12 王女奪還
その本性を露にし、僕に魔力を纏った剣を向ける悪魔アスモデウス。
彼は……いや、彼女は、僕を見てねっとりとした笑みを浮かべた。
「ふふっ……いいねぇ、お前は見た目こそ可愛らしいが、目は力強い雄の目をしている。強い男は、私の大好物だよ!」
アスモデウスは剣を振る。
僕は【神器】……『テュールの剣』で素早く、放たれた斬撃を弾いた。
「やるねぇ、坊や。あの神々に選ばれただけのことはある」
悪魔アスモデウスは、次々と剣を振って斬撃の衝撃波を飛ばしてくる。
僕は流れるような動きで、その攻撃を全て受け流した。
流れた衝撃がエル達の方へ飛んでしまったものもあったが、悪魔の妨害から解かれたエルは防衛魔法で彼女らの身を守った。
「くっ、やはり効かんか……」
アスモデウスは歯ぎしりする。
僕は、彼女の単純な力がそれほど強くないことに気がついていた。
でも油断はしない。さっきみたいに『魅了』されてしまったら今度こそそれまでだからだ。
悪魔を倒すことも大事だけど、今の目的はミラ王女を救出すること。悪魔に隙を作らせることが出来れば良い。
「ふっ!」
剣を振るう僕の動きは、王子と激しい剣戟を繰り広げた後ということもあって、少しずつ鈍りを見せてきていた。
悪魔はそれに気付くと、好機だとばかりに放つ剣の勢いを強める。
「おやおや、どうしたんだい!? そんなんじゃあ私を倒すことなど出来ないよ!」
悪魔は剣舞を見せる。激しく唸りを上げる剣の斬撃は、全て防ぎ切ることは出来なかった。
僕のメイド服が切り裂かれ、肩や胸、腰の辺りに深い切り傷を与えた。
肩で息をする僕は、柳眉を吊り上げ悪魔を睨む。
「はぁっ、はあっ……」
「ふふっ……どうした、もっと私を楽しませな」
そう言って笑う悪魔は、遠距離の攻撃から、接近戦に切り替えてきた。
僕は汗を飛ばしながら彼女の剣を受ける。
「ぐっ……!」
「ふふっ、どうだい、私の剣の味は? 私も昔、それなりに剣を扱っていてね……多くの戦士と剣を交え、私のものにしてきたのさ」
マリウス王子のものである筈の顔が、悪魔アスモデウス――妖艶な女の顔に変わっていた。
褐色の肌は艶やかで、目は暗い紫。鼻は筋が通ってすらっとしている。唇は薄く、鮮やかな赤色だ。
「……!」
綺麗だ。悪魔とは思えないくらい、女神様にも引けを取らない程の美しさ。
僕は驚きに言葉を失う。
顔だけ美しい女となっている王子の姿は不気味であったが、この時ばかりは気にしている余裕などなかった。
「驚いたかい? 私の美貌に」
僕と剣と剣をぶつけ合う悪魔アスモデウスは、僕に顔を近付けて囁く。
「私はあの神達や下界の人間共から、【悪魔】などと呼ばれているが……。私自身は、自分を神達と同じ――いやそれ以上の存在だと思っているよ」
どういうことだ?
気になったが、余計な考え事をしていては戦いに集中出来なくなる。
僕は頭を振った。
横目で一瞬、エルを見る。
「余所見は許さないよ! 私だけを見ているんだ」
僕は悪魔の言葉に、すぐに視線を戻す。
悪魔は、じゅるりと僕を見て舌舐めずりした。
「ああっ、もう我慢出来ん! トーヤ、お前を今から私のものにしてやるよ!」
王子の付けた紫水晶の指輪が輝き、悪魔は全身から強烈な甘い香りを放った。
僕の頭は、彼女に支配されていく。
「お前も男だ、美しい私の前では欲に嘘はつけまい。お前の全てを、私が搾り取ってやるよ」
悪魔の囁きが、僕の理性を犯していく。
僕は必死に理性を保とうと、目を閉じ悪魔を見ないようにした。
剣を振るおうとしても、手が震えて動かせない。悪魔に、剣を向けられない。
『委ねろ……全てを私に、委ねるのだ』
悪魔の囁きに、僕の体は硬直してしまっていた。
恐ろしい悪魔の声が、僕の脳内を侵略していく。
『人間誰もが持つ欲望……それが、【色欲】。男も女も、全ての者が渇望する、生命の根源たる欲望だ』
『理性など忘れろ。お前だって持っている筈だ、女と愛し合い、交わりたい……その欲望をな』
『私がお前の理性を破壊し、その欲望を解放してやるよ。なに、悪い事じゃない』
胸が、ドキドキする。
硬直していた体は、震え出した。
もし悪魔に憑かれたら、僕はどうなってしまうんだ?
