律の調べ(4)
二本松藩の泰平の眠りを醒ましたのは、尊皇攘夷の嵐だった――。
文久2年、思いがけず名家を継いだ二本松藩の番頭、大谷鳴海の視点から二本松藩内における幕末動乱、そして天狗党騒乱について描きます。
【主要登場人物】
大谷鳴海……主人公。義弟の縫殿助の死により彦十郎家を継ぎ、詰番・番頭と出世していく。
<彦十郎家>
りん……鳴海の妻
二階堂水山(信義)……鳴海の義兄であり、先代彦十郎。鳴海の父親代わりを務める。
二階堂衛守……鳴海の義弟
大谷信吉(養泉)……鳴海の実父
玲子……水山の妻。鳴海の養母
志津…… 鳴海の義姪
那津…… 鳴海の義姪
<上司・同僚>
大谷与兵衛 …… 六番組番頭。大谷家本家の当主
大谷志摩 …… 詰番。与兵衛の息子
丹羽丹波 ……二本松藩家老座上
日野源太左衛門 …… 二本松藩家老
丹羽和左衛門 ……郡代
丹羽新十郎…… 郡代見習い。和左衛門の養子
羽木権蔵…… 郡代
丹羽一学 …… 番頭。後に家老に出世
樽井弥五左衛門 ……詰番
種橋主馬介…… 四番組番頭
小川平助…… 山鹿流の兵法学者。出陣時には物頭も務める
三浦十右衛門(義制)…… 藩の砲術指南役
種橋主馬介…… 四番組番頭
日野大内蔵…… 二番組番頭
成田外記衛門……日野源太左衛門の使番
佐倉源五右衛門…… 六番組使番。弓術の達人
小澤長右衛門……江戸藩邸詰
<五番組の部下>
大島成渡……弓術・剣術や経済感覚に優れている
笠間市之進 …… 糠沢組代官
丹羽権太左衛門 …… 長柄奉行
水野九右衛門…… 五番組物頭
原兵太夫…… 弓術師範の免状持ち。旗奉行も兼任する
杉内萬左衛門……鍛冶奉行。奥右筆も兼任
小笠原是馬介……手働衆の一人。伊東流槍術が得意
大谷右門……与兵衛の次男
井上勘右衛門…… 五番組使番
松井政之進…… 五番組使番
<二本松藩内の勤皇思想家>
藤田芳之助……剣豪として知られた藤田三郎兵衛の孫
三浦権太夫(義彰)……丹波や藩公にも直言を辞さない
安部井清介……父子共に勤皇思想の持ち主。
<商人>中島黄山(長蔵)……二本松藩の御用商人。城下で蚕種業を営む
宗形善蔵……針道の富豪。生糸の買付問屋を営む傍ら、貸金業も営む
<水戸藩・守山藩関係者>
猿田(田中)愿蔵……水戸藩の郷校時雍館の代表。天狗党
藤田小五郎……水戸藩の改革派、藤田東湖の四男。天狗党
三浦平八郎……守山藩の顔役
武田耕雲斎(伊賀守)……水戸藩執政
山野辺義芸……助川海防城主。元水戸藩執政
<水戸藩関係者(諸生党)>
戸祭久之允……大沼海防陣営掛
寺門登一郎……元博徒。太田より出陣し、民兵を率いて戦う
内藤弥太夫……太田守備隊軍監。日立方面の天狗党討伐責任者。
相羽九十郎……山下防御掛
佐治七右衛門……太田御殿固め役
筧助太夫……水戸藩家老
市川三左衛門……諸生党筆頭の水戸藩家老。
<その他>
丹羽長国……二本松藩第十代藩主
水野勝知(日向守)……長国公の実弟。結城藩主
鳴海は、それをしおに席を立った。水山夫妻に頭を下げ、養泉の隠居部屋へ向かう。短い渡り廊下を歩きながら、後ろに付き従うりんに、鳴海はそっと尋ねた。
「先程の話、聞いていたか?」
「いえ、何も」
妻の返答に、鳴海は安堵した。もしかしたら聞いていたのかもしれないが、心優しい妻は、鳴海の困惑を察して素知らぬ振りをすることに決めたのかもしれなかった。誠に、よく出来た妻である。
