2 悲恋とリグレット
僕は改めて王の前で名乗る。
僕が名乗ると、スウェルダ王は笑って僕に手を差し出してきた。
「ミラを救われて、何度礼を言っても足りないくらいだ。だからまぁ、このパーティーがワシの最大の礼だと思ってはくれんかね」
「はい。楽しませてもらいます」
僕は微笑み、後ろにいるエル達も王様に紹介する。
エル達はあまり緊張もせず、柔和な笑みを浮かべて僕に名を呼ばれると王様へお辞儀をした。
王様は和やかな雰囲気で僕達を見ていた。どうやらこの人は『亜人』にも比較的寛容な姿勢のようだ。
その事に少しホッとしていると、横からある女の子に声をかけられる。
「トーヤ、私と話をしない?」
「ミラ王女……」
ミラ王女は僕の手を取り、嬉しそうに言う。
王様も目を細めて頷いた。
「うむ。トーヤ、折角設けた機会なのだ。ミラと存分に話し、踊ってくるがいい」
僕は笑みを浮かべ、王女様を見て頷く。
エル達の視線が気になったけど、それは少しの時間忘れることにした。
「行きましょう、トーヤ。私あの時助けられてから、あなたにずっと会いたかったの」
ミラ王女に手を引かれ、僕はエル達とは引き離される。
引き離しすぎじゃないかと思う程に僕とエル達との距離を確保すると、王女様はテーブルの料理を皿に分ける。
「はい、どうぞ!」
骨付きのこんがりと焼かれた脂の乗ったチキン。
王女様は僕に皿に取ったそれを渡す。
「あ、ありがとうございます」
頭を下げ、礼を言う。
「いただきます」と呟いてから、それにかぶりついた。
「……うん、美味しいです!」
「そうでしょう? ここの王宮料理人が腕を奮って作った絶品よ」
王女様は口元に手を当て、上品に笑う。
僕より背の高い彼女が、無理をして上目遣いで僕を見てくるので、僕は「何でしょうか」と尋ねた。
「今日は、あなたに会える日だから……いい服、選んで着てみたのだけれど、どうかしら? 私、可愛く見えているかしら?」
頬をほんのりと染め、ちょっと下を向くミラ王女。
彼女は純白の絹のようなドレスを着ており、頭には銀のティアラを載せている。ドレスと同じ色の手袋を着け、靴も衣装と揃えた色だ。
雪のように美しい王女様に、僕はしばし見とれてしまった。
「ど、どうかしら……?」
「美しいですよ。王女様」
本心からの言葉を口にすると、ミラ王女はその場で小さく跳びはね、嬉しそうにガッツポーズをした。
「よしっ! これでこの方のハートを鷲掴みよっ」
やっぱり……この人、僕に気があるのか。
どうしよう……。相手が王族となると、色々と面倒そうだなぁ……。
「お、王女様、声出てますよ」
「え、えっ!? あ、あらあら私ったら何やってるのかしら。馬鹿ね私。しっかりしなさい」
王女様は動転しまくりながら、自分に言い聞かせる。
苦笑しか出来ない僕を見て、王女様は額に浮いた汗を手袋で拭い、溜め息をついた。
「私、初めてなのよ。男の方にこんな気持ちを抱いたのは」
ミラ王女は、一国の王女の顔ではなく、一人の女の子としての表情を覗かせる。
僕は何と言っていいのかわからずに、口を閉ざしてしまう。
「あなたがあの悪魔から私を助けてくれてから……あなたの事が、頭にちらついて眠れやしない。もし私が不眠症にでもなったら、責任とってくださるかしら?」
棘のある口調で王女様は言う。僕から目を逸らし、頬を赤くして。
「いいえ、キスもしたのよ。責任とってもらうのが筋ってもんよ。だから、あなた……あなた、私と結婚なさい!」
僕と、何故か言った張本人の王女様も驚いて口を開ける。
け、結婚!?