恐怖感が僕を蝕む。
そして僕は、マリウス王子に魅了されかけた時の事を思い返す。
あの時は、彼に身を任せて、幸せな気分で……。
本当に、悪いことなのかな?
さっきの美貌といい、この悪魔は、本当に悪魔なのだろうか?
彼女自身も言っていた、『私は神以上の存在だ』と。
この人に任せれば、僕は……。
「トーヤくん、負けちゃダメだ! 君は神に認められ、そして私が選んだ英雄だろ!? そんな弱っちくて器の小さい変態悪魔にやられたら、私が許さないぞ!」
エルの声は、暗黒の中に差し込んできた白い光のようだった。
揺らいでいた僕の心を、正しい方向へ軌道修正してくれる。
僕は閉じていた目を開き、高らかに声を上げる。
「……エル、ありがとう。僕は、悪魔なんかには負けないよ!」
悪魔アスモデウスは目を見張り、激しく動揺した。
「バカな、有り得ん! この美しい私の『魅了』が効かないだと!? 何がどうなっているんだ!?」
悪魔が動転している今がチャンスだ。
悪魔の弱点を突き、一撃で終わらせる!
僕は王子の全身を見渡す。
悪魔の弱点。悪魔の宿る、核となるもの。
妖艶に輝いた紫の光。
紫水晶の指輪を見て、これだと気が付いた。
それに気付くまで、僅か一秒。
僕は、【テュールの剣】を王子の指輪めがけて突き出す。
……が、しかし。
「やめなさい! マリウスを、殺さないで!」
王女様だった。彼女の声で、僕は剣を持つ手を止めてしまう。
悪魔アスモデウスは、くくくっ、と冷たく笑った。
「ふふっ、ふははははっ! どうだ、トーヤ! 私にはまだこいつがいる。こいつを人質に取られては、お前は何も出来まい!」
僕は剣を王子に向けたまま、唇を噛んだ。
息を上がらせながら、目を紫に光らせる悪魔は、再び僕の頭に介入しようとするが……。
「残念でした! 君にはトーヤくんを手に入れる権利なんてないよ!」
エルが【精霊樹の杖】を振り、王子の体を宙に浮かせた。
悪魔は空中でろくに身動きを取ることも出来ずに、あたふたと手足を動かす。
「な、何をするっ!?」
「無様だね、悪魔アスモデウス。これだけ自分が小者だということを露呈させてしまっても、まだ平気でいられるその神経が私には理解できないなぁ」
「うるさい、黙れメスガキが! お前はシルとは違って、礼儀知らずで恥知らずの娘のようだな!」
悪魔が激昂し、エルは彼女を煽る。
エルの煽りに乗った今の悪魔には、周りが見えていない。
王女様を助け、悪魔を倒すには今しかない!
