それでも我輩は君に笑いかけよう 戦火のガルディラ:ギルバートエピソード0
「やめろぉおぉおおぉぉぉっっ!」
その痛々しい叫び声は、森の中に木霊していた。
燃え盛る馬車だったもの。馬はとっくに力尽きており、血の海の中へ沈んでいた。
その傍らで、人らしき形をした〈バケモノ〉に抑え込まれている少年がいた。地面に突っ伏す形で顔を埋められている少年は、恋人がバケモノの手によって胸を貫かれた光景を目にしていた。
「ギ、ル、バー……、ト」
少女の身体からは、淡く白い光が溢れていく。次第に消えていく身体は何を示唆しているのか、名前を呼ばれた少年は理解してしまった。
『ギ、ギギッ』
少女の身体が光となって消えていく。残されるのは、魔石と呼ばれる石ころみたいなもの。
死体すら残らない人の身体に、ギルバートはただ大声を上げた。
ふと、一体のバケモノがギルバートに目を向ける。それを合図に一体、もう一体と視線を合わせていく。
「くそ、くそぉぉ!」
何もかも守れなかった。
優しかった母も、おっちょこちょいな姉も、大好きな恋人も、バケモノ達に殺されてしまった。
思わず奥歯を噛んでしまう。だが、相手はギルバートの感情なんて考えてくれない。
眼の前にいる兵器。それが〈マギカドール〉という名のバケモノだ。
覚えたての中途半端な魔法では太刀打ちができない。それ以上にマギカドールは数で勝る。さらに奇襲とも言える襲撃に、ギルバートは為す術がなかった。
ブラウン色の髪を鷲掴みにされる。そのまま立ち上がらせられると、目の前に板マギカドールは右手を刃へと変化させていた。
ギルバートは忌々しげに睨みつける。しかし、効果はない。
迫る死。殺された恋人のような末路を、ギルバートは迎えるしかなかった。
「我は刃――」
この言葉が、放たれるまでは。
「我は業――」「我は朧――」「そのゆらめく剣は、我が歩みの証――」
「我が名はベネイス!」「十字架を背負い、永久を彷徨いし者なり!」
紡がれる言葉。それは紛れもなく魔法の詠唱だ。
聞き覚えのないその言葉と独特のリズムは、なぜだか聞き心地がよかった。
だが、そんな感覚はすぐに消える。赤く、いや紅蓮に大地が輝き始めたのだ。
それは炎を彷彿させるような、そんな力強い光だ。
あまりにも突然、そして大地の豹変ぶりに、マギカドール達は戸惑っていた。
「焼き切れろ――サウザンド・フレア」
赤い刃が、ギルバートを避けるように地面から突き出た。身体を次々と貫かれていくマギカドール達は、約一秒で燃え上がった。
その燃える姿は、人と区別がつかなかった。もがき苦しみ、何かを叫ぶマギカドール達。ギルバートは思わず腰を抜かし、へたり込んでしまう。
そんなギルバートに、一体のマギカドールが手を伸ばした。助けを求めるかのように、ゆっくりと。だが、あと少しのところでマギカドールは力なく腕を落とした。
燃え上がっていくマギカドール達。呆然と見つめていると、ギルバートに誰かが声をかけてきた。
「大丈夫かい?」
それは、とても不思議な格好をした青年だった。まるで旅人でも思わせるかのような長くてボロボロなコートに、これまたボロっちいズボン。背負っているパンパンなリュックには縦笛や手袋が突き出ている始末だ。
ギルバートはそんな青年を見て、どこか安心した。しかし、同時に張り詰めていた糸が切れてしまう。
「ううっ、ああっ、うあっ」
大切なものを、一度にたくさん失った悲しみ。それを改めて認識したことで、ギルバートの目からとめどなく涙が溢れていった。次第に声も抑えられなくなり、そのまま自分を抱き締めながら情けなく叫んでしまう。
