脱藩者(1)
二本松藩の泰平の眠りを醒ましたのは、尊皇攘夷の嵐だった――。
文久2年、思いがけず名家を継いだ二本松藩の番頭、大谷鳴海の視点から二本松藩内における幕末動乱、そして天狗党騒乱について描きます。
【主要登場人物】
大谷鳴海……主人公。義弟の縫殿助の死により彦十郎家を継ぎ、詰番・番頭と出世していく。
<彦十郎家>
りん……鳴海の妻
二階堂水山(信義)……鳴海の義兄であり、先代彦十郎。鳴海の父親代わりを務める。
二階堂衛守……鳴海の義弟
大谷信吉(養泉)……鳴海の実父
玲子……水山の妻。鳴海の養母
志津…… 鳴海の義姪
那津…… 鳴海の義姪
<上司・同僚>
大谷与兵衛 …… 六番組番頭。大谷家本家の当主
大谷志摩 …… 詰番。与兵衛の息子
丹羽丹波 ……二本松藩家老座上
日野源太左衛門 …… 二本松藩家老
丹羽和左衛門 ……郡代
丹羽新十郎…… 郡代見習い。和左衛門の養子
羽木権蔵…… 郡代
丹羽一学 …… 番頭。後に家老に出世
樽井弥五左衛門 ……詰番
種橋主馬介…… 四番組番頭
小川平助…… 山鹿流の兵法学者。出陣時には物頭も務める
三浦十右衛門(義制)…… 藩の砲術指南役
種橋主馬介…… 四番組番頭
日野大内蔵…… 二番組番頭
成田外記衛門……日野源太左衛門の使番
佐倉源五右衛門…… 六番組使番。弓術の達人
小澤長右衛門……江戸藩邸詰
<五番組の部下>
大島成渡……弓術・剣術や経済感覚に優れている
笠間市之進 …… 糠沢組代官
丹羽権太左衛門 …… 長柄奉行
水野九右衛門…… 五番組物頭
原兵太夫…… 弓術師範の免状持ち。旗奉行も兼任する
杉内萬左衛門……鍛冶奉行。奥右筆も兼任
小笠原是馬介……手働衆の一人。伊東流槍術が得意
大谷右門……与兵衛の次男
井上勘右衛門…… 五番組使番
松井政之進…… 五番組使番
<二本松藩内の勤皇思想家>
藤田芳之助……剣豪として知られた藤田三郎兵衛の孫
三浦権太夫(義彰)……丹波や藩公にも直言を辞さない
安部井清介……父子共に勤皇思想の持ち主。
<商人>中島黄山(長蔵)……二本松藩の御用商人。城下で蚕種業を営む
宗形善蔵……針道の富豪。生糸の買付問屋を営む傍ら、貸金業も営む
<水戸藩・守山藩関係者>
猿田(田中)愿蔵……水戸藩の郷校時雍館の代表。天狗党
藤田小五郎……水戸藩の改革派、藤田東湖の四男。天狗党
三浦平八郎……守山藩の顔役
武田耕雲斎(伊賀守)……水戸藩執政
山野辺義芸……助川海防城主。元水戸藩執政
<水戸藩関係者(諸生党)>
戸祭久之允……大沼海防陣営掛
寺門登一郎……元博徒。太田より出陣し、民兵を率いて戦う
内藤弥太夫……太田守備隊軍監。日立方面の天狗党討伐責任者。
相羽九十郎……山下防御掛
佐治七右衛門……太田御殿固め役
筧助太夫……水戸藩家老
市川三左衛門……諸生党筆頭の水戸藩家老。
<その他>
丹羽長国……二本松藩第十代藩主
水野勝知(日向守)……長国公の実弟。結城藩主
その知らせがもたらされたのは、小書院の間に、番頭及び詰番の者らが集められた席でのことだった。ここに集える者は、ある程度の大身に限られる。丹波としては下士らに委細を知られたくないのだろうが、このような振る舞いが姑息であり、皆に嫌われる要因なのだと、鳴海は密かに思っていた。
「近頃、尊皇攘夷を掲げる不逞の輩が藩内にも跋扈しているというのは、皆も聞き知っておろう」
いきなりの居丈高な物言いに、鳴海は思わず顔を顰めそうになった。だが、辛うじてこらえる。丹波は、どのような言いがかりをつけるかわからないところがあるからだ。鳴海の思いにはお構いなしに、丹波は言葉を続けた。
「郡山宿の今泉久三郎から報告があった。どうも、守山陣所に活発に人が出入りしているとの由」
ふむ、と考え込んだのは、最古参の家老である日野源太左衛門である。その妻は丹波の姉であり、源太左衛門自身も丹波よりも年上である。そのため、丹波に異を唱えられる数少ない人物であった。
