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まやかし幻士郎  作者: 佐藤遼空
第一話 幻士郎、覚醒
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紅道幻士郎

 校門へと向かっているのは談笑しながら歩く、女子生徒の集団である。しかしその中に一人だけ、小柄な男子生徒が混じっていた。

「今日も、幻ちゃんのケーキ、美味しかったねー」

「そう? 良かった。けどチョコレートの扱いって難しいよね」

 そう言って男子生徒――紅道(くどう)(げん)士郎(しろう)はにっこりと微笑んだ。


 顔だけ見れば美少女かと思うような可憐さである。

 少し茶色めのサラサラな髪。整った面立ちに細い顎。マツエクなしでも目立つほどの長い睫毛の下に、何故かいつも光沢を放っている大きな瞳。

 周囲の女子に決して負けてない顔の造作である。幻士郎は周囲の女子に溶け込んで談笑していた。

「そうは言っても、幻ちゃんのチョコ・デコレートは完璧でした」

「熱の扱いが上手っていうかね。幻ちゃんて、火加減が上手なんだよなあ」

「そうそう、一番いいところで、いつもちゃんと止めてる。だからスポンジも、焼き上がりのふっくら感が凄いのよねー」

「いやあ、嬉しいなあ」


 幻士郎は相好を崩した。幻士郎はお菓子同好会のメンバーである。メンバーの男子は幻士郎一人。けど、そんな事は気にせず、幻士郎はお菓子造りを楽しんだのだった。

 校門を出たところで、幻士郎はふと視線の先に一人の男子学生を見つけた。

「あ、ぼくここで帰るね。じゃあね」

「じゃあねー、幻ちゃん」

 手を振る女子たちに手を振り返すと、幻士郎は先を行く男子に走って追いついた。

「大ちゃん、今、帰り?」

「お、幻士郎か。今日はーーお菓子同好会か」

 声をかけられた男子学生が、後ろを振り返ってそう言った。

「うん。大ちゃんは空手部の帰りだね」

 幻士郎は男子学生の隣に、嬉しそうに並んだ。


 男子学生は若月大樹。幻士郎の幼馴染である。

「お前、いっつも甘い匂いすんな」

「お菓子造った帰りだから。食べる? チョコクッキーあるよ」

 そう言うと幻士郎は手提げ鞄から、ごそごそとクッキーを取り出した。

「はい」

「サンキュー」

 大樹が無造作に口に放る。食べる様を嬉しそうに見ていた幻士郎だが、大樹が呑み込んだ後にため息をつくのを見て目を丸くした。

「どうしたの? 美味しくなかった?」

 大樹は首を振ると、がくりと首をうなだれて幻士郎の肩に腕を置いた。

「甘さが沁みる……」


「えぇ?」

「聞いてくれよ、三年の高坂美麗先輩…やっぱり、相模部長とつきあってたんだぜ!」

「あ~……」

 幻士郎は苦笑して見せた。

「入学以来、入部して二ヶ月。おれは美麗先輩に見てもらおうと必死に頑張ってきたのに!」

「え、個人戦出たいからじゃなかったの?」

「いや、それもあるけどさーー」

 大樹がそう言った時、不意に後ろから追い越していった人物が振り返った。

「若月!」

 振り返ったのは、強面の男子生徒である。


「あ、二階堂先輩、お疲れ様です」

 大樹は軽く挨拶をしたが、声をかけられた二階堂の方は、怒りのこもった目を大樹に向けたままだった。

「俺はお前が代表だなんて認めてない。お前を認めた部長も、俺は認めないからな」

 二階堂は憎々し気にそれだけ言うと、歩き去っていった。

 幻士郎が心細げに口を開く。

「大ちゃん、大丈夫、あの人?」

「気にしてないよ、おれの方が強いし」

「もう。そんな事言ったら、余計な恨み買うからねっ。ちゃんと気をつけて」

 そう言って幻士郎は、唇を尖らせた。その様子を見て、大樹が口を開く。

「……お前、本当に可愛い奴だな。女の子だったら、ほんと彼女にしたのに」

「残念だったねっ」

 幻士郎は笑ってみせた。


   *


 降ってきた木刀を(しのぎ)ではすかいに受け、相手の木刀を逸らしながら自分の木刀を相手の喉元に差し込む。それを察した相手が後退するところを追い込む。相手が木刀を払うのを上段に振りかぶって躱し、がら空きになった頭へ打ち込む。

