5 狂愛とリビドー
大広間に戻り、エル達を見つけて僕はそちらに向かった。
エルとミラはワインを飲み交わしながら楽しそうに喋っている。二人とも、べろんべろんに酔っていた。
「飲みすぎは体に毒だよ、二人とも。その辺にしとけば?」
「え~っ、もっと飲みた~い」
「そーよー、飲ませなさいよー」
僕の忠告にも耳を貸さず、二人はもう一本お酒の瓶を空けようとした。
いつの間に持ってきていたのか、ゴージャスな椅子に体を預けくつろいでいる。
僕が有無を言わせず二人の手からワイングラスを取り上げると、二人は口を尖らせるも反抗はしなかった。
「もうそろそろ帰る時間だよ。アマンダさん達ももうすぐ帰るって言うはず……」
「そうなの? 残念ねぇ、もっとお喋りしていたかったわ」
ミラが赤い目で僕を見上げる。
僕も寂しかったが、これで終わりだ。帰らなければならない。
ノエルさんも待っているし……。
パーティー会場となっている大広間には、開始時よりも人の数は大分減っていた。シャンデリアの照明も、深夜に近づいているということで最低限まで抑えられている。
王様も退席してしまったし、皆が帰る支度を始めていた。
「トーヤくん、エルちゃん。さあ、帰りましょう」
「おいおい、飲み過ぎじゃないか?」
アマンダさんが白い絹の髪を後ろに流しながら言い、ルーカスさんは酔い潰れたエルとミラの様子を見て苦笑する。
僕はエルの襟首を親猫が子猫を持ち上げるように掴み、引っ張り起こした。
「ええ、邸に戻りましょう。この酔っぱらいは僕が連れて行きますから、お二人は先に戻っていてください」
僕が固い笑みで言うと、アマンダさんはは苦笑いを浮かべて『後は頼むわね』と僕の頭を撫で、ルーカスさんと一緒に大広間を出て行った。
「苦労するな」とルーカスさんがぼそっと呟いたのが、胸に刺さる。
「うう~っ、酔っぱらいとは酷いなぁ~」
「事実だから、否定出来ないよ……」
エルが不満そうに半眼を作る。僕は呆れきった目で彼女を見返した。
綿のように軽いエルをぐっと持ち上げ、ミラに別れの言葉を言う。
「ミラ、またいつか、会えるといいね。……じゃあ、さよなら」
「ええ。またいっぱいお話しましょうね~」
ミラはテーブルに突伏して、僕をだらんとした目で見送った。
彼女は何やら呟き、そして幸せそうに目を閉じる。
赤い髪の夢見る王女様を最後に見て、僕はエルを連れてその場を後にした。
* * *
この夜、僕がリューズ邸に辿り着いたのは深夜零時を過ぎた頃だった。
エルが途中で「帰りたくない」とぐずったからである。本来なら歩いて三十分とかからない筈なのに、そのせいで余計に時間がかかってしまった。
僕はため息をつき、女子用の使用人室の前までエルを送り届けた。
「これからは、いい加減にしてよね。次酒に酔ったら承知しないから」
普段怒ることの少ない僕でも、何時間も人ひとりおぶって歩かされれば当然怒る。
眠っているエルは返事をしない。僕はまたため息をついた。
「ご苦労様。あなたも部屋に戻ってゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます、モアさん。後は頼みますね」
まだ起きていて僕達の帰りを密かに待っていてくれたモアさんに感謝し、僕は自分の使用人室へ向かう。
ランプの炎がぼうっと灯る廊下を歩き、僕は大きな欠伸をした。
……とても眠い。
疲れが溜まった体を引きずり、僕は誰もいない廊下を朦朧とした意識で自室へと進んでいた。
が、その時だった。僕は中庭の方に、怪しい紫色の光を見た。
回廊を歩いていた時のことである。
眠気が一気に覚め、好奇心に駆られてその光の方向へ小走りで近付く。
「何だろう、あの光……」
中庭の中央で輝く光。その光の元には、一人の女性が立っていた。
「アマンダさん……?」
白い髪が紫の光に染まり、口元には優美な笑み。
妖艶な雰囲気をかもし出すアマンダさんは、指輪が放つ光を見下ろして小さく笑い声を上げた。
「ふふっ……。トーヤくん、この光が何かわかる?」
その時のアマンダさんの様子は、普通ではなかった。
僕は、悪魔に洗脳されていた時のミラの表情と、目の前の女性の表情を重ねる。
「その光……まさか」
僕は暫し言葉を失う。
まさか、まさか、この人が?
