6 狂炎乱舞
白から黒へアマンダさんの髪の色が変わり、その他の見た目の特徴も大きく変化していた。
まるで悪魔とその身を一つにしてしまったかのような姿に、僕は戦慄する。
【神器】テュールの柄を握り締めたまま、僕は立ち尽くしていた。
「この姿が気になるかしら? あなた達『神器使い』が発動できる『神化』と同じようなものよ」
悪魔と化したアマンダさんは烏の羽の扇を持ち、僕に向ける。指輪が消えているのを見ると、身体を変化させた時に指輪自体も姿を変えたのだろう。
黒い扇の廻りには火の球が浮遊している。炎は紫紺に輝き、妖しく揺らめいた。
「悪魔達も、元々は神達と同じ存在。同じように『器』もあるし、『神化』だって出来る。神などには簡単に負けないわよ」
アマンダさんは扇を振る。幾つもの炎の球が僕に向かって飛来してきた。
僕は【テュールの剣】で飛んでくる炎を打ち払う。剣と炎が当たる度に、紫の火花が激しく舞い散った。
「アマンダさん、どうして!? 僕は、あなたを信じていたのに!」
剣を振り、硬直の解けた身体から感情を発散させる。
僕が思いをぶつけると、アマンダさんは扇で口許を隠して笑う。
「言ったでしょう? 私はお父さんのために、【悪器】をばらまいていたって! 最初から、私達はあなたの敵だったのよ」
「……そんな、信じたくない」
僕は歯を食い縛る。拳が真っ白になるほど強く握り、放たれた言葉を拒絶しようとする。
僕がアマンダさんの表情を読み取ろうと、彼女の扇で隠された顔を窺うと、彼女と目が合った。
姿を変えてもなお色がそのままの深紅の瞳が、吊り上がった切れ長の眼が、微動だにせず僕を見据えている。
「僕は、あなたが敵だなんて、信じたくないよ……」
僕は弱々しく呟く。その呟きは、小さな滴となって炎と月の光の中に吸い込まれていった。
アマンダさんは手に持った扇を下げ、柳眉を吊り上げた恐ろしい形相になる。
彼女は唇を震わせると、普段の彼女からは想像もつかない怒鳴り声を上げた。
「戯言を言うんじゃないわよ! そんな事を言ってもね、あなたの好きだったアマンダお姉さんは絶対に、戻って来る事はないのよ!?」
黒い扇が振り払われ、風となって炎の渦が巻き起こる。激情の炎が竜巻のように邸の中庭に立ち上った。
炎の竜巻が迫り、僕の身体を飲み込もうとしてくる。鬼気迫るアマンダさんの形相に怯んだ僕は、瞬時に逃げる事が出来なかった。逃げ遅れた僕は、紫の炎の渦に取り込まれてしまう。
怖い。目の裏に焼き付く炎の影が僕の身体だけではなく、心さえも蝕んで焼き尽くしていく。
熱と爆風が僕をなぶり、吹き飛ばす。
吹き飛ばされた僕は回廊の柱に背中を打ち付け、咄嗟に丸めた身体は柱の下に落ちた。
固く閉じた目を開けると、炎の竜巻はもう形を成していなかった。炎が燻り、アマンダさんの足元で力なく燃えている。
僕は炎に飲まれたが、死んではいなかった。
腕に抱えた【神器】が白い光を放っている。【神器】の加護で僕は何とか一命を取り留めたのだった。
僕から数メートル離れた所で肩で息をするアマンダさん。
彼女は悪魔との『神化』を解除し、【神器】を抱えて倒れている僕を見ていた。
「はぁ、はぁ……。トーヤくん……」
アマンダさんはその先の言葉は口から出さなかった。
僕を最後に一瞥すると、その場から音も立てずに早足で立ち去る。
僕は動くことも出来ずに、まだ炎の残る中庭に取り残された。
「……寒い」
冬の夜空の下、僕は力尽きて瞼を閉じる。
目を閉じる前に見た満月は、美しかった。
* * *
「……トーヤ……トーヤ」
誰かが、僕の名を呼んでいる。
誰だろう? 僕はまだ眠いんだよ。
もう少し、寝させてくれよ……。
「トーヤ起きろ、凍え死ぬぞ」
少年の声。目をそっと開けると、そこに居たのはジェードだった。
彼は僕の横に座り込み、心配そうに僕の顔を窺っている。
もう寒くないのは、彼が毛布を持ってきて掛けてくれたからのようだ。
