2 日本選手権
東のT大西のK大とはよく言われる対比だが実態は随分とかけ離れている、と文学部三回生の谷口聡は思う。
なんたって予算が違う。
あちらには鉄の門の倶楽部があって、運動部は結構優遇されていると聞いている。
つい最近になって谷口は強化選手に選ばれた。オリンピック参加を目指せると公式に認められたのだ。
そして銀行口座に入金された食事代という名目の金額を見て思わず落涙しかけたものだ。
これでようやく同じスタートラインに並べる。
これでアルバイトに時間を取られずにすむかと思うと、四条の河原に出かけて有象無象を蹴散らしながら叫びたくなったものだ。
実行してせっかくの強化選手枠から脱落するわけにもいかないので寮の部屋で声を上げるにとどめたのだが、同室の男からは汚い枕が飛んできた。
同じ陸上部員だというのに友達がいのない奴だ。それどころか栄養費が支給されると聞いてその男はさっそく飯を食べに行こうと言った。ようするにたかろうとしたわけだ。
こんなことは東の大学では決してないと思う。
仮にもオリンピックの強化選手に選ばれたのに、祝いの言葉が飯をおごれである。
しかたがないので久しぶりにホルモン焼きを食べに行くことにした。同室の男は寿司(もちろんまわる奴だ)を提案してきたが即却下した。そんなもので肉体の強化は出来ない。
俺はオリンピックを目指すんだから。
本来強化選手に選ばれるためにはかなり厳しい条件がある。陸上選手で言えば、現状で世界の十傑ぐらいにはいなければならないのだ。
そんなところにいるのなら、すでに立派なオリンピアンじゃないか。
だが今の谷口の記録ではアジア大会での入賞さえおぼつかないレベルなのだ。
それでいて何故一番下のランクとはいえ、選ばれたのか。
それは谷口の実績のたまものだった。
高校時代はギリギリインターハイに出場するレベルだった。それが大学生になってからじわじわと記録を伸ばし、二年半でついには日本記録を狙えるところにまで到達した。平均すると一年あたりに一メートル投てき距離を伸ばしてきたのである。
ちなみに競技名は砲丸投げである。
しかしそれでも恐ろしいことに世界との差は絶望的なものがあるのだ。
仮に今、谷口が日本記録を更新しても、オリンピック参加のための標準記録にさえはるかに及ばない。
華やかにトラックを走る連中と比べると、なんと地味でマイナーな事をやっているのだろうとフィールドの隅で黙々と練習をしながらいつも思う毎日なのだ。
そんな谷口の救世主となったのは一人の陸連の職員だった。一応大学の先輩らしいのだが一回り以上も年上のOBなど知っているわけがなかったが、向こうは少しずつ記録を伸ばしてくる谷口に一年以上も前から注目していてくれたらしい。
そもそも投てき競技のようなストレートな力比べの種目で基本的な体力に劣る日本選手が活躍するのは非常にハードルが高いのだ。だいたいこの競技関連で名前が残っているのはハンマー投げのM親子とか、やり投げのT選手とかぐらいだがそれももう覚えている人も少ないだろう。まして砲丸投げなど話題になったことさえ未だかつてなかったのだ。
なんでこんなことやってるんだろう。
もうやめてしまおう。
何度もそう思ったものだ。
だが記録はたとえ一センチであってもとにかく伸びて行ったのだ。競技会で投げるたび、必ずといっていいほどに谷口は投てき距離を伸ばしてきた。そこに注目したのが一職員ではあるが陸連の川口であった。
十数年ぶりに母校を訪れた川口は半日ほど谷口と行動を共にして確信した。
これはもっと化けるかもしれない。
まだ限界には達していない。
何しろこの男は練習の虫だ。
工夫も並みのものではなかった。
筋肉をつくるためにウェイトトレーニングするのはあたりまえだが彼はウェイトリフティング部に出向いて仮入部までした。
突き押しの腕力をつくるためにといって、相撲部の練習に参加した。
そしてどちらの部でも地区大会に参加する程度には実力をつけたのだ。相撲部などは今でも団体戦のメンバーに谷口を招集してくるぐらいだ。
川口は東京に帰ると上司を捕まえては谷口を推薦した。
必ず次のオリンピックに間に合う逸材だと。
日本投てき界の星になる男だと。
そして勝ち取ったのが強化選手の肩書だった。
金銭的な援助のみならず必要ならばコーチの派遣も出来る。海外遠征の道も拓ける。
ただし記録という実績を作れれば、だが。
その舞台が日本選手権だった。
ここで日本記録を出し、海外遠征へのステップとする。しかしそう目論む谷口の前にとてつもない壁があらわれた。しかもその壁をたてたのは他でもない陸連職員の川口だった。
その壁はどう見ても谷口の親父よりも年上だった。明らかに老人だ。髪の毛などほぼ白髪といっていい。最初は新しいコーチを紹介されているのかと思った。
だが違った。
彼は同じフィールドに立つ選手だった。
そしてその老人は試技一投目にあっさりと日本記録を超えたのだ。
会場は騒然となった。