あの悪魔はまだ存在していて、それをこの人が手にしている……?
僕は、その事を信じられない思いで目の前の女性を見つめる。
「そう、そのまさかよ」
「嘘でしょう? リューズ家の長女であるあなたが、そんなものを……」
アマンダさんは変わらぬ笑みを浮かべ続ける。それが、答えだった。
僕の中で、これまで信じていたものが一気に崩れ去った。
「嘘だ……嘘だ」
目の前の現実を認めたくなくて、僕は掠れた声で呟く。
「私が【色欲】の【悪器】の片割れを、先の晩餐会であの愚かな王子に渡した。そして、王子は私の目論見通りにスウェルダの王女を誘拐、騒ぎは大きくなった」
自らの行いを僕に明かすアマンダさん。
彼女が何を思ってこんな事をしたのか、僕には到底理解する事ができなかった。
「なんで、アマンダさんが……」
「私は『組織』……いえ、お父さんのためにやっているだけよ。私はお父さんの示す道を辿っているだけ……」
アマンダさんは黒い空を見上げ、囁くように言った。
満月の夜、青白い月光と【悪器】の紫の光が交わって不気味に輝いている。
「お父さん――。ノエルさんが……?」
僕は汗ばむ手を握り締め、立つ足に力を込める。
力を入れていないと倒れてしまいそうな程、裏切りのショックは大きかった。
「トーヤくん、とある魔導士はあなたの事を『特異点』と呼んでいたわ。私も、それは間違っていないと思うの。その年で【神器】を二つも手にしてしまうなんて、普通は出来ない事だわ」
アマンダさんの指輪――【悪器】の光が強まっていく。
悪魔が、僕を前にして姿を現したがっている。
一度彼女を打ち負かした相手が、目の前にいる。我慢する事など、彼女には出来ないだろう。
「あらあら、アスモデウス……あなたの出番はまだだと言ったでしょう?」
アマンダさんの瞳が激しい炎を湛える。悪魔の力を押さえ込んでいるようだ。
僕は深呼吸をしながら、ここでどう動くか必死に考えを巡らせた。
僕は今パーティーの正装であり、武装していない。悪魔に攻撃されればひとたまりもないだろう。一切防ぐことも出来ずに、殺されてしまう。
額を流れる冷や汗を拭いもせずに、僕はその場に硬直してしまっていた。
「怖いの? トーヤくん」
まさか。そんな訳は……。
だが、意識に反して体は震え出している。
【神器】が無ければ、僕は何も出来ない。自分が力に驕っていた事を、痛感させられた。
「殺しはしないわ。あなたが死んでは面白くないもの」
その言葉は、詭弁に聞こえた。
僕の前に立つこの女性の言葉の全てが、偽りのように聞こえてしまう。
僕は歯を食い縛る。【悪器】の光は強まることを止めない。それはまるで小さな太陽のように、紫の悪意の光を放出している。
「ふふっ、しょうがないんだから。……トーヤくん!」
アマンダさんは楽しむように黒い笑みを浮かべ、僕に黄金の剣を放り渡す。
それは【テュールの剣】だった。
僕が使用人室にいない間に取っていたのか。
「さあ、私と勝負をしましょう、トーヤくん。【神器】と【悪器】……どちらの器がより強いのか。それを使うべく選ばれた者同士、ここらで一度決闘といきましょうか」
空気が震え、狂乱の光が舞い踊る。
アマンダさんの白い髪が巻き上がり、指輪から放たれる紫の炎は彼女の身を包んだ。
【テュールの剣】を汗ばむ手に持ち、僕は悪魔の出現を目前にする。
【色欲】の悪魔、アスモデウス。
褐色の肌、黒い髪。誰もが『魅了』されてしまう美貌。かの悪魔の特徴を備えた姿に変貌したアマンダさんは、口許を小さく歪める。
「ふふっ、トーヤくん……。今夜は楽しませてくれる?」




