律の調べ(6)
二本松藩の泰平の眠りを醒ましたのは、尊皇攘夷の嵐だった――。
文久2年、思いがけず名家を継いだ二本松藩の番頭、大谷鳴海の視点から二本松藩内における幕末動乱、そして天狗党騒乱について描きます。
【主要登場人物】
大谷鳴海……主人公。義弟の縫殿助の死により彦十郎家を継ぎ、詰番・番頭と出世していく。
<彦十郎家>
りん……鳴海の妻
二階堂水山(信義)……鳴海の義兄であり、先代彦十郎。鳴海の父親代わりを務める。
二階堂衛守……鳴海の義弟
大谷信吉(養泉)……鳴海の実父
玲子……水山の妻。鳴海の養母
志津…… 鳴海の義姪
那津…… 鳴海の義姪
<上司・同僚>
大谷与兵衛 …… 六番組番頭。大谷家本家の当主
大谷志摩 …… 詰番。与兵衛の息子
丹羽丹波 ……二本松藩家老座上
日野源太左衛門 …… 二本松藩家老
丹羽和左衛門 ……郡代
丹羽新十郎…… 郡代見習い。和左衛門の養子
羽木権蔵…… 郡代
丹羽一学 …… 番頭。後に家老に出世
樽井弥五左衛門 ……詰番
種橋主馬介…… 四番組番頭
小川平助…… 山鹿流の兵法学者。出陣時には物頭も務める
三浦十右衛門(義制)…… 藩の砲術指南役
種橋主馬介…… 四番組番頭
日野大内蔵…… 二番組番頭
成田外記衛門……日野源太左衛門の使番
佐倉源五右衛門…… 六番組使番。弓術の達人
小澤長右衛門……江戸藩邸詰
<五番組の部下>
大島成渡……弓術・剣術や経済感覚に優れている
笠間市之進 …… 糠沢組代官
丹羽権太左衛門 …… 長柄奉行
水野九右衛門…… 五番組物頭
原兵太夫…… 弓術師範の免状持ち。旗奉行も兼任する
杉内萬左衛門……鍛冶奉行。奥右筆も兼任
小笠原是馬介……手働衆の一人。伊東流槍術が得意
大谷右門……与兵衛の次男
井上勘右衛門…… 五番組使番
松井政之進…… 五番組使番
<二本松藩内の勤皇思想家>
藤田芳之助……剣豪として知られた藤田三郎兵衛の孫
三浦権太夫(義彰)……丹波や藩公にも直言を辞さない
安部井清介……父子共に勤皇思想の持ち主。
<商人>中島黄山(長蔵)……二本松藩の御用商人。城下で蚕種業を営む
宗形善蔵……針道の富豪。生糸の買付問屋を営む傍ら、貸金業も営む
<水戸藩・守山藩関係者>
猿田(田中)愿蔵……水戸藩の郷校時雍館の代表。天狗党
藤田小五郎……水戸藩の改革派、藤田東湖の四男。天狗党
三浦平八郎……守山藩の顔役
武田耕雲斎(伊賀守)……水戸藩執政
山野辺義芸……助川海防城主。元水戸藩執政
<水戸藩関係者(諸生党)>
戸祭久之允……大沼海防陣営掛
寺門登一郎……元博徒。太田より出陣し、民兵を率いて戦う
内藤弥太夫……太田守備隊軍監。日立方面の天狗党討伐責任者。
相羽九十郎……山下防御掛
佐治七右衛門……太田御殿固め役
筧助太夫……水戸藩家老
市川三左衛門……諸生党筆頭の水戸藩家老。
<その他>
丹羽長国……二本松藩第十代藩主
水野勝知(日向守)……長国公の実弟。結城藩主
祐吉君の言う通りである。武官の専門職である鳴海は、政には口を挟めない。だが、建前としては武家社会では常に戦を想定した備えが必要とされているとはいえ、戦につながるような不満の芽は、早目に摘み取っておかねばならなかった。さらに、万が一戦になりそうなときの回避方法として、外交戦略は欠かせない。
「祐吉様は、結城藩に行かれることについて、御心配ですか?」
「急な話だからな。それは、思いがけず彦十郎家を継ぐことになったそなたも同じだろう?鳴海」
鳴海は、黙って頭を下げるに留めた。今はまだ、義父ともいうべき水山が健在である。だが、このところ実父の養泉の体の具合が良くない。老齢だから既に覚悟は決めているものの、もっと養泉から教わるべきことはあったはずなのに、という後悔の念は多少なりともあった。
「結城藩の者らに対して、二本松の教えがどれだけ通じるか……。行ってみないとわからぬからな」
祐吉君が、寂しげに笑った。その思いに、鳴海も胸を突かれる。気風の全く異なる藩に君主として赴くのは、どれほど不安であることか。それでも、兄が決めてきた話とはいえ、高みから俯瞰した場合、この話は二本松のためになる。その一心で、祐吉君は結城藩に行く覚悟を決めたに違いなかった。
「鳴海、素直に申せ。そなたが不安なのは、彦十郎家を継ぐことだけか?」
祐吉君の言葉に、鳴海は返答しかねた。不安の種は、一言では到底表しきれない。藩の重職にありながら、現在の自分にできるのは、戦時の指揮官としての役割のみ。だが、平時からその態度を通そうとすれば、たちまち信頼を失い、本当に戦になった時に部下がついてこないだろう。さらに、藩は勤王党と保守派と、二つに割れようとしている。その中で己の果たすべき役割が、今はまだ、見えてこないのだ。
「五里霧中とは、このことでしょうか」
ようやく、鳴海は言葉を絞り出した。その言葉に、祐吉君も肯く。
「番頭や詰番は、そもそも戦を想定した役目だからな。だが、戦は武官のみが行うものではない。国の多くの者らが関わってくる故、日頃よりそれらを無視することはできぬ。難しいな」
そこへやってきたのは、志摩だった。
「鳴海殿、そろそろ席にお戻りになられませ」
志摩も、鳴海があの場の空気から逃げ出したことを察している。そして、御前だというのに片目を瞑ってみせた。
「大丈夫です。既に源太左衛門様と和左衛門さまは、仲良くされていますよ」
志摩の言葉に、鳴海は気が抜けた。そして、慌てて祐吉君に頭を下げた。このような妙な場所で祐吉君を引き止めてしまったのは、不敬に違いない。志摩も祐吉君に、頭を下げた。
「鳴海、志摩」
祐吉君が、再び二人を引き止めた。
「兄上は、どの家臣らも慈しんで股肱の臣と思っておられる。だが私は、その兄上の優しさに必要以上に甘えてほしくはない。良いな」
祐吉君の言葉は、現在の二本松家中に渦巻く不満を指しているに違いなかった。
「畏まって、候」
鳴海と志摩は、きっぱりと答えた。
大書院に戻るまでの廊下を、二人は並んで歩いた。
「鳴海殿、祐吉君とも親しかったのですか?」
志摩には、それが意外だったようだ。
「お言葉を頂いたのは、子供の時以来だがな」
大人になってからの身分の隔たりは大きい。だが、幼少の頃に親しみ共に時間を過ごした人が外の世界へ出ていこうとしているのは、一抹の寂しさがあった。
結城藩主となる祐吉君とは、この先関わることは二度とないかもしれない。だが、それでも鳴海は藩公同様、祐吉君に万が一のことがあれば、喜んで助太刀するつもりだった。




