魔導和士・白川博子
幻士郎は地面に伏したまま、泥弾を弾いた跡を見た。何かが空中に浮いている。
「……クラゲ?」
お椀をひっくり返したような透明な身体に、ぞろぞろとなびく足。大きさが30cmくらいの大きめのクラゲが、空中を浮遊している。幻士郎はその場に歩み寄ってきた人物に眼を向けた。
ロングの黒髪をなびかせ、白川博子がそこに立っていた。
「――大丈夫、幻士郎くん?」
「先生……どうして此処に?」
白川博子は、にっこりと微笑した。
「それはね、唆魔妖が現れたからよ」
博子はそう言うと、左掌を牙羅蛇に向けた。するとクラゲが十数体に分裂し、牙羅蛇に向かっていく。牙羅蛇は泥弾を撃ち出すが、クラゲはそれを受けても構わずに牙羅蛇に突進した。
「くっ、こいつら!」
移動して躱そうとする牙羅蛇の身体にクラゲが三体憑りつく。さらにクラゲは、電撃を放った。
「ぐわわぁっ!」
牙羅蛇は叫び声を上げた後、身体を震わせてクラゲを振り払った。
それを見ながら幻士郎は、震える足でよろよろと立ち上がった。
「白川先生も……魔明士?」
博子は幻士郎を振り返ると、微笑した。
「いいえ。わたしは魔導和士」
「まどわし?」
「――くっ、相性が悪い!」
牙羅蛇が吐き捨てるように口にする。その瞬間、牙羅蛇は腕を振って、飛来して来た火炎弾を弾き飛ばした。
「相性なんか関係あるか。お前はオレが討魔する!」
そこに現れたのは、オレンジ髪の赤羽揺介だった。さらにその後ろから、ポニテの火高あかりが姿を現す。
「ちょっと、抜けがけはなしね~」
あかりは火矢を引き絞ると、牙羅蛇に向けて放った。牙羅蛇は泥弾でそれを迎撃した後、呟いた。
「――くそ、魔導和士に魔明士が二人…。ここは分が悪いか」
牙羅蛇は踵を返すと、屋上の柵に向かって駆け出した。
「逃がすか!」
揺介が追おうとするが、その足元に泥弾が飛来する。揺介は急停止してそれを躱し、すぐさま駆け出す。が、その足が床に沈んだ。
「なに!」
校舎のコンクリートの床が、泥のように柔らかくなっている。同じように後を追おうとした火高あかりも、同じように足を捕られていた。牙羅蛇はその隙に柵を飛び越え、校舎の屋上から姿を消した。
「くそっ、あいつはオレの獲物だ!」
「ちょっと、あたしを忘れないで!」
揺介とあかりは屋上から降りる階段へ駆けていく。残された幻士郎は、辺りを見回した。
「あ……杉田朱美さん?」
そこには地蜂唆魔多怪と化した朱美の姿も消えていた。幻士郎の傍へ博子が歩み寄ってくる。
「大丈夫、幻士郎くん?」
博子が丸薬を手渡す。それは以前に香澄から渡されたものと同じものだった。
「復癒丸よ。体力と方力が回復するわ」
「知ってます、前に水杜さんにもらったんで――」
そう言いながら、幻士郎は石化した香澄を見た。石化した香澄は、完全に固まっている。
「水守さんは……ぼくを庇って――」
幻士郎は涙ぐんだ。それを見た博子が、慰めるように微笑を浮かべる。
「仕方ないわ。相手は上級の唆魔妖、しかも相性が悪かった」
「そう言えば…あの二人は――」
幻士郎は復癒丸を呑みながら、揺介とあかりのことを気にかけた。
「まあ、あの二人なら大丈夫でしょう。もし討魔してくれれば、水杜さんも元に戻るはず。けど……ちょっと難しいかな」
そう言うと博子は、掌を天に向けた。その手の先にクラゲが現れる。それは次第に大きくなり、3mはある巨大なクラゲとなった。
「先生、それは…?」
「わたしの役魔。わたしたち魔導和士は霊力を元に討魔するけど、場合によっては唆魔を絆帯して役魔にする。もちろん浄霊化した後でね。で、役魔は特殊な力を持つものがいるから、それを使うのよ。こんな風にね」
博子はクラゲを上空へと飛ばした。上空に浮いたクラゲは傘のように足を広げた。そこから白い糸のようなものがドーム状に広がる。それは学校全体を覆う大きさとなった。
「わたしの役魔、天クラゲは大きな結界を作り、その中で霊的な影響を浸透させることができる。わたしは今から生徒たちの記憶から、唆魔に対する部分を削除しなければいけない。今回は、被害にあった人が多すぎるわ」
