藩公上洛(9)
二本松藩の泰平の眠りを醒ましたのは、尊皇攘夷の嵐だった――。
文久2年、思いがけず名家を継いだ二本松藩の番頭、大谷鳴海の視点から二本松藩内における幕末動乱、そして天狗党騒乱について描きます。
【主要登場人物】
大谷鳴海……主人公。義弟の縫殿助の死により彦十郎家を継ぎ、詰番・番頭と出世していく。
<彦十郎家>
りん……鳴海の妻
二階堂水山(信義)……鳴海の義兄であり、先代彦十郎。鳴海の父親代わりを務める。
二階堂衛守……鳴海の義弟
大谷信吉(養泉)……鳴海の実父
玲子……水山の妻。鳴海の養母
志津…… 鳴海の義姪
那津…… 鳴海の義姪
<上司・同僚>
大谷与兵衛 …… 六番組番頭。大谷家本家の当主
大谷志摩 …… 詰番。与兵衛の息子
丹羽丹波 ……二本松藩家老座上
日野源太左衛門 …… 二本松藩家老
丹羽和左衛門 ……郡代
丹羽新十郎…… 郡代見習い。和左衛門の養子
羽木権蔵…… 郡代
丹羽一学 …… 番頭。後に家老に出世
樽井弥五左衛門 ……詰番
種橋主馬介…… 四番組番頭
小川平助…… 山鹿流の兵法学者。出陣時には物頭も務める
三浦十右衛門(義制)…… 藩の砲術指南役
種橋主馬介…… 四番組番頭
日野大内蔵…… 二番組番頭
成田外記衛門……日野源太左衛門の使番
佐倉源五右衛門…… 六番組使番。弓術の達人
小澤長右衛門……江戸藩邸詰
<五番組の部下>
大島成渡……弓術・剣術や経済感覚に優れている
笠間市之進 …… 糠沢組代官
丹羽権太左衛門 …… 長柄奉行
水野九右衛門…… 五番組物頭
原兵太夫…… 弓術師範の免状持ち。旗奉行も兼任する
杉内萬左衛門……鍛冶奉行。奥右筆も兼任
小笠原是馬介……手働衆の一人。伊東流槍術が得意
大谷右門……与兵衛の次男
井上勘右衛門…… 五番組使番
松井政之進…… 五番組使番
<二本松藩内の勤皇思想家>
藤田芳之助……剣豪として知られた藤田三郎兵衛の孫
三浦権太夫(義彰)……丹波や藩公にも直言を辞さない
安部井清介……父子共に勤皇思想の持ち主。
<商人>中島黄山(長蔵)……二本松藩の御用商人。城下で蚕種業を営む
宗形善蔵……針道の富豪。生糸の買付問屋を営む傍ら、貸金業も営む
<水戸藩・守山藩関係者>
猿田(田中)愿蔵……水戸藩の郷校時雍館の代表。天狗党
藤田小五郎……水戸藩の改革派、藤田東湖の四男。天狗党
三浦平八郎……守山藩の顔役
武田耕雲斎(伊賀守)……水戸藩執政
山野辺義芸……助川海防城主。元水戸藩執政
<水戸藩関係者(諸生党)>
戸祭久之允……大沼海防陣営掛
寺門登一郎……元博徒。太田より出陣し、民兵を率いて戦う
内藤弥太夫……太田守備隊軍監。日立方面の天狗党討伐責任者。
相羽九十郎……山下防御掛
佐治七右衛門……太田御殿固め役
筧助太夫……水戸藩家老
市川三左衛門……諸生党筆頭の水戸藩家老。
<その他>
丹羽長国……二本松藩第十代藩主
水野勝知(日向守)……長国公の実弟。結城藩主
――安達太良からのおろし風に時折氷の礫が混じり始めた頃、ようやく鳴海が待っていたものが届いた。三浦十右衛門からの手紙である。
最後にあった手紙の差出の日付を見ると、「十月廿日」とあるから、二本松藩の面々も着京後、それなりに多忙だったのだろう。
鳴海よりも余程達筆な字で書かれた知らせは、鳴海が期待していた以上に細かな情報が記されていた。その文面は、次のようなものである。