隠居部屋の前にたどり着くと、鳴海は息を大きく吸い込んだ。わざわざ自分を呼びつけたということは、何か申し伝えたいことがあるのだろう。しずしずと襖を開けると、大ぶりの火鉢で温められた空気が、ふわりと鳴海を包んだ。隠居部屋で布団に寝かされている養泉は、鳴海の目から見ても、夏よりも一回り痩せてしまっていた。目が落ち窪み、顔色も悪い。食も細くなり、今では一杯の粥を食べ終わるまでにも相当時間がかかると、りんから報告を受けていた。
「父上」
鳴海の呼びかけに、養泉がうっすらと目を開けた。
「鳴海か……」
養泉は体裁を気にしたものか、布団から起き上がると、わざわざその橫に正座した。そのまま、沈黙が流れる。父は何を伝えたいのか。鳴海は、辛抱強く父の言葉を待った。傍らで、りんも静かに父の様子を見守っている。
「お主には、いらぬ重荷を背負わせてしまったな」
唐突な言葉に、鳴海は困惑した。父の言う重荷とは、何を意味するのか。
「お主は遅くに出来た子である故、彦十郎家を継がせることになるとは、若き日の儂は思わなんだ。だが、人はいつ死ぬかわからぬもの。それを思えば長幼の別なく、彦十郎家の嫡子としての心構えを申し伝えるべきであった」
思わず、膝の上の拳を握り締める。父の言う通りではある。だが、鳴海がそれについて愚痴を言ったところで、周りは既に彦十郎家の家長として、鳴海を扱い始めているのだ。それについての愚痴を今更述べるのは、鳴海の矜持が許さなかった。
「父上」
鳴海は、きっぱりと述べた。
「二本松の武士たる者、公の前にその身命を賭すのは当然のこと。彦十郎家の者であれば、国がこの後どのような道を取ろうとも、皆を公の元へ導くのがその役目。たとえ私が器量不足と言われようとも、身命を擲ってその役目を果たすまでです」
「……そうか」
養泉が、くっと口元を綻ばせた。父は、満足してくれただろうか。さらに、養泉は言葉を続けた。
「それからな……。夫婦のことに親が口を挟む筋合いではないかもしれぬ。だが、出来ることなら、そろそろ子のことを考えておくがよい」
ここで、再び子作りのことを言われるとは思わなかった。隣では、りんが顔を染めて、俯いている。だが、先程皆にからかわれたのとは違う響きが、実父の言葉にはあった。
ふと見ると、そろそろ父は会話に疲れ始めている様子だった。コンコンと養泉が咳き、りんが慌てて近寄って父の背を擦る。鳴海はりんに目頭で合図を送ると、父の背を支えながら、再び布団に父の体を横たえた。その体は、鳴海が内心うろたえるほどに軽かった。りんがそっと掛布団を掛けると、養泉は目を細めた。
「りん殿……。我が息子はこのような偏屈者だが、何卒、息子をお頼み申す」
その言葉に、りんがそっと袂を目に当てた。
「縁起でもないことを……」
鳴海も、うまく言葉がつなげられない。息子として何か言うべきことがあるはずなのに、それを口に出来ない自分が悔しかった。
「御父上様。志津様も、祝言には御父上がご臨席されるのを、楽しみにしていらっしゃるのですよ」
りんも小さく抵抗するように、脇から言い添えた。
「志津の祝言は、何が何でも出席する。孫娘の晴れ姿だからな。叶うものならば、お主らの子も見てみたい気がするが……」
養泉は微かに笑うと、目を閉じて、再び寝息を立て始めた。




