火行の二人
オレンジ色の髪をした男は、口元に笑みを浮かべている。
と、男の姿が消えた。次の瞬間、幻士郎は目の前に迫る踵を、のけぞって躱した。男が回転後ろ回し蹴りを放ってきたのだった。
「く――」
鼻先をかすめる程の距離で男の踵が空を切る。その踵には、炎が宿っていた。男は続けざまに上段回し蹴りを放ってくる。幻士郎は右腕で、その蹴りをブロックした。
受けた瞬間、幻士郎の腕に火が燃え移った。
「むっ」
幻士郎は間合いを取る。男は不敵な笑みを浮かべ、幻士郎を見ていた。
「幻士郎くん!」
戦いに割って入ろうとした香澄の足元に、何かが飛来する気配を感じて香澄は飛び退いた。そこに三本の火でできた矢が突き刺さる。
もう一人の娘の方が、弓を構えていた。
娘はブラウンの髪をポニーテールにし、勝気そうな目つきで香澄を見ている。
「とりあえず、邪魔しないでもらえる~?」
ポニテの娘が、笑みを浮かべた。
幻士郎は腕に燃え移った炎を、額の方眼で見つめた。その炎が、幻士郎の内部から出てきた炎で打ち消される。
「方力だけは中々のようだな」
男が薄ら笑いを浮かべる。その左目の上が、縦に裂けて赤い光を放つ方眼が現れた。
幻士郎はその男に向かって声を上げた。
「お前たちは、何者だ! 何故、僕を狙ってくる?」
「そんな事、判ってるんだろうがよ」
男はそれだけ言うと、再び幻士郎に攻撃をかけてきた。
左右のパンチを、幻士郎は下がりながら腕で払う。が、下段蹴りを膝横に喰らった。
「くっ」
激痛に、幻士郎は顔を歪める。と、次の瞬間、男の姿が目の前で翻った。
「おらよっ!」
男の放った回転中段蹴りが、幻士郎の鳩尾に食い込む。
「おふっ」
幻士郎は後方へ吹っ飛ばされた。
「――幻士郎くん!」
香澄は声を上げて近寄ろうとするが、その行き先に火の矢が突き刺さる。香澄はポニテの娘を睨んだ。
「あなたたち、火行氏の者ね? いい加減にしなさい!」
「水行氏の者は、黙っといてもらえる~?」
そう歌うように言ったポニテの娘には、左鎖骨付近に赤い方眼が現れていた。
「火行が、水行に勝てるとでも思ってるの……」
香澄はポニテの娘を睨みつけると、薙刀の切先を向けた。
「氷嵐波!」
切先から白い冷気が発射される。ポニテの娘は顔色を変えるとと、その放射から逃げた。逃げながらもポニテ娘は、火の矢を放つ。今度は火の矢は、香澄の身体を直接目がけて飛んできた。
香澄が薙刀をすくい上げるようにして、火の矢を弾き飛ばす。そのまま八相に構えると、香澄は娘を急襲した。
冷気をまとう薙刀の切先が娘を襲う。一撃目を躱したが、香澄は下に振り下ろされた切先をそのまま落とすように、頭の上で振り返すと、半身を入れ替えてさらに追撃した。
ポニテの娘が、思わず手にした弓で薙刀を受ける。と、その接触点が、凍りつき始めた。
「フッ」
娘は笑みを浮かべると、その至近距離の間合いで弦を引く。手の中に炎の矢が現れ、その矢先が香澄に向けられた。
香澄は眼鏡の奥の眼で、鋭く娘を睨んだ。その瞬間、炎の矢が氷によって凍結されていく。
「嘘! そんなまさか――」
娘が驚愕の声を出した時、香澄は足を踏み替えるように半身を入れ替えながら、柄の方で娘の横腹を打ち付けた。
「あぁっ!」
脇腹をしたたかに打たれた娘が、そこに倒れ込む。香澄はその姿を見降ろしながら言った。
「五行相克。火行は水行には弱いわ。相性が悪かったわね」
オレンジ髪の男は、横目でそれを見ながら口元に笑みを浮かべた。
「チッ、ざまあねえな」
男は胸の前で手を交差させたかと思うと、それを大きく左右に広げた。掌には炎が乗っている。と、その炎が飛び火するように分裂し、男の背後に炎の輪ができた。
