地蜂の式魔
女生徒はカブトムシの幼虫ほどもある蛆を四匹も吐き出した。女生徒はまだ苦しそうに呻き声をあげながら、ごろごろと床を転がっていた。
「え……だいじょ――」
幻士郎が近寄って声をかけようとした時、幻士郎は横から突き飛ばされた。
「なに、こいつっ! 虫、吐いてるよ、キッモーっ!」
女生徒の嬌声があがる。大げさな身振りで声をあげた女生徒は、仲間らしい男女を引き連れて転がってる女生徒の周りを囲んだ。他の生徒を連れてきた女生徒は、髪を金色近くまで染め、学生服に合わない派手な化粧をしている。手にはスマホを持っていた。
「なに、朱美、撮ってるの?」
「マジ、ウケる」
苦しむ女生徒を囲む男女は、ゲラゲラと笑い声をあげた。
その時、その輪を割って、声が上がった。
「どけ! その子を保健室に連れていく!」
声をあげて女生徒に身体を寄せたのは、大樹だった。
大樹は苦しんでる女生徒を抱え上げると、幻士郎に言った。
「幻士郎、先に歩いて道開けてくれよ」
「うん、判ったよ、大ちゃん」
幻士郎はそう答えると、先に立って大樹が歩きやすいように人を分けていった。香澄はその二人の様子に、密かに感心していた。
(若月大樹……迷うことなく女の子を助けようとする心意気、見上げたものだわ。まさに私のライバル! そして幻ちゃん、やっぱり幻ちゃんは心優しい人)
大樹は女生徒を抱きかかえて階下に降りていく。やがて三人は保健室に到着した。
「先生! …って、誰もいないのか?」
大樹は女生徒をベッドに寝かせながら、辺りを見回した。それに幻士郎が答える。
「いないみたいだよ、大ちゃん」
「おれが職員室に行ってみる。二人はその子を診といてくれよ」
「うん。わかった」
大樹は幻士郎の返事を聴くと、にっと笑って保健室を出ていった。
幻士郎と香澄、二人が残されると香澄は幻士郎に言った。
「この子がさっき吐き出した蛆。あれには魔の呪力を感じたわ」
「この子も、唆魔に憑りつかれたの?」
「少し違うわ」
香澄はベッドに寝ている女生徒に掌を向けた。
「氷嵐波」
冷気が噴射され、女生徒の身体が冷気に包まれる。と、その身体から何かが飛び出した。
「破ッ!」
香澄が掌を向けて冷気を噴射する。その影は凍てつき、床にぼとりと落ちた。
それは体長20cmはあろうかという巨大な地蜂だった。
「蜂?」
驚く幻士郎をよそに、香澄は凍りついた地蜂を足で踏みつけた。地蜂が砕け散る。
「この子に憑りついていたのは、唆魔多怪の使った式魔。陰陽師の式神に相当するものね」
「今のは唆魔ではない、という事?」
「そう。本体の唆魔多怪は別にいる。それを探さないと」
「どうやって? 探知出来たりするの?」
「そんな便利な能力はないわ」
香澄は苦笑して見せた。
「じゃあ、どうするの?」
「この子に訊くしかないわ。多分、手がかりがあるはず」
香澄は凍結を解除すると、女生徒を揺さぶり起こした。
「ねえ、あなた大丈夫?」
「う……う…」
女生徒は苦しそうな表情を見せながらも、意識を取り戻した。
「意識を取り戻したようね。あなた、何年何組の誰?」
「…一年B組の、狭山若菜……」
「そう。ちょっと具合が悪くなったから保健室に連れてきたの。此処でゆっくり休んでなさい」
香澄の言葉に、狭山若菜は頷くと、そのまま目を閉じた。
「行きましょう、幻士郎くん」
保健室を出る香澄に、幻士郎は慌ててついて行った。
「狭山若菜さんが式魔を仕掛けられたからには、彼女にそうする必要のあった人物がいるはず。クラスで話しを聞きましょう」
「あ、じゃあB組には知り合いがいるよ」
一年B組の教室に着くと、幻士郎は教室の一角にいる女生徒たちに声をかけた。
「ねえ、みんなにちょっと聞きたい事あるんだけど」
そう声をかけられたのは、三人の女生徒だった。
一人は席に座っていても判るほど背が高い。その向かいに座っているのは、対照的に小柄の少女だ。そして横に座るのは、ちょっと太めの大柄な女生徒であった。
「あ、幻ちゃん、どうしたの?」
「昼休憩に来るなんて、珍しいですね」
まず口を開いたのは、小柄の女生徒――栗子伽羅。通称、キャラだ。ツインテール…とは言えないような短さで、髪を頭上で二つに結んでいる。続けて声を上げたのは、森長久来・通称クッキーだ。座っていても判るほど高身長で、髪をおかっぱにしている。
「あ、その子、噂の編入生じゃないの?」
香澄の姿を見て、太目の女生徒――明智千代子が声をあげた。髪も丸い顔に合わせたように、丸くカットしている。三人は、幻士郎の所属するお菓子同好会のメンバーだった。
「あ、ちょっと聞きたいことあってさ」
「なあに、幻ちゃん?」
首を傾げたキャラの姿に、香澄は内心憤りの眼を向けた。
(なに、この子は! なにを勝手に幻ちゃん呼ばわりしてるのよ。わたしだって、まだそう呼べてないのに!)
