第17話3:神の再臨か、死の慈悲か
俺の拳がぎゅっと固まった。空が息を呑んでいるようだった。渡辺の声が他のすべてをかき消した。
「お前、俺と違うと思ってるのか、カズマ?」彼は一歩近づき、麻袋がひそひそと音を立て、空気をねじ曲げ、顔を歪ませて、俺がかつて見たことがあるようなものに変わった。それは、ほとんど俺の反映、空っぽになった自分だった。
「お前は、もっと低い理由で人を殺してきた。お前の娘の命は、お前の手で奪われた。彼女が最後の息を引き取るとき、苦しみが止まったとき、それが慈悲だと思ったか?それともただ…疲れただけか?」
俺は凍りついた。
煙、叫び声、俺に止めろと手を差し伸べていた小さな手。それが一気に俺を押し潰した。彼女はあんなに小さかった。俺の娘。
俺は自分に言い聞かせていた。彼女のために、そして世界のために。彼女を殺すことで、死神が復活するのを止められると。実際、それはしばらくの間、止められた。
だが、真実は?真実はもっと醜かった。それは慈悲ではなかった。絶望だった。
その記憶は俺の喉を爪で引っ掻き、無慈悲に痛みを与えた。
渡辺の声が和らいだ。それはまるで、偽りの優しさのようだった。「お前にはできなかったことをやらせてくれ。俺に、彼女たちに平和を与えさせてくれ。お前の娘たち、あの壊れた小さな雑種までだ。彼女たちを救える。あんなモンスターたち?サンタ・ムエルテは、彼らを罪人とは見なさない。彼女は彼らを受け入れる。でも、お前は…お前は脇に退け。」
その言葉が俺に突き刺さったが、それは俺の心に留まらなかった。彼の狙いは分かっていた。俺の疑念を確信に変えようとしているだけだ。だが、それはもう効かない。今は、もう。
俺は彼を見過ごし、祭壇の後ろに隠れているルリに目を向けた。
彼女の耳は伏せられ、尻尾はしおれて震えていた。小さな手が膝を強く握りしめ、その爪が皮膚に食い込んでいた。
そして、彼女の目は… 怒りではなかった。恐怖でもなかった。ただ、無言のお願いが俺を打った。まるで、あの日の俺の娘の目のように。
「ルリ…」俺の声が震えた。
渡辺は頭を少し傾けた。「よく考えろ。お前が死神をこの世界に呼び戻すのを見たくないか?お前は人々がどういうものか、知ってるだろ、カズマ。お前は、こいつらにはこの世界を生きる資格がないことを知っているはずだ。」
麻袋が脈動し、光が歪んだ。空気が重くなり、ほとんど窒息しそうだった。俺はその力が自分の思考に巻きついて、渡辺が正しいと納得させようとするのを感じた。
もしかしたら、彼は正しいのかもしれない。この腐った世界は焼け落ちるべきなのかもしれない。
「カズマ?」
その声は小さく、荒れていた。ルリが祭壇の後ろから出てきた。
彼女の膝は震え、目は涙で濡れ、赤く縁取られていた。彼女はふらつきながら俺のところに歩み寄り、アリスの手を、フェイの伸ばした腕を越えてきた。
「カズマ。」彼女はもう一度囁いた。震えながらも、決意を込めた声で、「行かないで。お願い…私も置いていかないで。」
何かが壊れた。それは俺の中ではなく、俺を通して壊れた。
俺は娘の幽霊を見たが、今、そこに立っていたのはルリだった。彼女が俺のコートを掴んでいた、あの地獄から引き上げた夜のように。あの日、彼女は俺に信頼を寄せていた。
言葉にせずとも、俺は彼女にあの日約束した。決して手放さないと。
俺は一歩踏み出した。「違う。」俺はうなり声を上げた。声は切れそうだった。「お前は間違っている、渡辺。」
彼の頭がわずかに傾いた。「おお?」
「お前は慈悲だ、救いだと語る。でも、これは慈悲じゃない。ただの殺人だ、神聖な服をまとった殺人だ。」俺は短剣を引き抜き、手は今や安定していた。まるでルリが俺の袖を掴んでいたことで、俺は元に戻されたかのように。
「俺に退けって?まず、俺を地面に埋める必要がある。」
渡辺の笑みが麻袋の下で微かに動いた。「それでいい。」彼は言った。「死がそれを食い尽くす前に、お前がその確信をどれだけ保てるか、見てやろう。」
麻袋が波打った。
布のようではない。水のようだった。生き物のようだった。
渡辺はそれを高く掲げ、空気が彼の周りで曲がった。神社も木々も、すべてがまるで炎の上に油が浮かぶように揺れた。
「世界を真実の姿で見ろ。」彼はささやいた。
ナハトアウゲがもう一方の手に輝き、病的な黒紅色の光が脈打つように、まるで第二の鼓動のように脈打っていた。影が石の上を這い、ささやき声が耳に届く。俺の思考が引き裂かれ、糸が指の間からこぼれ落ちていった。
