7 少年の意地
武具屋を出た後、僕は携帯食料など冒険に必要なものをありったけのお金を使って買った。
愛用のトナカイ革の袋にそれらを詰め込み、港町エールブルーを後にする。
「ふぅ。いっぱい買っちゃったな」
普段は決して満杯にならないそれを見下ろし、苦笑する。
武器を装備し、すっかり重くなった袋を背負った僕は、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。
僕のこの姿を見たらエルはなんて言ってくれるかな。
剣を持った僕を見て、
「トーヤくん、すごい、かっこいい!」
とか言ってくれたりして。……いや、それはないか。僕の見た目じゃ強そうには見られないからなぁ……。
そんな風にエルの反応を色々考えながら、重い荷物に汗を流して村への道を戻った。
エールブルーの東門から続くこの道はそこそこ広く、途中何度か馬車ともすれ違うくらいには人通りがある。
僕は真っ直ぐ続く道を逸れ、森の中にある小道へと入り込んだ。この小道は広大な『精霊樹の森』の中を村人たちが通るうちに出来た道で、僕もたまに街へ出る時に使ったりする。
……普段は、あまり人に会いたくないから使わないのだけど。
「おい、トーヤ」
俯きがちに森の小道を歩いていると、突然誰かに声をかけられた。
棘のある、唸るように発せられた声。僕はこの人を知っている。知らないふりは、出来ない。
……今日は何をされるんだろう。
嫌な記憶がぶり返してくるけど、唇を引き結んでどうにか堪える。
恐る恐る顔を上げると、そこにいたのは金髪碧眼で整った顔立ちの、背の高い少年だった。マティアス――村長の息子である彼は移民の子である僕を敵視し、日常的に暴力を振るっていた。
そんな彼に、村の少年たちは誰も逆らえない。彼にはそれだけの力があった。
「……な、何だい? マティアス」
勇気を振り絞って、震える声で訊く。マティアスはそんな僕を道端のゴミに向けるような目で見下ろすと、舌打ちをした。
「チッ……お前、どういうことだ?」
僕は体をできるだけ小さく縮こまらせる。
マティアスの後ろには五人くらい子分が控えている。その誰もがニヤニヤと笑みを浮かべ、見世物でも見るような目で僕のことを眺めていた。
今日も、殴られるのだろうか。
……嫌だ。胸が苦しくなってくる。
「おい、聞いてんのかよ?」
マティアスが僕の胸ぐらを掴み、揺さぶる。
鋭く眼を細める彼は再度同じことを訊ねてきた。
「どういうことだって言ってんだ」
「……ど、どういうことって、何が?」
僕は訳が分からずに訊く。
まぁ、どうせ単なる言いがかりなんだろうけど……。
マティアスはいつも以上にイラついた、不機嫌そうな顔をしている。僕は目を閉じ、大人しく拳が飛んでくるのを待った。
だけど――。
「っ…………?」
痛くない。それに、殴り飛ばされる衝撃もない。
不審に思って瞼を開けると、マティアスは先ほどと変わらず僕の胸元を掴み上げたままの状態だった。
彼は僕を強く睨み、ざらついた低い声で詰問してくる。
「トーヤ、お前、何のつもりだ? お前ごときが、そんな上質な装備……。その荷物も、あの女の子も……移民のくせに、一体何をしようとしてるんだ?」
マティアスはいつもと少し態度が違った。いつもなら、もう三発は殴られているところだ。
それに、彼が僕なんかの事をここまで気にしたことは初めてだ。この違和感は、何なんだろう……?
「……ッ」
何かが変わる――根拠はないけど、この時、僕は確かにそう感じた。
現れたエルという不思議な少女。僕に対し暴力でなく言葉でのアプローチをかけてきたマティアス。そして僕自身の意識も、これまでとは異なる場所を向いている。――前に進もうと、している。
今なら自分の思いを口にすることができる気がした。
僕は毅然とマティアスの青い瞳を見据え、胸ぐらを掴む彼の手を振りほどき、宣言する。
「僕は、【神殿】を攻略するんだ! エルと一緒に試練を乗り越えて、神様に認められる英雄になる! 僕は――本気だよ!」
「…………」
ポカンと口を開け、突っ立って動かないマティアス。
が、数秒の間の後、彼は腹を抱えて笑いだした。
「……ははっ、あはははははっ!! お、お前が神に挑むって? ばぁーか、お前なんかが生きて戻って来れるとでもいうのか? ははっ、傑作だなぁ!」
笑われた恥ずかしさと何より悔しさから僕は頬を真っ赤に染め、指の関節が白くなるほどに強く拳を握る。
必ず神殿を攻略するって、エルと、決めたんだ……!
君がいくら笑おうと……僕はやるんだ!
まだ熱を帯びている顔を上げ、僕は生まれて初めてマティアスを睨み付けた。
そして叫ぶ。こんな僕だって力を持ち、強くなれると示す。
「僕だって、強くなれるんだ! 【神器】を手に入れて……君たちを見返してやるよ!!」
次の瞬間、マティアスの強烈なブローが僕の腹に叩き込まれる。
衝撃と激しい痛みに呻きながらも、僕は地面に膝をつくことはなかった。
なんとか踏みとどまり、顔を上げてマティアスを見上げる。
「へぇ、本気なんだ? まぁ弱いなりにせいぜい頑張りな」
どけよ、とマティアスは僕を押しのけ、子分たちを連れて街の方の道へ去って行った。
疼く腹を押さえる僕は彼らがいなくなるのを見届けると、脱力し、その場に座り込んでしまった。
* * *
もう太陽もすっかり沈んだ頃、僕が家に戻るとエルがふてくされた顔でベッドに横になっていた。
彼女のそんな顔を見て、僕は何にも替えがたい安心感を覚える。
「ただいま!」
僕の沈んだ気分はエルの顔を見た瞬間に吹き飛んでいた。
彼女はのっそりと起き上がると、口を尖らせて言う。
「どこに行ってたんだい? 私を置いていくなんてひどいじゃないか」
「まあまあ、見てよ、僕の装備」
ひどいも何も、エルがいつまでも起きないから仕方なしに一人で行ったんだけどなあ……。
苦笑しながらエルの言葉をあしらい、僕はエルの反応を待つ。
エルは僕の防具や盾、短剣を見ると、驚いたように目を見張った。
「トーヤくん、それだけの武器を買えるだけのお金、持ってたんだ……」
そこかよっ。僕は心の中で突っ込む。
「父さんたちが残してくれたお金があったから、普通の農民以上には財産があったんだ。……それももう無くなりそうだけど」
僕は椅子に腰掛け、防具を脱ぎ始める。
「かっこいい!」とか言って貰いたかったんだけどなぁ……。
エルにジロジロ見られている気がして彼女の方を向くと、僕の目と鼻の先にエルの顔があった。
僕は思わず顔を赤くしてしまう。……こんな近くから見つめないでよっ。
「トーヤくん」
「な、何?」
エルは微笑んだ。その笑みには深い慈愛の心が込められている。
「可愛いね」
は、はぁ……?
僕は返答に困ってしまった。
エルを見上げると、彼女は何もなかったかのような顔でキッチンに向かい、昼食の準備を始めていた。
精霊にはそう見えるものなのかなぁ……?
僕は眉根を寄せながらも、エルの隣に立って彼女を手伝うのだった。