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まやかし幻士郎  作者: 佐藤遼空
第三話 討魔衆
14/30

姿勢と呼吸

 翌日になると、大腿の筋肉痛はだいぶ引いていた。

「よし、じゃあ背負子を担いで走って滝まで行け。水は――まあ、汲んでも汲まなくてもいい。帰りはゆっくりだぞ、いいな」

「はい」

 幻士郎は背負子を背負う。それだけでかなりの重量であり、肩に紐が食い込むようだった。

 しかしその状態で走り出す。山道を走ると、地面の凹凸が草鞋を通して感じられる。大変ではあったが、幻士郎は朝の山の空気の気持ちよさを、胸いっぱいに吸い込んでいた。


 水を10cmばかり汲むと、帰りはゆっくり下る。なんとか無事に帰りついた。

「よし、次は薪割りだ。もう要領は判るな」

 昨日の倍以上の量が、そこに用意されている。幻士郎はひたすら薪割りをした。滝までの水汲みと薪割りが終わる頃には、もう昼近くになっていた。

「よし、これを持て」

 九岳がそう言って渡したのは、たたまれた白い着物だった。

「今日は滝に入るぞ」

「また滝に行くんですか?」

「今日はもう少し速度を上げるからな。ついて来い」

 そう言うと九岳は走り出した。信じられない速さである。幻士郎は朝の自分の走りが、いかに遅かったかを痛感しながら、九岳の背を必死になって追いかけた。

「追うのに夢中になって、足元の注意を忘れるなよ!」

「はい!」

 幻士郎は意識を足に向けながら、必死に走った。


 やがて滝に着いた頃には汗だくになっている。幻士郎は言われた通り、持って来た白い着物に着替えた。それは白の着流しだった。

 同じように着替えた九岳が、滝つぼに入る。

「まず、入ってみろ。水の圧力は相当だから、首に気を付けろ」

 轟音の中、滝の真下に入った九岳の隣に並ぼうとする。その頭にごうごうと落ちてくる水が当たった瞬間、

「うっ、わ――」

 水の圧力が強すぎて、幻士郎は滝つぼに沈んだ。不意に襟の後ろを引っ張られて、滝の圧力下から移動させられる。

 猫のように襟を持たれて、九岳が幻士郎を掴んでいたのだった。


「頭から入るんじゃ駄目だ。何より、首に危険だ。背中を向けて丸くなって滝の下に入り、そこから立ち上がってみろ」

「は、はい」

 言われた通り、幻士郎は背中を丸めて滝に向ける。後ろ向きに歩くと、背中と腰に凄まじい量の水があたった。それを押しきって滝の真下に入ると、頭頂部に水を受けながら、幻士郎は立ち上がった。

「くぅ~~」

 凄まじい圧力に、頭と肩が上から押される。眼を開けておられず、顔が常に水浸しで、しかも常に押し潰されそうだった。

 しばらく耐えていたが、やがて水圧に弾かれるように滝の外に幻士郎は飛び出した。

「水が凄くて――立っていられませんっ!」

「うん、それが判りゃ上出来だ」


 九岳は何でもないように滝から出ると、滝つぼの外へ歩き地面に上がった。幻士郎もそれに倣う。

「一旦、元の作務衣に着替えろ。着流しはその辺の木にかけとけ」

 着替えた幻士郎に、九岳は言った。

「まず、お前に立ち方を教える」

「立ち方…ですか?」

 幻士郎は意味が判らず、そう訊き返した。

「そうだ。滝の下でお前が立っていられないのは、立ち方が弱い立ち方だからだ。滝の圧力に、筋肉で対抗しようとする。これでは長時間、あの圧力に耐えることはできない。筋肉ではなく、骨、姿勢で天地の圧力を己のものとする。それが武術的な立ち方だ」

「……どんな立ち方なんですか?」


「まず、その大きな木に背中を当ててみろ」

 幻士郎は言われた通りに大木に背中をつけて立ってみた。

「木と腰の間に、隙間があるだろう?」

「あります」

 幻士郎は自分の腰に、手を触れてみる。背中と尻が木に触れていて、腰には手が余裕で通るほど隙間があった。

「その隙間を無くすように、腰を前に入れろ。膝を軽く曲げて、尾てい骨を前に向ける感じだ」

 幻士郎は腰を前に出して、背中を触った。木との隙間はかなり狭いものになっていた。

「その腰の形を維持して、頭頂部から糸で吊られてるように、立身中正を保て。背中から腰まで真っすぐに伸びて、腰は足の自由度を増す形だ。その姿勢が、能や狂言でも使われてる姿勢だ」