鳥居が割れた。それは木片が散ったわけではなく、二重に見えた。二つ、三つ、五つの鳥居が空に黒インクを垂らしながら現れた。
「近くにいろ!」俺は叫んだが、声は遠く、空虚に感じた。
最初にリンが叫んだ。彼女は頭を抱え、目を見開いていた。「あちこちに…あちこちにいる!」
彼女の周りを動く影があった。吸血鬼ではない。人間でもない。死者の影だった。見覚えのある顔。見たくなかった顔。
「見てはいけない。」ヘカテが hiss と言いながらリンの襟を掴んで後ろに引き寄せた。彼女は足元に燃えるシジルを落とし、即座に幻影は割れた。まるでガラスのように。しかし、それは一瞬だけだった。
次の幻覚の波が一層激しく押し寄せた。ヘカテはようやく回復し始めたばかりだった。
「渡辺。」俺は唸りながら言った。「いい加減にしろ。」
「いい加減?」彼の声は寺の鐘のように響いた。「違う、カズマ。これは真実だ。見ろ。」
神社の下で地面が割れ、黒い根が骨のように手を伸ばしながら上へ這い上がってきた。割れた底で、俺は骨を見た。人間のもの、動物のもの、神のみぞ知るもの。だが、それらはもがき、ねじれながら動いていた。
アリスがよろけながら前に進んだ。彼女の腕の周りを符文が慌てたように舞っていた。「ああ、くそ。」彼女の声は震えていたが、鋭さを失っていなかった。「これは、俺にもチューニだろう!」
妖精が彼女の頭の周りを飛び回り、小さな手で彼女の頬を叩いた。「集中して!」
アリスは手のひらを地面に叩きつけ、符文が渦巻くように広がった。「陣形:ブラインディング・アイドル!消えろ、怖い安売りの悪夢!」
輝くピンクの光が庭を貫いた。瞬間、幻影がちらついた。俺は渡辺を見たが、彼は中央に立っていて、まったく無傷だった。
「かわいいね。」彼は言った。「でも、足りない。」
麻袋から影が飛び出した。それは黒い煙の触手で、まるで蛇が襲いかかるように空気を切り裂きながら進んだ。それはアリスにぶつかり、彼女を石の上に滑らせ、その妖精が悲鳴を上げながら二人とも壊れた符文の山に倒れ込んだ。
次に動いたのはフェイだった。
彼女は前に出て、銃を両手に構えた。そのオーラは冷徹で機械的、まるで兵士が機械になったかのようだった。「ターゲット、接敵。」
銀の魔法が込められた弾丸が双発拳銃から飛び出し、それぞれが幻影を切り裂き、渡辺の本体を狙った。一瞬、彼女がやったと思ったが、麻袋が再び空気を歪め、弾丸は水が石を呑み込むように飲み込まれた。
「予測通りだ。」渡辺は呟いた。
「近接戦闘に切り替え。」フェイは言った。一丁の銃をホルスターに戻し、ナイフを抜くと、シフトしていく幻影の中を一直線に突進した。彼女の動きは鋭く、無駄なく効率的だったが、斬った先には何もなかった。
ナハトアウゲから放たれた影の一撃が彼女の横腹を打ち、彼女は転がった。彼女の鎧は火花を散らし、割れたが、フェイは立ち上がり、冷徹な目で渡辺を見据えた。「カズマ…こんな方法じゃ勝てない。」
「まだだ。」俺は言った。
ツユヒメが俺の前を通り過ぎた。月明かりのように静かに。彼女は刀を抜き、刃先から月の光のように毒が滴り落ちていた。
「彼の首を取る。」彼女は言った。「私がやる。」
彼女はこれまで見たことがないほど速く動き、銀の弧が渡辺の作り出した偽の世界を切り裂いた。ほんの一瞬、幻影を突破した。彼女の刀が渡辺の首元に届く寸前。
だが、触手が彼女の一撃を捕え、その腕に巻きついた。
「だめだ。」渡辺は静かに言った。触手の grip が強まり、鋼が悲鳴を上げる。そして、刀は粉々になり、空中に飛び散った。
ツユヒメの息が詰まった。彼は彼女を掴み、そのまま地面に叩きつけ、地面を砕くほどの衝撃で彼女を押し込んだ。空中から彼女の刀の破片を掴み、それを彼女の腹に突き刺した。
ルリが叫んで動き出しそうになったが、ペトラがそれよりも早かった。ケンタウロスの蹄が石を砕きながら突進し、重い槍を振り回した。
麻袋が再び攻撃し、彼女の胸に直撃した。彼女はよろけ、影がタールのように体にまとわりつき、肌に焼きついた。
「動け、ペトラ!」俺は叫んだ。
ペトラは咆哮を上げ、筋肉を震わせながらタールのような影から抜け出し、槍を広く振っていくつかの幻影を一度に切り裂いた。
「こっちだ!」彼女は俺に向かって叫んだ、血が腕から滴り落ちていた。「道を開ける!」
