11 色欲の悪魔
「さあおいで、美しい少女達よ。私に全てを委ねなさい」
マリウス王子は、微笑んで僕達に手を差し伸べてきた。
僕は背中に隠した剣をいつでも抜けるようにしながら、王子にじりじりと近付いていく。
「ト、トーコ……」
アンさんが不安そうに僕の仮の名を呟いた。
僕は微笑みを浮かべて、警戒心を悟られぬよう王子のもとへ寄っていく。
だが僕は、一メートル程の間合いをとって立ち止まってしまった。
「どうした? 私のもとへ来い。存分に可愛がってやる」
王子が狂気的な笑みを浮かべた。
僕の背筋は凍り付く。
……怖い。この人に近付いたら、何をされるかわからない。
それに、大事な事に彼は気付いていないようだけど、僕は男だ。
彼の期待している可愛い女の子でも何でもない。間違っても、そんなことあってはならないんだ。
「お、王子様……。わ、私は」
「何だ? 言ってみよ」
駄目だ、どうしよう!?
動けない。いきなり無防備な相手に切りかかることが、僕には出来なかった。
父さんの、そしてルーカスさんの教えてくれた剣術では、丸腰の相手に剣を向けることは騎士の精神に反するとされていたからだ。
「あ、あの、私はっ」
僕が言い出せずにいると、王子は急に立ち上がり、僕の体に手を伸ばしてきた。
「!? な、何……!?」
突然の出来事に僕は反応が遅れた。
後ろに退くこともできずに、王子の腕の中に閉じ込められてしまう。
「ふふっ……今から君は、私だけのものとなる。魅了して、堕としてくれよう」
王子は、端麗な顔を醜く歪めていた筈だったが、僕にはそれが醜くは見えなかった。
王子の目が妖しく紫に輝き、彼が着けている指輪の水晶も同じ色に光る。
「いけない、トーヤくん!」
エルが杖を掲げ叫ぶ。
彼女は光魔法で悪魔の『魅了』能力を打ち消そうとしたが、失敗した。
なんだ、これ……。
僕の目の前で陽炎のように揺れる王子の顔。美しく、引き込まれそうになる魅力。いや、魔力といったほうがいいか。
僕は、【色欲】の悪魔の力に抗えずに体の力を抜いてしまう。
この人のものになってしまいたい。性別なんて関係無しに、情動が僕の心をかき乱す。
「ふふっ……いい子だ」
「トーヤくん、今助ける!」
エルが何やらしようとしたが、王子から放たれた紫のオーラが彼女の魔法を通さない。魔力で、杖から魔法を出せなくしてしまった。
「くそっ!」
エルは唇を噛む。
僕が悪魔の魔力に犯されているのを見ていられずに目を背けた。
「王子様っ……。私を、僕をっ……あなたの、ものに……」
頭がふわふわする。顔が火照り、口が上手く回らない。
王子様は優しく微笑み、僕の体を抱き締めて密着させた。
「ああっ……!」
僕の喘ぎと、エルの絶望の声が重なる。
幸せだった。王子様は僕を抱き締めてくれる。
その他に何もいらない。僕にはこの人がいるから。
「ああ、本当にいい子だ。トーコ……んっ?」
僕を抱いてくれていた王子様の、表情が変わる。
彼の手が、僕が背の中に隠していた剣に触れたからか。
ごめんなさい、そう言おうとしたけど、言葉が出なかった。
「お前……女じゃないな?」
あ……そうだった。
僕は今、女装していて……この人は完全に騙されて……。
麻痺していた思考回路が徐々に回復していく。
王子の顔は、蒼白になっていた。
「貴様……この私を、騙したのか」
冷たい怒りの声。王子の怒りはひしひしと僕の身に伝わってくる。
「ごっ、ごめんなさい!」
僕は思わず謝る。
敵の前で、こんな醜態を晒した自分をすぐに恥じた。
「う、嘘っ!? トーコ、ついてたのか」
