2-6 悪役令嬢の誕生
ディロックたちは、時間をかけてハーネリア城に帰還した。
荷運びの何人かは先行して帰していた。「ディロック様が恐るべきダンジョンを攻略した」と触れ回るためである。これが侯爵領内に十分浸透するよう、ゆっくり戻ったのである。
悠々と帰還したディロックは、まず冒険者たちに報酬を渡して追い払った。フィーリーだけを連れて謁見の間におもむき、グロームと対面する。
謁見の間にはグロームだけではなくハウベ大公もいる。ディロックは二人の前で床に膝をつき、頭を下げた。
「ディロック、ただ今帰還しました」
グロームとハウベ大公は満面の笑みで出迎えた。
「おお、婚約者殿、よくやった」
「お前は我が家の誉れだ」
ディロックは二人の賛辞に心地よいものを感じながら、自らの功績を誇った。
「ダンジョンを踏破してまいりました。もはやあそこは子供でも安全に入ることができるでしょう。目に見える宝こそありませんが、シルミナの夫としてふさわしいものを得たと思っています」
「ふむ、それはどのようなものだ」
「勇気です」
ディロックは断言した。
「ダンジョンの深奥部に入るのは容易ではありません。充実した装備、気力、なにより勇気が求められます。私は勇気を得ることで、貴族として領民を導き、王国を反映に導くものとなりました。今後はよりいっそう研鑽を続け……」
彼のセリフは続かなかった。謁見の間に、巨大な鏡が運び込まれたのである。
「それはなんだ」
「さあて、領主様と大公様への贈り物とか」
立派な鏡だった。人の背丈よりも大きい。ここまで大きいと製造に高度な技術が必要だから、そうそうあるものではない。贈り物にできるのは、かなり裕福な人間に限られる。
「陛下からだろうか」
グロームは不思議がっているが、ディロックは青ざめていた。覚えがあるものなのだ。
突然、鏡の表面が光った。
石造りの部屋が映し出される。薄暗くはあったが、しっかり奥まで見えた。
「鏡になにか映ったぞ?」
「魔法の鏡だったのか」
室内の中央には祭壇があり、両脇には鎧が飾られている。奥にはガーゴイルらしき石像も設置されていた。
「ほう、どうやらダンジョンのようだな」
グロームの言葉にハウベ大公もうなずく。
ディロックは「このへんで……!」と止めにかかるが、父親と義父は興味深げにしていた。
画面左手から男性がやって来る。すぐにディロックだと分かった。
「婚約者殿ではないか!」
ディロックはなんのためらいもなく宝箱の蓋を開ける。すると突然鎧が動いた。活躍が見られるのかとグロームは鏡を注視する。
しかし、そうはならなかった。
突然動き出す鎧。ディロックは宝剣を抜くも歯が立たず、逃げ回るも打ち倒された。さらには石像までやってきて、ディロックに恐怖を与える。
『くっ、くるな、くるなー!!』
ディロックの顔が大写しになる。恐ろしさで歪み、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。腰を抜かしたまま後ずさりする姿は、とても貴族の子弟とは思えない。
唖然としながらグロームとハウベ大公は見つめる。鏡の中のディロックは鎧と石像に囲まれながら気絶した。
鏡は映像を終わらせた。余すことなく映し出されたディロックの醜態に、グロームとハウベ大公派唖然としていたものの、やがて顔を真っ赤にした。
「婚約者殿! これはどういうことだ!」
「い、いや、これは私では……!」
「はっきりと映っているではないか! 勇気をどうやって得たのだ!」
「なにかの間違いです!」
「だったら間違いだと証明できるのか!」
ディロックは顔を伏せたまま答えられない。
証明もなにも事実なのだ。誰も見ていないはずだった。だからダンジョン踏破を報告したのに、こんなことになるとは。
父親のハウベ大公も叫んだ。
「偽りの報告をしたのか! 我が息子ながらなんと情けない……!」
「父上……これは……」
「言い訳など聞きたくない! もう一度ダンジョンに行って参れ!」
ディロックはなにも答えない。やはり驚きながら見ていたフィーリーが言った。
「僭越ながら、それは無理ではないかと愚考します。一度の挑戦でダンジョン攻略を成し遂げるのが王国の習わし。再びの挑戦は王国の名を汚すことにも繋がります」
「ならばどうしろと」
「……今度の婚姻を破談にし、数年の間を置けばなんとか……」
「なんだと!?」
「それしかない!」
最後に言ったのはグロームである。