まさか、僕は異民族なのに……。王家の人との結婚なんて許される訳がないのに、どうして王女様はそんなことを言うんだろう。
「ごっ、ごっごめんなさい! 私、私……あなたを好きになってしまって、それで、つい、叶わない恋だってわかってたけど、それでも……」
王女様は頭から湯気が立ち上るくらい顔を赤く、熱くする。
不器用な恋する乙女に、僕は微笑みかけた。
叶わない恋だけど、気持ちだけは受け取っておこう。そう考えて僕は彼女に手を差し伸べた。
「王女様、お気持ちはとても嬉しいです。ですが僕の身分は王族の貴女とは違う故、貴女とは寄り添うことは出来ません。僕は異民族です。この国の民とは違います。……貴女が僕を許しても、他の者達が僕を許しはしないでしょう」
王女様はうつ向いている。目元に僅かに滴が光るのが、一瞬だが見えた。
「わかっているわよ、そんな事。例え『英雄』とはいえ、お父様が貴方と私の婚約など決して認めない事は、わかってた……。だから、今私はどうしたら良いのかわからないの」
「…………それは」
「いいのよ。最初から、私のこの恋は悲愛だったの。私の前に白馬の王子様が現れる事なんて、最初からありえなかったんだわ」
女の子の涙は、苦手だ。どう接していいか、わからなくなるから。
僕は王女様の手を引いて、人の少ないところ……王宮の外庭に彼女を連れ出した。
植え込みの陰に座り込み、目を赤くして王女様は静かに泣いている。
僕は上手く言葉を紡ぐ事が出来ず、腕で不器用に王女様の細い体を抱き締めた。
「……トーヤ」
ミラ王女は唇の隙間から僕の名前を声にした。
僕は涙を流す年上の少女を、かつて妹にしてやったように優しく己の腕で包み込む。
王女の涙は、次第に止まっていった。
「王女様、僕は、白馬の王子様ではないのかもしれません。ですが……貴女がそう心の内で思う事は出来ます。身分の違いから、お付き合いする事は不可能ですが、貴女が僕の事を想う事は出来ます」
僕は王女様の体から腕を離し、くしゃっと破顔する。
王女様は顔を上げて目の涙をごしごしと拭った。
表情に、もう悲しさの欠片も残っていない。
「……私は、貴方が好きよ。これは私の一方的な片想いかもしれない……決して実らない恋かもしれないけれど、私は貴方を想い続けるわ。……いいでしょう?」
「はい。ありがとうございます、王女様」
僕が言うと王女様は頬を膨れさせ、不満そうな顔になる。
僕は首をかしげた。
「どうしました? 王女様」
「……どうしたもこうしたもないわ。あなた、丁寧過ぎるのよ。あなたがお友達と話す時と同じように、私にも接してくれないかしら? あなたがよろしければ、だけれど……」
王女様は少々恥ずかしそうに僕にお願いする。
僕はその願いを笑顔で受け入れた。
「いい、よ。……じゃあ、改めてよろしく、ミラ王女」
「ミラで良いわよ。むしろミラって呼んでくれなかったら処刑するわ」
顔から血の気が引いていく僕を見て、ミラ王女はくすりと笑った。
「ごめん、ミラ」
「……冗談よ。私は、罪もない人間を処刑したりなどはしないわ」
僕とミラは、立ち上がって握手を交わす。
二人で顔を見合わせると、何だかおかしな気分になった。
「よろしくね、トーヤ。良かったら、私のお友達になってくれたら嬉しいな」
「うん、いいよ。これで、僕達は『友達』だね」
「……うふふっ」
「ふふっ」
僕達は二人寄り添って、王宮の広い庭を巡っていく。
良くできた煉瓦造りの庭の通路を歩きながら言葉を紡ぎ、交わしていく。
「トーヤ、あなたはとっても剣が上手なのね。あのマリウス王子との戦い、私ぼんやりとだけど覚えてるわ」
