藩公上洛(3)
二本松藩の泰平の眠りを醒ましたのは、尊皇攘夷の嵐だった――。
文久2年、思いがけず名家を継いだ二本松藩の番頭、大谷鳴海の視点から二本松藩内における幕末動乱、そして天狗党騒乱について描きます。
【主要登場人物】
大谷鳴海……主人公。義弟の縫殿助の死により彦十郎家を継ぎ、詰番・番頭と出世していく。
<彦十郎家>
りん……鳴海の妻
二階堂水山(信義)……鳴海の義兄であり、先代彦十郎。鳴海の父親代わりを務める。
二階堂衛守……鳴海の義弟
大谷信吉(養泉)……鳴海の実父
玲子……水山の妻。鳴海の養母
志津…… 鳴海の義姪
那津…… 鳴海の義姪
<上司・同僚>
大谷与兵衛 …… 六番組番頭。大谷家本家の当主
大谷志摩 …… 詰番。与兵衛の息子
丹羽丹波 ……二本松藩家老座上
日野源太左衛門 …… 二本松藩家老
丹羽和左衛門 ……郡代
丹羽新十郎…… 郡代見習い。和左衛門の養子
羽木権蔵…… 郡代
丹羽一学 …… 番頭。後に家老に出世
樽井弥五左衛門 ……詰番
種橋主馬介…… 四番組番頭
小川平助…… 山鹿流の兵法学者。出陣時には物頭も務める
三浦十右衛門(義制)…… 藩の砲術指南役
種橋主馬介…… 四番組番頭
日野大内蔵…… 二番組番頭
成田外記衛門……日野源太左衛門の使番
佐倉源五右衛門…… 六番組使番。弓術の達人
小澤長右衛門……江戸藩邸詰
<五番組の部下>
大島成渡……弓術・剣術や経済感覚に優れている
笠間市之進 …… 糠沢組代官
丹羽権太左衛門 …… 長柄奉行
水野九右衛門…… 五番組物頭
原兵太夫…… 弓術師範の免状持ち。旗奉行も兼任する
杉内萬左衛門……鍛冶奉行。奥右筆も兼任
小笠原是馬介……手働衆の一人。伊東流槍術が得意
大谷右門……与兵衛の次男
井上勘右衛門…… 五番組使番
松井政之進…… 五番組使番
<二本松藩内の勤皇思想家>
藤田芳之助……剣豪として知られた藤田三郎兵衛の孫
三浦権太夫(義彰)……丹波や藩公にも直言を辞さない
安部井清介……父子共に勤皇思想の持ち主。
<商人>中島黄山(長蔵)……二本松藩の御用商人。城下で蚕種業を営む
宗形善蔵……針道の富豪。生糸の買付問屋を営む傍ら、貸金業も営む
<水戸藩・守山藩関係者>
猿田(田中)愿蔵……水戸藩の郷校時雍館の代表。天狗党
藤田小五郎……水戸藩の改革派、藤田東湖の四男。天狗党
三浦平八郎……守山藩の顔役
武田耕雲斎(伊賀守)……水戸藩執政
山野辺義芸……助川海防城主。元水戸藩執政
<水戸藩関係者(諸生党)>
戸祭久之允……大沼海防陣営掛
寺門登一郎……元博徒。太田より出陣し、民兵を率いて戦う
内藤弥太夫……太田守備隊軍監。日立方面の天狗党討伐責任者。
相羽九十郎……山下防御掛
佐治七右衛門……太田御殿固め役
筧助太夫……水戸藩家老
市川三左衛門……諸生党筆頭の水戸藩家老。
<その他>
丹羽長国……二本松藩第十代藩主
水野勝知(日向守)……長国公の実弟。結城藩主
「さすが鳴海殿。お察しが宜しいことで」
庭で二人きりになると、平助はくすりと笑った。あの場で他の詰番らに聞かせるのは憚りのある話なのだろうと察して、わざわざ人気のない庭に誘ったのである。
「――して、言伝の主は?」
元来回りくどい話が嫌いな鳴海は、率直に平助に尋ねた。
「大したことではございませぬ。丹波様からの御伝言でございます」
丹波の名を聞いた途端、反射的に眉を顰めた。どうせ禄でもない話なのではないか。
「ですから、そう身構えられますな。丹波様曰く、『よく十右衛門を説き伏せた。褒めて遣わす』。その一言のみでございます」
「なるほど」
平助がわざわざ他の人間の耳目を避けたのは、三浦一族に関わる話だからだったのかと、鳴海も合点がいった。あの場には、三浦権太夫の義弟にあたる樽井弥五左衛門もいた。過ぎた話とはいえ、樽井は権太夫に同情的な素振りを見せていたから、平助は樽井の余計な疑惑を招きたくなかったに違いない。
「丹波様の言葉ではございませぬが、よくあの強情者を説き伏せましたな」
まさか十右衛門の件で平助から褒められるとは思わず、鳴海は慌てて手を振った。
「いえ。拙者も尊攘派の動きは気になっておりました故……。京の情勢の仔細について伝聞を頼めるとすれば、十右衛門殿しかおらぬと思うておりました」
二人だけという気安さからか、あるいは実弟の話だからか。率直な平助の言葉に、つい鳴海も本音が漏れ出た。
