ネリィ、変人転生者より棒術を教わる
ウラル山脈での大仕事が終わり、最近は小さな依頼が続いていた。
王立整理局でもメリル一家の働きぶりは評判で、
勇者パーティを支援する投資家たちにもその名は届き始めていた。
早朝、ガルドはメリルとネリィに手短に指示を出す。
「午前中は作業場で魔石と薬草の整理。午後は喫茶店だ! 以上!」
メリルが頷きながらも口を開く。
「”以上”って……魔石は丁寧に扱ってね。属性毎に分類して調べること。
薬草は抽出業者に渡すから、細かくすり潰して、タグ付きの袋に分けてね」
ネリィが細めた目でガルドをじっと見上げる。
「ははーん、ママは細かいね、それに比べて・・・・」
「ギクッ!いや、俺は細かいの苦手でさ・・・」
とガルドが慌てると、ネリィがにっこり笑って言った。
「じゃあお父さんには喫茶店を頑張ってもらいましょ」
すっかりしょげたガルドだったが、黙って手を動かし始めた。
午後になり、ガルドは張り切って喫茶店の準備を始める。
「いよいよ喫茶店タイム!ガルド特製コーヒーを作るぜ!」
すかさずメリルが冷静に釘を刺す。
「え? お父さんは接客メインでお願い。コーヒーは私がやるから。
分量、蒸らし時間、抽出圧まで計算して淹れてるんだから」
「ええー……せっかく張り切ってたのに……」
しょんぼりするガルドに、ネリィがにっこり。
「でも大丈夫だよ! お父さんの接客はめちゃくちゃ心地いいから!」
「よーし、それなら看板店主のプライドにかけて最高の笑顔を届けようじゃないか!
ようこそ、整理屋カフェへ~ってな!」
メリルもくすりと笑う。
「お客さんが笑顔になってくれるなら、それが一番いいサービスよ」
14時、喫茶店の扉が開放され、街路から風がそよぐ。
常連客が2~3人、既にカウンターに腰掛けていた。
ネリィは笑顔で注文を取り、奥ではメリルが静かにドリップを始めている。
ガルドは手慣れた調子で声をかけた。
「お、フリードさんにマルタさん。いつもありがとう! 仕事は順調?」
気取らず、だが丁寧な口調で語りかける。
その自然なフランクさに、客の顔が緩む。
ほどなく、香ばしい香りとともに、ネリィがコーヒーを運んでくる。
「メリルさんが淹れたの? 今日のもおいしいねえ。
それに……マグカップの向き、いつも同じなんだね」
「気づいていただけて嬉しいです。絵柄が正面に来ると、ほっとしませんか?
小さな“整え”の積み重ねが、心に余白をつくると思って」
メリルが奥から微笑みながら答える。
「なるほどねえ。細やかだなあ」
客は感心しきりだ。
メリルのコーヒーは、豆の選別も独特だ。
香り、酸味、コクのバランスを整え、抽出も秒単位で調整する。
そして、その味を届けるのは、ガルドとネリィのあたたかな笑顔。
整理屋一家の“癒しの午後”は、今日も静かに幕を開けていた。
常連客と雑談を楽しんでいると、突然、扉が大きく開いた。
黒甲冑に身を包んだ騎士風の男が入ってきて、肩には一羽のオウムがひょいと乗っている。
ガルドが慌てて立ち上がり、声をかけた。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」
騎士はにっこり笑い返しながら、軽々と椅子に腰かけた。
「ホットコーヒーを一つ、あと……鳥にも同じのを頼むよ」
オウムが小さく口を開く。
「ホットコーヒー!」
ガルドとネリィは顔を見合わせ、驚きを隠せない。
「――しゃ、しゃべった!?」
ガルドが声を震わせると、騎士の表情が少し誇らしげになった。
騎士が肩のオウムを軽く撫でながら説明する。