郡山の地において、二本松藩と守山藩は阿武隈川を挟んで領内を二分している。大まかに言えば阿武隈川の西側が二本松藩領、東側が守山藩や三春藩領なのだが、元は同じ土地に住まう者らであるから、二本松藩と守山藩の間では日頃から活発な人の往来がある。今更気にするほどのことではないとも言えた。
それを口にしたのは、番頭の一人である丹羽一学だった。だが、丹波は首を横に振った。
「領内の者らの往来の話ではない。守山陣屋に二本松藩士が足を運ぶこと自体が、不審である」
「藩士が、出入り……」
源太左衛門も、さすがにその報告には眉を顰めた。確かに、他領である守山陣屋に自藩の者が出入りするというのは、話が穏やかではない。しかも、守山陣屋に二本松藩士が出入りしなければならないような事件は、特に報告されていないのである。
「守山藩は水戸藩の御連枝。当然、水戸とつながりのある者が出入りしていると考えるべきであろう」
丹波の言わんとしているところが、次第に見えてくる。丹波の言うように、守山藩は水戸藩の支藩であり、その藩風は水戸本家の影響を色濃く受けている。水戸藩は、斉昭が幕府に睨まれて隠居に追いやられて以来、その藩論は斉昭の意向を受けた改革派と、あくまでも幕府の意向に従おうという保守派に割れている。万延元年(一八六〇年)三月三日、大老の井伊直弼が殺害されたのは、皮肉にも御三家の一つである水戸藩の改革派らによるものであった。同年の八月にはその旗頭であった斉昭も死去したが、跡目を継いだ慶篤は父の斉昭と異なり、優柔不断かつ日和見なところがある。そのため、水戸藩政はますます混乱を極めていた。
「守山藩の藩主は、現在松平頼升殿だったか」
鳴海の横で、大谷与兵衛が呟いた。番頭の中でも一番の年嵩であり、その分、家老の面々に劣らず世知に通じている。与兵衛の言葉に、丹波が肯いた。
「頼升殿は、水戸の慶篤殿と同じようにずっと江戸に在府されておる。それよりも問題は、国元で騒いでいる天狗者であろう」
丹波の言う所の「天狗者」とは、水戸藩の改革派を指した。その名の由来は、斉昭が「水戸では改革の気骨のある者を天狗と言う」と称したことによる。
「つまり、水戸と心を通じている守山藩の天狗者に、二本松藩士で接触している者がいるということでしょうか」
家老の一人である、浅尾数馬介が丹波に尋ねた。浅尾の姓を名乗っているが、丹波の実弟でもあり、やはり勤王派を警戒している一人である。
「左様。中でも守山藩の三浦平八郎という者が、なかなか侮れん。常州の松川陣屋総領と御目付役を兼ねる男のはずだが、どのようなわけか、守山にもしきりに出入りしているとのことだ」
「三浦……」
鳴海は、そっとその名字を口にした。あの、今年二月に藩主に建言をした三浦権太夫と同じ名字である。偶然かもしれないが、そうではないかもしれなかった。穿ち過ぎだろうか。
「うちの家中の三浦とのつながりは?」
鳴海の懸念をそのまま口にしたのは、江口三郎右衛門である。丹波より一つ下であるが、勤皇派には一定の理解を示している。少なくとも、丹波のような頑迷さはない分だけ、勤皇派からは支持を集めていた。
「丸っきり縁がないわけではないようです。ただし、三浦平八郎自身は守山藩の江戸藩邸生まれのはず。たとえ血縁があったとしても、ごく遠い血筋でありましょう」
庇い立てしたのは、鳴海と同じように現在詰番の樽井弥五右衛門だった。彼の姉である春は、三浦権太夫の妻である。義兄である三浦権太夫を庇うのは、無理もなかった。
「ふむ……」
丹波が唸った。さしもの丹波も、名字が同じというだけで三浦に嫌疑をかけるのは無理があると、悟ったらしい。
そこへやってきたのは、丹羽新十郎だった。今年五月、弘化四年に領内大平村で発生した半吾・源吾両名による名主殺人事件を、鮮やかに捌いてみせた切れ者である。その功績により、現在は行政の長である郡代見習いの身分に出世していた。新十郎は、一同に軽く頭を下げると、思いも寄らない事態を告げた。