「あはは、そんなに上手かったかな。僕、本気で人と命を懸けて戦ったのあれが初めてだったから、なんというか、無我夢中で……」
「強かったわ、トーヤは。本当に格好よかったんだから!」
「えっ、本当に? 良かったー、僕の事格好いいって言ってくれるのミラだけだよ」
「うふふ、あなたのお友達は随分と薄情なのね」
「僕がこんな事言ったってあの子達に知られたら、怖いよ」
「……女の嫉妬は何よりも恐ろしいというものねぇ」
話はやがて、あの事件の話に移った。
僕もミラも深刻な表情で、王様やノエルさんから得た情報を交換し合う。
「あの後、国主が城を逃亡したマーデル王国は、スウェルダ王家が治める事になったの。本当にくだらない、王子が起こした事件のせいで国の王が変わる……マーデルの民が可哀想だわ」
「ミラを無理矢理連れ去って、その……色々とやったんだ。あの王子がやったことは酷い事である事は間違いない。でも、本当に王子が悪かったとは、僕には断言出来ないんだ」
悪魔の表は美しく、裏は醜悪な顔が脳裏に甦る。
王子はただ奴に操られただけ。だが彼は、その事は彼らの信じる神に反することだという。
僕だって、悪魔は悪だと思う。でも、奴らに憑かれた人が必ずしも悪人であるとは思えない。
悪魔に憑かれたくなんかなくても、何かの切っ掛けで奴らに憑かれてしまった人を、本当に全て悪だと言い切れるのか。
悪いのは悪魔である。悪魔は悪を生み出すから『悪魔』なのだ。
では、『悪』とは一体何なのだろう?
僕がそれを口に出すと、ミラは首を横に振った。
「ごめんなさい、私には答えられる問いではないわ。それは人々の価値観や考え方によって変わることだから、一個人である私には決められない事だと思うの」
ミラの言う事はもっともだ。
悪とか、道徳とかそんなの個人が決めて良いものじゃない。
僕はその事で、一つ悩んでいる事があった。
人に聞かれたくなかった僕は、小さな声でミラに打ち明ける。
「僕は【神殿】で、自分の行いを悔い改めようとしていた人に、『罰』を与えた」
「ば、罰……?」
ミラの目が見開かれる。僕は抑揚を抑えた無感情な口調で、早口に続けた。
「僕は移民だから、村の少年達にいじめられていて……彼は、そのいじめっ子達のリーダー格の少年だった。彼は僕とエルが怪物に倒されそうになっていた時、僕達を助けてくれたのに……僕はかつて彼にされた仕打ちが許せなくて、彼を殺した」
ミラの言葉がいよいよ失われる。
僕は胸に溜まった黒いものを吐き捨てた。
「彼はまだやり直せたかもしれないのに。僕は一度はこの命を救われた彼を信じてあげる事が出来なかった。……僕がしてしまった事は、『悪』なのかな」
夜空を見上げると、星が瞬いている。
もしかしたら、あの後彼が生きていて、和解し共にこうして星空を眺めることもあったのかもしれない。
僕がそんな事を考えるようになったのは、いつからだっただろう。
「……私には、大きすぎる問題で、答えは言えない。ごめんなさい、トーヤ」
「いや、ミラは謝らなくていいんだ」
ミラと目を合わせられなくて、僕は少し離れた場所に視線を送る。
ふと、王宮の門を潜り、通っていく一人の少年が視線の端に映った。
「あれ、誰かな?」
「さあ? 私は知らない子よ」
玄関へ一直線に歩いていく少年は、白い髪をしていた。長めの白髪を揺らし、前髪の一部の特徴的な触角のような毛束をいじっている。
彼は一瞬僕達の方を見た。
深紅の瞳が、僕の黒に近い茶色の瞳を射抜く。
「彼は、一体……?」
僕は立ち止まり、悠々と石畳の通路を進んでいく少年を暫く眺めやるのだった。




