エピローグ 作戦終了
僕達は月夜の山道を下りていった。
木々の間を潜り抜け、道なき道を進む。
夜なのに、夕方のような赤い光が山や街を包んでいた。城から上がる赤い炎の光である。
シアン達は、無事だろうか。
王女様を悪魔から救うことが出来た今、僕はその事ばかりを考えていた。
僕の気持ちを察したのか、エルが小さく呟く。
「大丈夫。シアン達なら、きっと無事に生きてるよ」
「うん。彼女達が倒れる訳、無いよね……」
それでも、安心は出来なかった。
シアン達はたった八人。対するマーデル王城の兵士は百を越える数だ。多勢に無勢である。
普通なら勝てない。僕は当初この作戦に反対した。当然の事だ。
でも、アマンダさんは僕の意見を押しきり、自分の意見を通した。
『私が本気を出せば、マーデルの兵士なんて一捻りよ』と言われて、僕は言い返す事が出来なかった。
先のクラーケンとの戦いで僕達はアマンダさんの魔法を目にして、その実力を思い知ったからだ。
「お願いだ、アマンダさん……」
僕達は神にすがる思いで、城下町へと歩を進めるのだった。
* * *
王城の城下町、マリーナは騒然としていた。
夜中の零時を過ぎた時間だったが、そんな事どうでもよくなる出来事が起こっていたからである。
街の住民は驚きに声を上げ、隣の家の者を起こしにいっていた。
王城が、炎上している。
この事は後にマーデル王国の歴史に刻まれる大事件として記録される事となるが、この時はまだ何がどうなっているのか、この国の民は理解することさえ出来ていなかった。
「トーヤくん、上手く王女を救い出せただろうか……」
目を細めて城の方を見ているのは、ルーカスだ。
彼らは今、マリーナの隅っこに位置する、とある古びた宿屋の前にいる。
兵士達と熾烈な戦いを繰り広げ、長い戦いを終えて漸く王城へ突入しようとした時に、火の手が上がったのだ。仕方なしに、街へ戻ってきた。
「トーヤさんなら、恐らく生きています。あの人が、こんな所で命を落とすとは思えません」
シアンが胸の前で祈るように手を組む。
彼女を含む全員が、奇跡的にも兵士達との戦いで命を落とす事なく生還することが出来ていた。
百以上の兵士達を相手に勝利をもぎ取れたのは、やはりアマンダの活躍あってこそのものだろう。
アマンダがその強力な魔法で兵士達を次々と倒したため、シアン達が出る幕が殆ど無かった程の活躍ぶりだった。
皆大きな傷も負わず、まさに奇跡の生還であった。
「……ふう。疲れちゃったわ」
アマンダが欠伸をしながら言う。
ルーカスは姉を見て、そうだな、と呟いた。
と、その時。
「おーい、アマンダさーん! シアンー! アリスー!」
トーヤ達が、ミラ王女を連れてこちらへ走り寄ってくる。
シアン達は顔中に笑みを咲かせ、彼らを迎えた。
「トーヤさん! 良かった……!」
「トーヤ殿、ご無事で何よりです!」
シアンとアリスがトーヤに駆け寄り、抱きつく。
トーヤは彼女らをぎゅっと抱き締め、「ただいま」と笑った。
* * *
シアン達が前に立っていた古びた宿屋は、どうやら曰く付きの宿だそうで人が殆どいなかった。
その宿なら王女様に手を出そうとする者もいないだろうとのことで、アマンダさんが事前に目をつけておいてくれていたのだという。
「それにしても汚い宿ねぇ。他にいいところはなかったの?」
「し~っ、静かにしてください王女様。宿の主人に聞かれてしまいます」
僕は愚痴るミラ王女の口を塞ぐ。僕も内心そう思ってたけど、主人が気を悪くするといけない。
無愛想な獣人の主人に通され、僕達は部屋を二部屋貸して貰えた。
ひとまず、王女奪還作戦が成功した事をひっそりと祝うことにする。
「よくぞご無事で戻って来られましたね、王女様」
「もう、大変だったんだからぁ。狭くて暗くてじめじめしてておまけに寒~い通路を通って、ここまで逃げてきたのよ」
シェスティンさんに言われ、王女様は意外にも明るい調子で返す。
どうやら、悪魔に操られていた時のことはあまり覚えていないらしい。王子に何かされていたのかとアマンダさんが確かめると、彼女は「よく覚えてないわ」と首をかしげた。