 幻士郎の木刀が、ピタリと祖父の白髪頭の上で止まった。

「うむ、今日はここまで」

 短くした白髪の相手は、幻士郎の祖父・幻雲である。痩身の体躯は年齢とは裏腹に引き締まっており、顔には武人らしい厳しさがにじみ出ていた。


 向かい合って座ると、幻雲は小箱を幻士郎に差し出した。

「明日はお前の十六歳の誕生日であろう。これをお前に譲る」

「え? お爺ちゃん、誕生プレゼントだったら誕生日に送るもんだよ」

「それでは遅い。いいから開けて見なさい」

 幻士郎は黙って小箱を開けた。中には、鎖がついた木のブローチが入っている。そのブローチの中心は、大きめの赤い宝石のような石が嵌められていた。


「これ何? お爺ちゃん」

「火蓮石だ。火蓮真機流の継承者が持つ物だ」

「お爺ちゃん! こんなの貰えないよ。だって、ぼくの武技は、まだ全然、未熟だし」

「それが判ってるならいい。とにかく持ってなさい。特に、明日は肌身離さず身に着けるのだぞ」

 幻士郎は納得しかねる表情をしながらも、そのブローチを受け取った。


 稽古が終わった後に、幻士郎は夕飯を並べた。夕食を作るのは、いつからか幻士郎がやるようになっていた。食事造りは苦にならず、むしろ好きだったからである。

 カレイの煮つけを食べる祖父に、幻士郎は言った。

「ねえ、お爺ちゃん」

「なんだ」

「ぼくねえ……将来、パティシエになりたいと思ってるんだけど」

「パテーーとは何だ?」

「ケーキを作る人だよ」

 幻士郎はにっこりと微笑んだ。しかし幻雲の渋い表情を見て、真顔に戻る。

「……駄目かな?」

「いや、お前がそう思うのなら、それでいい」

 幻雲は、幻士郎を見つめながら、そう言った。


   *


 重苦しい。全身が重い泥に浸かっていて、自由に動かすことができない。

 泥がまとわりついて、呼吸をする鼻も口も上手く息を吸い込めない。息苦しさを感じながら、幻士郎はただ手足をばたつかせたもがいた。

「――苦しいのかい?」

 不意に、幻士郎の耳の傍で、微かに息を吹きかけるような囁き声がした。

 幻士郎は驚いて、声のした右を振り向いた。

 何も…誰もいない。

「お前は、私のものだよ」

 今度は背後から声がする。幻士郎は恐ろしさに身を強張らせた。


 二本の手が、背後から回され幻士郎の身体を包む。

(冷たい腕だ)

 手は幻士郎の身体を撫でまわしていた。

「や…やめて……」

 幻士郎はその腕を捉えると、身体から引き離した。振り返って、自分を捕らえていた者を見る。

 紅い、三ヶ月のように微笑む唇。

 腰まである長く伸びた銀髪。その直毛の隙間から、黒い、闇のような眼がこちらを覗き込んでいた。

 恐怖を感じながらも、幻士郎は問うた。

「あなたは…誰?」

「くりゅう」

 唇が、さらに弓なりに反る。


 幻士郎は恐ろしさに、背を向けて駆け出した。

「――わぁっ」

 目覚めた。身体を起こした幻士郎は、自分が夢を見ていた事を理解した。しかし、布団の上ではない。

「……何処?」

 頬に砂がついている。立ち上がった幻士郎は自分がパジャマのままで、しかも裸足で来たことに驚いた。

 辺りを見回す。見覚えのある公園だという事は判った。

(なんでこんな処に? ぼくが…自分で歩いてきたの?)