「ついてるよっ! 僕は男だ!」
口をあんぐり開けるアンさんに、僕は叫んだ。
というか、密着されるまで気付かれないって、僕の女装そんなに完成度高かったのか……。
「貴様の本当の名を、聞いておこうか」
マリウス王子が僕を睨み付け、低い声で訊く。
「僕はトーヤ。二柱の神に認められし、【英雄】だ!」
僕は【テュールの剣】を背から抜き、王子に向けて言い放った。
【グラム】は大きくて目立ちすぎるため、シアン達に預けてある。【ジャックナイフ】も、矢が尽きても戦えるようにとアリスに渡していた。
彼らがここに合流するまで、この【テュールの剣】一振りで戦うんだ。
「英雄か……ガキが、調子に乗るな!」
マリウス王子が抜剣し、僕と一合交えた。
火花が散り、二人は離れ、そしてまた剣を交わす。
突如開始された剣戟に、アンさんは壁際に引っ込み、エルは静かに僕達を見守った。
王子の剣の腕は、王族の男だけあって中々に強い。何年も積み重ねてきたものが、彼にはあるのだろう。
でも、僕だって負けてはいない。日々の訓練や、【神殿】での戦いを経て、僕は強くなっている。
もう、あの頃の弱かった僕はいない。
「見直したぞ、トーヤ! 貴様、女々しいなりをしているが、剣は立派な男のそれだ」
「それは、どうもッ!」
七度目の、剣の激突。
正面から相手と剣を交える――一騎討ちが、マーデルの剣士の戦い方らしかった。
僕はそれを悪くは思わない。
真っ向からぶつかって、この人を倒す!
「す、すげぇ……」
「そうだろう? 私のトーヤくんは、誰にも負けない。最高の戦士であり、【英雄】なんだ」
アンさんが目を見張り、エルは自慢気に言う。
それは、これまで僕を見てきた彼女だからこそ言える言葉だった。
十合、十一合……剣戟は続く。
実力は互角、一瞬でも気を抜けば終わる勝負だ。
僕とマリウス王子は、互いに相手を好敵手だと認めていた。
マリウス王子は、悪魔が憑いているとは思えないくらい正々堂々とした剣技を見せる。
僕はそれを不思議に思いながらも、剣の戦いを楽しんでいた。
「やりますね、王子様。一体、こんな強いお方に何故、悪魔なんかが憑いてしまったのか……」
剣と剣をぶつけあい、すれ違う。
僕は、すれ違い様に王子の横顔を見やった。
王子の瞳が、紫色に燃える。
「ふふっ、ふふふっ……ふはははははっ!?」
突然、気が触れたように笑い出す王子様。
僕は、その瞬間足を止めてしまう。
「ふふっ、少年。こいつの剣に懸ける『情熱』は私の予想以上に熱かったようだ。剣を抜いた瞬間、なんと私の意思を退けたのだからな」
王子の声を借りて、『悪魔』は話し出した。
口元にどす黒い笑みを浮かべて、剣を横に構える。
「こいつの体はお前を一度拒絶したが……私はお前のような少年でも喰らい尽くす。こいつの性的嗜好など、どうでもいい」
色欲の悪魔は剣を振り、紫のオーラを飛ばす。
魔力を斬撃に乗せて飛ばす技を、僕は【テュールの剣】で弾き落とした。
自分の攻撃が簡単に防がれても、悪魔は表情を変えずに続ける。
「私の名は、『アスモデウス』……司る大罪は『色欲』だ! 覚えておくがいい、傲慢な神々に選ばれし英雄の器よ!」
僕は戦慄する。
王子にとり憑いた悪魔が……『アスモデウス』の気迫に、気押されそうになった。
「……覚えておくよ! この場所が、君にとって最後の場所になるだろうからね!」
それでも、強気に言い返す。
少しでも弱気になれば、それが僕にとっての終わりとなる。
僕は【神器】に魔力を込めながら、顔を上げて目の前の悪魔を見据えた。