僕はベッドに座る王女様の元に駆け寄り、彼女の手を握った。
ミラ王女はだらんとした目で僕を見上げ、「あなたは……?」と呟く。
「僕はトーヤ。王女様、あなたの国へ帰りましょう!」
「嫌よ、私はここに住むと決めたの。それがマリウスとの約束だから」
「王女様、あなたは操られてるんです。本当にあなたを誘惑したのは王子じゃない。悪魔です」
「嘘よ! この無礼者、私に嘘を吹き込もうというのね!?」
髪を振り乱して王女様は叫ぶ。
話が通じない、これではどうしようもないぞ……。
どうすれば、王女様を解放できるんだ。
「アスモデウス、君はどうして、この世に悪意を振り撒いているんだい?」
「そりゃあ、楽しいからさ! それ以外何がある!?」
「何でそれが楽しいんだい? 人々は泣いているよ」
「下界の者が幾ら涙を流そうが、知ったものか。私は私のやりたいようにやるだけさ!」
僕が王女様に語りかけている間、エルはアスモデウス相手に舌戦を繰り広げていた。
僕のために、時間を稼いでくれている。
「嘘だね。下界に未練があるから、君達悪魔は復活して悪意を振り撒いているんじゃないのかい?」
「何を言っている、この娘っ……本当に、昔からバカな娘だよ!」
エルは肩を竦め、空中の悪魔をブンブン揺らす。
「そりゃどうも。私はあの狂った女とは違うもの、君達の考える事なんて理解出来ない」
「くっ……可哀想に、あの子が今のお前を見たら、がっかりするだろうな」
「だから何? 私には関係無い」
エルが僕の方を一瞬見る。アスモデウスはそれに気づかなかった。
王女様をどうにかして悪魔の洗脳から解かなきゃいけない。でも、どうしたら良いか僕にはわからなかった。
エルなら、何か知ってるんじゃないか。そう思って、僕はエルに視線を投げ掛けたのだ。
「そういえば、アスモデウス。君が『魅了』し損ねたトーヤくんに、私は既にキスをしてるんだ。彼の心は君より先に私ががっちりキャッチしてるんだよ」
「たかだかキスじゃないか、そ、そのくらいで得意になるな」
「動揺してるねぇ。君も案外、異常な性欲を除けば普通の女なのかもね」
……キス。
おとぎ話で、眠り姫にキスをして目覚めさせた王子の話があった。
僕が、その『王子』役ってこと?
エルとアスモデウスがまだ言葉の応酬を続けている中、僕はミラ王女の唇に顔を近付けた。
「な、何をするのよっ……!?」
「すみません、王女様」
僕は、王女様と唇を合わせる。
僕にキスをされた王女様は、ビクンと肩を震わせ、顔を真っ赤にさせた。
「こ、このっ、無礼者! 王女たるこの私に、婚約者でも無いのに口付けをするとは……せ、責任どう取ってくれるのよっ!?」
……良かった。
僕のキスで、ミラ王女は悪魔から解放されたんだ。
残るは、悪魔アスモデウスだけだ。
「なっ、何故だ……!? 私が洗脳した人間まで、こいつらに奪われるというのか!?」
悪魔アスモデウスは、空中に浮いた状態のまま、わなわなと肩を震わせる。
怒りに狂う彼女は、僕と王女様に向けて、手のひらから紫の炎を放った。
王女様を背に僕は【テュールの剣】を抜き、薙ぎ払う。
その一閃で、炎は弾けた。
光の渦が巻き上がり、爆風が起こる。
僕とエル、王女様、アンさん……そして悪魔アスモデウスに憑かれたマリウス王子。全員が爆音と風、熱の嵐に巻き込まれた。
「ちょっとあなた、私をちゃんと守りなさいよ!」
「わかりましたよ王女様! しっかりつかまっててください」
僕は王女様を背に庇い、吹き飛ばされるマリウス王子を見やる。
彼の指輪の紫水晶には、悪魔の炎を受けて罅が入っていた。
「ぐ、ぐああああッッ!!?」
悪魔の叫び声。断末魔の声だ。
己の炎に焼かれる悪魔は、僕達に怒りと怨念の叫びを上げた。
「エル、そしてトーヤ! お前達を許してはおかん。いつか来るその時まで待っているが良い……必ず、お前達を……」
火の中で王子は倒れ、悪魔は消えた。
僕は、いや僕達は。
燃えて無惨な姿になった指輪を、ただただ見つめるのだった。




