9 少女の夢と神話
僕が目を覚ましたのは、宴が終わり皆がまだ寝静まっている早朝のことだった。
『神化』で魔力を激しく消耗し、全身に怠さを感じながらも僕は体を起こす。
誰かが、僕を馬車まで運んでくれたらしい。馬車の中を見回すと、エル達が寝袋にくるまって所々で眠っていた。
僕は用を足したくなり、馬車を出る。
「……厠は、どこにあるんだろう」
僕は厠を探してふらふらと薄暗い村をさまよう。
宴が行われていた広場の方に近付くと、女性の歌い声が聞こえてきた。
立ち止まり、耳を澄ませる。
その歌声は僕にはわからない言葉の歌だった。だけど、美しい旋律には心に響くものがあった。
まるで、妖精か精霊の歌声のように透き通った歌声。
女性が歌い終わると、僕は彼女に声をかける。
ベンチから立ち上がり、こちらを振り返った女性は巨人族の巫女であるユーミさんだった。
「あっ、トーヤ……。もしかして聞いてた?」
「あ、はい。すみません」
「いや、謝ることはないのよ。別に聞かれて問題があるわけじゃないし、あんたには分からない言葉だったでしょ?」
ユーミさんはその場に立ち尽くしている僕に手招きする。
僕が彼女の元まで歩み寄ると、彼女は微笑んだ。
「あの、今歌ってたのって……?」
「巨人族に昔から伝わる民謡よ。巨人語の歌なんだけど、今では巨人語自体使う人が減っちゃったからね……。あたしは巫女として、王の娘として歌えるけど、この村の若者で歌える者が果たして何人いることやら」
片手のお酒の樽をぐびっとあおるユーミさんは深刻そうな表情になる。
溜め息を吐く彼女はさっきまで座っていたベンチを叩き、「ここに座って」と僕に勧めた。
僕はそこに腰を下ろす。ユーミさんは僕の隣に腰掛けて、もう一度酒樽を口につけた。
「ああーっ、うまい!」
ユーミさんはぷはっと息を吐いた。そのお酒臭さに、僕は思わず閉口する。
「ああ、ごめん。もう夜通しずっと飲んでたからさ、臭いよね」
どうやら彼女は、エルがダウンした後でも酔い潰れることなく飲み続けていたらしい。相当な酒豪だ。
「こんな酒呑みでも、巫女をやってるんですもんね……」
「……それとこれとは関係ないでしょ? あと、巫女といっても実際大した仕事はやってないの」
僕が呆れとも感嘆ともつかない声を上げると、ユーミさんは溜め息混じりに応える。
「そうなんですか?」
「ええ。あたし、巫女の仕事そんなに向いてないの。毎日毎日、嫌気が差してる」
僕はそう聞いて、顔には出さなかったが少し驚いていた。
隣に座るユーミさんの横顔は、陰っている。
広場の中央、まだ僅かな火を灯す焚き火の炎が爆ぜる。それ以外に音はなく、少しの沈黙の後、ユーミさんは話し出した。
「あたしには、夢があるの。この谷を出て、世界中を巡るという夢。幼い頃から外界に憧れを抱いて、いつしかそれが切実な願望になっていったの」
『世界中を巡る』ことが夢。僕と、僕達と同じだ。
でも彼女は……。
「でも、それは決して叶わない夢なのよ。あたしは王の娘であり、巨人族の神話と伝統を守る巫女。この谷から出ることなんて生まれた時から許されちゃいない!」
ユーミさんは拳を握り締め、飲み干した酒樽を地面に叩きつける。
僕は少し躊躇したが、苛立つ彼女の大きな背中をさすってやった。
するとユーミさんの拳を握る力が弱まり、やがて握り拳を解いた。
「……トーヤ、ありがと」
ボソッと呟くユーミさんは、頬を微かにピンク色に染めていた。彼女は僕から目を逸らし、きまりが悪そうにうつ向く。
「ユーミさん?」
「……いや、あの、『さん』付けは止めて欲しいなー。あと敬語も……。何か気持ち悪い」
「き、気持ち悪い……」
「いや、そういう意味で言ったんじゃないの! あたしはただ……」
ユーミさんはオロオロと視線をあっちこっちに飛ばしながら、動転したように叫ぶ。
僕は苦笑して彼女の自分より大きな手を握った。
「わかったよ、ユーミ」
ユーミの顔を見上げて笑いかけると、彼女の顔はその髪と同じくらい真っ赤に染まった。
「あ……ト、トーヤ……」
ユーミさんは羞恥に顔を歪め、下を向いて前髪で目を隠す。
僕がそんな彼女を見てどうしようかと迷っていると、突然ユーミは立ち上がって広場に置きっぱなしだった酒瓶をひっつかんだ。彼女はそのまま瓶の蓋をこじ開けて中身を己の口に注ぎ込む。
「ああっ、くそっ!」
ユーミは飲めるだけ酒を飲んでしまうと、自棄になったかのように酒瓶を地面に投げつけた。
「ユーミ、落ち着いて!」
「トーヤごめん。他に誰も見ていないとはいえ、あんたに頬を染めてしまうなんて……。あんた、もうエルと色々なことしてるんでしょ? あんたをあんな目で見るなんて、あたし女として最低だよね」
え……? 今なんて?
