3 森の守り人
港街エールブルーを出立した僕達は、馬車で北の方角へ向かっていた。
買い込んだ食糧を上手くやりくりしながら、途中町に寄りつつ街道を進んでいく。
エールブルーを出てから、約二ヶ月。冬も終わり、季節は春を迎えている。
僕達は今、街道から少し逸れた渓谷沿いの針葉樹の森の傍に、馬車を停めて休息していた。
「お腹空いたねー。トーヤくん、鹿でも狩ってきてくれないかい?」
エルが馬車の中から、馬車を下りる僕に声を投げ掛けた。
春が訪れはしたが、この地方ではまだ寒さはしつこく残っている。
寒がりなエルは、馬車の中から滅多に出ようとしない。旅が始まってから殆どの時間を馬車の中で過ごしていた。
「うん、いいけど……エルも少しは外に出たら? 体が鈍ってしまうよ」
「いいの。私は魔導士だから、体が鈍っても問題ない」
「もう、しょうがないなぁ」
僕はため息をつくも、それ以上彼女に文句を言うことはしなかった。
矢筒を右腰に取り付け、狩りの準備を始める。左腰には【テュールの剣】、背には【グラム】。何があってもこの装備なら対応できるだろう。
「ねえ、アリス。一緒にどう?」
一人で狩りに出るのもいいけど、それでは味気ないと思った僕はアリスを誘う。
弓の腕に自信のあるアリスは、弓を手に取り下車した。
「どちらが多く狩れるか、勝負しませんか?」
ニヤリと笑ってアリスは言うが、僕は首を横に振った。
その僕の反応に、アリスは眉根を寄せる。
「何故ですか? トーヤ殿だって、弓の腕に自信がない訳ではないのでしょう?」
僕はアリスの頭に手を置くと、森の方に目を向ける。アリスも僕と同じ方を向いた。
「森にいる動物の数には、限りがある。どちらが多く狩れるかなんて競ってたら、必要以上に狩ってしまうだろう? そんな事したら、森の神様や精霊達に怒られちゃうよ」
人間が必要以上に資源を求めたため、破壊された森を僕は知っている。
その痛みを知っているからこそ、言える言葉だった。
「森の神様、ですか……。トーヤ殿らしいですね。わかりました、競争などは無しでやりましょう」
アリスは微笑み、僕を見上げてくる。彼女の蒼い瞳に自分自身が映り込んでいるのを見て、僕も微笑みを返した。
次に僕は、馬車の外で焚き火の準備をしているシアンとジェードに言っておいた。
「シアン、ジェード。何かあったら、その時は頼むよ」
「任せとけ、トーヤ。俺達がいれば、どんな敵でも怖くない」
「はい、私も用心します」
今僕達がいるような人通りの少ない街道沿いには、意外とモンスターが出没する事が多い。
ここに来るまでにも何度か僕達はモンスターと遭遇し、その度に撃退してきた。
大抵【魔具】や魔法で一捻りで済むモンスターなのだが、稀に【神殿】に現れるような強力なモンスターが現れる事もあると聞く。そのため、僕は常にモンスターの襲撃には気を付けておくよう仲間達に言い聞かせていた。
「じゃあ行ってくるね。すぐ戻ると思うけど、決して気を抜かないでくれよ」
「はい、了解です。トーヤ」
薪の傍にしゃがみこむシアンは、【魔具】である自身のブーツに触れて頷く。
僕とアリスは彼女らにその場を任せると、森に足を踏み入れていった。
初めて入る森は、静かで人気が一切ない。
精霊達が微かにざわめく声が聞こえるだけで、その他の雑音は僕の耳には入ってこなかった。
「この森もそうですが、この辺りには人があまり住んでいないようですね」
「うん……。この場所に何か、あるのかな」
「不安を煽るようなこと言わないでくださいよ……。トーヤ殿の悪い癖です」
ヒソヒソ声を交わす僕達は、冬の間に厚く積もった新雪の上を静かに歩いていく。
慣れない森で常に緊張感を纏う僕達は、暫くすると辺りの木々の並び方に違和感があることに気が付いた。
獲物を探して道なき道を歩いていると、どうも通りやすい道のようなものがある気がするのだ。この辺りには人がいない筈なのに、所々木が伐り取られているような……。
「トーヤ殿、やはりこの森には……」
「うん。誰かいるね。それも一人じゃないだろう」
人がいるとしたら、どうする?
