2-5 後始末
「うわあ、みっともない」
エヴェリーナはドルルたちの工作室で、鏡に映るディロックの悪戦苦闘ぶりを眺めていた。これはダンジョンの片隅に設置した鏡と対になっており、鮮明な映像を映し出す魔法のアイテムである。
彼女は最初ダンジョンの外に出て、ディロックたちを観察していた。入ってからはコボルドたちの報告で様子を知り、最後の部屋は鏡を通して見ていたのだ。
冒険者たちとフィーリーが手際よく進んでいくのには感心すると同時に、「ダンジョンの作り方を間違った」と思った。さすがに焦ったが、ディロックが無謀さを発揮したことで心配はなくなった。一人で宝箱を開けようとしたところなどは、安心しきって寝転がりながら見ていたほどである。
ディロックが鎧とガーゴイルに追い回されたところは、喜劇以上の喜劇だと手を叩き笑っていた。だが徐々にうんざりしてきた。なんで自分はこいつと婚約などしたのだろうか。経験不足で弱いのは別にいい。だったら慎重さで補うべきだ。それか他者の忠告に従うとか。驕り高ぶるだけでは結婚生活など知れたものだ。
とはいえ、自分の知る貴族の子弟などこんなものである。もちろん立派な人物もいるが、大半は外れクジ扱いなのだ。
鏡越しに、室内で伸びているディロックを見ながらドラゴンに訊いた。
「これ、どうすんの」
「放っておいてもいいが、お前の婚約者だろう。好きにするといい」
「元婚約者」
訂正してから、最後の戦いの場になった部屋へ向かう。
鎧とガーゴイルはその場で動きを止めていた。エヴェリーナは気を失っているディロックの元へ寄った。
顔をしみじみと眺めた。
いい男ではある。貴族の気品を感じさせた。だが母を貶めたことは許しがたい。
「これ、フィーリーたちのところに送りたいんだけど」
ついてきたドルルは宝剣をディロックの腰に戻しながら、なにやら叫ぶ。鎧が動きだし、ディロックを抱えると、祭壇裏の水たまりに放り込んだ。
水たまりを見ると、ディロックの姿がない。
「どこ行ったの!?」
ドルルは工作室に帰る。エヴェリーナは急いでついていく。
工作室の鏡には、フィーリーたちが映し出されていた。いつのまにかそこにも鏡が設置されていたらしい。
フィーリーたちの足元には、気絶したディロックがいた。あの水たまりは、魔力によって任意の場所に転移させる装置のようだ。
フィーリーも冒険者も、突然ディロックが出現したので仰天している。なんとか目を覚まさせようと四苦八苦していた。
「これ、音聞こえる?」
ドルルが鏡の下側をいじった。ややくぐもってはいるが、はっきりした音声が聞こえた。
『なんでいきなり出てきたんだ?』
『奥はどうなっているんだろう』
『怪我はないんだよな』
最後のはフィーリーだ。まずディロックの心配をするところが彼らしい。
『なんとか起こしてくれ』
薬師がいくつか薬を取り出し、順番に鼻の下に持っていく。三つ目でディロックが咳きこんだ。
『ごほごほ……ここは……どこだ?』
『ディロック様、お目覚めになりましたか』
『おおフィーリー……ということは、私は戻されたのか』
『心配していました。奥はどのような様子なのですか』
『奥はな……』
そこでディロックははっとした。不安げに周囲をきょろきょろする。
『……私のあとには誰も来なかったのか?』
『はい。怪我人の治療が遅れてしまいまして』
フィーリーの言葉を聞き、あからさまにほっとしている。
ディロックはいきなり重々しい口調になった。
『実は……奥は大変なところだった。数多くのモンスターに無数の罠、一歩進むのにも苦労するところだ。それら全て打ち倒したが、私でなければとうてい無理だっただろう』
聞いていたエヴェリーナは呆れた。この男はなに言ってんのよ。
『もう駄目だと思った瞬間、目の前がぱっと開けた』
ディロックは遠くを見るような目つきになる。
『そこは明るく、美しい場所だった。地下なのに陽が差し、見たこともない花が咲き誇っている。中央には泉があり、清水がこんこんと湧き出ていた』
『はあ』
『私はふらふらと泉に近づき、一心不乱に飲み続けた。王国中の美酒を集めてもあの水には及ばない。それほどのうまさだ。恐らく滋養もあるのだろう。疲労した身体に染み入り、私は見る見るうちに回復した』
合いの手を入れるフィーリーはともかく、冒険者たちは黙って聞いている。
『ふと顔を上げると、そこには宝箱があった。水を飲むことに霧中で気づかなかったのだ。これこそが私が求めるもの。我がハウベ家と妻シルミナのクララホルト家の栄誉となるものだ。私は慎重に蓋を開けた』
いったん言葉を句切り、ぐるっと見回す。
『するとどうだろう。突然鎧とガーゴイルが現われた。宝箱を守る番犬どもだ。私は宝剣を抜き、遮二無二斬りかかった』
言いながら宝剣があるか確認している。きちんとあった。むろんドルルが戻していたため。
ディロックは安心して話を続ける。
『鎧もガーゴイルも手強かったが、しょせん私の敵ではない。斬り合うこと何合か、全体倒すことができた。改めて宝箱を覗いたら……なにが入っていたと思う?』
『さあ……』
『なにもなかった』
ディロックはにやりとした。
『空だったんだ。私は悟った。つまりこういうことだ。このダンジョン内での成長こそが宝であると。頼りになるのは己のみ。己の力でたどり着いたものだけが、宝箱を開け、真実を得るのだと。金銀だけか宝ではない。このような経験こそが、最も尊く、美しいのだ』
エヴェリーナはもはや開いた口が塞がらなかった。いったいどうすればこんな図々しい考えにたどりつくのだろうか。
そんな気持ちはディロックに届かない。
『私は無言で宝箱を閉じた。次の瞬間気を失い、ここにいるというわけだ』
彼は得意満面で全員を眺めていた。
フィーリーはなにも言わない。彼は感情を表に表わさないのが得意だ。家令として必要な技能である。冒険者はあからさまに胡散臭そうな顔をしていた。
自らの言葉に酔っているディロックは気づかない。
『これでこのダンジョンは踏破したと言っていいだろう』
『じゃあ私らが行って確認しますか?』
冒険者が嫌みったらしく言う。ディロックは急いで首を振った。
『いやいや、そんなことはしなくていい。する必要はない。あとは帰って、シルミナとクララホルト伯爵に報告するだけだ。さあ、引き揚げだ』
ディロックは他の人間の言葉を待たず、元来た道を引き返した。
エヴェリーナはうんざりして手を振る。
「面の皮が厚すぎる。よくあそこまで言葉が出てくるもんね」
「貴族の子弟でも、ここまでのはそういないな」
さすがのドラゴンも呆れていた。
「どうする。あのまま放っておくか?」
「それもしゃくねえ。どうしよう」
ふと、鏡が目に入った。今はなにも映っておらず、普通にエヴェリーナたちの姿を反射している。
「ひょっとしたらこれって」
「全部言わなくていい。もちろんある」
ドラゴンの返答に、エヴェリーナはにやっとした。
「じゃああたしのやりたいこと分かるわね。運ぼう」
意図を察したドラゴンは楽しそうに笑った。はじめて聞く、ドラゴンの笑い声だった。