「あ、このクラスのさ、狭山若菜さんについて訊きたいんだけど」
幻士郎がそう口にした時、三人の顔が微妙に強張るのを香澄は見てとった。
「なに? 何かあるの?」
「う……ん…」
三人が互いを見合わす。やがて思い切ったようにチョコが口を開いた。
「狭山さん、ちょっといじめられてる感じなんだよね」
「いじめ?」
幻士郎の問いに、今度はクッキーが言葉を継いだ。
「というか、下っ端みたいに扱われてる感じかですかね。なんか買いにいかされたり、ヘンな格好させられたり」
「誰に?」
香澄は話に割って入った。その勢いに少し鼻白んだ風を見せたが、キャラがそれに答える。
「杉田朱美――と、そのとりまきたち、の感じかな」
「その杉田さんて、もしかして金髪にして化粧派手な人?」
「そうそう」
香澄の問いに、三人は頷いた。香澄は小さく「ありがとう」と言うと、幻士郎の腕を取りその場を離れた。廊下に出た香澄は、幻士郎に言った。
「……判らないわ。いじめられていた狭山さんが唆魔に唆されて復讐するならまだしも…いじめられていた狭山さんを、わざわざさらに痛めつける理由がない。いじめとは別の事で、誰かの怨みを買ったのかしら?」
「ぼく……判る気がするよ――」
不審げな表情をしていた香澄の前で、幻士郎はうつむき加減にそう呟いた。
「…幻士郎くん?」
「――いじめられても…殺したいくらい憎んだとしても、その悪意を実際に行動に移すことなんてできない。力がないからじゃなくて、そんな事、恐くてできないんだよ……。誰かを憎んだり、傷つけたり――そんな恐い事するくらいなら、自分が我慢した方がマシなんだ。それほど気が弱くて…優しい人だったんじゃないかな…」
「幻士郎くん……」
幻士郎の言葉に、香澄は幻士郎を見つめた。さらに香澄が口を開こうとした時、廊下で悲鳴が上がった。
「キャアッ! 虫よ! 虫っ!」
「こいつもだっ!」
あっという間に、各教室から悲鳴が上がって来る。二人が廊下を駆けると、廊下や教室のあちこちで、蛆を吐き出して苦しんでる生徒が大勢になっていた。その頭上では大きな地蜂が飛び交っている。
「どういう事? これじゃあ、まるで無差別じゃない」
突然の非常事態に、香澄は狼狽した。その隣で、何かに気空いた幻士郎が声を上げる。
「大ちゃん!」
駆けだした幻士郎に、香澄もついていく。職員室の途中で、倒れている大樹を発見した幻士郎は、その蛆を吐く大樹に駆け寄った。
「大ちゃん、しっかりして」
大樹はしかし白目を剥いて、蛆を吐き出した。
「いけない。この蛆は魂魄を餌にして成長してる」
香澄がそう言った途端、幻士郎の額が真っ二つに割れた。
割れた額から現れた方眼が、眩いほどの紅い光を放つ。幻士郎は立ち上がると、大樹の身体に掌を向けた。そのまま業火が大樹の身を包む。蛆と出てきた地蜂が、跡形もなく焼失した。幻士郎が呟く。
「――唆魔多怪を見つける」
「けど…どうやって? 見当がつかないわ」
香澄の言葉に、幻士郎は引き締まった表情を見せた。
「優しい者は悪意を実行に移せない。けど、普段から容易に悪意を実行してる奴らなら、唆すのは容易だ」
「……つまり、いじめてる側――杉田朱美?」
幻士郎は厳しい表情で、頷いて見せた。