「この子の名前はポリーニョ。オウム返し専門の相棒さ。俺、フォルド=ヤマートという。……前世では“華流拳法”を教えていた師範をしていたんだが、ひょんなことからこの国に転生してさ」
ネリィが首をかしげながらも興味津々で食い下がる。
「え、華流拳法って何?それに、前世って……?」
メリルが淹れたコーヒーをフォルドに差し出しながら、軽く頷く。
「そうよ。華流拳法は、古流格闘技の一派。私は昔、勇者パーティでうっかり勉強し損ねたわ」
ガルドは疑わしげにフォルドを見つめる。
「面白そうだけど、確かこの店の看板には“戦場あとしまつ”って書いてあったはずだが?」
フォルドは目尻を下げて笑う。
「はは、噂を聞いたんだよ。君たちが魔物の死骸をきれいに片付けるって評判の家族だろ? なかなか──最後まで片を付けない勇者パーティが世間を騒がせてるらしいんだ」
ネリィがマグカップを脇に置き、興味深そうに身を乗り出した。
「そうなの、この前は私が足を怪我しちゃって、ママに治療魔法で助けてもらったの。でも最近は依頼が増えて、ちょっと手が回らないかも……」
フォルドは鋭い眼差しでネリィを見つめ、「それなら──」とウインクした。
「じゃあ、お嬢ちゃんに棒術を教えてやろうか? この世界じゃ魔法全盛だけど、魔力切れのときは素手か武器でなんとかするしかないだろ? 特にモップを振り回す掃除人なら、棒の使い方を覚えると役に立つはずだ」
ネリィは目を輝かせて、「ほんとに? できるかな……でもちょっと面白そう!」と笑顔を見せる。
メリルがカウンターから声を掛ける。
「護身術は身を守る最低限の技術だからね。それに、たぶん一定のレベルまで到達すれば、私の“成長促進魔法”もかけられるはずよ」
ガルドが少し呆れた表情で首をかしげ、
「ふむ……まあ、ネリィが本気なら応援するけど」とだけ言った。
フォルドは立ち上がりながら、ネリィにウインクを送る。
「よし、決まりだ! では明日から、マルシャル・ホールに来い──」
ネリィは深々とお辞儀し、
「よろしくお願いします!」と声を張った。
翌日。フォルドとネリィ、そして肩のポリーニョは、旧市街にある
「シタ・マルシャルホール」へ向かった。
薄暗いレンガ造りの入口には木札が掛かっており、そこには「ホール」とのみ書かれている。
ネリィが鳥に声をかける。
「ポリーニョ、おはよう。昨日はちゃんと眠れた?」
ポリーニョがくちばしを開く。
「ネリーニャ、おはよー」
フォルドが自慢げに肩をそそぎながら言った。
「ほらな、相変わらず可愛いだろ? この子も俺の弟子なんだ。ではまず、あのライトアップされたホールで基本の足さばき、素振りから始めようか」
ネリィは目を輝かせ、「はい!」と返答した。
ホールの奥に進むと、吹き抜け円形闘技場のような造りで床は木のフロアだった。
壁には剣士たちの古い写真や、各地の武術家が寄贈した短剣や木刀が並んでいる。
フォルドがネリィに向かって言う。
「さあ、お嬢ちゃん。君の“掃除道具・改”を見せてみな。最初はそこからだ」
ネリィが意気揚々とモップの柄を握りしめると、フォルドは満足げにうなずいた。
「よし、じゃあ“風車逆鶴落とし”の構えを取れ──」
ポリーニョが控えめにオウム返しする。
「ふーしゃぎゃくつるおとし──」
ネリィは少し不安げにモップを構えながらも、一歩踏み出してみせた。
「……こんな感じでいいんですか?」
フォルドはニヤリと笑い、改めて真剣な眼差しを向けた。
「いいぞ、その調子だ! さあ、最初の型を教えてやろう!」
フォルドの「風車逆鶴落とし」の構えは確かに見栄えだけのショーだった。
だが、実際の稽古が始まると、彼はネリィに真剣そのものの指導を始めた。
