たぬきの耳ときつねのひげ
「ふうん、やっぱりきつねはだめね。あたしなら、人間の女の子にだって変身できるもん」
森の巣穴で、たぬきのポン子は古い絵本を閉じました。絵本には『手ぶくろを買いに』と題名が書いてあります。かわいいきつねの親子の絵がのっていました。
「それにあたしは、この子ぎつねみたいに母ちゃん母ちゃんって、めそめそしないわ」
ポン子の両親は、よく町にこっそりしのびこんでは、小さかったポン子に、町の話をしてくれたものです。ですが、ある雨の日、町に出かけた両親が、帰ってこなかったのです。何日もポン子は、巣穴の中で待ちましたが、両親はとうとう帰ってきませんでした。
「他のたぬきたちが、母ちゃんと父ちゃんは、人間の乗り物にぶつかって死んじゃったって言ってた。だから、町は危険だって。ふん、あんなに変身が上手だった母ちゃんたちが、簡単に死んじゃうわけないわ。きっと生きてる。そして、人間の町で暮らしてるんだ」
ポン子の耳が、ぴくぴくと動きました。その耳を押さえるように、ポン子は大きな葉っぱを頭にかぶって、くるり、一回ひねりの宙がえり、ポン子はふわふわの髪の毛に、まんまるい目をした女の子になっていました。赤いスカートをひらひらさせて、ポン子はうなずきました。
「母ちゃんたちがいなくなってから、ずっと練習してたんだもん。ふふっ、うまくいったわ。明日朝から町に行って、探検しよう。母ちゃんたちを見つけるんだ」
「うわー、たくさん人間がいる」
夜明け前に森を出て、ようやく町につくと、ポン子は声をあげました。朝の町には、大きな通りを、人間の乗り物がたくさん走っています。スーツ姿の大人たちはいそがしそうで、ランドセルをせおった子供たちは、元気いっぱいです。ポン子はまんまるの目をさらにまるくして見ています。
「どこに行こう。あっ、なんだかおいしそうなにおいがするわ。コンビニ? きっと人間のお店だよね?」
ポン子のおなかが、グーッとなりました。
「朝ごはん食べるの忘れてた。そうだ、人間の食べ物を買ってみよう」
ポン子はできるだけすまし顔で、そのお店へと入っていきました。お店の中では、緑色の服を着た人間たちが、いそがしそうにレジで機械をさわっています。
「変な音。なんだろう、あの機械。いろんなものがたくさんおいてあって、目がまわりそう。早く食べ物探さなきゃ」
ポン子はおどおどあたりを見まわしました。
「あっ、これ見たことある、母ちゃんがおみやげに持ってきてくれたやつだ」
ポン子はたなに並べられていた、サンドイッチをとりました きょろきょろとまわりの人間たちを見てみると、みんなさっきの機械のところへ、商品を持っていきます。
「絵本だと、人間にお金を渡してたわ」
ポン子がレジを見ていると、おじさんが機械になにかカードをかざしました。そのとたん、「ぴろりん♪」と不思議な音がしたのです。
「えっ、なになに、あれ。絵本じゃあんなの見たことないわ」
ふわふわの髪の毛が、ぴくぴく動きます。ポン子はかくしもっていた小さな葉っぱを、ぎゅっとにぎりました。葉っぱはポン子の手の中で、人間のカードそっくりになりました。
――あたしもあの、ぴろりん♪ってやってみたい――
ポン子はレジに、サンドイッチを持っていきました。もちろん手には、あのカードを持っています。
「これください」
はずんだ声で、ポン子は店員のおばさんに言いました。おばさんは手早くサンドイッチに機械を当てました。
「二百円になります」
「ハイ!」
ポン子は目をきらきらさせながら、カードをかざしました。ところが、さっきみたいな不思議な音がなりません。
「あれっ、あれっ?」
何度もかざしましたが、なにもおきません。
「ちょっとかしてごらんなさい」
店員のおばさんが、ポン子からカードを取りあげました。
「おじょうちゃん、これ、本物のカード? もしかしておもちゃなんじゃないの?」
おばさんがじろりとポン子をにらみます。ポン子の髪がぴくぴく、ぴくぴくとせわしなく動きます。
――どうしよう、このままじゃあたし、たぬきだってばれちゃう――
そのとき、うしろから人間の手がのびてきました。手が銀色のお金を二枚、おばさんの前に置いたのです。
「ごめんよ、この子、ぼくの知り合いなんだ。間違っておもちゃのカード持ってきちゃったみたいだから、代わりにぼくが払うよ」
ポン子はうしろをふりむきました。スーツを着たお兄さんが、にっこり笑いかけました。
「まあ、払ってくれるなら別にいいけど」
おばさんはまだポン子のことをじっと見ています。お兄さんは気にせずポン子の手をとりました。
「さあ、行こう。学校におくれるぞ」
お兄さんはサンドイッチを持って外に出ると、ポン子にささやきかけました。
「あの、あたし……」
「おいおい、よくそんな変身で町に来たな。ほら、耳を忘れてるぞ」
そういってポン子の髪の毛を、ひょいっとつまみました。ポン子はハッと耳をさわりました。いつの間にかふわふわの髪から、たぬきの耳が出ています。
「やっぱりおれたちのほうが変身は上手だな。子どもはおとなしく森の中にいなよ。そうしないとつかまえられちゃうぞ」
お兄さんはにやっと笑って顔を近づけました。さっきまではなかった、ぴんっととがったひげが出ています。
「あっ、きつねのひげ」
ポン子にサンドイッチを渡すと、お兄さんはひらひら手をふりながら、人ごみの中へ消えていきました。
「危なかった。きつねに助けてもらうなんて」
ようやく森の入り口へたどりつくと、ポン子はほうっと息をはきました。
「もっとちゃんと練習して、あのきつねみたいに、本物の人間そっくりにならなくっちゃ。そして、絶対母ちゃんたちを見つけるんだ。それにしても、おなかすいちゃったな」
お兄さんに渡されたサンドイッチを、ポン子はむしゃむしゃと食べはじめました。
「わっ、おいしい!」
ポン子の耳が、またぴくぴくと動きました。