2-2 ダンジョン攻略(ディロック視点) 2
ディロックは朝目覚めると同時に緊張感を覚えた。言うまでもなく、ダンジョン探索のためである。
王国の貴族は婚姻前のたしなみとして、ダンジョンを踏破して自らの勇を示さなくてはならない。長く続く伝統とは言え面倒くさいと思うのだが、クララホルト侯爵家の子息として文句は言えなかった。
「ディロック……どうかご無事で」
出発前、シルミナは目に涙を浮かべていた。
「もしも怪我をなさいましたら、すぐにお戻りくださいませ」
「大丈夫だから、安心して」
おしとやかな美人が自分を案じている。ディロックの心を刺激するのに十分だった。
「ダンジョンと言ったって、たいしたものじゃない。部下もたくさんいるから戦闘は彼らに任せればいい。僕の危険はない」
「でも、なにかあったらと思うと心配で……」
「すぐに戻ってくるから。そうしたら派手な結婚式をやろう」
心配ないと言わんばかりに、シルミナの手を握った。
「どうしても不安なら、僕のパーティーについてくるかい?」
「いえ……私がいては足を引っ張ってしまいます」
「なら、城で待っていて欲しい。僕たちの将来は不変だ」
「はい……」
シルミナはディロックにすがりついた。
もちろんディロックに彼女の本心は分からない。そもそもシルミナは危なっかしいダンジョンにおもむくつもりはさらさらなく、こんなのさっさとすませて欲しいということ。婚姻前に死なれると財産を相続できなくなるので、絶対に戻ってきて欲しいこと。ただし怪我をするくらいなら問題なく、執務ができなくなるほどの重傷なら、むしろ大歓迎だということ。
そしてシルミナは、こういう気持ちを表に出すような女ではない。悲しげに目を伏せ、「ご無事でありますよう」と信じてもいない神に祈っているだけだ。
なにも知らないディロックは、ただ己の婚約者に、いいところを見せねばとの気持ちに満ちていた。
「では出発します。王国とハウベ家、そして愛するシルミナのクララホルト侯爵家に、幸運が訪れんことを」
ディロックは見送りに来たグロームの前で高らかに言う。彼のために編成されたパーテイーは、物音を立てながら出発した。
ダンジョン踏破のためのパーティーは、ディロック他数名の冒険者を雇用しておこなわれることになった。冒険者は全部で4名、他に炊事役が1名と荷運びが5名。さらにはクララホルト侯爵家の家令、フィーリーがついてきていた。
荷運びの数が多いが、水と食料、調理器具、野営用のテントが必要だからだ。これらは全てディロックのために父親が用意した。さらに体力を温存するためと称し、入り口まで馬で移動する。冒険者たちは食糧を自前で用意し、地べたに寝なければならない。
「これだけいれば、鏖竜山脈のダンジョンなどたやすく攻略できるぞ」
威勢のいい言葉に、冒険者たちがうんざりしたような顔を見せる。むろん高額の報酬を払う雇い主にケチはつけない。
代わりに仲間内で囁きあっていた。
「今度のダンジョン、聞いたことあるか?」
「さあ。酒場でいきなり噂になったらしい」
「今まで発見されてなかったのも妙だよな」
「簡単なのか? お前、先行して潜ってみたんだろ」
「たいしたことなかったけど、ほんの少し覗いただけだからなあ」
冒険者たちは慎重だ。生き残って宝を得るためには、事前の情報収集と入念な準備が不可欠となる。多額の報酬にあらがえず雇われたが、近づくにつれ不安は増すばかりであった。
「なんの心配もない」
ディロックは馬上で言い放った。
「我々のために存在するダンジョンなのだろう。むしろ攻略のし甲斐があるというものだ」
父のグロームが息子のためにこのダンジョンを選んだのは、まだ誰にも踏破されていない、いわば処女地だからである。
婚姻前のダンジョン攻略で手垢のついたものを選んでは、貴族の間で「つまらない家」とケチがつく。それだけならまだしも、国王との晩餐会で席次が下げられる羽目になりかねない。そんなことになったら、ゆうに三世代は日陰者だ。