「よくも我が家と娘の顔に泥を塗ったな。ディロック、お前との婚約は破談だ!」
「しかしシルミナの気持ちは……」
「娘は関係ない! これは家の問題だ!」
グロームはハウベ大公の方を向いた。
「大公、かくなる上は婚約無効で問題ありませんな」
「う、うむ……」
「ならばこの男を一刻も早く連れ帰っていただきたい」
すでにディロックのことは「この男」呼ばわりだ。ハウベ大公は顔を真っ赤にしたが、言い返すこともできない。
「さっさと立て、ばか息子が!」
大公はディロックの腕を掴むと、足早に謁見室を出ていった。
しばらくして、奥の斑幕の陰から少女が顔を覗かせた。シルミナである。
「ディロック様……帰られたのですね」
「そうだ。勝手に婚姻を破談にして、お前には悪かったと思うが……」
「いいえお父様、私は従います」
シルミナは残念そうに言う。
「まさか失敗を取り繕う方だとは……。本当は失敗していたなんて、男の人というのは分からないものですね。シルミナはまだまだ殿方を見る目がないのだと痛感しました」
「お前は悪くない」
「クララホルト家のためなら、私はどのようなことにも耐えて見せます」
「すまんな。またよい縁談を見つけてくる」
グロームは娘の言葉に安堵していた。
だがこの中に、シルミナの真の性格を知っているものがいたら、悲しそうな表情の裏にあるものを読み取っただろう。怒りのあまり、ディロックを呪い殺そうとする激情が隠れていたのだ。
彼女は権力が大好きだ。クララホルト侯爵家とハウベ大公家の結びつきは、シルミナに栄光の座を約束するはずであった。ディロックをうまく操れば、広大な領土と民衆が手に入る。王国貴族の中でも屈指の実力者となり、いずれは王国そのものも視野に入るはずであった。
それらは全て水泡に帰した。またやり直さねばならない。これまでの時間の無駄を思うと、絶叫したくなるのも当然であった。
シルミナはさも悲嘆に暮れているような物腰で顔を伏せると、足早に隣室へと去る。ときおり怒りで歯を噛み鳴らしたが、それを知るものは一人しかいなかった。
◇ ◇
「ありゃ相当怒ってるわねえ」
ダンジョンの奥深くで、エヴェリーナが言った。彼女が城まで運ばせた鏡には、映像を再生するだけではなく、同時に向こうの様子をこちらに送る魔法技術も使われていた。
「シルミナって自分がばかにされたって思っていそう」
「自尊心の強い人間は皆そうだ」
横にいるドラゴンが同意する。
「だからこういうやり方が有効なのだ」
「ディロックもこれで懲りてくれりゃいいけど、反省できんのかしら」
「よりを戻そうと言ってきたらどうする」
「無理無理。こっちから願い下げ」
エヴェリーナは首を振った。
コボルドたちが鏡を片づけた。エヴゥリーナは水差しをコップに傾けた。
「まあディロックには復讐できたわけなんだけど」
「不満か?」
「お義父様とシルミナにはほとんどなにもしてないから」
貴族は噂が大好きだ。ディロックの失態はすぐに広まるだろう。当分は舞踏会にも顔を出せまい。だがグロームとシルミナは、感情を害しただけで地位は不変だ。むしろ同情が集まるかもしれない。巨悪は生きている、というのがエヴェリーナの気持ちだった。
「いずれ復讐の機会も来るだろう」
「また別の男と婚約して、ダンジョン攻略するかもしれないしね。あたしも管理人として腕を磨かないと」
ドラゴンが目を細めた。
「ふむ。ダンジョンの管理者として自覚が出てきたな」
「実はねえ……他に考えたことがあんの」
彼女はにやりとする。
「ギルドを作るの」
エヴェリーナはもったいぶりながら、自分の案を披露した。
「ダンジョンを作るだけじゃない、冒険者の組織もするの。そこでダンジョンの情報交換をしたり、武器や防具の売り買いもするってわけ。だから冒険者の同業者協会」
「冒険者ギルドか……」
「冒険者って需要にダンジョンって供給をあてがう。どっちも管理することで全てを握るのよ」
「なるほど、いや、いい案だ」
ドラゴンが翼で床を打ち鳴らした。
「俺も頭に横切ることはあったが、実現まではいかなかった。見事な発想だ」
「あたしが王国中のダンジョン、いや大陸全てのダンジョンを管理してみせるわよ」
「そういうのは、別世界の言葉でマッチポンプと言うんだぞ」
「なあにそれ」
「自作自演のことだ」
「冒険者たちに損はさせないわよ。でも我ながらやってることが悪役っぽいわね。悪役令嬢って感じ?」
「ぴったりだな」
エヴェリーナとドラゴンは、顔を見合わせて笑い合った。