エピローグ 別れ、そして旅立ち
いつもの邸の騒々しさとも、もうお別れだ。
僕達は少しの寂しさを胸に、門の前から大きな邸を見上げる。
幸いにも、モアさん達とは会わずに邸を出られた。彼女達に呼び止められる前に出立しよう。
門前に用意されていた馬車を僕達はありがたく借りる。馬車を引く馬は、八つ足の黒馬スレイプニルだ。
「皆、馬車に乗って。僕がスレイプニルの手綱を持つ」
「了解。頼んだよ、トーヤくん!」
エル達を高級感溢れる大きめの馬車に乗せ、僕はスレイプニルの背に跨がる。久しぶりに黒馬の上に跨がる感覚は懐かしかった。僕はスレイプニルの鬣をすくように撫でてやる。
「おーい! トーヤ、エル、みんなー!」
邸の方からベアトリスさんの大声が聞こえてくる。
見ると、こちらに走り寄ってくるベアトリスさん、モアさん、シェスティンさんの姿があった。
遅れてアンさんもやって来る。
彼女達は、僕達との別れを惜しんで最後に言葉を交わしに来たのだろう。
エル達は馬車の窓から顔を出し、目に涙を溜めてモアさん達を見る。モアさん達も、今にも泣き出しそうな顔だった。
「おい、本当に行っちまうのか!? 知り合ったばっかりなのに、そりゃあんまりだろ……」
「そうだそうだ! ったく、突然過ぎるんだよ、いなくなるならもっと前から、言ってくれれば良かったのに……!」
アンさんが僕の胸ぐらを掴んで揺すり、ベアトリスさんは怒鳴りながら涙声になり、終いには大粒の涙を流し始めてしまった。
「アンさん、苦しいよ……。ベアトリスさん、泣かないで……」
僕は目を真っ赤に腫らす女性二人をなだめる。
モアさんとシェスティンさんはエル達と別れの挨拶を交わしていたが、向き直って僕にも笑いかけた。
「もう、ベアトリスもアンもだらしなさ過ぎるんだから。別れる時くらい笑顔で送らないと!」
「ええ。シェスティンの言う通りです。二人とも、笑いましょう。笑顔で、トーヤ達を私達の元から送り出しましょう。その方が彼らも嬉しい筈です」
ドワーフとハーフエルフの二人は、寂しさを湛えた、だが暖かい笑顔だった。
僕は、目尻に浮かび出した涙をごしごしと擦る。
「あれっ……おかしいな、泣かないって、決めてた筈なのに……」
僕はモアさん達から顔を背け、溢れ出す涙を拭う。けれども、拭っても拭っても涙は止まらない。
「トーヤ、泣かないでください。あなたらしくない」
「そうだよ! 笑って、トーヤくん!」
この人達の笑顔が辛かった。離れたくない……。
「僕……本当は、本当は離れたくないよ……。でも、でも……」
馬上で体を小刻みに揺らし、涙声になる僕に、暖かい手が伸ばされた。
その手は僕の黒馬の手綱を持つ腕に添わされ、優しく一撫でする。
「モアさん……」
「トーヤ、あなたはあなたの道を歩むべきだ。私達などに構わず、行きなさい。それがあなたにとって、最も取るべき良い道である筈だから」
モアさんは目を細め、青々とした雲一つない空を見上げる。
「……快晴です。旅立ちの日に丁度良い」
僕はモアさんやシェスティンさん達に顔を向ける。涙は止まっていた。
「……僕達、行ってきます」
モアさん達は満面の笑みになった。僕達の旅立ちを、心から応援しているように。
「……実は、私達もリューズ家に隠された真実には以前から気が付いていた。だから、トーヤ達がこの邸から出ていく事を止めはしない」
えっ……? 気付いていながら、何故?
僕は驚く。シェスティンさん達は憂いを帯びた表情になるも、モアさんに続いて言う。
「あたし達にはここ以外に働ける場所がないからね。あんな主人だけど、甘んじてやってんのさ」
「そうそう。ここはお給料も良いしね! でも……もし万が一、リューズ商会が潰れるような事があれば、私達もトーヤくん達と一緒にさせて貰いたいな!」
健気に笑うこの人達に、僕は何と声をかけたら良いかわからなかった。
冬の風が僕達の間に吹き抜ける。だけど、それは決して寒いものではなかった。
「行きな、トーヤ。時が来たら、あんた達を捜しに行ってやるよ。それまで待ってな」
「ベアトリスさん……ありがとう」
「ああ。そんなに長くは待たせないよ」
風に流れるベアトリスさんの黒髪が、僕の腕に絡む。それは彼女の本心を晒け出しているようにも思えた。
「じゃあ、さよならだ」
ベアトリスさんが僕の腕に絡んだ髪を解き、微笑む。
シェスティンさんやモアさん、アンさんも別れの言葉を僕に掛ける。
「遠くに行っても、元気でね!」
「あなた達の幸運を祈っています」
「変な連中には気を付けろよ。お前、可愛い顔してるからな」
「……可愛いって、なんですか」
僕にはルーカスさんに鍛えられた剣術がある。並みの相手には負けないよ。
「じゃあ、行きますね……皆さん、短い間でしたが、今まで本当にありがとうございました!」
僕はスレイプニルの横腹を蹴り、馬を歩かせる。
駿足の黒馬は、エル達を乗せた馬車を引いて邸から離れ出した。
「さようならー! また、いつか会いましょうー!」
エル達が馬車の窓から体を乗り出し、遠ざかっていくリューズ邸の門前に立つモアさん達に手を振る。
僕は最後に邸を振り返り、そして、市壁の西門を目指して黒馬を進ませるのだった。




