竹ノ内擬戦(10)
二本松藩の泰平の眠りを醒ましたのは、尊皇攘夷の嵐だった――。
文久2年、思いがけず名家を継いだ二本松藩の番頭、大谷鳴海の視点から二本松藩内における幕末動乱、そして天狗党騒乱について描きます。
【主要登場人物】
大谷鳴海……主人公。義弟の縫殿助の死により彦十郎家を継ぎ、詰番・番頭と出世していく。
<彦十郎家>
りん……鳴海の妻
二階堂水山(信義)……鳴海の義兄であり、先代彦十郎。鳴海の父親代わりを務める。
二階堂衛守……鳴海の義弟
大谷信吉(養泉)……鳴海の実父
玲子……水山の妻。鳴海の養母
志津…… 鳴海の義姪
那津…… 鳴海の義姪
<上司・同僚>
大谷与兵衛 …… 六番組番頭。大谷家本家の当主
大谷志摩 …… 詰番。与兵衛の息子
丹羽丹波 ……二本松藩家老座上
日野源太左衛門 …… 二本松藩家老
丹羽和左衛門 ……郡代
丹羽新十郎…… 郡代見習い。和左衛門の養子
羽木権蔵…… 郡代
丹羽一学 …… 番頭。後に家老に出世
樽井弥五左衛門 ……詰番
種橋主馬介…… 四番組番頭
小川平助…… 山鹿流の兵法学者。出陣時には物頭も務める
三浦十右衛門(義制)…… 藩の砲術指南役
種橋主馬介…… 四番組番頭
日野大内蔵…… 二番組番頭
成田外記衛門……日野源太左衛門の使番
佐倉源五右衛門…… 六番組使番。弓術の達人
小澤長右衛門……江戸藩邸詰
<五番組の部下>
大島成渡……弓術・剣術や経済感覚に優れている
笠間市之進 …… 糠沢組代官
丹羽権太左衛門 …… 長柄奉行
水野九右衛門…… 五番組物頭
原兵太夫…… 弓術師範の免状持ち。旗奉行も兼任する
杉内萬左衛門……鍛冶奉行。奥右筆も兼任
小笠原是馬介……手働衆の一人。伊東流槍術が得意
大谷右門……与兵衛の次男
井上勘右衛門…… 五番組使番
松井政之進…… 五番組使番
<二本松藩内の勤皇思想家>
藤田芳之助……剣豪として知られた藤田三郎兵衛の孫
三浦権太夫(義彰)……丹波や藩公にも直言を辞さない
安部井清介……父子共に勤皇思想の持ち主。
<商人>中島黄山(長蔵)……二本松藩の御用商人。城下で蚕種業を営む
宗形善蔵……針道の富豪。生糸の買付問屋を営む傍ら、貸金業も営む
<水戸藩・守山藩関係者>
猿田(田中)愿蔵……水戸藩の郷校時雍館の代表。天狗党
藤田小五郎……水戸藩の改革派、藤田東湖の四男。天狗党
三浦平八郎……守山藩の顔役
武田耕雲斎(伊賀守)……水戸藩執政
山野辺義芸……助川海防城主。元水戸藩執政
<水戸藩関係者(諸生党)>
戸祭久之允……大沼海防陣営掛
寺門登一郎……元博徒。太田より出陣し、民兵を率いて戦う
内藤弥太夫……太田守備隊軍監。日立方面の天狗党討伐責任者。
相羽九十郎……山下防御掛
佐治七右衛門……太田御殿固め役
筧助太夫……水戸藩家老
市川三左衛門……諸生党筆頭の水戸藩家老。
<その他>
丹羽長国……二本松藩第十代藩主
水野勝知(日向守)……長国公の実弟。結城藩主
「掃部助さま。こちらをお貸し頂きまして、誠にありがとうございました」
志摩の手には、二冊の本があった。
「それがしも拝見してよろしいですか?」
鳴海も、今回は志摩との擬戦で学んだ事は多々あった。負けた当日は悔しさになかなか寝付けなかったが、日が経つに従い、自分の未熟さを思い知らされると同時に、志摩を見直したのである。
「どうぞ。鳴海殿も、いつ本当に戦場にお立ちになるか分かりませぬからな。その一助になれば、幸いでござる」