大谷鳴海殿
此度一同無恙十月三日着京仕候而藩邸些カ手狭相成候処在京留守居役者立本寺宿営之儀手配之次第ニ相成候即チ寺之者等大ニ我々ヲ饗応致候
尚同日薩摩島津三郎君上洛之風聞有之候
五日我等建春門警衛被命續一五日下鴨より鞍馬口迄警衛被命候此ハ出石藩并ニ仙台藩ト交代之為也
或ハ鳴海殿江戸ヨリ早馬以及聞去八月一八日長州帝ノ御不興奉蒙会津肥後守様所司代稲葉長門守様御一同長州藩士及ヒ不忠之卿ヲ洛中ヨリ可追放之事奉御決意候然モ未ダ洛中於不逞浪士之徒潜伏風聞有而会津中将様ノ命ニ因リ壬生浪士市中巡邏シ町奉行止宿人ヲ調査仕之由ニ候我等一同モ引締気也
六日天朝藩士浪士等公卿堂上間周旋遊説ヲ奉禁候其為未ダ不聞水戸浪士活況会津藩亦自ラ見廻組ヲ巡邏使也
先日中島黄山殿立本寺之宿舎ニ参候鳴海殿御存知ノ如ク黄山殿誠知己ノ多キ御仁ナレバ丹波様ニ被仰附猶上方情勢探索致候私聞去月廿九日於大和五条黄山殿天誅組一行ト遭遇致次第ニ候其一同高取城ヨリ敗退ノ由也私懸念致ハ一行中二十歳頃見目美麗浪士之姿有亦芳之助ト思キ姿有ト黄山殿申サレ候
拙者モ昨日於木屋町辺芳之助ニ能ク似男見掛次第候或ハ人違ト雖モ我憂慮此致候
先ツハ御報告迄
以上
亥十月廿日
三浦十右衛門
***
(この度一同恙無く十月三日に京都に到着いたしました。京の藩邸は些か手狭なため、先に京詰の者らが立本寺を宿舎と出来るように手配してくれていた次第であります。寺の者らも、我らに対して大層もてなしてくれております。尚、我らと同じ日に薩摩の島津三郎久光公も上洛されたとの噂がありました。
十月五日には建春門警衛を命じられ、続けて十五日には下鴨鞍馬口の警衛の勅命が下されました。これは、出石藩及び仙台藩との交代によるものであります。
江戸からの早馬でお聞き及びかもしれませんが、八月十八日、長州藩が帝のご不興を蒙り、会津藩の肥後守様や京都所司代の稲葉長門守様らが長州藩士らを都から追放されることをご決意なされました。ですが洛中にはまだ不逞浪士の輩が潜伏しており、会津中将の命令により壬生浪士組が市中を巡邏し、京都町奉行は止宿人の調査を行わせているとの由でございます。そのため、我等一同も気を引き締めております。六日には朝廷より藩士・浪士らが公卿・堂上らの間を周旋遊説することを禁じる命令が出されました。そのためでしょうか、水戸浪士が動き回っている様子は伺えません。また、会津藩も見廻組を巡邏させております。
ところで先日、立本寺の宿舎を中島黄山殿が訪ねて参りました。鳴海殿もご存知のように黄山殿は顔の広い方ですが、丹波殿に頼まれて上方の情勢を探っていたようです。去る九月二十六日、大和五条で黄山殿は高取城から敗退してくる天誅組の一行と遭遇したとのことでございます。私が気になるのは、その落武者の一行に二十歳前後と思しき見目麗しき者と一緒に、芳之助の姿があったと黄山殿が申されたことです。拙者もまた、昨日木屋町の辺りで芳之助に良く似た男を見掛けました。あるいは人違いかもしれませんが、心配です。
ひとまずご報告まで。
***
鳴海は、この手紙を自宅の居室で読んだ。その席には、水山や志摩、そして衛守がいる。十右衛門は特に何も言ってこなかったが、あくまでもこれは私信の体裁を取っている都合上、家老や他の番頭に見せて良いものやら、鳴海の中で迷いがあったのだ。
「――どう思われますか?水山様」