 疑問に囚われながらも、幻士郎は急いで家に戻った。

 

   *


 幻士郎と大樹は同じクラスの、前後ろの席である。前の席が大樹で、その後ろの席が幻士郎だ。窓際に並ぶ二人は、初夏の風が入り込む教室で話していた。

「なんだかお前、疲れた顔してない?」

 大樹の言葉に、幻士郎は笑ってみせた。

「ちょっと夢見が悪かったせいかも…。ね、それより今日、何の日か知ってる?」

「何? なんか特別なことあるの?」

 大樹の問いに、幻士郎は微笑んだ。

「いや…そんな特別でもないんだけどねーー」

 幻士郎がそう言って少し頬を赤らめた時、教室の外から一人の生徒が入ってきた。


「大樹!」

「おう、翔平か。どうした?」

 席まで寄ってきた翔平は、大樹に向かって声を上げた。

「聞いてるか? 部長が昨日、大怪我をしたらしいぞ」

「昨日? 一緒に部活やったじゃないか」

「いや、なんでも夜中に呼び出されたらしい。全身打撲で入院していて意識不明なんだって」

 大樹は驚きに眼を見開いた。が、傍で聞いていた幻士郎も、かすかに息を呑んだ。

「で、今日はとりあえず部活は中止だって。それを伝言するように言われて来たんだ」

「そうか。ご苦労さん」

 そう言って去っていく翔平に、大樹は手を上げて見せた。

「……なんか、大変なことになったね」

「そうだなーー」


 大樹は渋い表情をしていたが、ふいに幻士郎に視線を向けた。

「そうだ! 思い出したぞ、今日はお前の誕生日じゃないか」

「へへー、当たりぃ」

 幻士郎が笑って見せると、大樹が言った。

「そうだな…今日は部活休みだっていうし、二人でどっか遊びに行くか」

「いいの?」

 幻士郎の問いに、おう、と答えた大樹に、幻士郎は笑顔で言った。

「それじゃあね、新しくできたパティスリーがあるんだ。そこに行ってみない?」

「なんだ、パテーーなんとかって?」

「ふふ、お爺ちゃんと一緒」

 幻士郎は微笑んだ。


 放課後、二人は街中へ出かけ、スポーツ用品店や雑貨店を覗いたり、お目当てのパティスリーでケーキを食べたりした。帰る頃には、もう夕暮れが差し始めていた。

「――結構遅くなったな」

「そうだね、楽しかったね。大ちゃん、ありがとうね。ぼくの誕生日に付き合ってくれて」

 微笑みかける幻士郎に、大樹はふと立ち止まった。

「そうだ、忘れないうちに渡しとくよ」

「なあに?」

 大樹が鞄の中から、リボンのかかった小箱を取り出す。

「ほいよ、誕生日おめでとう」

「え! さっき買ってたの、ぼくにだったの? ありがとう、大ちゃん……」

 幻士郎は感動に目を潤ませながら、大樹を見た。その可憐さに、思わず大樹は赤くなって目を逸らす。

「別にそんな、大したもんじゃないからさ」

「嬉しい、大事にするねっ」

 幻士郎がそう微笑んだ時、不意に二人の元に影が差した。


 夕暮れに長く伸びた影の先に、男が立っている。

「楽しそうだなあ、おい」

「二階堂先輩…」

 それは大樹の先輩、二階堂であった。大樹は少し顔をしかめながら、二階堂に言った。

「今日は稽古休みだったんだから、何しようと自由でしょ。先輩こそ、部長のお見舞いとかいいんですか?」

 その言葉を聞いた時、二階堂が口元を歪ませた。

「部長はな……俺がやったのさ!」

 大樹は顔を険しくした。

「まさか…けど、部長がそんなに簡単にやられるはずない」

「大したことなかったよ。命乞いして謝ってたぜ。ひぃひぃ泣いてなあっ」

 愉快気に笑みを浮かべる二階堂に対し、大樹は怒りの顔になった。

「あんた……」

「そして、お前もそうなるんだよ!」


 その瞬間、二階堂の顔に異変が起きた。

 顔が突然、ぼこりと内側から膨らむ。その眼が飛び出るかのように大きくなったかと思うと、顔の外側へ離れていく。頭髪がなくなり、代わりに緑色の頭がそこに現れた。

