3-8 シルミナのうごめき 1
父親のグロームが持ってきた身上書を眺めたシルミナは、ゆっくり首を振った。
「いけませんお父様。ネット男爵は独身ですが、領地は王国のはるか北。あんなに遠くては、好きなときにお父様の顔を見ることもできません。わたくしに子供ができても見せられないなんて、とても耐えられません」
いかにも悲しそうに目を伏せるシルミナ。グロームはどこか嬉しそうにうなずいた。
「そうか。いや儂もそう思っていた。また別の婿候補を探してこよう」
グロームは引き揚げていく。
一人きりになり、シルミナはあからさまに舌打ちをした。ネット男爵家などという田舎貴族はお断りだ。王国貴族内でも席次は下。資産もろくのものがない。人当たりがいいというだけでグロームが持ち込んだのだが、そんな金にならないものは必要ないのだ。名家で広大な土地を持ち、土地が金を生むような貴族の息子がいい。
父のグロームはそのあたりの勘所が悪い。人当たりが良ければいいだろうと思っている節がある。私は男性と結婚したいのではない。肩書きを得たいのだ。
父が駄目なら自分で探すしかあるまい。婚姻が破談になってから、彼女は貴族令嬢たちを頻繁に招き、様々な噂話を収集した。
シルミナの招待に、令嬢たちは喜んでやってきた。ディロックとの破局がシルミナにどんなショックを与えているか、この目で確かめるためだ。彼女は希望通り泣きまねまでしてみせて、好奇心を満足させた。
代わりに様々な情報を手に入れた。貴族の資産状況、立ち振る舞い、外見、根も葉もない噂にいたるまで、十分満足できるものだった。
彼女は夜になると、それら情報を書きだしてじっくり検討した。
王都よりも遠いところは駄目。兄弟姉妹が多すぎるのも駄目。領地が小さいのは駄目。家格が低いのも駄目。借金背負っているのはもちろん駄目。
「ろくなのがない……」
思わず口に出た。いい条件のものは、すでに「売れて」いるのだ。こうしてみるとディロックはかなりマシな部類であった。
「相手の年齢を上げるか下げるかしようかしら。愛があれば年なんて関係ないって言えばいいんだから……あら」
窓の外が騒がしいことに気づく。
庭師たちがなにやら声高に話をしていた。相手は調理人のようだ。喧嘩をしているのではなく、外で目撃した出来事を喋っているらしい。
シルミナは自分付きの召使いに、庭師になにが起きたか聞いてくるように命じた。彼女は目下の者に自分自身で尋ねに行くことはしない。
ほどなくして召使いは戻ってきた。
「なんでも、郊外でグリフォンを見かけたそうです」
「グリフォン? ……ああ、大きな鳥」
シルミナはモンスターに詳しくない。漠然とした想見しかなかった。
「庭師が買い物ついでに見かけたそうなのですが、グリフォンは背にフィーリーさんを乗せて飛び去ったそうなのです」
「クビになったのだから、なにしてもいいわよ」
「それがその、フィーリーさんを乗せたグリフォンなのですが……お嬢様が操っていたらしくて」
「なんですって!?」
普段のシルミナなら、自分以外に向けられた「お嬢様」という単語を聞き逃さない。この城でお嬢様と呼ばれるのはただ一人、自分以外にあり得ないからだ。だがそんなことも失念するほど驚いていた。
この場合のお嬢様が誰を指しているのかは明らかだ。エヴェリーナなのである。
「あの娘は鏖竜山脈で野垂れ死んでいるはずよ!?」
「庭師は見たと申しておりました。どこにも怪我なく、元気そうだったと」
事実がどうこうより、シルミナの勘気に触れないよう召使いは縮こまっていた。
身一つとなったエヴェリーナにできることは限られており、クララホルト侯爵家唯一の相続人となったシルミナとは立場が天と地ほどもある。だから気にするまでもないのだが、クビになった家令を連れていった。もしかしたらなにかあるのかもしれない。
シルミナは召使いを下がらせた。そして兵士を一人呼び出す。
「鏖竜山脈に調査に行って」
「は……」
兵士はいかにも嫌そうな返事をしていた。鏖竜山脈はモンスターが多く出る地で、熟練の冒険者以外は近寄らないのが吉だ。現にディロックがダンジョンで失敗したではないか。
だがシルミナは、そんな兵士を叱責した。
「それでもクララホルト侯爵の兵士!? 魂はどこへ忘れてきたの」
「しかし……」
「私はいずれクララホルト家を継ぐことになるわ。命令を聞いておいた方がためになるわよ」
不承不承ながら、兵士はうなずいた。臨時雇いの傭兵とは違い、常備兵は給金が保証されている分、難題を押しつけられる率が高くなる。兵士は不満と不安を押し殺しながら下がっていった。
また窓の外を眺める。庭師と調理人はすでに姿を消していた。シルミナは呟く。
「なに考えているのか知らないけど……二度と立ち上がれないようにしてあげるわ」
この台詞が誰を指しているのかは明らかだ。シルミナの敵意はいまだ消えることなく続いていた。