「先生、水杜さんは……」
「わたしの方から討魔衆の本部へ連絡しておくわ。もしかしたら、上級の魔明士の力で石化が解けるかもしれない」
「それができない時は…あの牙羅蛇を討魔しないと、水杜さんは元に戻らないんですね?」
「まあ、そうね、けど、隠れた相手を探すのは中々難しいことだわ。あの地蜂唆魔多怪も、何処に行ったか判らないし」
「――杉田朱美さんなら、何処にいったか判ると思います」
幻士郎の言葉に、博子は目を見張った。
「本当?」
「はい…。こんなに無軌道に人に悪意を振りまいたなら……次に誰を襲うか想像がつきます」
沈んだ顔でそう告げる幻士郎を、博子は強く見つめた。
「幻士郎くん、水杜さんがこんな事になって気落ちするのは判るわ。けど、水杜さんは魔明士になった時に、覚悟を決めていたはず。そんな危険も顧みず、彼女がやろうとしていた事を想い出して」
「水杜さんは……唆魔多怪を討魔しようとしていた――」
幻士郎は香澄のくれた懐刀を見つめた。やがて幻士郎が口を開く。
「先生、杉田朱美さんは、自分の両親を襲うと思います」
「え? 親を?」
「はい。『誰もあたしの事を、本当に大事にしない』…そう言ってました。一番の恨みは、一番自分を愛してほしかった人に向けられてるはずです。――先生、ぼく杉田さんを止めます!」
幻士郎は駆けだした。その背中に博子を声をあげる。
「待って! あなたは傷ついた後だから、討魔衆に任せて!」
幻士郎はその制止を振り切って、階下へと駆け下りた。
*
学校からそれほど遠くないマンションに幻士郎は来ていた。
調べた住所である305号室の前に立つ。ドアノブに手をかけると鍵がかかっていない。幻士郎は中に入った。
「あ――」
部屋の中を、地蜂の式魔が恐ろしい量で飛び交っている。その床に、地蜂が密集する塊が二つあった。幻士郎は懐刀の先端から、火炎弾を発射した。
炎に焼かれて、密集した地蜂が飛散する。その下から、中年の男女が現れた。二人とも頬がこけ、生気をとられたように衰弱している。幻士郎はその二人に駆け寄った。
「しっかりしてください!」
「……なんだ? お前」
その幻士郎の姿に、部屋の奥にいた地蜂唆魔多怪が声を出す。幻士郎はその地蜂を悲しみのこもった眼で見つめた。
「この二人は……あなたの両親でしょ? このままじゃあ…本当に死んじゃうところだったよ」
「そんな奴ら、死んでしまえばいいのさ!」
地蜂はそう怒声をあげた。
「親父はよそに女つくって、家には帰ってこない。ババアはそれを知ってるのに、暮らしていけなくなるから離婚しようとしない。それで二人とも家では顔も合わせないし、口もきかない。あたしは……独りでメシ喰って、独りで寝るんだ。こんな偽物の家族、死んじまえばいいんだ!」
「……そうじゃないよ…」
幻士郎は悲しみの表情のまま言葉をかけた。
「あなたは…ただ、家族で仲良くしたかっただけでしょ? 決して、壊したり、殺したりしたかったんじゃない。もう…止めようよ」
「うるさいんだよっ!」
地蜂の式魔が一斉に幻士郎に襲いかかる。幻士郎は方眼を現すと、火炎障壁で地蜂を防御した。
しかし、呪力の強い地蜂の式魔の絶え間ない攻撃に、火炎障壁を維持するのも至難の技だった。
(まずい……耐え切れないかもしれない)
幻士郎は焦った。
(障壁を解く一瞬で、一撃を入れないと)
幻士郎は懐刀を持つと、青眼に構えた。
「破っ!」
障壁を解いて一気に詰め寄り、突きを繰り出す。しかしその先にあったのは、地蜂の壁だった。
「しまった!」
刀が阻まれた、と思うと同時に、その顔に、身体に地蜂から針を刺し込まれる。霊気を蝕まれる感触に、幻士郎は倒れ込んだ。
「ハッ! おためごかしは沢山だ!」
地蜂唆魔多怪が気勢をあげると、針へと変えた腕を直接、幻士郎に向けて突進して来た。幻士郎は敗北の予感に身を固くする。しかし、目をつぶって待った攻撃はこなかった。
「……なに?」
見上げると、地蜂が固まっている。やがてその姿が杉田朱美に変わり、口から影が飛び出した。その影を打った者がいる。
その刀を持った男は、険しい顔で幻士郎を見下ろした。




