1-2 侯爵令嬢は転職をする
エヴェリーナはドラゴンによって、ファブの森を抜けダンジョンまで運ばれた。
彼女はドラゴンの脚に噛みつき、あまりに固い鱗に四苦八苦している最中、空腹で気を失った。ドラゴンはしばらく、この人間を唖然として眺めたあと、爪に引っかけると自らの居室へと運んだのであった。
ドラゴンの居室は地下深くにある。広くて天井も高い。長大な柱が数本そびえ、篝火がそこかしこで焚かれている。床は綺麗な石畳であり、いかなる技術なのかわずかな傾きもなく、びっしりと敷き詰められていた。
彼女は目を覚ます。裁断のような場所に寝かされていた。そこでドラゴンと、再び対面した。
「起きたか、人の子よ」
ドラゴンが声を放つ。ただし、以前のような重々しさはない。
「いきなり人の足に噛みついてくるとはなにごとだ。しかもそのまま気絶した。余があれだけ脅したんだから、普通は尻尾を巻いて逃げるはずなのに、まったく呆れたやつだ」
エヴェリーナはぽかんとしていた。
「……ドラゴンが喋った……」
「そりゃ喋るだろう。人の言葉を人しか理解できないというのは、大きな偏見だ」
ドラゴンは呆れたように息を吐く。風が起こり、エヴェリーナの髪が舞った。
彼女は身体を起こしつつ、眼前の出来事をぼんやり噛みしめていた。どう見ても伝説の古代竜なのだが、おどろおどろしさと共に語られる形象とは違い、どこか柔らかさと、親しみやすさがあった。
ドラゴンがじっち見つめる。エヴェリーナは口を開こうとして、腹を押さえた。
「……お腹空いた」
「ん? ああ、そんなことを言ってたな」
ドラゴンが視線を部屋の隅にやった。木製の扉が開くと、身体のがっしりした、大きな男がやってきた。身体は青銅色で、角を生やしており、ギラギラとした眼光をたたえている。
「オーガ……?」
エヴェリーナが思わず身を縮める。
オーガは木星の盆を手にしていた。盆にはパンと木のコップに入った牛乳、ブルーベリーが載っていた。
彼女にとって、空腹はオーガの恐ろしさを上回った。オーガが盆を置くと同時に手を伸ばし、貪るように口に入れる。
あっという間に空にした。人心地つく。
「ふう……ごちそうさま」
「よく食うな、まったく」
「でも、なんでオーガが?」
「ダンジョンで雇っている。体力があって不平を言わないから、実にありがたい」
ドラゴンは当然のように言っているが、エヴェリーナには不思議だった。
「オーガなんておっそろしい怪物じゃない。人の肉食べるのよ。子供が泣き止まない時なんて、親は『いい加減にしないとオーガが来るよ』って言うくらいだし」
「彼らだって好きで人の肉を食べたいわけじゃない。衣食住をちゃんと与えれば、人家は襲わないし攻撃性も発揮しない」
「ダンジョンに住んでいるって聞くけど」
「人間と違って薄暗いところを好むだけだ」
オーガはすでに戻ったのか姿がない。今度はドラゴンが質問する番だった。
「どうしてお前はあんなところにいたのだ」
「それには深いわけがあって」
彼女は最初から丁寧に説明した。自分の境遇を古代竜に伝えるなんて変な話だが、食べ物を貰ったこともあり、そうするべきだと思っていた。
「……とまあ、城を追い出されたわけ」
「追放されて独り身なのだな」
「まあね」
「行くあてもないと」
「はっきり言われると寂しいじゃない」
ドラゴンが前足の爪で、頬のあたりをこりこり掻く。妙に人間くさい仕草だった。
「ならばどうだろう。このダンジョンを継いでみないか」
「は?」
エヴェリーナは思わず聞き返した。
「どういうこと?」
ドラゴンは、彼女の疑問は同然だと言わんばかりにうなずいた。
「知っての通り、この鏖竜山脈はダンジョンが多い。俺はこれらを整備して管理している」
いつの間にかドラゴンの一人称が「俺」になっていたが、そんなことより彼女は話の内容にたまげていた。
「これってあんたのものなの?」
「まあそうだ。多数のダンジョンに宝箱を置き、モンスターを操っているのが、最深部に位置する俺というわけだ」
「あたしに継げってのは?」
「俺もかなり長いこと管理人をやってて、いい加減飽きてきたんだ。隠居したいが後継者がいない。せめて気分転換がしたくなって外に出たら、お前に出会った」
「だからってあたしにする?」
「無駄にやる気があって頭も回り、帰るところがないというのがいい。途中で投げ出す恐れもない」
「奴隷の条件みたいね」
「束縛するわけじゃない。ここで管理人をやれば、衣食住は保証するし退屈することもないぞ。どうだ?」
紅玉の瞳が覗き込んでいる。
エヴェリーナは腕組みをした。ドラゴンの言う通りだ。路銀はないし寝るところもない。出ていってもあてはない。ここにいれば雨露はしのげるし、食べ物にも不自由しないから、空腹で倒れることもなかった。
決断までは早かった。
「いいわよ。やる」
「よし」
ドラゴンは満足そうに歯を剥き出しにする。
「今日からお前……エヴェリーナがダンジョンの主だ」
「ていうか、管理人でしょ」
「王とか支配者の方がかっこがつくぞ」
「でもどうすればいいのか分かんない」
「それは教えてやる。すぐに慣れる」
彼女は納得しつつも、肝心なことを訊いた。
「私、ディロックとシルミナに復讐するつもりだったんだけど」
「おい。お前はダンジョンを自由に操れるんだぞ」
首をかしげたが、すぐに思い至った。
「あー、そっか。ディロックはダンジョンの探索に来るもんね」
「そういうことだ」
エヴェリーナは表情を明るくした。
「ダンジョンにやってきたディロックを痛い目に合わせてやる! シルミナにはオーガ軍を送って、城ごとを火の海にしてやるから!」
「オーガ軍は洒落にならないから止めておけ。ダンジョンだけにしろ」
「やり方教えて!」
目を輝かせて頼む。ドラゴンは「ついて来い」と言って身を翻した。