傾いたテーブルでしけった料理を食べながら、シアンは訊く。
「ところで、トーヤさん。その方は?」
「ああ、彼女はね……」
僕は王城でのアンさんとの出会いを話す。
軽く自己紹介したアンさんは、自然とシアン達の中に溶け込んでいった。
「ホント、トーヤが男だったなんて最初全然気付かなかったぜ。オレ、てっきりこいつが女だと思い込まされてて」
「やっぱりそう思いますか。私も彼が女装したのを最初見た時、本当に男の方なのか信じられなくなりましたから」
「あー、わかるわかる。本当にトーヤくんは可愛いんだよ。もう女装させたら女の子にしか見えないね。悪魔でさえ欺いてたし」
「オレが女を捨てたくなるくらいには女してたな、トーヤ」
「いやアンさんは女らしさとか既に捨ててるでしょ。あと女とか可愛いとか言わないで」
「おっ、素になってきたか?」
「…………止めてください」
僕は馴れ馴れしく肩に腕を回してくるアンさんに若干鬱陶しさを感じながらも、それを悪くは思わなかった。
これがアンさんなりのコミュニケーションなのだろうと受け入れる。ちょっと暑苦しいけど。
「トーヤ、あなたが女の服を着ているのはそういう趣味の人なのだろうと思ってたけど……」
「いえ違いますよ!? この子達が勝手に押し付けただけで」
「わかってるわよ、煩いわね。……私をあの王子から助けるために、嫌でもその格好をしてくれたんだって、私わかったわぁ。本当にありがとう」
「よ、よかった……」
王女様がこの不名誉な服装の事情を理解してくれて一安心だ。
で、この服着替えたいんだけどなぁ……。
そう尋ねたら、替えの服は無いと笑顔でアマンダさんに言われた。
この魔女めっ。僕は少々気分を悪くした。
そんな僕を見て、アマンダさんは涼しい顔をしている。
「そうそう、ところで悪魔の方はどうなつたのかしら?」
いつの間に出していたのか、アマンダさんはグラスにワインを注ぎながら世間話でもするような口調で訊いた。
一同が深刻な空気になり、エルが詳しく王城での出来事を報告していく。
全て聞き終わると、アマンダさんは神妙な表情になって頷いた。
「そう。では悪魔は消えたという事で良いのかしら?」
「はい。そう見えました」
アマンダさんはグラスを口に当てる。赤ワインを流し込み、口許に微笑をたたえた。
「ふふ、トーヤくんも、エルちゃんも良くやったわ。ルーカス、この件はしっかりお父さんに伝えておかないとね」
「え、あ、ああ。そうだな。皆頑張ったんだから、ちゃんと報告してそれなりの報酬を貰わなきゃな」
それまで黙って楽しそうに聞き役に徹していたルーカスさんは、突然お姉さんに話を振られてびっくりしたようで、少ししどろもどろになって言った。
「ルーカス様、大丈夫ですか? そろそろお休みになられた方が」
モアさんがルーカスさんの肩に手を置き、主を見上げる。
ルーカスさんは苦笑し、頭を掻いた。
「ああ……確かに疲れてるかもな。お言葉に甘えさせて貰おうか」
「そうね。私も消費した分の魔力を休んで溜めておきたいし……皆、もう寝ましょうか?」
満場一致の賛成。僕達はそれぞれの部屋に別れて、睡眠をとることにした。
「で、なんでシアン達もいるのかな……」
宿の主に貸して貰えた部屋は二つ。
男女で別れて泊まると思っていた僕は、同じベッドに潜り込んできたシアンやアリスの存在に驚き、苦笑いを浮かべる。
「だって、人数的に女性だけで一部屋だと狭くて……。仕方ありませんね」
「うーん……そうかもしれないけど、なんでルーカスさんとジェードは床で寝てるのかな?」
「それは……スペースがないので、どいてもらいました」
「ええーっ、それは酷いんじゃない?」
狭い部屋に、ベッドは一つしかない。その一つのベッドに、僕とエル、シアン、アリスの総勢四名が横になっている。
正直かなり窮屈で寝るどころではない。
それに、女の子とこんなに密着するなんて……何か恥ずかしい。
