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0-1 お嬢様、全てを失う

 クララホルト家は王国古参の侯爵家で、エヴェリーナはそこの令嬢だった。だった、なのには理由がある。


「エヴェリーナ。身を引いてくれ」


 そう言ってきたのは婚約者のディロック。王室にも繋がるハウベ大公の子息だ。色白で痩せているが、顔立ちだけは素晴らしい。隣にいるのはエヴェリーナの父親グローム・クララホルト侯爵で、最近めっきり白髪が増えた。


「身を引けってなに?」


 エヴェリーナはあまり上品とは言えない物腰だが、知識だけはある。言葉の意味を知らないはずはない。ただ固い声と強張った表情に、思わず聞き返した。


「婚約を解消するのだ」


 父親が付け加えた。


「身を引けと言っているのは彼の慈悲だ。本当は解消だ」

「なんで!?」


 確かにエヴェリーナはクララホルト侯爵家の長女にしてはがさつだった。声は同年代の少女より大きく、歩くときも大股で、せっかくの整った顔立ちと金髪が台無しだとよく言われていた。婚姻をためらう男性がいるのも、まあまあ理解できる。

 それでも彼女は召使いたちに評判がよかったし、頭の回転も速かったから、クララホルト侯爵家をおとしめることはないだろうと思われていた。なのでディロック・ハウベとの婚約が成就したときは、皆喜んだものだ。もちろん父グロームとしては、権勢を誇るハウベ大公との関係強化が重要だったのだが。


「ディロック、式は来月だったのよ?」

「だから今、解消したい……解消するんだ。君なら分かってくれるはずだ」


 誰が分かるかカボチャ頭。

 エヴェリーナは詰め寄る。そこをグロームが押しとどめた。


「ディロックの心はすでにお前から離れたのだ」

「なんでです!? あたしのなにが悪いんですか。あたしに欠点は……それなりにあるけど、全部分かってて婚約したんでしょう!」


 エヴェリーナはディロックを睨みつけた。


「あなた私に薔薇を渡して、永遠の愛を誓ったじゃない! 結婚式は盛大にやろうって! どうして婚約解消になんの!」

「君は我が家のためにならないからだ」

「どういうこと?」

「ハウベ家とクララホルト家の婚姻は神聖なもの。王国中から招待客を呼ぶのだから、そこに一片の瑕疵があってはいけない」

「それが? 今まで十分話し合ったじゃない」

「君の母が問題なんだ」


 母と聞いてすぐに分かった。現クララホルト侯爵夫人のことではない。エヴェリーナの産みの親、メリーシアのことである。

 メリーシアは庶民の出だ。さかのぼれば貴族の血に繋がるらしいが、その面影はない。村娘として一生を終わるはずであったが、モンスター退治の途中だったグロームに見初められたのである。

 当然、庶民との結婚には貴族界から反対の声が上がった。それでも強引に結婚を進めたのはメリーシアが大変美しかったからだ。彼女には、まだ幼く歯も生えそろっていなかったエヴェリーナがいたが、それも気にならなかった。口説き文句は、娘に十分な食事と教育を与えよう、だったという。

 グロームは約束を守り、エヴェリーナは十分な教育を受けた。そんな中、メリーシアははやり病で世を去る。そしてグロームは後妻を娶った。


「君の産みの親は庶民。しかも父親が誰かすら分からないんだろう?」

「どっかの冒険者らしいけど」

「いずれにせよ、ハウベ家に迎えるには相応しくない血筋だ」


 エヴェリーナは絶句した。

 彼のことを心から愛していたわけではない。しかし政略結婚要素が強いにせよ、ディロックにもいいところがあると懸命に探していたのだ。

 だがそんな努力はたったひとことで粉砕された。なにより、産みの母への侮辱が絶望感を与えた。


「ばっ……ばかなこと言わないで!」


 ディロックはなにも言わない。そして父親は、エヴェリーナの叫びを一顧だにしなかった。


「我が娘よ。お前には二つの道がある。一つは我がハーネリア城でずっと軟禁状態に置かれること。もう一つは侯爵家の名を捨て、城を去ることだ」

「あたしをいなかったことにするつもりですか!?」

「ハウベ家は納得しておる」


 エヴェリーナは絶句した。すでに話はついていたのだ。

 グロームは父だが血縁関係にない。そのせいか親子関係はどこかよそよそしいところがあった。それにしてもあまりにあっけない言い渡しだ。

 今や元婚約者となった男の顔を見る。目線を合わそうとしない。後ろめたさからだろうか。いや、単に気が小さいのだろう。


「……じゃあ、城から出ていきます」

「軟禁状態でも食事に不自由はさせんぞ」

「いりません。自分で生きるようにします」


 エヴェリーナは、はあと息を吐いて下を向く。

 それから顔を上げた。


「さようならお義父様、実は嫌いでした」


 父親の顔色が変わったが、エヴェリーナはいつまでも見ていることはせず、さっさと身を翻した。


 手荷物をまとめ、正門まで歩く。召使いたちが気の毒そうにこっちを見ていた。中には「お気を付けて」と声をかけてくるものもいる。彼女はがさつだが、嫌われものではなかった。

 正門に差しかかると、澄んだ声が聞こえた。


「お姉様」


 エヴェリーナと同じくらいの背丈をした少女。ただし顔つきはだいぶ幼い。茶色の眼が魅惑的であった。

 妹のシルミナである。小さい頃から、エヴェリーナのことを「お姉様」と慕っていた。

エヴェリーナがどこに行こうと一緒について行こうとし、それは今でも変わらない。

 シルミナは、エヴェリーナの実母が世を去ったあと、後妻として遠方より嫁いできた女性、テレーズから生まれた少女だ。系図をたどれば王室にも連なる血筋で、毛並みはかなりいい。