かといって本当に危険なダンジョンに入り、全滅したら目も当てられない。そのため貴族の家は真新しいダンジョンを発見したら、まず冒険者を送って少しだけ捜索させ安全を確保する。その後、悠々と子息の本隊を潜らせるのだ。「まっさらな地」であることを担保するため入り口の封鎖は当然で、資産のある家になると周辺の土地を買い上げ立ち入り禁止にするいう。
婚姻間近の子息を抱える貴族たちは、未踏破のダンジョンを押さえておくため、噂の収集をおこたらない。ディロックが潜るところも、クララホルト家の使用人が聞きつけてきたものであった。
「ハウベ家とクララホルト家は代々ダンジョンの攻略を失敗したことはない。それらは全て神と我が家の威光のおかげである。安心して進め」
婚姻の予定とダンジョン攻略の興奮で、ディロックは上気している。
もう冒険者たちは返事もしなかった。ただ「最近になって出現した謎のダンジョン」への対処で頭がいっぱいになっていた。
●2-2 ダンジョン攻略(ディロック視点) 2
クララホルト侯爵領は王国の一部であり、その西端は王国の国境といつにする。
国境は鏖竜山脈の手前、ファブの森に入るあたりにあった。正確には鏖竜山脈まで王国の一部なのだが、あくまで地図上のことで、そこまで支配は及んでいない。ファブの森に入ることは未開の地に足を踏み入れるのと同義であった。
ディロックたちはそのファブの森に入った。
「武者震いがする」
ディロックは自身の言葉を吹き飛ばすように言う。
「だが私の力なら恐れることはない」
フィーリーも冒険者も答えない。周囲の警戒を怠っていなかった。
幸いなにもなく、一晩森の中で過ごしてから、ダンジョンの入り口に到着した。
入り口は一度確認されており、封鎖のため木の柵で覆われている。ディロックは馬に乗ったまま封鎖を解くよう命じ、冒険者たちが剣や斧で柵を破壊した。
「どうぞ中へ」
「うん」
ディロックは馬から下り、ぽっかりと空いた暗がりに近づく。入ろうとして、二、三歩後退する。
「く、暗いな……」
「そりゃダンジョンですから」
重そうな斧を持った、いかにも古強者といった様相の冒険者が答える。
「松明とランタンがありますよ」
「そうだな。誰かそれを……あー、いや。数名、先行しろ」
雇い主の命令であったが、冒険者は露骨に嫌な顔をした。
「ディロック様が先頭に立たないと、勇気を示すことにならんでしょう」
「順番は重要ではない。全員が一丸となってダンジョン攻略することが大切なんだ」
冒険者は傍らのフィーリーに囁く。
「いいんですかい」
「仕方ない。君たちが先行してくれ」
フィーリーは肩をすくめた。
「確かに全員で踏破すればいいんだ。他の家でもこんなのはよくやってる。ダンジョンの中で誰か見てるわけじゃないから」
「俺たちの報酬、弾んでもらいますよ」
冒険者が三人、先に立つ。しばらく間隔を開けてから、ディロックが向かった。
ディロックの側にいるのは治癒役の冒険者とフィーリーだ。フィーリーは「なにかのときのため、冒険者をもう一人お近くに置かれたら」と進言したのだが、「それは勇を見せることにならない」と却下されたのだ。そのくせ治癒役は手元に置きたがる。
ディロックは腰の剣を抜き放った。
「これは我がハウベ家に伝わる宝剣。どのようなモンスターも切り裂いて見せる」
ここに先ほどの冒険者がいたら、「じゃあやっぱりお先にどうぞ」と言われるだろうが、フィーリーはなにも言わずに頭を下げた。
宝剣なのは確かだ。ランタンに照らされた刀身は刃こぼれ一つなく、柄には豪華な宝石がいくつも埋め込まれている。伝説によると、はるか西の海に出現した巨大モンスターを、海面ごと両断したらしい。もっとも1000年ほど前の話であり、今は儀礼的に持ち歩くことがあっても、使われていない。