僕が火傷を負った身体を起こそうとすると、ジェードは慌ててそれを止める。
「トーヤ、無理するな。もうすぐシアン達も来る。事情は、後で聞く」
「ジェード……」
僕は彼の優しさに感謝した。動けない身体を腕で抱え、シアン達が来てくれるのを二人で待つ。
「み、水を……」
僕は掠れ声でジェードに頼む。喉が渇いて死にそうだ。
ジェードは少しの間その場を離れると、手のひらの中に中庭の噴水の水を汲み、僕の口許に近付けた。喉に流し込まれる水が心地よい。
「あ、ありがとう……」
「……良かった」
ジェードは安心したように吐息する。
それからすぐしてシアン達が駆けつけて来てくれた。
「トーヤさん、どうなさったのですか!?」
「大丈夫なのですか? 火傷が酷いようですが、何が起こったのですか?」
シアンは取り乱し、アリスは一見冷静でいるもののどこか落ち着かない様子であった。
僕は彼女らに手を伸ばし、その手を握る。
「……【神器】があったお陰で、何とか、生き延びられた。でも、火傷が痛くて、動けない……」
「トーヤくん! 大丈夫なのかい、命に別状は!?」
エルが、寝巻きのまま息を切らして僕の元に来てくれた。
僕は、彼女に力なく微笑みかける。
「僕は、生きてるよ……。エル、僕を助けてくれ」
エルは目に涙を溜めていた。僕の言葉に頷いて、【精霊樹の杖】を抜く。
「トーヤくん、すぐに楽になるからね」
エルの杖から白い光が放たれる。それは、精霊の光だった。ごく小さな光の粒のような精霊達が、僕の傷付いた身を癒してくれる。
身体のあちこちにあった痛みは、徐々に弱まっていった。
「エル、ありがとう」
「うん……でも、この魔法は痛みを消すだけの魔法なんだ。火傷の根本的な治療にはなっていない。部屋に戻って、本格的な治療を施さないといけないよ」
僕の身体……治るのかな。不安に思う僕に、エルはさっき彼女に僕自身がしたように微笑みかけた。
「私の魔法技術なら、こんな傷簡単に直せるさ。さあ、少し君の体を浮かすけど怖がらないでくれよ」
そう言ってエルは、僕に浮遊魔法をかける。横になった僕の体が、エルの腰の高さまで浮き上がった。
「シアン、ジェード、アリス。私がトーヤくんを運ぶ間、私達を守ってくれ。こんな事があったんだ、もうこの邸の人達は信用しない方がいい」
シアン達は迷わず頷き、僕とエルの前後につく。
三人の護衛を伴って、僕はエルに魔法で部屋まで運ばれた。
ジェード達が護衛してくれたが、僕達は誰とも出会うことなく部屋に戻ることが出来た。
ジェードと僅かな男性使用人との相部屋のベッドに寝かされ、エルから魔法による治療を受ける。
魔法をかけながら、エルは僕に何が起こったのか尋ねてきた。僕はそれに答える。
「……アマンダさんに、やられた。彼女は、悪魔と契約していたんだ」
僕が告げるとやはり、皆信じられないというように言葉を失う。
数分の沈黙を破ったのはエルだった。
「……以前から、何か怪しいと感じることは何度かあった。トーヤくんも、リューズ家からは嫌な気配がすると言っていただろう? その気配は本物だったみたいだよ。最悪だし信じたくないけど」
エルは吐き捨てるように言う。
シアンが口許に手を当て、すすり泣く声を小さく上げた。そんな彼女の背中を、ジェードが撫でてあげていた。
「トーヤ殿、ではその火傷はアマンダ様の炎魔法によるものなのですね」
アリスは声を震わせる。平静になるよう努めているのだが、溢れ出したものを完全に押さえつけるのは不可能だった。
「うん……。彼女の魔法は恐ろしいほどに強力だった。【神器】がなければ、僕はとっくに死んでいたよ」
エルが僕の上半身の服を脱がせ、黙って包帯を巻き始める。
アリス達もどう気持ちに整理をつけたら良いのかわからず、うつ向いて言葉を発さなかった。
僕の治療も終わった頃、エルがふと呟いた。
「この邸から、出よう。もうこんな所にはいられない」