僕達と同じで狩人だったらまだいい。でも、こんな人気のない場所だ。もし恐ろしい盗賊が森の奥に隠れ住んでいたりしたら……。
「なんて、考えても仕方ないか」
僕は吐き捨てるように言い、視線を右斜め前に飛ばした。
そして、弓を構えて矢を放つ。
次の瞬間には、雪に倒れる獲物が立てる重い音。
「流石です、トーヤ殿」
アリスは弓使いとして、隣に立つ僕の実力に感嘆したように息を吐いた。
「僕にとっては、このくらい簡単な事だよ」
僕は口許に小さく笑みを浮かべ、獲物の回収に向かう。
中々大きな鹿だ。そのまま引きずって行くのは大変そうだなぁ……。
「アリス、ちょっと手伝ってくれる?」
「はい! 私の方がこういった細かい作業は慣れてますので、私がやりますよ」
アリスはやけに張り切って、僕のもとへ急いで歩んでくる。
「いや、アリスは手伝ってくれるだけでいいんだ」
「いいえ、私が全て引き受けます。トーヤ殿は何もせずに待っていてください」
少しむっとしながら、アリスは獲物の前で屈んでナイフを取りだし、皮を剥ぎ始めた。
その捌き方は、かなり上手い。さっと柔らかい腹の部分に刃を沿わせ、切れ目を入れていく。
獲物の血の臭いがむっと立ちこめ、僕は少し顔をしかめた。
「ちょっとその辺を見てきていいかな? すぐ戻るから」
「えっ? あ、ああ、構いませんが……気を付けてくださいね。何かあってからでは遅いので」
僕が狩った獲物の処理をするアリスをその場に残し、僕はこの森の探索を始める。
この森は、とても綺麗な森だと思う。
精霊達が多く、静かな雪の森は冷たいが寂しさは感じない。
僕は雪を被った針葉樹の間を潜り抜け、小動物のものであろう白い足跡を辿ってみる。
小さな足跡の先には、木の根本にあるうろに入っていく、白い毛皮の可愛らしい動物がいた。イタチの仲間の動物だろうか。
「はは、可愛いなぁ」
僕は可愛らしい森の住人に笑いかけ、呟く。
「悪い人間に見つかるんじゃないよ」
言い残し、その場をそっと離れる。
ああいった白い毛皮は貴族に人気がある。森には時折それを狙う猟師が現れることもあるのだ。
僕はそろそろ戻ろうかと思い、歩いてきた元の道を辿り出す。
と、その時。
「何者だ、姿を表せ!」
凛とした少年の声に、僕は体を硬直させる。
あの声は、僕に向けられたものなのか? 声の主は一体誰なのか?
溢れ出す思考の数々を一旦止め、僕は声のした方向に視線を向ける。
左の方向。そこを見ても、人の姿は見えなかった。
だが気は抜かず、声のした辺りを黙って睨み続ける。
逃げ出す事はしなかった。背中を向けた瞬間、矢を射かけられる事も考えられるからだ。
木々の向こうから、少年の声がまた聞こえてくる。
「また巨人どもか? 全く、何度追い払っても現れおる。面倒なやつらじゃのう」
非常にイライラとした独り言を呟く少年。
僕は彼の台詞にあった「巨人ども」という言葉が気になった。
少年は何やら呟きながら、僕の元へ徐々に近づいてくる。彼が近づいてくる程に、精霊達の騒ぎも大きくなっていった。
精霊達が何を伝えようとしているのか、上手く聞き取れない。何故だろう?