「大丈夫ですよ。トーヤさんは今、女の子の格好してますから。女の子が四人で寝ることに何の問題もありません!」
「……シアン、船では僕の女装作戦否定的だったよね。いつ心変わりしたの?」
「? そんな事ありましたか?」
すっとぼけるシアンに、僕は辟易する。
女の子って怖い。
「トーヤ、折角の機会だ。女の子達との一晩を楽しめ」
「ジェ、ジェード、悪意があるよその言い方! 色欲の悪魔に憑かれてるよ!」
「ジェード、悪い冗談は止せよ。トーヤくんがそんな邪な事考える訳ないだろ?」
ルーカスさんがそう言うと、ジェードは黙りこくる。
眠っちゃったのかな。
「君達、変な事考えてないでちゃんと寝るんだぞ。明日は早い」
「はーい」
ルーカスさんの注意に三人の女の子は返事をするけど……寝させて貰えるのかな、僕。
* * *
朝の日差しが窓から差し込む。
僕は眩しい太陽の光を浴びて目を覚ました。
「ふああ~っ。おはよう~」
寝ぼけ眼で体を起こそうとすると、何か温かくて柔らかいものが僕の頬に押し付けられている事に気が付いた。
何だろう、これ。
僕はその柔らかいものに手を伸ばし、触ってみる。
ぷにぷにしていて、凄く弾力がある。
僕がぼうっとぷにぷにしたそれを揉んでいると、アリスの悲鳴がすぐ近くから聞こえてきた。
「きゃあっ! トーヤ殿、なんて事を!?」
僕は慌てて飛び起きる。
そこには、胸をはだけさせ顔を真っ赤に染める小人族の少女の姿があった。
「ア、アリス!? え、もしかして僕アリスに変な事してたの!?」
僕の大声で、隣で寄り添って眠っていたエル達や床で寝ていたジェードとルーカスさんも何事かと目を覚ました。
「どうしたんだ、トーヤ? 何かあったのか」
「ジェード、違うんだ僕は何もしてない」
僕は焦って事実を隠蔽する。
僕のバカッ。アリスに何てことを……どう謝ったらいいんだ。
「トーヤ殿が私の胸を触ってきたんです。トーヤ殿、乙女の純潔な体に手を出した責任を取って貰わないといけませんね」
意地悪い笑みを浮かべるアリス。
も、もうダメだ――。
僕に絶対絶命のピンチが訪れたその時、救世主が現れる。
「トーヤくんは何も悪くないよ。全てはこの女――アリスが仕組んだ事なんだ」
エルがアリスに指を差す。アリスはぎくっ、と笑みを強ばらせた。
「朝トーヤくんが起きるタイミングに合わせて、アリスは自分の胸をトーヤくんの頬に押し付けたんだ。彼女のおっぱいの魔力からは誰にも逃れられない――トーヤくんはその魔力に負けて、ついうっかり彼女の胸を触り……あれ?」
エルがふと話す口を止める。
少し考えた後、彼女は僕に咎めるような視線を向けてきた。
「でもこれって、やっぱりトーヤくんが悪い!」
「ですよねー……」
エルがぷりぷり怒り出したので、僕はアリスと彼女に深く頭を下げて謝る。
「ごめんなさい! 誘惑に負けてついやってしまいました」
「許さないぞトーヤくん! どうして私ではなくアリスのおっぱいを触ったんだ、どうせなら私のを触って欲しかったよ!」
えっ、そういう意味で怒ってたの!?
僕は口をあんぐりと開ける。
「あ、私からも謝らせて下さい。あれはわざとです、そもそも私があんな事しなければトーヤ殿に不快な想いをさせずに済んだんです! ……トーヤ殿におっぱい触って貰いたくてやりました本当にすみません!」
アリスが床に頭を付け、土下座をする。
僕がどう彼女に声を掛けたらいいか迷っていると、隣の部屋からアマンダさんがやって来た。彼女はふと笑顔になり、手を打つ。
「アリスちゃん、トーヤくん。この件はもう無かったことにしましょう。エルちゃん達もその方がいいでしょう?」
エルとシアンが激しく頷く。
要するにこのことは忘れて、これまで通りの関係でいようという事だ。
僕とアリスは顔を見合わせ、互いにもう一度謝ってから握手をする。
「……もう、【色欲】はこりごりだよ」
僕は窓の外の空を仰ぐ。王城から上がっていた炎は夜の間に鎮火されていた。
穏やかな冬の空、王女奪還作戦を終えた僕達は心からの笑顔を浮かべるのだった。