鳴海と十右衛門の付き合いは古い。それだけに、丹波が暗示したように「番頭として」命じるような真似は避けたかっただけである。
「尊攘派の計略から二本松を守るには、上方の情報が必要と申されたそうですな」
平助が、微かに口元を緩ませた。
「この度丹波様が直接向かわれるというのも、藩政を取り仕切るご自身の目で上方の情勢を分析されたいからでござろうと、拙者は拝察致しました。横浜鎖港の問題は、我が藩にとっても見過ごせるものではございますまい」
「その件についても、お聞き及びでしたか」
平助が、鳴海の回答に満足気に肯く。
「江戸警衛の折、拙者も横浜へ足を運んでみましたが、確かに目の青い異人らを多く見かけました。また、港に停泊していた軍艦もとてつもなく大きい。あれらが一度に火を吹き我が国の陣に向けて砲を放ったのだとしたら、長州や薩摩はひとたまりもなかったでしょう」
そう言うと、平助は地面に視線を落とした。江戸警衛の任務に当たっていた間も自ら横浜まで足を運び、現状分析をしてきたところは流石である。
「戦国の世であれば、恐らく互いの武装能力も拮抗していたのでしょうな。それ故、我ら軍師の腕の見せ所もあったのでしょうが、あれだけ武力に差があり戦法も全く異なる異人を相手とするのでは、我らとしてもどのように対抗するか見当もつきませぬ」
そう苦笑する平助の横顔は、幾分老けて見えた。戦の専門家がそう断じるのだから、横浜で見た光景は、平助にとっても相当な衝撃だったに違いない。
「会津藩でも管打の銃などを購入し始めているようですが、いずれ我が藩でも、刀槍だけでなく砲の扱いに長けた者を増やさねばなりますまい」
平助の言葉を、鳴海は噛み締めた。隣藩である会津藩は藩公である松平容保が京都守護職を命じられたため、最新の武器である管打の銃を購入するのは、必然の流れだっただろう。そしてその流れは、いずれ二本松にも及ぶに違いない。番頭となる鳴海の立場としても、部下らにそれらの能力を磨かせるには、従来のやり方を変えていかなければならないと思う。だが、大量の最新砲を購入するとなれば、それなりの元手が必要であり、結局は経済力の問題に帰着するのだった。
今回、西の尊攘派の一角である長州が敗れた。だが、それで攘夷を完全に諦めたわけではないところが厄介なのであり、さらにそこへ在京の公家の思惑も絡んでいる。正に魑魅魍魎が跋扈するのが、現在の京の情勢だった。
しばし平助は物思いに耽っていたが、やがてふっと眉を顰めた。
「今般の京都は、江戸よりも更に不逞の徒が数多く潜伏し、要らぬことを吹聴して回っている者も多いと聞き及んでおります。それらの思惑に染まる者が出なければ良いのですが……」
「……それは」
平助が告げた言葉は、鳴海を戸惑わせた。今回の京都警衛組の中から、さらに尊攘派に惑わされる者が出るというのか。鳴海とて、これ以上尊攘派に振り回されるのは御免である。だが、その思いを告げても尚、平助の眉は顰められたままだった。
「大勢の者の意見が是とするものに傾いている中で日々を過ごせば、何となくそれが正しいように思えてくるものです。ですが、それが真に我が藩にとって正しいかどうかは、また別物。己の信念を貫こうとする余り、身を過つ者が出ねば良いのですが……」
鳴海は、大きく息を吸い込んだ。
「それ故、十右衛門殿に加わって貰った次第でござる」
十右衛門は、甥の権太夫に負けず劣らず頑固な一面がある。ただし、公への忠義心は人一倍持ち合わせており、また、甥が仕出かした数々の迷惑を帳消しにするべく、藩の為に尽くそうとしているのではないか。それが、鳴海の読みだった。
羽木のように丹波に諂うことはないが、さりとて甥のように尊攘思想に染まることはあるまい。そう説明すると、ようやく平助は口元に笑みを取り戻した。
「なるほど。それが鳴海殿の我が弟に対する評価ですか」
そう述べる平助の心中は、鳴海には読み取れなかった。
「朋友というだけで、十右衛門を選ばれたわけではないのですな」
今度は鳴海が視線を伏せた。平助の分析は、半ば当たっていなくもない。だが、非常時こそ信頼できる者に働いてもらうのが一番ではないか。他の者であればいざ知らず、平助にまでそう思われていたとすれば、心外であった。
「……と皆から思われぬように、私からも弟に言い含めておきましょう」
にこりと、平助が笑った。やはり、藩の軍師を務めるだけのことはある。鳴海は、またしても己の未熟さを振り返る羽目になったのだった。