「話は聞きました。お姉様、どっても可哀想」


 目を潤ませ、手を握ってきた。


「どうしてお父様はこのようなことをなさるのでしょう」

「さあ。こっちが聞きたいくらい」

「ディロック様も、もっとお優しい方だと思っていましたのに」

「内心を見抜けなかったあたしの落ち度ね」


 元婚約者は周りに流されやすいたちだが、もう少し芯のある男性だと思っていた。心の中で、彼への評価がどんどん落ちていく。

 もっとも、評価そのものがすぐに意味を成さなくなる。正門をすぎると、侯爵家の庇護下から離れて、ここの人間たちは手の届かない存在となる。


「お姉様、どうかお身体に気をつけてください」

「あんたもね」


 シルミナはハンカチを目元に当てながら見送っていた。


 正門まで来る。ここを抜けたら後戻りは利かない。

 ちらりと振り返った。尖塔が見える。ハーネリア城は初代侯爵妃の名を取った。心優しい人だと伝わっているが、このことを聞いたらなんと思うか。

 エヴェリーナは大きく息を吸う。今までの人生に別れを告げる一歩を踏み出そうとした途端、肩を掴まれた。


「お嬢様!」


 召使いの中年女性だ。他にも料理人やら庭師やら馬小屋の番人やら、大勢の人間に囲まれていた。


「おいたわしや」

「侯爵様もなんと酷いことを」

「私らにもう少し力があれば」


 そういえばこの人たちとよく話をしたり、お菓子をあげたりしたなあ。愚痴を言い合ったりもして、結構楽しかった。みんな、私のことを惜しんでくれるんだ。

 珍しいことに家令のフィーリーもいた。エヴェリーナより年上だが、童顔なので同い年に見える。代々クララホルト家に仕える家系で、城のことなら何でも知っていた。


「気を確かに持ってください、エヴェリーナ様」


 フィーリーは本心から心配した声を出していた。


「これは皆が集めたお金です。道中入り用になるでしよう。どうか持っていってください」

「こんなに……ありがとう」


 渡された小さな麻袋の中を確認し、彼女はにこりとした。もちろん、普段与えられている小遣いに比べれば微々たる額だ。それでも気遣いが嬉しかった。


「僕たちが御一緒できればいいんですけど」

「無理しなくていいわ。あなたたちも生活があるんだから」


 どれだけ惜しまれようと、彼女は城から出ていくしかない。彼らを連れてはいけないのだ。


「それにしたって、シルミナ様も実にあくどいことをなさる」


 これは初老の庭師の呟きだった。エヴェリーナが思わず聞き返す。


「どういうこと?」

「噂なのですが、なんでもシルミナ様が、侯爵様とディロック様にお嬢様の悪口を吹き込んだそうですじゃ」


 フィーリーが、そんな話お耳に入れるものじゃないと注意するが、構わず喋り続けている。


「なんでも、シルミナ様はお嬢様とご一緒にハウベのお城にうかがった際、ディロック様の御両親に話をしたとか」

「それ本当!?」


 これはフィーリーに向けての質問だ。彼は一瞬無念そうな表情を見せた。


「シルミナ様が、ディロック様の心を射止めようとしたのは事実です。旦那様に自分がふさわしいと話しているのを見ました。妹の立場で余計なことはしないと信じていたのですが……」

「あたし知らなかったわよ!?」

「僕が聞いたのも偶然です。シルミナ様がお嬢様のあとをついて行きたがったのも、そのためかと……」

「まさか……」

「侯爵様はシルミナ様をディロック様に嫁がせるつもりです」


 頭の中で、出来事が繋がった。婚約破棄は昨日今日の話ではない。以前から周到に準備されていたのだった。それも仲が良いはずの妹によって。


「……あの女!」


 きっとして振り返る。遠くでシルミナはディロックの手を取っている。二人の距離は近く、誰が見ても親密だ。侯爵子息とその妻にしか見えない。

 そしてエヴェリーナは見た。

 シルミナの口元にうっすらと浮かぶ笑みを。

 遠目だが間違いない。あれは欲しいものを手にした喜びだ。身分と金を得た喜悦。なにより、邪魔者を排除した歓喜のあらわれだ。

 すでにこっちを見ようともしない。もはやエヴェリーナに用はないのだ。

 声を張り上げても、耳を貸したりしないだろう。

 エヴェリーナは無理矢理笑顔を作った。


「……ありがとうみんな。元気でいてね」


 正門から外に出る。背後で重々しい音がして、門が閉ざされた。

 耳の奥の残響も気にせず、エヴェリーナは考えていた。最初は、追放されたらどうしようと思っていた。単に庶民として日々を生きるか、どこか森の奥で野垂れ死ぬか。

 しかし今はやることが決まった。

 あいつらをどうにかするのだ。自分を追放した義父、約束を違えてすまないとも思わない元婚約者。なにより、裏で糸を引いていた妹。

 野垂れ死んだりするものか。かならず、こいつらよりも大きなことを成し遂げて帰ってきてやる。吠え面かかせてやるんだ。


 もうエヴェリーナは振り返ったりしない。乾ききった地面を踏みしめ、一歩一歩進んでいった。

よろしくお願いします。恋愛要素は多少、くらいかもしれません。

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