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蛍雪の功

 電車に揺られながら、俺は目を瞑って考え事をしていた。何を考えているかって? それはもちろん隣にちょこんと座っている妹のことだ。


 「わぁー! 高い建物いっぱい!」


 「こら、行儀よくしてないとこのまま帰るぞ」


 日曜日。都内某所の動物園に向かう電車の中なのだが、一駅進む度に辺りの建物が高くなっていくのと同時に、妹の気持ちの昂りも増していく。我慢できなくなって座席の上に膝立ちして窓の向こうを見る。それを注意されて、少し不満ながらも大人しくしている。短くてまだ床に届かない脚をブラブラさせながら、前に立っているおじさんの鞄を凝視している。あまり注意しすぎても更に機嫌が悪くなるだけだろうし、すぐにやめるだろうと思い、口には出さなかった。ただ、おじさんのスネにその細い脚をぶつけるなよ、と心の中でヒヤヒヤしながら見ていた。

 

 先日の騒ぎの後、俺は先輩に電話して、妹も連れて行っていいか尋ねた。先輩の反応は思いの外良くて、


 『妹さん!? いいわよ、ってか必ず連れてきなさい』


 と、食い入るように答えてきた。何が先輩の興味を引くのか、よくわからない。まだ会って二日で、謎が多いからなのかもしれないが。


 三十分くらい電車に揺られて、ようやく目的の駅に着いた。都内はいつでも人が多い。手を繋いでいないと迷子になってしまいそうだ。そんな妹は、ホームに出るや否や、モジモジしだしたので、俺は慌ててトイレの案内板を探す。待ち合わせには余裕があるので、二重に焦る必要はない。ただ、こういうことがあると、やっぱり一人で来たかったなぁ、と思わざるをえないのであった。


 トイレを済ませ、待ち合わせ場所まで向かう途中、妹は唐突に立ち止まった。それに気付かずに歩いていた俺は、急に手が引っ張られて少しびっくりした。


 「おにぃ、あのパンダさんほしい」


 そう言って、妹が指を指す先には、駅ナカの雑貨屋さんがあり、更に詳細には店頭に並ぶパンダのぬいぐるみがあった。


 「あれはお土産と言って、帰り際に買うものなんだ。 今買ったら重いだろう?」


 といった言葉を返すと、妹は納得したように頷いて、そのまま歩みを進めるのだった。帰りはここを通らないようにホームへ向かおう。


 やっと待ち合わせ場所に着いた。実のところ、電車を降りてすぐにトイレに向かったせいで、現在地がわからなくなっていたのだ。少しグルグルと駅構内を回っていたらしい、時計を確認すると、待ち合わせ時間ちょうどだった。


 「遅いじゃない! 私の時計だと十秒遅れよ。 以後気をつけなさい」


 この人は何故か会い始めはいつも不機嫌だ、この前二度目の音楽室でもそうだった。今日みたいな天気のいい日に似合う、白いワンピースを着ているのだが、これがまた美しい、といわざるを得ない。白だけど、そこまで眩しすぎることはなく、むしろ先輩の金色の髪にマッチしている。他に付けていうなら、立ち姿が本当に良い。見ているだけで万年猫背の俺まで姿勢が良くなる。育ちが良い証拠だろうか。


 「すみません、妹がトイレに行きたがって……」


 まぁ、俺もトイレに行きたかったから妹のせいにするのも良くなかったかもしれない。しかし言い出したのは雪の方だから、嘘も言ってない。よって悪くはない。


 「あーっ! その子が妹さん? うわ~っ、可愛いわね、ねぇ、何歳? 名前は?」


 最初の感嘆詞にびっくりしたのか、妹は俺の後ろに隠れる。しかし、先輩は瞬歩でも使ったのだろうか、俺の後ろに回り込んだ後、妹の前で中腰になって質問する。


 「え、ぁ、小、三、です……」


 気付いたら目の前にいるのに更に驚いた妹は、全ての質問に答えられず、一つ目の質問には的確とはいえない回答をした。わかる、わかるぞ妹よ。こんな人会ったらまずビビるよな。俺は動物よりも、この人を見に来ているようなものだからな。


 「ユキっていいます。 漢字はスノウ、の雪です」


 たじろいでいる妹の代わりに俺が答える。


 「へーっ、なるほどねぇ……」


 それを聞いた先輩は、顎に手を当てて俺達の顔をまじまじと見比べる。


 「蛍雪の功」


 「それよそれ、ってなんでホタルが言うのよ。 答えさせなさいよ」


 今俺が先回りして言った通り、俺達の名前は蛍雪の功、という故事成語が由来だ。気付く人は気付くし、気付かない人は気付かない。だが、今の先輩のように自己紹介してすぐに考え出す人は決まってこのワードを探している。前にも何度かこんなことがあって、最近になってそれがわかるようになってきたわけだ。故事成語の意味が知りたい方は広辞苑でもなんでも調べてみてくれ。


 そんなこんなで一行は動物園に向けて出発した。途中、公園を通ると桜の木が良い具合に花びらを散らしていた。先輩は目を輝かせてスマホを取り出す。パシャパシャと満開の桜を写真に収めて、ついでに一緒にはしゃぐ妹もパシャリ。さっきまでおっかなびっくりだった妹も先輩にすぐに懐いたようで、先輩と二人で写真を撮る。俺が驚いたのは妹の順応性ではなく、先輩が写真を撮りだしたことだ。案外そういうこともするのか。てっきり「写真なんかダメだわ、今見てる風景は目に焼き付けるのよ」みたいな考え方をしているもんだと思っていた。


 あんまりはしゃぐので、かなり目立っている。傍から見ると仲の良い姉妹のようで微笑ましい。ただ、この光景と金髪があまりにもミスマッチだったから、少し聞いてみたくなった。


 「先輩のその髪って、地毛なんですか?」


 「ええ、そうよ。 言ってなかったっけ? 私、お父さんがスイス人でお母さんが日本人なの。 顔はお母さん似だから、よく聞かれるの。 高校入学したての時は、この髪のせいでよく先生に目をつけられてたものだわ」


 なるほど、そういうことだったのか。先生に目をつけられるだなんて、先輩の髪は綺麗だけど、良いことばかりじゃないんだな。先輩はそう言いながら手で髪をクルクルしだした。そういった仕草一つ一つが魅力的だ。


 動物園に着くと、凄い行列ができていた。まさに長蛇の列だ。どうやらパンダを一目見ようとしている人たちの列らしい。なんでもパンダの子供が一般公開されているのだそうだ。それを知った妹は、見たい見たいと騒ぐので、仕方なく並ぶことにした。思ったより早くパンダと対面できたのはいいが……。


 「ねぇ、パンダってこんなに鋭い目つきしてるのね」


 た、確かに。ただ座って笹食ってるだけなんだが、それよりもパンダの目つきが気になる。多分コイツは人一人殺ってるぞ……。今はこうして笹を食べてるけど、裏では思いっきり肉でも食べてるんじゃないか?


 保護者組二人の考えをよそに、妹はアホ毛をユラユラさせつつ、目をキラキラさせてパンダを見ている。純粋な瞳を向けられたパンダは死んだ魚のような目で妹を一瞥した。なんだかおっさんみたいだな、パンダって。


 その後は並々に混んでいる動物園を練り歩いた。先輩と妹は終始元気で、俺は二人に引っ張られるようにして付いていく。二人とも、いつになったら疲れたー、って言い出すのだろうか……。

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