青年はそんなギルバートを見て、静かに近寄った。ゆっくりと膝をつき、肩を叩く。
「怖かったんだね」
青年に抱きしめられたギルバートは、ただひたすらに泣き叫んでいた。
そこにいるのは、静かに受け止める青年と無力さを嘆くギルバートだけだった。
◆◆◆◆◆
落ち着いたギルバートは、青年と行動を共にすることになった。
「この辺り一帯は、帝国兵とさっきの人形ばかりだからね。一緒にいたほうがいいよ」
「ありがとうございます。えっと……」
「ベネイスって呼んでくれ。実はこう見えて、旅芸人をしているんだ」
ギルバートはその言葉を聞いて、何となく納得した。
「旅芸人ってことは、いろんな国の魔法を知っているんですか?」
「まあね。でも知っているだけで、使える訳じゃないかな」
楽しげに笑うベネイス。ギルバートはそんなベネイスを見て、目を輝かせていた。
「さて、と。そういえば君はどこに向かおうとしていたんだい?」
「王都に。父が馬車を手配してくれましたが、あいつらに襲撃をされて」
うつむくギルバート。そんな顔を見たベネイスは、少し気まずそうに顔を曇らせていた。
「ああ、そうだ。ちょっと見せたいものがあるんだけど、いいかな?」
ベネイスは笑ってそう切り出すと、ギルバートは顔を上げる。そのまま少し離れ、ベネイスはとある詠唱を口ずさみ始めた。
「燃えよ猿舞――」
「燃えよ娘々――」
「我が炎と共に舞い上がれ――モンキーガール・ダンシング!」
大きく広げられた両手。するとベネイスの頭上からとても小さな炎の輪が現れる。
それは徐々に、徐々に徐々に大きくなっていき、そして気の抜けた音と共に煙を上げて消えていった。
「あれ?」
想定外だったのか、ベネイスは目を点にする。ギルバートもつい、首を傾げてしまった。
だが、数秒後。その燃え上がる猿舞は突然始まった。
「うへっ!?」
辺り一帯の森が燃え上がる。それはまるで、踊っているかのような、そんな勢いでだ。
ベネイスはそれに、思わず濁ったような叫び声を上げる。
『ひっさびさに踊るわよぉー!』
艶やかな声は、燃え上がっている森の中から響いてきた。目を向けると、そこには炎をまとった猿らしき何かが楽しげにステップを踏んでいる。
「待て! 待て待て待て! 木を燃やすんじゃないよ、エンニャン!」
『あら、呼び出しておいてそれはないんじゃない? それにたかが木よ? 一本燃えたって問題ないじゃない』
「ここは森なのっ! 一本燃えたら次々と燃えていくの!」
『あら、そうなの? こめんなさーい』
悪びれる様子がないエンニャン。それどころか、からかうように笑みを浮かべる。
ベネイスは燃え上がる森を見て、顔を青ざめさせていた。そのままギルバートを抱え、猛ダッシュし始める。
「なんでいつもこうなるんだー!」
ただギルバートを笑わせようとしただけだったベネイスは、嘆きながら森を脱出した。
しかし、ギルバートは燃える森を静かに見つめていた。
◆◆◆◆◆
「疲れた……」
ベネイスはエンニャンに恨みを覚えながらも、がっくりと肩を落としていた。もし戦争中でなければ、とんでもない罰を課せられていただろう。ある意味戦争に助けられたことに、ベネイスは何とも言えない気持ちになっていた。
「まあ、予定とは違ったけど」
どうにか安全な場所まで来られた。そのことにベネイスは胸を撫で下ろしていた。
『ベネイス』
しかし、それは束の間でしかなかった。
名前を呼ばれたベネイスは、空を見上げる。するとそこには青く輝く鳩の姿があった。鳩はそのまま近くにあるカカシへ止まり、羽を休ませる。
「ハジャか。周りはどうだった?」
『どうもこうもない。帝国軍は辺り構わず村や町を占領していっているぜ。まるで飢えた狼のようだぞ』