「もう夫婦の契りを交わした二人に、割って入るなんて……」
「ちょっと待って! それどういうこと?」
「は? エルが話してくれたのよ、あんたと毎晩」
「その先は言わなくていいよ」
エル、ユーミになんて嘘を吹き込んだんだ……。
僕は怒りを通り越して呆れ果ててしまう。
互いに気まずい雰囲気になる中、ユーミがふと思い出したように訊いてきた。
「そういえば、なんであんたここに来たのよ? まさか、最初からあたしの歌を聴きに来た訳じゃないでしょ?」
「……あ」
すっかり忘れてたけど、僕は厠で用を足すつもりでいたんだった。
思い出してしまうと、急激に行きたくなってくる。
「あ、あの、厠はどこに……?」
「ああ、ここからちょっと外れた所で清流が一本枝分かれしてるから、そこでしてくれない? 原始的だけど、川の生き物には恩恵となってるからあたし達はそうしてるの」
僕は頷き、大急ぎでその枝分かれした小川へ向かった。
用を足し終わり、すっきりした所で僕は広場に戻ってきた。
ユーミが僕に笑いかけ、巨人流の厠の感想を聞いてくる。
「なんか、川に落ちそうで怖かった……。それに寒い!」
「アハハ、人間にはしゃがむ所が大きすぎたね」
一度僕が席を外した事で、ユーミもさっきより落ち着いたようだ。
落ち着きを見せる彼女に、僕は知りたかったある事を訊いてみる。
「ねえ、ユーミ。巨人族の『神話』について教えてくれない?」
僕がその事を尋ねてくるとは思っていなかったのか、ユーミは少し驚いた素振りを見せた。
彼女は嬉しそうに笑うと、深呼吸し歌うように語り出す。
「……かつて、この世界が九つの世界に別れていた頃。我らの祖ユミルは『創造神』に作られた。それが巨人族の始まりである。始祖の巨人ユミルは、その身から沢山の巨人達を産み出した。巨人族はそこから発展していく……」
ユーミが語る巨人族の『神話』。
それは僕の知る『アスガルド神話』と同じルーツのようで、所々似た部分が見受けられた。
だが、『アスガルド神話』では語られていない巨人の歴史もその神話には記されていたようだ。ユーミは苦い顔でその古代の物語を歌にしていく。
「神々との戦いに敗北し、滅亡寸前まで追い詰められた私達。だが、苦難はそれだけではなかった。エルフの一族が蜂起し、我が一族に歯向かったのだ。
エルフ族との戦いは壮絶を極めた。我が一族も相手を多く倒したが、エルフ族の魔法に我が一族はもう再起出来ない程の損害を被ってしまったのである……」
エルフ族との戦いの後、巨人達は再び栄光を取り戻すまで闇の時代を送ることになる。
それから長い時間をかけて一族は再興を果たし、一部には神達と絆を結ぶ者も現れた。
かつて敵だった神達との関係は、表面上は上手くいっているようにその時の人々には思えた。だが、水面下では戦いの鼓動が動き出していたのである。
それが、『最終戦争』。
神と巨人達の戦争により、世界は滅亡する。世界に引導を渡したのは炎の巨人スルトだった。
「そして、世界が終わる寸前に『箱舟』に乗り込んで生き残っていた者達が、全てが終わった新しい世界の住人となったのだった……。ここまでが、『最初の世界』の神話よ」
ユーミが遥か古代の物語を語り終えると、僕は思わず溜め息を吐いていた。
巨人の神話には、アスガルド神話には記されていないある重要そうな記述があったのである。
それこそが、最後に神話を締め括った『箱舟』の記述だ。
「ユーミ、『箱舟』って……?」
初めて聞いた名称に、興味をそそられずにはいられない。僕は巨人の巫女に迫る。
ユーミは肩を竦め、目を閉じて首を横に振った。
「……それが、あたし達にもわからないのよ。神話には『箱舟』という単語が出てくるけど、それ以上の記述は一切無いの」
「そうなのか……」
僕は内心がっかりした。
でも、ユーミに聞いても分からないのなら仕方ない。
『箱舟』の事は頭の片隅にでも留めておけばいいだろう。
ふと空を見上げると、大分青白く明るくなっていた。そろそろ、みんな起きてくる頃だろうか。
僕は伸びをして、大きな欠伸を一発。隣のユーミもつられて小さく欠伸をする。
「ふああ~っ。じゃあトーヤ、あたしそろそろ寝るわ。夜通し飲んでたからすっごく眠い~」
「ははっ、お休みなさい」
僕は気だるげな足取りで広場を出ていくユーミの背中に笑声を投げ掛けた。
さて、今日はこれからどうしようか。




