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1 マスターズ大会

かなり地味なお話しでとてもなろう向きではないとは思うんですが、ほかに発表するあてもなく……。

あまり長いものにはならないと思います。

基本ハッピーな話なので不快にはならないかと。

 九月も中旬というのに最高気温は三十度をこえていた。県営競技場のグランドには二メートル程の風が吹いているのだが、流れる汗を乾かすには到底至らない。

 川口史郎四十歳、妻と二人の子持ち、このところ肥満成分増加中。駅伝などでならした学生時代のスマートさはかけらも残っていない。残ってはいないくせに陸連の職員なんかをしているのはどういう事なんだろうか。


 いつもなら十代二十代の若者がタイムを競い合っている競技場だが、今日は風景が異なっている。参加者の年齢層が異様に高いのだ。

 そう、本日のイベントはマスターズ陸上の県大会なのである。オリンピックや世界陸上などでおなじみの競技をあらゆる年齢層の人々がしごく真面目に取り組む一日なのだ。

 参加資格は特にない。二十歳から五歳刻みに分けられたクラス別に競い合う、ただそれだけの競技会なのだが参加者たちの熱気は今日の太陽にも負けてはいない。

 川口は競技の運営以上に、事故の発生を恐れていた。なにしろ自分の祖父クラスの参加者だってゴロゴロいるのだ。熱中症ぐらいで済めば御の字である。


 現在はトラックで百メートル走が、フィールドでは砲丸投げが行われていた。川口の控える本部席からはフィールドの投てき場所が遠くてよく見えないのだが、何やら係員たちが集まって協議しているようだった。

 「トラブルなのか」

 だとすると自分も行かなくては。そう思っていると案の定向こうから一人こちらに走って来る。

 「すいません、ちょっとお願いできますか」

 多分このグラウンドにいる一番若い女の子だろうな。手伝いに駆り出されたどこかの高校の陸上部員なんだろう。良く陽に焼けた肌に白い歯が眩しい。うちのカミさんもなあ、こんな頃が。などと益体もないことを思いながら現場に向かうのであった。


 「だからやっぱりアドバイスはだめだと思うんですよ」

 「そんなこと言ってる場合じゃないんだって、このまま記録なしで終わらせちゃあいかんよ」

 係員たちの中での代表格の意見が対立しているらしい。先ほどの女の子が簡単に状況を説明してくれた。問題は60歳以上クラスで起きたとのこと。

 一人の参加者の投てき方法がどうしても決まらず、ファアルを繰り返してしまったらしい。

 そもそも投てき競技にはあまり難しいルールはない。やりでも円盤でもとにかくより遠くへ投げれば良いのだ。もちろん決められた場所から決められた範囲へだが。

 砲丸投げも同じく決められた砲丸を直径二メートルほどのサークルから投げるだけのことだ。年齢性別で重さに違いはあるがそれが世界共通のルールだ。

 投げるといっても正確には押し出すという表現が相当なのだが、伝統的に日本語では投げるという字を使用している。そのほうが分かりやすいからだがたまに勘違いする者も出てくる。砲丸を振りかぶろうとするのだ。まあ五キロから七キロの重さを振りかぶれるなら是非どうぞというところではある。どうしても試したければボウリング場に行って、一番重い奴でやってみてください。

 ただそれで前へ投げることが出来ても記録としては認められない。もう一つルールがあって、肩より後ろから投げてはいけないというのがあるのだ。分かりにくいね。

 でも選手たちが試技しているのを見れば感覚的に理解できると思うんだけれどな。

 「どうしても肩より後ろで構えてしまうんです、だから全部ファアルになっちゃって」

 女の子が身振りで説明してくれる。

 ああ、それなら仕方ないか。現役の選手なら有り得ない話だけどな。今日の場合はそういう人もいるのかな。

 「このまま帰しちゃまずいんですって」

 「でも係員がコーチしちゃいかんだろ」

 「でも世界記録ですよ、いいんですか」

 ん、なんかすごい単語が聞こえてくるな。

 「川口さん、すいませんお呼び立てして」

 「ちょっと私らだけでは判断が難しくて」

 砲丸投げとはいえこの年齢のクラスになると筋骨隆々という人達ばかりではない。それでも話題の中心になっているのは、髪の毛こそ白髪交じりだが一見重量挙げの選手かと見まがうばかりの偉丈夫の男性だった、 

 投てき用の砲丸置き場の前で柔和な笑顔で並べてある各サイズの砲丸を触っている。マスターズの大会とはいえ現役に近い選手もいるのだが、彼の体つきはひときわ異彩を放っていた。

 身長は170センチを超えたぐらいだが、横幅が大きいのだ。川口のような肥満ではない。明らかにジャージの下は筋肉だとはっきりと判る体つきだった。相撲でもやっていたのかな。


 「カワバタさん、すいませんちょっとこちらにどうぞ」

 係員の一人が声をかけると、彼はちょうど触っていた砲丸を手に取りゆっくりと歩いてきた。

 川口の方を向いてニッコリと頭を下げる。

 「どうしました、投げ方がわかりませんか」なんとなく自分が相手をしなければという雰囲気だったので川口は話しかけた。

 「はい、どうもうまくいきません」

 落ち着いた声だな、と川口は思った。

 「ちょっとこちらで構えてみてください」

 投てき用のサークルに誘導して声をかけた。男は投てき方向に対して反対側を向き、砲丸を肩の上に乗せるようにして軽く腰を落とした。

 「投げなくていいですからゆっくりと動作だけしてみてください」

 身体を半回転させて投てき直前で動作を止めた。なるほど砲丸の位置が首から離れて背中側にある。

 「構えるときもう少し正面を向きましょう。それからもっと首に押し付けるようにして投げるまで離さないようにして」

 今度は実際に投げてもらうことにした。昔の記録映画でしか見たことのないようなフォームになったがこれならファアルにはならない。砲丸は真っ直ぐ飛んでいき、カワバタは嬉しそうにそれを見ていた。つまり45度ほどのひねりだけで、ほとんどは腕の力だけで投げたことになる。

 こんな投げ方をする選手など川口は見たことがない。たぶん戦前ならこうだったんだろうなと、ほのぼのした気分で投げ終わった男を見ていた。だから砲丸が飛んで行った先を見ていなかったのだ。ゆえにまわりがからどよめきが上がったわけがわからなかった。

 「おい、あれは5キロじゃないぞ、間違えたのか」

 「それであそこまで行ったのか」

 「あそこって20メートルラインですよね」

 川口も陸連の人間として関わった前回のオリンピックの砲丸投げに、日本人選手は出場できなかった。なにしろ日本記録を出してもオリンピック参加のための標準記録に2メートルばかり足りないのだ。今までもこれからも、日本人に一番出場しにくい競技の一つがこれなのだ。

 「さすがに7キロじゃ20メートルは超えないか」

 だれかがのんびりとした声で言った。

 さっきまでは超えてたのかよ。


 とりあえず、どうしたらいいんだ。

 まずこの男の身元を確認して、それから……。

 

 「もしもしすいませんお休み中。ちょっと大変なことが……」

 とりあえず、わからないときは報連相だ。携帯を持つ手が震えていた。

 

 

ゆっくりペースで進みます。目指せパリ・オリンピック。

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