13 月夜の脱出劇
悪魔アスモデウスは消えた。
だが、彼女が残した炎はたちまち部屋中に広がり、僕達の退路をなくしてしまう。
天盖付きのベッドは黒く焼け焦げ、赤々と炎を立ち上がらせている。
家具が焼け崩れ、灰と化していく。
全てを燃やし尽くす、悪意の炎だ。
「ど、どうなってしまうの!? あなた達、なんとかしなさいよっ!」
「王女様、落ち着いてください! 脱出経路を今、探してる所ですから」
僕達はエルが使うバリアのような魔法、防衛魔法で火の手から身を守っていた。
でも、魔法で身を守っているとはいえ、長く火の中にいるのは危険だ。
王女様を無事に国へ還すためにも、いち早く脱出しなければ。
「アンさん! この部屋に、隠し通路のようなものはありませんか!?」
「そんなの知るかよ! したっぱのオレが隠し通路なんて……」
そういいかけて、アンさんはハッとしたように倒れているマリウス王子を見る。
彼女はまだ息をしているかもわからない彼に、問いかけた。
「王子様、この部屋の隠し通路の場所を教えてください!」
マリウス王子は、何やら呟く。
だがそれは、炎がはぜる音に飲み込まれ聞こえない。
「王子様、どうか教えてください! 時間が無いんです!」
「……寝台だ」
王子は最後の力を振り絞って、燃えていく寝台を指差す。
「……寝台の下に、隠し扉がある。そこから、脱出出来る」
僕達は顔を見合わせ、頷いた。
エルは杖を振り、浮遊魔法を発動する。
「浮遊魔法!」
寝台が浮き上がり、その下にある鉄の隠し扉が露になる。
僕達は急いで駆け出した。
熱くなっている隠し扉をエルがまた浮遊魔法で開け、床から階下に通じる通路へ入ろうとした僕は、ふと王子を振り返る。
「マリウス王子……本当に、これで良かったのですか?」
エル達が目を見開く。
王子はどう見ても、悪魔の炎を直接浴びて、動く事ができない体になってしまっていたからだ。
それでも僕は、一人燃え尽きていく男をそのまま見捨てることなんて出来なかった。
王子は、焼けただれた唇を開き、掠れ声を上げる。
「私は、悪魔に憑かれていたのだな……。悪魔に憑かれることは、神に背くこと……神に背いた私は、ここで火に焼かれて死ぬべきなのだ」
「でも、悪いのは悪魔であって王子様は……」
「……王女よ、本当にすまなかった。私を赦してくれとは言わん。だが……マーデルの民に罪は無い。国民にはどうか、痛みを与えないで欲しい」
死に際に懇願する王子。
ミラ王女は布で体を隠しながら、王子を睨む。
「馬鹿な事を言わないで! 王族の罪は国民の罪よ。第一、お父様が絶対この国を許しはしないわ」
「……そうか。マーデルの民達よ、本当に……」
王子の言葉はそこで途切れた。
悪魔に憑かれた者の、無惨な最期だった。
僕は事切れた王子から目を逸らし、隠し通路を見下ろす。
「行きましょう、王女様」
僕達は隠し通路に備えられた梯子を使い、縦穴を下りていく。
真上の部屋は燃えているのに、この通路の鉄の梯子は冷たい。
隠し通路の中では外の音が一切聞こえず、暗さも相まって少し不気味であった。
「早くこんな所からは出てしまいたいわ……」
「王女様、多分すぐに出られると思うから、それまで我慢していてください」
ミラ王女がか細い声で言い、エルが彼女を励ますように返す。
長い長い縦穴を下りると、そこは小さな部屋だった。
じめじめしていて、足元は水で濡れている。
地下室だろうか?
「暗いね……。光魔法」
エルが杖先に光を灯す。
僕達は、ここからどう外へ出るか探った。この部屋にも外へ繋がる道があるだろうことは確実である。
しばらくすると、アンさんがそれを見つけたのか、小さく声を上げた。
「見ろよ……こんな所に」
彼女が指を差している先、部屋の壁の一部にごく小さな鉄の扉らしきものがあった。
それは壁の下の方にあり、人ひとりなんとか入れそうな大きさだ。
「ここを通って行くの?」
王女様は本当に嫌そうに訊く。
僕は仕方なしに頷いた。
「ええ。僕達が生きてこの城から抜け出すには、この道を通るしかないでしょう」
「しょうがないな、王女様。あんたには辛いだろうが、ここは我慢だ」
アンさんが王女様の肩をバンと叩く。
ミラ王女は彼女に向けて、「無礼者!」と叫んだが、
「まあ、生きて帰るためなら、どんな道でも通ってやるわよ」
と納得してくれた。
エルを先頭に、僕達は四つん這いになって狭い通路に入っていく。
真冬の地下道は、凍り付くような寒さだった。
僕達は暗くて狭い道を進みながら、互いに声を掛け合う。
大丈夫だ、無事に国に帰るんだ、とそう言い聞かせて先を目指した。
長い時が経ち、僕達が体力的にも精神的にも限界を迎えた頃。
道は、行き止まりになった。
「やだ、行き止まりじゃない……」
「いや、喜んでいいですよ、王女様。この上が、出口です!」
エルがそう言って頭上に手を伸ばす。
ガタリと重い音の後、月明かりが暗い通路に差し込んできた。
「やっと、出られるのね……。良かった、こんな陰気な場所さっさと出ましょう!」
地上に出られると分かると、王女様は活気を取り戻した。
エル、アンさん、王女様、そして僕の順に外へ出ていく。
通路を出て辺りを見回すと、そこは王城の裏山の麓のようだった。
遠くに、煙を上げ赤々とした光に包まれている城が見える。
「……城が、燃えてる」
アンさんは茫然と呟いた。
彼女にとって、長年仕えてきた城。それが、炎に飲み込まれて崩れていってしまっているのだ。
いくら王族達に失望したとはいえ、悲しく思う気持ちはあるのだろう。
彼女はぐっと手を握り締め、誰かの名前を口にした。それが誰であるかは、僕は知らない。
「行きましょう。マリーナの港に船を停めてあります、すぐに帰れますよ」
僕は王女様に笑いかける。
僕より背が高く、気の強い王女様は、僕を見下ろして口元に微かな笑みを見せた。
「ありがとう、トーヤ……お前のお陰で、私は救われた。感謝してるわ」
僕は王女様の手を引いて歩き出す。
ここでもたもたしている訳にはいかない。いつ敵兵に見つかるかわからないからだ。
急ぐ僕をよそに、アンさんは立ち止まって動かない。
僕は彼女を振り返り、先へ進むよう促した。
「ああ……ごめん、今行く」
そう言って足早にその場から動き出すアンさんは、少し寂しげな表情を浮かべていた。
僕達は、雪が積もった山の麓道を街を目指して下りだした。
月夜の脱出劇は、これにて終焉を迎えていく。