ダンジョンは暗く、ランタンと松明の輝きが壁面を反射している。フィーリーは時折壁や床に触って感触を確かめていた。
ディロックが見とがめた。
「フィーリー、なにをしている」
「いえ……どうも床がつやつやしています。あまり汚れがありません。まるで最近作られたみたいです」
「愚かなことを。王国のダンジョンはほとんどが古王朝時代に作られたものだ」
「それはそうなんですが」
首をひねるフィーリー。ディロックは先を急がせた。
「早く最深部に到達するぞ。ハウベ家とクララホルト家の偉大さを刻むんだ」
突然、前方から叫び声が流れてきた。
ディロックは慌ててフィーリーの後ろに隠れる。
「なっ、なんだ!?」
フィーリーは騒がず、腰の剣に手をやりながら待つ。やがて前方から、三人の冒険者が戻ってきた。
「罠です。一人が足を取られました」
ディロックがつばを飲んだ。
「危険か? 引き返した方がいいか!?」
「簡単なものですよ。かすり傷程度です」
フィーリーは安心して剣の柄から手を離す。ディロックもほっとしたか大きな声を出した。
「よし! さらに奥へ行くぞ!」
冒険者たちは特に返事をせず、先を進む。
歩くにつれ、通路の床や壁の仕掛けが目に入る。それらは足を引っかけて転倒させるものや、壁から矢が飛び出すものだった。どれもたいしたものではなく、冒険者が発見しては解除していった。
彼らによってダンジョン内の安全は、ある程度保証されている。そもそもが腕利きたちだ。奥に行くにつれ、ディロックはすっかり気が大きくなっていた。
「踏破したようなものだな」
「そうでしょうか」
さすがにフィーリーは、そこまで楽観的になっていない。外に出て、城に着くまで気は抜けないものだ。
ディロックは鼻歌を歌いそうである。
「前人未踏のダンジョンと聞いたが、どうってことないな。歯ごたえがなさすぎる」
「油断禁物です」
「だが、どこにも危険な罠がないじゃないか」
「それはそうなのですが……」
「設計したものが手を抜いたのだろう。まあ、私の実力が上ってことでもあるがな」
ディロックの笑い声が壁に反射して響いた。
不意に前方が広がった。壁が両脇に広がって、天井はやや高く、小部屋の場所に出た。
反対側の壁に、頑丈そうな扉がある。冒険者の一人が確認した。
「動かない。破壊も時間がかかりそうだ。鍵が必要だな」
そして小部屋の角に宝箱が設置されていた。
「おお、このダンジョンの宝か。中身を持ち帰れば、踏破した証拠になるな」
ディロックが喜色満面で言う。駆け寄ろうとするが、フィーリーに止められた。
「まずは確認しましょう」
「なにを言うんだ。宝に決まってる」
フィーリーはディロックを押しとどめたまま、冒険者の一人にうなずく。その人物は宝箱に近づき、手をかざした。
魔法による確認であった。中の品目までは分からなくても、危険かどうかは判別できる。
「大丈夫です」
冒険者が下がる。ディロックは力を込めて開けた。
宝物はなかった。代わりにあるのは、鉄製の鍵だった。
「ほう、あの扉の鍵だな」
フィーリーは怪訝な顔をした。
「少し安易では。鍵を扉のすぐ近くに隠しますか? しかも宝箱なんて分かりやすいところに」
「試してみれば分かる」
ディロックは奥の扉の鍵穴に、鍵を差し込んだ。右にひねるとカチャリと音がする。
扉はあっさり開いた。
「見ろフィーリー。私が正しかった」
ディロックは自らの予想が当ったことで、かなり機嫌を良くしており、臆病さも消えつつあった。
「よし、これからは私が先頭に立つぞ」
「お待ちください。これは油断させる罠かもしれません。ここまで安易なダンジョンは聞いたことがなく……」
「作ったものが、我々の実力を見誤ったんだよ」
扉の奥は下向きの坂道になっている。暗くてなにがあるか不明だ。だがディロックは進む気満々だった。