「そうなんですか」

 幻士郎は感心した。


「もう一つ、姿勢を作る方法を教えてやろう」

 九岳はそう言うと、小屋の窓際に置かれていた縁台に腰かけた。

「座ってみろ。そしたら、まず適当にそこから立て」

 幻士郎は言われた通り縁台から立つ。

「今の姿勢の感じを覚えておけ。次は座ったら、頭を下に下げて、両手を地面に伸ばせ。そして両手を下に下げたまま、腰を上げろ。そして上半身を起こす」

 幻士郎は言われた通りの立ち方をした。

「どうだ、違いが判るか?」

「判ります。腰を入れたさっきの立ち方に近い姿勢になってます」

「その姿勢を維持して、動けるようになるのが重要だ。強い立ち方が、強い力を生み出す」

 そう解説した九岳に、幻士郎は疑問をぶつけてみた。


「けど師匠、学校ではこんな姿勢、習いません」

「学校が教えるのは、近代化以降に西欧の物まねで輸入した、全身を緊張させて硬直した姿勢だ。日本には古来からの、最も動くのに適切な姿勢というものが継承されている。お前はそれを学べ」

「はいっ」

 幻士郎はその姿勢を維持しながら、あちこちと動いた。股関節が前に向いた状態は、細かい動きができる事を幻士郎は再認識した。

「じゃあ、もう一度着替えて、滝に入ってみろ。筋肉で滝に耐えるんじゃなく、骨格と姿勢で滝と一体化しろ」

「判りましたっ」

 幻士郎は滝つぼに入り、滝の下で立ち上がる。今度は姿勢で滝の圧力に耐えるため、滝の圧力にも耐えて立ち続けることができた。

「水の圧を意識するな。水の流れの一部になるつもりになれ」


(水――)

 幻士郎はそう意識した途端、水杜香澄のことを想い出した。

(水杜さん――ぼくを助けようとして…石になった)

 眼鏡をかけた香澄の、様々な表情が頭に浮かんできた。

 幻士郎を助けて現れた時の顔。その後の微笑み。唆魔多怪と戦う時の、凛々しい表情。大樹に対しての澄ました表情。幻士郎のお弁当を見た時の、驚きの表情。

(ぼくが必ず……助けるんだ)

 滝の中で、幻士郎は茫漠とした意識で考えた。感覚が無くなってきている。幻士郎は水と一体化したような気がしていた。

「あ――」

 不意に、滝から引っ張り出され、幻士郎は滝つぼの底に手をついた。九岳の声が飛んだ。

「冷えすぎだ。低体温症で死ぬぞ」

「え……?」

 九岳に引っ張られ、幻士郎は陸に上がった。


 身体が冷え切っている。ガタガタと震える身体を自分で抱きしめ、小さくなって縮こまった。

「濡れた着物を着替えろ。寒くなって出てくるかと思っていたが……これを羽織っておけ」

 幻士郎は歯の根が合わずガチガチといわせながら、濡れた着物を着換えた。九岳がよこしたのは、自分の作務衣だった。それを急いで着込む。しかし、まだ寒気は収まらない。

「寒い……」

「まだ早いと思ったが仕方がない。爆発丹田呼吸を教える」

「ばくはつ?」

 幻士郎は首を傾げた。

 目の前に九岳が胡坐で座り込む。人差し指と親指で輪を作り、それを軽く膝の上に置いた。

「同じポーズをとれ」

 幻士郎は言われた通りにする。


「まず普通の腹式呼吸をしろ。息を吸った時に腹を膨らませて、息を吐きながら腹を凹ます。――そうだ。鼻で息を吸って、口で吐く。それを大きく、1,2,3,4,5のタイミングで、最後の5を強く吐き出せ。その時、腹を凹ませるのではなく、逆に膨らみを維持して吐き出すんだ」

 幻士郎は言われた通りやってみた。1から4までは普通の腹式呼吸。しかし最後の5は、腹に力を入れて、膨らんだまま吐き出す。

「いいぞ、もっと強く。全身の空気を吐き出すつもりで、最後に吐き出せ。その勢いが、全身に熱として駆け巡るイメージを持て」

 強く。もっと強く。そう意識しているうちに、幻士郎は身体が熱くなっているのに気付いた。もう、震えもないし、歯も合っている。


「よし、今度は立ってそれを実行しろ。座っていると自然に腹式呼吸になるが、立っている時は意識しないとできないぞ。立ち方は無論、教えた通りの立ち方だ」

「師匠、熱いです」

 幻士郎は師匠の大きな作務衣を脱いで返した。立って言われた通りの呼吸を繰り返す。全身から汗が出るのではないかと思うほど、身体が熱くなってきた。

 九岳が不意に、幻士郎に手を伸ばす。ヘソの下あたりに、掌を当てている。九岳が静かに息を吸い込んだ。

「ハッ」

 九岳の気合と共に、幻士郎は全身が一気に燃える程熱くなるのを感じた。


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