幻士郎の秘密
(――そりゃあ、お爺ちゃんと話がある訳だよねー)
幻士郎は家に連れてきた香澄が、丁寧に幻雲に挨拶するのを見て、妙に納得した。
「お久しぶりです、幻雲様」
「あんたは…?」
戸惑いを見せる幻雲に、香澄は微笑みを浮かべた。
「水杜香澄です」
「おお、水杜の娘御か! 大きくなったなあ」
相好を崩した幻雲に対し、香澄は真面目な顔で口を開いた。
「幻雲様に、幻士郎くんの事でお話があります」
幻雲も固い表情を浮かべる。皆は居間へと移動して対座した。
香澄は幻士郎と並んで、幻士郎に起きたこれまでの経緯を明晰に説明した。幻雲は嘆息した。
「そうか……方眼が目覚めたか」
「はい。幻士郎くんの方眼は、珍しい『真芯眼』。潜在的な方力は相当のはずです。さっきまで、自分の方力の使い過ぎで歩くのもやっとでした」
香澄は幻雲を見つめた。
「やっぱり…幻士郎くんは方力の使い方の修行を受けてないんですね?」
「うむ……」
幻雲は渋い表情で頷いた。
「幻士郎の方力は、十六歳の誕生日まで、わしが抑え込んでいた」
「そうなの、お爺ちゃん?」
「うむ。しかし誕生日、やはり限界が来て、わしの方が倒れてしまった。あの日、お前は方眼が覚醒したのだろう?」
幻士郎は頷いた後に、祖父に問うた。
「けど、どうしてそんな事したの?」
「お前の身を守るためだ。お前の方力を抑え込む必要があった。しかしいきなり方力に覚醒したら、方力が暴走するかもしれない。お前に渡した火蓮石の宝珠は、それを制御するためのものだ」
「そうだったの……」
自分自身について無知なことに嘆息した幻士郎は、口を開いた。
「お爺ちゃん、魔明士って何? 何故、ぼくにそんな力があるの?」
幻雲は、幻士郎を見つめた。
「お前の両親は……魔明士だった」
「お父さんと、お母さんが?」
「そうだ。そしてお前も、幼少期からその力の片りんを見せていた」
「ぼくが……?」
驚く幻士郎に対し、香澄を言葉を加えた。
「紅道は火、火行の家柄。わたしは水、水行の家柄。魔明士は五行、つまり――木・火・土・金・水のどれかに特異な術を持っている。貴方は間違いなく、火行の方力の持ち主」
新しい情報が多すぎて困惑する幻士郎は、とにかく最も聞きたい事を問うた。
「お爺ちゃん、六年前のお父さんの事件て、何?」
「それは――話せん」
「なんで?」
幻雲は厳しい顔で、幻士郎を見つめた。
「事は魔明士全体の秘密に関わる事件だ。魔明士に関わる一般の人の記憶は全て消される。――お前が魔明士になるというのなら、それを知ってもいい。しかしお前が魔明士になるという事は、一ヶ月後の宗家戦で、他家の跡目候補と戦うという事を意味する」
「それが、あの二人だったのね」
香澄は納得したように頷いた。赤羽揺介と火高あかり。幻士郎は、あの二人を想い出した。
「戦うって……何をするの?」
「魔明士としての実力を競うのが目的で、互いの跡目候補を潰すのが目的ではない。どういう方法でそれを競うかは、その時代によって様々だ。しかし――場合によっては、命を落とした例もある」
幻士郎は息を呑んだ。
「そ…そんな事……」
「紅道家の跡取りであるお前が十六歳なると、宗家戦に参加する資格を有する。そして一ヶ月後に、宗家戦が行われることになっていた――」
「そんな大事なこと…どうして今まで話してくれなかったの?」
幻士郎は祖父に訊いた。幻雲は、苦悩の表情を浮かべて答えた。
「お前が魔明士にならないなら……それでもいいと思っていた」
“ぼくねえ……将来、パティシエになりたいと思ってるんだけど”
幻士郎の脳裏に、自分の言葉が甦った。
「魔明士にならなくとも、生きる道は沢山ある。お前はお前のやりたい事をやればいいし、現に跡取りが出ずに潰れた魔明士の家も沢山ある。時代が変わってきてるのだ」
「けど……ぼくが魔明士にならないと、お父さんたちの事を知ることはできないんだね?」
幻雲は頷いた。
「魔明士にはなるとしても、宗家戦を辞退できないの?」
「駄目だ。宗家戦を辞退したり、あるいは手を抜いて戦う事は、魔明士を全うする気がないと見做される」
「そうなると…記憶を消される?」
幻雲は黙って頷いた。
(そんな……ひどいよ。だって、ぼくのお父さんとお母さんのことだよ? どうしてぼくが知っちゃいけないんだよ。どうして戦わないと、知る事ですら許してもらえないの?)
幻士郎は俯いていたが、やがて肩を震わせると立ち上がった。
「そんなの――理不尽だよっ!」
幻士郎は居間を飛び出すと、自分の部屋に駆け込んだ。
幻士郎はベッドにうつ伏せになって、枕に顔を埋めていた。
(魔明士になるって事は、いつもあんな化け物になった人とかと戦うって事だ……)
幻士郎はカメレオンと化した二階堂の事を想い出した。伸びる舌先で舐められた感触。その攻撃で大樹が傷つく様。
さらに幻士郎は赤羽揺介と火高あかりの事を想い出した。
(それに、あの二人とも戦う…。そんな恐い事、ぼくにできるわけがない)
幻士郎はそう考えながらも、もう一つの胸の想いに気付いていた。
(お父さんとお母さんが…魔明士だったなんて――。それに六年前の事件は…ただの交通事故じゃなかったんだ。一体、何があったの? 魔明士にならないと、それを知ることはできないの?)
幻士郎は逡巡した。その時、部屋をノックする音が響いた。
「幻士郎くん、入っていい?」
水杜香澄の声だった。
「…うん……」
幻士郎は身体を起こすと、それだけ言った。ドアが開いて、香澄が入って来る。香澄はいたわるよう笑みを浮かべながら、幻士郎の隣に腰かけた。
「突然の話で…驚いたでしょう?」
「うん…。けど水杜さんは、前から知ってたんだね」
「そうね。わたしは水行氏の跡目だから」
「水杜さんは魔明士なんだよね? 恐くないの? あんな化け物と戦って」
「――恐いわ」
香澄は少し息をついて言った。
「けど、唆魔に憑りつかれた人は、そのままにしておけば本当の魔物になってしまう。それは人間としての死を意味するの」
「死ぬの?」
「そう。それに魔に唆されて、人を殺した人も大勢いる。そうならないように、魔を明かして封じるのが魔明士。私も思い悩んだ時があったけど――自分のすべき事として覚悟を決めたわ」
幻士郎は、そう言って微笑む香澄に感心した。
「水杜さんは強いね」
そう言った幻士郎を、香澄が強い眼差しで見つめる。
「……わたしは、幻士郎くんが、魔明士にならなくても…」
「――ならなくても…?」
その言葉の先を続けず、香澄は少しだけ首を傾けた。
「ね、幻士郎くん…本当にわたしのこと、全然覚えてないの?」
「うん……ごめんね。けど、きっと六年以上前に会ってたんだよね」
香澄は、微笑して見せた。
「わたしが魔明士になろうと思ったのは、幻士郎くんに助けられたからなのよ」
香澄はそう言って、幻士郎を見つめた。