にこやかに応じている掃部助だが、彼なりに家老として憂慮するところがあるのだろう。鳴海は志摩から手にした本を受け取ると、表題に目をやった。「陸軍字彙字書原稿」と「砲術新論」。それぞれの著者は、西村茂樹と大鳥圭介とある。両者とも、鳴海が聞いたことのない人物だった。
「両書とも、なかなか興味深かったですよ。確か、陸軍字彙字書原稿はプロイセンで出されたという兵法書の和訳で、砲術新論は最近幕府の兵法調練に関わっている方が書かれたはずです」
「プロイセン……」
鳴海は、その言葉にめまいを覚えた。そもそも、鳴海は西洋の学問とは今まで縁がなかった。プロイセンという国がどこにあるのかすら、見当がつかない。そして、何気なく巻末の頁を捲ってみると、思わず呻きそうになった。そこには、横文字で書かれた蘭語らしきものがあったのである。まさか、志摩は蘭語まで通暁しているのか。
「ご安心を。蘭語が書かれているのはそこだけで、後はれっきとした日本語ですよ。私だって、蘭語はさっぱりなんですから」
いつもの笑い上戸の志摩らしく、笑いを爆発させた。
「鳴海殿。よろしかったら、鳴海殿にもお貸しいたしましょう」
掃部助が、横から言い添えた。開明派の家老らは、どうやら自分にも西洋兵学の知識を身に着けてほしいらしい。確かに多少従来の方法に拘る者らであっても、番頭やそれに準じる詰番の命令とあれば、西洋兵法の命令に従わざるを得ないだろう。まして兵制の西洋化が幕命とあれば、いつ幕府からの監査が入るか分からない。
「それでは、お言葉に甘えさせて頂きまする」
鳴海は素直に掃部助に頭を下げ、受け取った書物を懐に入れた。知恵の面にまで志摩に後れを取るわけにはいかないではないか。
「鳴海様。あちらで皆が鳴海様に献杯したいと、待っております」
鳴海を呼びに来たのは、右門である。右門は今回の擬戦を通して、五番組の面々とも仲を深めたようだ。鯉ばかりにかまける内向的な気性だと思っていたが、鳴海は右門の人柄についても見直した。
「直ぐに参るから、しばし待てと伝えよ」
鳴海がそう告げると、ちょっと頭を下げて、右門は小走りに五番組の皆が待つところへ駆けていった。
「そう言えば、右門の奴の働きは如何でしたかな?」
右門の姿が見えなくなると、与兵衛は小声で鳴海に尋ねた。今回の与兵衛は審判役を務め、兄の志摩は敵方となったことから、敢えて右門を突き放して接していた。だが、父親としてはやはり心配だったに違いない。
「右門は武辺者というのとは違うかもしれませぬが、見どころがあると感じました」
鳴海の言葉は、嘘ではない。先の偵察の折に、右門なりに兄の仕掛けに気づいていたようだったし、観察眼は人一倍優れている。それを上手いこと活かせなかったのは、将である鳴海の責任だった。右門は兄の志摩の影に隠れがちだが、志摩とは違う形で成功を修めるかもしれないと、鳴海は踏んでいた。それに加えて、五番組の面々に可愛がられているから、これからまだまだ成長するだろう。
「左様か」
鳴海の言葉に、与兵衛がほっと安堵のため息をこぼした。
「本当ですか?鳴海殿。我々に遠慮しているのではないでしょうね」
まだ訝しがる志摩に、鳴海は軽く笑ってみせた。
「遠慮などしておらぬ。五番組に右門が配されたのは、我々五番組にとって幸甚だった。お主も、もう少し弟を信じてやれ」
鳴海の言葉に、ようやく志摩も白い歯を覗かせ、心からの笑顔を開いてみせたのだった――。