「そりゃまた、困ったもんだな。それで、占領された所はどうなった?」
『反抗する者は容赦なく首を跳ねられる。逃げようとする奴らもだ。さらに異様なのが、魔石を集めてやがる』
「魔石を? あれは持っているだけじゃ何の意味もないんだが」
『何をするかわからない。より一層注意したほうがいいぜ』
ベネイスはハジャと呼んだ鳩の言葉に、顔をしかめさせていた。
一体どうして帝国はこんなことをしたのか。何もかもわからないことばかりで、ベネイスはつい後ろ髪を掻いてしまう。
「ベネイス」
「なんだい、ギルバート?」
「それ、ベネイスの魔法?」
ギルバートはハジャに人差し指を向けていた。ベネイスは指先に視線を合わせると、躊躇うことなく「そうだよ」と答える。
するとギルバートはこんなことを言い出した。
「すごい! ベネイスって、ホントにすごい!」
「え?」
「だって、いろんな魔法が使えるし、それに帝国の兵器だって簡単に壊しちゃったし。すごいよ!」
「すごくないよ、これは。それに僕は――」
ベネイスは何かを言いかけた。だが、思わず言葉を飲み込んでしまう。
しかし、ギルバートはそんなベネイスに気づくことなく大きな声で言葉を口にしていた。
「教えてよ、ベネイス。帝国を、兵器を、やっつける魔法を!」
その目は、濁った炎に支配されていた。
怒りと呼ぶにはあまりにも禍々しい色だ。もし、表現するならばそれは憎悪と呼べる代物。
ベネイスは、そんな目をするギルバートに思わず息を止めた。
「ギルバート」
戸惑いが生まれる。
こんな子供が、復讐を考えていることに。
だからこそ、諭す必要があった。
「君は、そんな魔法で幸せになれると思うのかい?」
「え?」
「復讐は、悲しみしか生まないんだ。君を含めて、いろんな人が悲しむ。もしそうじゃないのなら、教えてあげてもいい。だけど、今の君にはできない」
ギルバートは言葉を失っていた。
恨めしく睨みながら、拳を震わせていた。
「なんでだよ。あいつらのせいで、お母様もお姉様も、エリィも死んだんだぞ! どうして、あいつらを殺しちゃいけないんだよ!」
「殺して、どうする? 君は魔石の山を築いて、どうしたい?」
「どうもこうもない! あいつらに、あいつらに思い知らせるんだ!」
「その後どうするんだと、聞いているんだ!」
ベネイスの怒声に、ギルバートは思わず身体を震わせた。
間違っていることは、何となくわかっている。しかし、ギルバートは進めない。
「幸せになんて、ならなくていい。僕の幸せを、大切な人達の人生を、奪ったあいつらに鉄槌を食らわせるんだっ」
その言葉は、その震える表情は、何を示すのか。
強固になりつつある信念に、ベネイスはただ静かに見つめていた。
「ギルバート、今はわからないと思う。ただね、言っておくよ」
ベネイスは、肩を震わせているギルバートを静かに見下ろした。
そして、ゆっくりと決別の言葉を告げる。
「僕になっては、いけない」
ギルバートは、言葉の真意がどういうことなのかわからなかった。
だが、ギルバートにはもうベネイスに頼る気持ちはなくなっていた。
◆◆◆◆◆
三日後、ギルバートはベネイスの手によって王都の親戚宅へと送り届けられた。
ベネイスは別れ際、ギルバートに手を振る。しかし、ギルバートはそんなベネイスを無視して、家の奥へと消えていった。
ベネイスは、少し不安な気持ちを抱く。しかし、振り返ってもギルバートの姿はもうそこにはない。
「道を外れないでくれよ」
ベネイスの呟きは、雑多の中へ消えていく。そして、そのままギルバートの身を案じながら歩み出すのだった。