口火を切ったのは、衛守だった。かつて彦十郎家も、丹波からの依頼により尊攘派の動きを探らされていた時期がある。その兼ね合いもあり、藩政では末席の身ながらも、衛守もそれなりに尊攘派の事情に通じているのだった。
「気になるのは、ここだな」
水山は、とんとんと手紙の末尾を叩いた。文中の最後にある、黄山が大和五条で天誅組の一行と遭遇し、その際に脱藩した芳之助が見目麗しい男と共に行動していた、という下りである。また、十右衛門自身も、木屋町で芳之助に良く似た男を見掛けたとも書かれていた。
「木屋町と言えば、長州藩邸に近い場所ではございませぬか」
志摩も、真剣な顔をして述べた。四人の傍らには、やはり在京の与兵衛から送られてきた洛中の地図がある。それには与兵衛の字で、各藩邸や各藩の定宿などの詳細な情報が記されていた。長州藩は京から追放されたものの、藩邸そのものが取り壊されたわけではなく、また、木屋町は尊攘派の巣窟と言われている地域だった。
「――芳之助が身を寄せているという時雍館の主の猿田愿蔵は、美男子の噂があったな」
鳴海がぽつりと呟くと、衛守も肯いた。
「猿田愿蔵が美男子かどうかは我々が知ったことではないですが、長州と水戸藩は、攘夷に関しては成破の密約を結んでいるという噂もあったでしょう。大和天誅組の件の背後には明らかに長州の影が感じられますし、兄上は先に安部井清介殿から、水戸藩の黄門公上洛の折、猿田愿蔵殿及びその従者として芳之助が一行に付き従っていた……とお聞きになられています。平仄は合うのではございますまいか」
だが、この書状を公の場で披露すれば、和左衛門に代表される尊攘派を刺激しかねない。誰が尊攘派に転ぶか分からない情勢の中で、大勢の者に微妙な問題を聞かれるわけにはいかなかった。少なくとも、城の各所は公の場として認識されており、そこで秘事を明かせば多くの者に事情が筒抜けになる。与兵衛が側にいれば真っ先に与兵衛に相談するのだが、生憎、その与兵衛も今は京にいる。
「水山様であれば、如何なされます?」
鳴海は、義父に尋ねた。
水山はしばし腕組みをして考え込んでいたが、やがて、一つの名前を出した。
「日野様に直接この書状をお見せして、ご叡慮頂くのが宜しいのではないか」
なるほど、と鳴海は思った。源太左衛門は現在留守を預かる家老陣の中でも、何人にも媚びる必要のない立場である。丹波のように感情的になることもなく、鳴海としても信頼できる上司だ。
「ですが、兄上が番頭になられたとはいっても、まだ日が浅い。不用意に兄上が日野様のお屋敷を訪ねれば、尊攘派の余計な疑惑を招きませぬか?」
衛守の言葉に、鳴海も考え込む。が、一つ名案を思いついた。
「不遜かもしれぬが、昨年養泉様の葬儀の折、殿の名代として日野様に我が家にお越し頂いた。それに事寄せて、養泉様の一周忌に日野様をお招きするというのは、如何であろう」
ふっと、水山が笑みを浮かべた。
「自然でごさるな。それであれば、差し出がましいことを申す者はおるまい」
彦十郎家の面々のやり取りに、志摩は苦笑を浮かべた。
「――鳴海殿も、あれほど番頭職や執政職を嫌がられていたにも関わらず、我が父等に負けず劣らず、策士になられましたな」
志摩の言葉に、鳴海も苦笑せざるを得ない。言われてみれば、その通りである。だが、鳴海はもう一介の武士の身ではないのだ。