「……カメレオン?」

 大樹はその姿を見て呟いた。確かにその頭はカメレオンのようで、二階堂は離れた目を別々にぐりぐりと動かしていた。

「だ、大ちゃん……」

 幻士郎が恐ろしさに声を洩らす。大樹は幻士郎を庇うように前へ出ると、微かに後ろを向いて声を上げた。

「幻士郎、逃げろ」

「けど、大ちゃんは……」

「いいから逃げろ!」

 大樹の言葉に押されるように、幻士郎は背後に向けて走り出した。


「カッコイイなあ、お前」

 嘲るように二階堂が口にした瞬間、大樹は凄まじい衝撃を腹部に受けて、後方へ吹っ飛んだ。

 走っていた幻士郎の足元に、吹っ飛ばされた大樹が倒れ込む。

「大ちゃん! 大丈夫!」

 幻士郎は倒れた大樹にしゃがみ込んだ。

「な…んだ、今のは」

 苦痛に顔を歪めながら上半身を起こした大樹は、二階堂が長い舌をうねらせながら近づいてくるのを見た。

 しゅるるるとその舌が引っ込む。大樹は立ち上がった。


「へっ」

 カメレオンの舌が凄まじい速さで飛んでくる。大樹はその舌を、下段受けで叩き落とした。

「やるねえ。部長は一つも受けられなかったがな。けど……これならどうだ!」

 カメレオンが連続攻撃を放つ。その攻撃は大樹の膝、脇腹、右肩、左頬を立て続けに打ち込まれた。

「ぐぅっっ」

「どうだ? 命乞いして謝れよ、『いい気になって、すみませんでした』ってな」

 大樹は何も言わず、ただカメレオンと化した二階堂を睨みつけている。その様子に業を煮やしたカメレオンは、突然、舌を伸ばした。

「あっ、あぁっ!」


 その伸ばした舌は、幻士郎の身体を捉えていた。幻士郎を捉えた舌は、幻士郎の身体に巻き付いて宙に浮かべている。

「お前が謝らないなら、こいつを絞め殺してやる」

「止めろっ! 幻士郎には手を出すなっ!」

 大樹は叫んだ。その間に、カメレオンの舌は幻士郎の首に巻き付き、その頬を舐め回していた。

「うっ…うぅ……」

 幻士郎が呻き声を上げる。カメレオンは笑い声とともに、大樹に向かって言った。

「土下座して、地面に頭をつけて謝れ! こいつが死んでもいいのか!」

 カメレオンの声に、大樹は地面に跪くと頭を地面につけた。


「……いい気になって…すいませんでした……」

「ハッ、ざまあねえなあっ!」

 カメレオンは幻士郎の身体を地面に捨てると、舌を鞭のように振り上げて上から大樹の背に叩きつけた。

「ぐっーー」

「痛いか? その痛みで、自分の弱さを思い知れ!」

 伸びる舌が、何度となく大樹の身体を打ちのめす。しかし大樹は、打たれながらも声を上げた。

「弱いのは……あんたの方だ…」

「あん?」

「自分の弱さを認められず……怪物の力に頼るあんたは、いつまでたっても本当に強くなることはできない……」

 カメレオンの顔色が、憤怒に変わった。

「貴様ッ! 殺してやるっ!」

 舌は大樹の首に巻き付き、そのまま宙吊りにした。

「ぐ……」

 もはや大樹は、呻き声をあげることさえできなかった。


 身体を起こした幻士郎は、顔色が変わっていく大樹を見て悲鳴を上げた。

「大ちゃん! やめて! もう、やめてっ!」

 しかしカメレオンは、聞く耳ももたず大樹の首を締め上げていく。幻士郎は泣きながら叫んだ。

「やめて、大ちゃんが死んじゃう!」

 幻士郎は立ち上がった。大樹の顔が青黒くなってきている。もう、意識もあるか判らなかった。

「やめろぉっ!」

 幻士郎が爆発的な叫び声を上げた。その瞬間、幻士郎の身体が赤い光に包まれる。

 と、次の瞬間には、幻士郎は大樹の傍でカメレオンの舌を掴んでいた。

「なに? いつの間にーー」

驚愕するカメレオンをよそに、幻士郎の手が炎に包まれた。


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