「行け! 灼熱爆炎弾!」
数個の火炎弾が、幻士郎に襲いかかる。幻士郎は腕を前に交差させて、身を守る姿勢をとった。
火炎弾が幻士郎に直撃し、爆炎をあげた。
「幻士郎くん!」
香澄が悲鳴をあげる。その煙が流れた時、幻士郎はまだそこに立っていた。その身体は、より強い炎に包まれている。が、その炎が消え、幻士郎が腕を下げた。
幻士郎の身体がふらつく。
「幻士郎くん!」
慌てて駆け付けた香澄に、幻士郎は身体を支えられた。その額から、方眼が消えている。
「あなたたち、どういうつもりなの!」
香澄は幻士郎の身体を支えながら、オレンジの髪の男を睨みつけた。オレンジの髪の男は、薄笑いを浮かべた。
「いや、敵は少ない方が勝負が楽になるだろ? なに、殺しゃしないさ、ちょっと怪我でもしてくれりゃあ済むことなんだよ」
「これ以上、幻士郎くんに手を出すなら、わたしは容赦しないわ」
香澄は眼鏡の奥の眼で、鋭く男を睨みつけた。
男が薄ら笑いを浮かべて、よろよろと自分の傍に依ってきたポニテ娘に声をかける。
「なあ、なんで水行氏の女が一緒にいるんだ?」
「多分、水杜家なんでしょう。紅道と仲がいいって聞いた事あるわ」
娘が口惜しそうな表情で、香澄を睨む。その時、幻士郎が口を開いた。
「勝負って……なんのこと?」
香澄に支えられながら、幻士郎は男に視線を向けた。
「君たちは誰? 君たちも魔明士なの?」
幻士郎の言葉を聞いた時、二人の顔に驚きが浮かんだ。
「…本気で言ってるのか?」
「あたし達の見当もつかないの?」
娘の言葉に、幻士郎は恐る恐る頷いた。途端に、オレンジ髪が笑い出す。
「なんだ、こいつは! こいつ、方力の使い方といい、何も知らないんじゃないか!」
「……聴いた事あるわ」
娘の方が、腕組みをして口を開いた。
「六年前、事故で紅道の家は再興不能になったって」
「は~ん……」
オレンジ髪はせせら笑いを浮かべた。
「じゃあ、こいつは六年前の父親の事件も知らないわけか」
「何のこと?」
幻士郎は、初めて彼の言葉に口を挟んだ。
「六年前の事って――ぼくの…お父さんの事、何か知ってるの?」
「幻士郎くん!」
香澄が幻士郎を制止しようとする。しかしその様子を見つつ、オレンジ髪は薄ら笑いを浮かべた。
「おっと、これ以上話したら禁を破ることになっちまう。まあ、お前にもいずれ判るか……あるいは、忘れるかさ」
「…どういうこと?」
オレンジ髪は、幻士郎を指さした。
「お前が魔明士になれば、きっと事実が判るさ。けど、もしそうなったら――お前はオレたちと戦うんだ」
「戦う? なんで?」
その幻士郎の問いには答えず、二人は幻士郎に背を向けた。
「待って! 君たちは――一体、誰?」
オレンジ髪が振り向いて名乗った。
「オレは赤羽揺介」
「あたしは火高あかり。――あんたの名前を訊いとくわ」
娘は憎々し気に、香澄を睨んだ。香澄は冷静な口調で答える。
「水杜香澄。水行氏の跡目よ」
「跡目!」
赤羽揺介の顔に、初めて驚きの色が現れた。と、その口元に、すぐに薄ら笑いが浮かぶ。
「なるほどね、道理で。フン、面白いじゃねえか」
揺介はそう言うと、踵を返した。あかりも香澄を一睨みして背を向け、二人は去っていった。
「水杜さん、二人の言っていた意味を教えて」
幻士郎は香澄に身体を支えられながら、至近距離で香澄に訊ねた。その潤んだ瞳を向けられた視線に、香澄が赤くなる。
「わたしから…話すわけにはいかないわ。もし知りたいのなら……幻士郎くんの家に行かないと」
香澄は赤くなった顔を背けるように、そう言った。