俺は周りを見回した。
アリスが自分を引き起こし、妖精が彼女の顔を守っていた。フェイは息を荒げ、鎧の半分が割れていた。ツユヒメは倒れた。モモはミオを混乱から引き離していた。ペトラはほとんど立っていなかった。
そして、ルリは—
膝をつき、尾はぺったんと垂れ、目は恐怖を越えた何かでいっぱいだった。
俺が前に出たとき、世界が歪んだ。
ただ地面だけではない、すべてが。風が凍り、空気が違和感に満ち、まるで水を歩いているような感覚があった。
渡辺は頭を傾け、まるで楽しんでいるかのように俺を見ていた。「今、見えたか?世界が本当の姿で。腐り、空っぽで、リセットを叫んでいる。」
彼の肩にかけられた麻袋がうねり、内側から顔が押しつけられ、俺が知っている声が聞こえてきた。埋めたはずの声。
「父さん…」その言葉が鋭く俺を貫いた。
俺は瞬きをした。すると、彼女がそこに立っていた。
俺の娘が。神社の石の上に裸足で立っていた。髪は湿っていて、目はガラスのようで、顔に対して大きすぎた。
「どうして、父さんは私を置いていったの?」彼女は静かに尋ねた。「どうして、私を傷つけたの?」
胸から息が抜けた。腕が突然、重く感じた。
彼女は本物じゃない。彼女は本物じゃない。
「やめろ。」俺は唸りながら、目を渡辺に向けた。
渡辺は、まるで罪を赦す神父のように微笑んで、腕を広げた。「これがお前がずっと逃げてきたものだ、カズマ。俺じゃない。死神じゃない。彼女だ。お前が彼女の命を奪ったんだ、カズマ… それは、自分自身を喰らい続ける世界のために。未来を何の躊躇もなく食い尽くす世界のために。」
背後で、ルリの鋭い息を呑む音が聞こえた。「オーナー…?」彼女の声は震え、小さかった。俺は振り返ることができなかった。
「俺が奴らに何を与えるか、分かるか?」渡辺は続けた。その声は、毒の上に垂れた蜂蜜のようだった。「ジンを使えば、ツユヒメの毒をすべての川、すべての雨の滴に広げられる。たった一晩で、すべての腐った魂が窒息して倒れる。」
彼の笑みが広がり、ほとんど輝いていた。
「だが、サンタ・ムエルテは、価値のある者には慈悲を与える。彼らは清く、触れられることなく過ぎ去る。俺たちは再び始めるんだ。考えてみろ。道徳のある世界、俺たちを滅ぼした汚物がない世界。お前の娘たちがようやく恐れなく生きられる世界だ。」
サンタ・ムエルテの像が雷光に反射して輝いた。彼女の空洞の目が、俺を見つめているようだった。
「それとも、」渡辺は優しく言った。「俺を止めて、死神が戻るのを見守るか?今度は、誰も生き残らない。」
俺は喉の中の塊を飲み込んだ、銃鉄と灰の仮想的な味を感じた。彼は嘘を言っていなかった。俺はそれを感じた。これはただの狂人ではない。これは信じている男だ。おそらく、彼は正しいのかもしれない。
背後で、ルリが囁いた。「カズマ…震えてる。」
俺は手を見た。ナイフの柄に震える指があった。
俺の家族。俺の過去。俺の娘、彼女の小さな手が俺に伸びてきた、彼女が俺から滑り落ちていくのを見ていたあの夜。俺は彼女を殺した。
慈悲?それは正しい選択だったのか?分からない。永遠に分からないだろう。この戦いの中で、俺はまた彼女の声を聞く。『正しいことをしなさい、パパ』でも、今、何が正しいのか?答えなんてない、ただ血と罪、そして取り返しのつかない選択の重さだけが残る。
俺はルリを見た。恐怖で満ちた目、でも信じている目。もう二度と。もう二度と、あんなことをさせない。
世界の重みが俺に圧し掛かる中、それでも俺はここに立っている。守るべき家族がいる、俺にはふさわしくないが、命を懸けてでも守りたい。
麻袋が揺れた。突然、そこに立っていたのは渡辺ではなく、俺だった。
手に血、銃を握りしめ、俺自身の顔が裏切り者のようににやりと笑っていた。
「自分を刺せ、カズマ。」それが言った。「どうせ、何年もかけてゆっくりとやってきたんだろ。」
「オーナー!」ルリが叫んだ。彼女の声は大きくはなかったが、すべてを切り裂くようだった。囁き声、幻影、そして俺の心臓の鼓動まで。
俺は彼女の顔を見た。濡れて震え、痛々しい顔。まだ誰かが人間であってほしいと頼んでいるような顔。
一瞬、俺は人間でなくなりそうだった。
俺は低く身をかがめ、渡辺が影の触手で反撃してきたのを避け、前に転がり込んだ。俺の刃が鳴り、幻影を切り裂きながら、煙が血のように鋭い金属の後を追った。
神社が崩壊していった。