「いたな、巨人め……おや」
現れたのは、金色の髪を小さく後ろで括った碧眼の少年だった。
尖った耳、女性のように整った相貌から見て種族はエルフだろう。
「人間……?」
少年は僕を鋭い眼光で見据え、顎に軽く手を当てる。
彼は黙って何もしない僕に、怪訝そうに問いかけた。
「お主、人間じゃろう? 何故このような場所におるのじゃ?」
危険、ではないのかな……。
彼は弓を持ってはいるが、それを構える動きもない。
「僕は、狩りをするためにこの場所に来たんだ。もうやる事は済ませた、すぐに立ち去る」
「狩り、じゃと? 何頭狩った」
「鹿を一頭。それ以外には何も狩っていないよ」
狩りと聞いて少年の目の光が一層強くなったので、僕は内心焦りながら答える。
すると、少年の表情が少し緩んだものになった。
「そうか。お主は『森の掟』を守る人間じゃったか。余計な事を訊いたな、許せ」
「う、うん」
少年は僕に背を向け、立ち去ろうとする。
今度は僕が、彼の背に問いかけた。
「あの、さっき呟いていた巨人どもって……?」
「この森に入り込んで、森の恵みを根こそぎ持っていく奴らの事じゃ。人間よ、誰もがお主のような者であったら、森に住む者は幸せであれるのにな」
僕に背を向けたまま、エルフの少年は怒りを露にする。
僕にも彼の怒りはわかる。わかるからこそ、何も言い返せなかった。
「狩りは済んだのじゃろう? ここはエルフの森、早々に立ち去るがいい」
エルフの森。ここが……。
少年は静かに木々の合間に消えていく。森の奥へ戻っていくようだ。
少年が戻っていくのを見届けると、僕も黙って踵を返した。
* * *
「遅かったですね、トーヤ殿。すぐ戻るというのは嘘だったのですか?」
獲物を捌き終え、かつて僕が愛用していたトナカイ革の大きな袋に鹿の肉を詰めているアリスは口を尖らせる。
僕は咎めるような目を向けてくるアリスに申し訳なくなりながら、先程あった出来事を話して聞かせた。
「……へえ、そんな事が。ここがエルフの森だったなんて、道理で人が少ない訳です」
アリスが袋に肉を詰め終わり、僕達は馬車に戻る道を歩きながら話す。
「道理で、ってどういう事?」
「エルフは異種族との交流を嫌う事で有名ですからね。人の少ないこの地を選んで、彼らは定住したのでしょう」
「へえ、そうなのか……。知らなかったなあ」
思うと、僕の異種族についての知識はそう多くない。
エルフの事も知らないことばっかりだ。これからはその辺りも、エルやアリスに教えてもらおう。
「にしても、巨人族ですか……。この近くに住んでいるのでしょうかね」
「多分、そうなんじゃないかな。わざわざ遠くから来るなんて考えにくいし。……あ、そうだ。巨人族の人達にも会ってみたいな」
巨人族の人達だって、何か事情があってこの森で狩りをしている筈だ。
彼らに話を聞けば、その事情がわかるかもしれない。
「私は、あまり会いたくありませんね……。巨人族、苦手なんですよ」
アリスは苦々しげに言う。小人族と巨人族との間には、何か軋轢があるのだろうか。
気になったけど、アリスの表情を見るととても訊く気にはなれなかった。
エル達の待つ馬車に着き、僕とアリスは、彼女達に狩りで手に入れた肉を見せる。
エルは馬車の中から顔を出し、僕が狩ってアリスが捌いた肉を見ると、腹を鳴らし涎を垂らした。
「もう待ちきれないよ! 早く焼いて食べよう!」
「待ってて、今準備するからね」
「私も手伝いますよ、トーヤ殿!」
僕達は、焚き火の炎で脂の良く乗った鹿肉を炙っていく。
ついでに採集してきた木の実や山菜と併せて、新鮮なお肉の味を楽しんだ。
楽しい食事の時間が終われば、馬車は目的地を目指してまた進み出す。
この先の渓谷を抜ければ、いよいよルノウェルス王国の領土内だ。