フォルドはまず、モップを柄の中央ではなく、ブラシ側に重心が寄るよう意図的に持たせる。
ネリィがモップを構えると、すぐに重みで柄先が下を向きかける。フォルドは
「そこだ。まずはこの重心を感じること」と声を掛けた。
フォルドは軽く手を添えて、「そう、それでいい」と微笑む。
ネリィはその後もフォルドから基本動作の指導を受けていた。
ただし次第にフォルドは距離を詰め、
ネリィの腰や脚に触れてアドバイスする回数が増えていく。
「いい腰の回転だ。もう少し脚を伸ばしてみろ」
そのたびにフォルドの肩にとまったオウム・ポリーニョが、
はっきりとオウム返しする。
「いいこしのうごき! きれいなあしのらいん!」
顔を真っ赤にしたネリィは、つい視線を落とす。
──そんな練習がひととおり終わると、フォルドが大きく手を振って言った。
「よし、休憩だ。あとで突きの動作に移ろう!」
「はい……私にできるかな? ちょっと不安だけど……」
「心配いらないさ、ネリィちゃんは筋がいいから」
ネリィはどこかばつが悪そうな顔をしているが、気を取り直したようだ。
突きの動作は確かに難しい。モップの「ブラシ側」を手前に持ち替えなければならず、重心が前に行きすぎると腰が折れてしまう。フォルドはふたたび説明を始める。
「重心が前に行き過ぎると体が折れやすい。腰をひねった瞬間、後ろ足のつま先で地面を押しながら、“吸い込む”反動を上手く使うんだ。モップの先端をまっすぐ前に押し出すとき、手首はあくまでニュートラルに。回転で生まれた力を先端へ伝える感覚を覚えること」
ネリィは小さく頷き、フォルドの指導に合わせて何度も動きを反復する。
やがて二人は動作の確認を終え、模擬練習に移行した。
フォルドは満足そうに微笑みながら、ふたたび声をかける。
「よし、今日はここまでだ。ネリィちゃんの上達は目覚ましいよ。
前世の連中に見せてやりたいくらいだ」
ネリィは額の汗をタオルで拭いながら、少し照れくさそうに笑った。
その後、フォルドと別れたネリィは家路につく。
作業場でメリルが声をかける。
「あら、ネリィ、今日の練習はどうだった?」
「疲れたけど、一通り動作覚えられたよ!フォルドさんも丁寧に教えてくれた・・・
ちょっと近かったけど」
そば耳をたてていたガルドは呆れた顔をして
「ほら・・・なあメリル、本当に大丈夫かあの人?」
「私たちが以前教わったときは特に大丈夫だったわよ。恋人がいたらしいけど
振られちゃったのかしら?」
ネリィは心配な顔で
「ママ知ってたの?」とネリィが目を丸くする。
「知らないわよ、もう何年も前だし・・・、それよりそこまで上達できたら
私の成長促進魔法が使えそうね。明日試してみましょう」
──翌朝。掃除の仕事はガルドに任せ、メリルはネリィのために
「成長促進魔法」の準備を始めていた。
ネリィはまだ昨日の疲れが残っているのかまだ少し眠そうだ。
「ネリィ、疲れてる? 今日は練習休む?」
「ううん、大丈夫。よく眠れたし、気合い入ってるよ」
メリルはにっこり笑って、詠唱を唱え始めた。
──ページをかざすように手を前に差し出し、メリルの口元がゆっくりと動く。
「--月の息吹よ、命を芽吹かせよ──《ヴィータ・インクリース》!」
手のひらから淡い緑の光がほとばしる。
ネリィの身体を包むその光は、ゆっくりと彼女の筋肉に染み渡り、眠気と疲労も追い払っていく。
ネリィは目を見開き、すっと背筋が伸びるのを感じた。筋肉のこわばりが解け、心地よい温かさが体中に広がる。メリルが続けて囁く。
「……これで準備は万端よ。棒術の腕も3段階上がってる」
ネリィは力強くうなずくと、にっこりとメリルを見返した。