持ち物だった。
壁のカレンダーを見た後、自分の身体を確認した。そして私は察した。私は今、自分が小学生だったときに戻っているのだと。
普通ならパニックだろう。だがアニメ好きかつ異世界転生もの好きな私の適応力をなめてもらっては困る。落ち着け。まだ慌てるような時間じゃない。某有名バスケ漫画の登場人物の台詞を引用する余裕すらある。
まずは今自分がどの時代にいるのかを正確に把握する必要がある。カレンダーは1990年の8月を示している。ふむ。ということは小学6年生の夏休み中というわけだ。親は今家には居なさそうだ。両親は共働きで、平日は仕事に行っていていつも子供たちだけで家にいたはずだ。
"たち"。私には2つ年の離れた兄がいるのだ。その兄も部活にでも行ってるのだろうか、家には人の気配がしなかった。
部屋を出てリビングに行ってみると、ダイニングテーブルの上に新聞紙が置いてあった。
8月1日。まだ夏休み序盤と言ってもよい時期だ。知りたかった情報は確認できた。その時代を感じる家の中の家具や物を一通り眺めた後、自分の部屋に戻った。
2025年の8月にいた私が、記憶をそのままに35年前にタイムスリップした。1990年8月1日。身体は小学6年生の頃の自分になっている。元々少しポッチャリした体型だったが5年生から6年生にかけて1年間で身長が20cmも伸びたことにより、全体的にバランスのよい体型になっていた。
タイムマシンの車デ◯リアンに乗り過去・未来を往き来する映画や、実写映画化やアニメ映画化もされた少女が時をかける小説など、SFものの世界では時を遡ったりすることはよくある話だ。
誰もが一度は考えたことがあるのではないだろうか。この記憶を持ったまま過去に戻れたらなぁと。
でも大体の人はそこから深く考えることはない。だってそんなことが実際に起こるわけないのだから。
しかし私は違った。そこから深く妄想したのだ。私ならどうするだろうかと。近年タイムリープものの作品は旦那と親友の裏切りにあって亡くなった復讐劇や、歩んできた人生に後悔がありそのターニングポイントを上手くやり直したりと、過去の後悔に対する対応をしていくものが多かった。しかし私はいたって平凡で後悔のない人生を歩んできた。そんな普通のおっさんが過去に戻って妄想を実現していく、これはそんなお話である。